46 / 202
第三章〈アジャンクールの戦い〉編
3.9 アジャンクールの死闘(4)挿絵つき
しおりを挟む
援護の老騎士が討たれたのか、それとも気が変わって立ち去ったか。
敵は標的をリッシュモンひとりに定めて、一斉射撃を始めた。
矢の雨を浴びながら、リッシュモンは器用に小剣を振るい、顔に当たりそうな矢だけを最小限の動きで叩き落とした。
(ロングボウならここまで届く。だが、クロスボウでヘンリーを撃つことは不可能だ……)
人並み外れて武芸全般に優れ、才能に溺れることなく鍛錬し、リッシュモン本人も自分の能力に自信を持っていたが、決して過信することはなかった。
(騎乗して駆けながらロングボウで三本同時発射、か……)
リッシュモンとてクロスボウとショートボウの心得はある。
だが、ロングボウは構え方からして違う。ましてやあの老騎士のような芸当はそう簡単に真似できない。
昨夜のうちに老騎士からもっと話を引き出せば良かったと後悔した。
(老いてなお、これほどの精鋭が傭兵に甘んじているとは恐れ入る)
リッシュモンは矢の雨をかいくぐりながら、淡々と「面白いものを見せてもらった」と思っていた。気分は悪くなかった。
フランス王国はこの戦いで敗北するが、戦果がなかったわけではない。
プレートアーマーは矢のダメージを防ぐことに成功した。
しかし、遠距離攻撃の能力はあいかわらずフランスが劣っている。
集団の熟練度だけでなく、個人技でも敵わないだろう。
(敵の攻撃は届くのに、こちらの攻撃は届かない。戦略を考え直さなければ)
リッシュモン自身に矢は当たらなかったが、馬に何本か命中した。
よく調教された軍馬でも足を負傷したら走り続けることはできない。
倒れる予兆を感じると、リッシュモンは馬の下敷きになる寸前に鞍から飛び降りた。
落ちながら体勢を丸めて転がり、うまく衝撃を逃がすと即座に立ち上がり、今度は大剣を抜いた。
(遠距離が無理なら、近接戦に持ち込むまでだ)
落馬した時に落とした小剣を拾うと、二刀流でなおも進んだ。
(※)アジャンクールの戦いのヘンリー五世(King Henry V at the Battle of Agincour, John Gilbert)
イングランド陣営は、トラップにはまって泥まみれになった重騎士を見ていたから先入観があったのだろう。
「下馬した重騎士は動きが鈍い」
ヘンリーを護衛する騎士たちは、鈍重な重騎士など簡単に討ち取れると考えた。
しかし、リッシュモンは軽装と変わらない動きで翻弄し、想像以上に手こずらせた。
身につけている防具はイングランド兵の方がやや薄い。
リッシュモンは左手の小剣で攻撃を受け流し、なぎ払い、ときには搦め手で敵の武器を跳ね飛ばした。
そして、右手の大剣でアーマーの弱点を正確に突き刺した。
一対多数にも関わらず、ヘンリーを護衛する近衛騎士たちは何人も討ち取られて傷を負った。
ヘンリーを守る壁は薄くなる一方だ。
「奴を止めろ! 陛下に近づかせるな!」
近衛騎士の叫びに応えるように、斧を持って近づく者がいた。
前夜、杭のトラップを作るために森の木を切り出した道具だろうか。
だが、雑兵ごときが王の近くに侍っているとは思えない。
一般的に、寄せ集めの民兵・歩兵は弓矢や手斧を、訓練された貴族出身の騎士たちは剣や槍を武器とするが、例外もなくはない。ヘンリー五世の弟ベッドフォード公ジョンは戦斧さばきが得意だった。
乱戦の死角から、男は戦斧で力任せにリッシュモンの側頭部を叩いた。
その瞬間、金属が弾けて火花が飛んだ。
骨が折れたかのような鈍い音がして、兜もろとも頭部が飛んだかに見えた。
実際は、兜だけが吹き飛んだ。
兜の面を上げていたおかげで、頭部から兜が脱げて外れたのだろう。
幸い、リッシュモンの首と胴体は離れなかったが、兜越しとはいえ、戦斧で頭を殴られたダメージは大きかった。
