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 「それじゃあ、いってきます…」

 カミルが最近、声をかけてくれるようになったのでフェリシアは不思議そうな顔で彼を振り返り、笑顔を浮かべて見せた。

 「はい、いってらっしゃいませ」

 靴を履き替えてドアに手を掛けた彼だったが、ふと、フェリシアは重要なことに気が付いて慌てて彼の腕を掴んだ。


 「あ、ちょっと待ってください!」


 「え?」

 驚いたように小首を傾げた彼にフェリシアは玄関先にかけておいたカレンダーを示す。

 「今日は定例会議の日ですよ! 定例会議は黒いネクタイをしなくてはいけないんですよね? 今、とってきますから待っていてくださいね!」

 カレンダーには定例会議など書かれていないが、カミルはハッとしていた。

 「…そっか。毎月、この日は定例会議だったな」

 昔からの習慣で毎月、月末の同じ日に開催される定例会議というものがカミルの会社にはある。業績の報告や昇進降格などの検討、そして、部署によっては命の危険と隣り合わせの業務もあり、殉職の報告や遺族に支払う諸手当などの適正価格確認など、幹部一同が丸一日話し合う会議があった。
 カミルが上級学校の頃はバイトだったが、今は幹部の一人と言うこともあり、参加する義務があるのである。

 彼は仕事に復帰してすぐに定例会議のことも言われていたのに、それをすっかり忘れていた。

 フェリシアがパタパタと走って戻ってくると、黒いネクタイを彼に手渡した。

 「気を付けていってらっしゃいませ、カミルさん」

 ニッコリと息を切らせてそう言ったフェリシアにカミルは視線を揺らして慌てたように頷き、ネクタイを鞄に押し込んで出かけた。

 そんなカミルを見送ったフェリシアは気合を入れるように拳を固めた。

 「今日は早めにお風呂を沸かして、シーツもちょっといいものを用意しましょう。それに、安眠効果のあるオリジナルのハーブティーを用意して、…」

 だが、ふと、小首を傾げる。

 「…最近、うまくいっていないのですかね、カノジョさんと?」

 関係が続いていると思い込んでいるフェリシアは、瞼を伏せた。

 「うまくいくならうまくいって、…カミルさんが幸せになってくれればいいのに」

 フルフルと想いを振り払ったフェリシアは、玄関の靴箱の上に飾っている植物に水をやって独り言の延長のように話しかけてやりながら、遠い目をした。


 「きっと、カミルさんは素敵な人だからうまくいくと思うんです。いっそ、帰って来なくなったなら、私も覚悟できるんですけどね…。やっぱり、私に遠慮しているからダメなんだと思うんですよ。だからですね、決定打になるようにお薬を鞄に入れてあげたんです。私はカミルさんと一緒に天寿を全うできるだけの時間がありませんし? 本気で離れるつもりなら、離れてもらわなくては困りますから…ね」


 そして、ちょっと寂しそうにぼやく。

 「とはいえ、ずっと昔に親友のマーサが遊び心で作った試作品の余りなんですけどね。カミルさんと結婚してすぐに色々と使ってみたものですけど…今は使うあてもないですし」

 彼女は天井の方に目を向けると、指折り数え始めた。

 「まず、二人で使えばすごいことになった『イチャイチャラブラブZ』。それと、自分に使うことで相手がすごく乱れてくれるという『ヨルノオタノシミα』、惚れ薬と精力剤も5種類くらい追加して、キチンと処方箋も書いてありますし、これで…お薬を使った後の独特の甘い匂いがすればうまくいったということで、私は大人しく彼の前から姿を消せば迷惑はもう、掛けないで済みますからね!」

 そう絞り出した後、ふと、フェリシアは落ち込んだように俯いた。

 「…って、また独り言が増えちゃった。…カミルさんと前みたいに話せないのは寂しいな…なんてね」

 フフッと悲し気に笑った彼女はそっと水をやったばかりの鉢植えの葉を指で撫でた。

 「私の気持ちをとって彼に苦労と迷惑をかけるのか、彼の幸せをとって一人の寂しさと死の恐怖におびえながら余生を送るのか。究極の二択しかない人生が憎くて仕方がないですよ。――できることなら、もっと早くに彼と出会いたかったな」

 そんなことを呟いていると、呼び鈴が鳴った。
 しかも、店側の、ではなく、裏口側の私用玄関の方である。

 そっと覗き穴から除くと、宅配業者の人がものすごく困った顔をして立っているのが見えたので、フェリシアはドアを開けた。

 「こんにちは。荷物、ですか?」

 「あ、はい。少し大きくて、割と重い物ですので中に運び込んでもいいでしょうか?」

 「え? あ、はい。でも、荷物なんて頼んだ覚えがありませんけど…」

 「贈り物、らしいです」

 そう言いながら、二人がかりで荷物を室内へと運び込んだ宅配業者の人々は玄関タイルの場所に大きなリボンが乗せられた、下部分にかなり小さな穴が無数に開いている変な箱をそっと置くと、受領印を押してもらって他に薬の材料の小箱もいくつか手渡され、そちらの受領証も書いた。
 宅配業者の人々が去った後、ドアを閉めたフェリシアが戸惑ったようにその奇妙な箱を見ていると、その箱が突然ガタッと蠢いた。


 「ひゃあ!?」


 だが、蠢いただけで箱が開かない。それもそのはず。
 雑ながらリボンを掛けられており、それが箱が空くのを阻害しているのだ。

 「え、ちょっとなんで開かないの?」

 聞き慣れた声がして、フェリシアは慌ててリボンを解き、箱を持ち上げようとすると、ようやく中から箱が押し上げられて中から荷物を持った一人の女性が出てきた。


 「ぷはぁ、生き返るわぁ。家の前に宅配の人がちょうどいたから、この箱にリボンを乗せて運び込んでくれるかって聞いたら、仕方がないという顔で了承してくれたから、お願いしただけなのに、魔法で箱を浮かび上がらせてもらった時に紐まで余計に梱包されたのね!?」


 「…何をしているの、マーサ?」

 フェリシアがかなり呆れた顔をすると、マーサはブイサインを作って白い歯を見せ、ニッコリと笑った。

 「サプライズって奴よ」

 「不気味だからやめた方がいいよ。一瞬、自警団(警察のようなもの)の人に通報しようかと思っちゃった」

 「やめてよ。怒られちゃうじゃん。大人になってからも怒られるのは御免だわ」

 「マーサ、昔も何かしたの?」

 「えへへ…若気の至りって奴ですよ、フェリ。なんてね。まあ、昔はガキ大将みたいなことをしていて、棒切れを手に魔物に立ち向かって半殺しにされたりとか、空き巣犯を尾行して逆に空き巣犯だと誤解されて逮捕されそうになったりとか?」

 「マーサってばもうっ…」

 呆れ半分の笑みを浮かべてフェリシアはお客様用のスリッパを用意した。

 「紅茶を入れるから中へどうぞ、マーサ」

 マーサは楽しそうに笑いながら旅行鞄を入り口の階段の傍に置き、スリッパに履き替えた。


 「おじゃまします」


 そして、その箱の残骸を綺麗に畳んで包装に使っていたリボンできつく縛りまとめたのだった。
 それから、リビングに向かう。

 「後で片づけたのに」

 フェリシアがそう言うと、マーサは首を横に振った。

 「ううん、いいのよ。きちんと話を聞きに来たんだから、お茶の準備をよろしくね?」

 穏やかな口調だったが、有無を言わさぬ強さもにじんでおり、その言葉にフェリシアがかなり安堵した表情を浮かべ、涙で瞳が潤んでいるのを見てマーサは目を細めていた。

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