衝撃を受けたと同時に、地面に横向けに倒れ伏していた。
(不覚だ……)
死角からの攻撃に気づかなかったのはリッシュモン自身の落ち度だが、気づいたとしても小剣で戦斧をまともに受けることは不可能だろう。
起き上がろうにも視界はブレて、次第にかすみ始めた。
(立て……ない……)
王を護衛する騎士たちに取り押さえられ、倒れたまま制圧された。
動けないリッシュモンの前に誰かが近づいてきた。
「これはこれは……どこぞの狂戦士かと思えば、ブルターニュ公の弟君ではないか」
楽しそうな声が聞こえた。
顔が見えなくても、声の主に聞き覚えがあった。
「こそこそと隠れて人の食料をかすめ取るとは、穴熊の一族らしい行動だと思わないか」
声に賛同するように、侮辱を含んだ笑い声が上がった。
白地に穴熊の尾を模したブルターニュの旗が泥水に浸かり、みるみる黒く染まっていった。
そのシンボルはアーサー王の末裔をあらわす。
ケルトの、ブリテン島の本当の王の名を知らない者はいない。
「アーサー・オブ・リッチモンド伯。久しぶりだな、我が弟よ」
イングランド国王ヘンリーは、泥水に染まったブルターニュの白い旗を踏みつけた。
びしゃりと泥が跳ねてリッシュモンの顔にかかったが、拭う力はもう残されていなかった。
***
1415年10月25日、アジャンクールの戦い。
フランス王国軍の戦力は2万人。うち、死者は1万人。
イングランド王国の戦力は7000人。うち、死者は112人。
フランス王国は三倍の戦力を保有しながら、歴史的な大敗を喫した。
敵は標的をリッシュモンひとりに定めて、一斉射撃を始めた。
矢の雨を浴びながら、リッシュモンは器用に小剣を振るい、顔に当たりそうな矢だけを最小限の動きで叩き落とした。
(ロングボウならここまで届く。だが、クロスボウでヘンリーを撃つことは不可能だ……)
人並み外れて武芸全般に優れ、才能に溺れることなく鍛錬し、リッシュモン本人も自分の能力に自信を持っていたが、決して過信することはなかった。
(騎乗して駆けながらロングボウで三本同時発射、か……)
リッシュモンとてクロスボウとショートボウの心得はある。
だが、ロングボウは構え方からして違う。ましてやあの老騎士のような芸当はそう簡単に真似できない。
昨夜のうちに老騎士からもっと話を引き出せば良かったと後悔した。
(老いてなお、これほどの精鋭が傭兵に甘んじているとは恐れ入る)
リッシュモンは矢の雨をかいくぐりながら、淡々と「面白いものを見せてもらった」と思っていた。気分は悪くなかった。
フランス王国はこの戦いで敗北するが、戦果がなかったわけではない。
プレートアーマーは矢のダメージを防ぐことに成功した。
しかし、遠距離攻撃の能力はあいかわらずフランスが劣っている。
集団の熟練度だけでなく、個人技でも敵わないだろう。
(敵の攻撃は届くのに、こちらの攻撃は届かない。戦略を考え直さなければ)
リッシュモン自身に矢は当たらなかったが、馬に何本か命中した。
よく調教された軍馬でも足を負傷したら走り続けることはできない。
倒れる予兆を感じると、リッシュモンは馬の下敷きになる寸前に鞍から飛び降りた。
落ちながら体勢を丸めて転がり、うまく衝撃を逃がすと即座に立ち上がり、今度は大剣を抜いた。
(遠距離が無理なら、近接戦に持ち込むまでだ)
落馬した時に落とした小剣を拾うと、二刀流でなおも進んだ。
(※)アジャンクールの戦いのヘンリー五世(King Henry V at the Battle of Agincour, John Gilbert)
イングランド陣営は、トラップにはまって泥まみれになった重騎士を見ていたから先入観があったのだろう。
「下馬した重騎士は動きが鈍い」
ヘンリーを護衛する騎士たちは、鈍重な重騎士など簡単に討ち取れると考えた。
しかし、リッシュモンは軽装と変わらない動きで翻弄し、想像以上に手こずらせた。
身につけている防具はイングランド兵の方がやや薄い。
リッシュモンは左手の小剣で攻撃を受け流し、なぎ払い、ときには搦め手で敵の武器を跳ね飛ばした。
そして、右手の大剣でアーマーの弱点を正確に突き刺した。
一対多数にも関わらず、ヘンリーを護衛する近衛騎士たちは何人も討ち取られて傷を負った。
ヘンリーを守る壁は薄くなる一方だ。
「奴を止めろ! 陛下に近づかせるな!」
近衛騎士の叫びに応えるように、斧を持って近づく者がいた。
前夜、杭のトラップを作るために森の木を切り出した道具だろうか。
だが、雑兵ごときが王の近くに侍っているとは思えない。
一般的に、寄せ集めの民兵・歩兵は弓矢や手斧を、訓練された貴族出身の騎士たちは剣や槍を武器とするが、例外もなくはない。ヘンリー五世の弟ベッドフォード公ジョンは戦斧さばきが得意だった。
乱戦の死角から、男は戦斧で力任せにリッシュモンの側頭部を叩いた。
その瞬間、金属が弾けて火花が飛んだ。
骨が折れたかのような鈍い音がして、兜もろとも頭部が飛んだかに見えた。
実際は、兜だけが吹き飛んだ。
兜の面を上げていたおかげで、頭部から兜が脱げて外れたのだろう。
幸い、リッシュモンの首と胴体は離れなかったが、兜越しとはいえ、戦斧で頭を殴られたダメージは大きかった。
衝撃を受けたと同時に、地面に横向けに倒れ伏していた。
(不覚だ……)
死角からの攻撃に気づかなかったのはリッシュモン自身の落ち度だが、気づいたとしても小剣で戦斧をまともに受けることは不可能だろう。
起き上がろうにも視界はブレて、次第にかすみ始めた。
(立て……ない……)
王を護衛する騎士たちに取り押さえられ、倒れたまま制圧された。
動けないリッシュモンの前に誰かが近づいてきた。
「これはこれは……どこぞの狂戦士かと思えば、ブルターニュ公の弟君ではないか」
楽しそうな声が聞こえた。
顔が見えなくても、声の主に聞き覚えがあった。
「こそこそと隠れて人の食料をかすめ取るとは、穴熊の一族らしい行動だと思わないか」
声に賛同するように、侮辱を含んだ笑い声が上がった。
白地に穴熊の尾を模したブルターニュの旗が泥水に浸かり、みるみる黒く染まっていった。
そのシンボルはアーサー王の末裔をあらわす。
ケルトの、ブリテン島の本当の王の名を知らない者はいない。
「アーサー・オブ・リッチモンド伯。久しぶりだな、我が弟よ」
イングランド国王ヘンリーは、泥水に染まったブルターニュの白い旗を踏みつけた。
びしゃりと泥が跳ねてリッシュモンの顔にかかったが、拭う力はもう残されていなかった。
***
1415年10月25日、アジャンクールの戦い。
フランス王国軍の戦力は2万人。うち、死者は1万人。
イングランド王国の戦力は7000人。うち、死者は112人。
フランス王国は三倍の戦力を保有しながら、歴史的な大敗を喫した。
10
あなたにおすすめの小説
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。
しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。
私たち夫婦には娘が1人。
愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。
だけど娘が選んだのは夫の方だった。
失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。
事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。
再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
