ドラゴンズ・ヴァイス

シノヤン

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弐ノ章:生きる意味

第31話 殴ってなぜ悪い

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「あ~…どうぞ続けて」

 入るタイミングを間違え、一同から何とも言えない冷たい視線を向けられながら、龍人は病室に隅へと移動して壁に寄り掛かる。彼の隣に颯真と呆れ顔の佐那も立った。

「隣にいたんだからあなたも止める努力をして頂戴」
「起きた事はしょうがないでしょ。老師、”事後諸葛亮”って言うんですよそういうの」

 佐那と颯真が互いに愚痴をぶつけ合っていたが、すぐに注目の的は夏奈とその家族の方へと移る。夏奈の母親は弓田を睨んでいた。

「この子が自分で払うわよ。この期に及んでまだ親に尻拭いさせるわけじゃないでしょうに」
「な、なあ…いくら何でもそれはあんまり―――」
「またそうやって甘やかすの ? 元はといえばあなたが散々この子を甘やかしたせいでしょ ! 勉強も家の仕事も放って男作って家を出た面汚しにくれてやる金は無いわ ! 」

 夏奈の母はキレて、父親を突き飛ばした。なぜキレたのかは分からない。強気に出れば周りが黙って自分に物申さなくなる事を分かっているからなのかもしれないが、いずれにせよ落ち着いて話をしてくれるタイプでは無さそうだった。夏奈は俯き、小さく布団の端を握っている事しか出来ない。龍人はなぜかその姿がいたたまれなくなった。

 龍人には家族はいない。自分を出迎えてくれる家庭も無い。佐那とはあくまでも師弟関係であり、街の住民ともそれなりに仲良くしてきたつもりだが、家族と呼ぶに値する物がまだ自分に無いのだ。だが他者からの愚痴、自慢、土産話…そういった断片的な情報から考えていた家庭、家族という物からあまりにもかけ離れている。夏奈の母親に関しては少なくともそう見えた。自分の子供を労わってこその親ではないのか。

「あのさ」

 だがヒステリー気味にがなり立てていた夏奈の母親へ他の面子が苦言を呈そうとした時、意外な事に颯真が口を開く。皮肉屋を気取って小声で陰口を言うのがお似合いな奴だと勝手に思っていた龍人は、思わず目を丸くして彼の方を見た。

「や…やめてやろうぜ。夏奈ちゃんも色々あったんだしさ。金の件はそりゃ、話し合って解決しないとだけど…まずは無事だった事、喜んでやんなよ」
「…部外者の癖に何様 ? あなたみたいな偽善者ぶった馬鹿では想像もつかないだろうけど、この子に私がどれだけの金をかけて学校に通わせて将来のために投資をしてあげたか知らないでしょ ?」
「へぇ…じゃあ聞くけど、夏奈ちゃんはそれ、やりたくてやってたのかな ? それともやらされてたのかな ?」
「…はぁ ?」
「ほら。それすら分かんないんだろ、アンタ。自分の子供の事なのに」
「…」

 食って掛かって来た颯真に夏奈の母親は苛立ちを抑えようともしない。だが、彼の指摘が入るたびに言い訳を考えていたのか、少し黙っている場面が見受けられた。

「せめて自分の子供がどうしたいかぐらい知っておくべきじゃねえのかな…夏奈ちゃんも、おばさんがそんなんだから逃げたんじゃねえの ? 子供が家飛び出すってよっぽどだし、家族が子供の居場所奪ったら終わりだぜ色々、じゃない ?」

 颯真はひとしきり言い終え、少し微笑んで様子を窺った。が、夏奈の母親はバツが悪そうに目を逸らして娘の方へ顔を向ける。

「この男達は ?」
「い…命の恩人」
「あらそう ? …本当に昔から、余計な貸しを作る事だけは得意ね。こんな口だけは達者なチンピラと関係なんか持ってるせいで骨なんか折られるのよ」
「そ、そんな言い方しないでよ !」

 我慢が出来なくなった夏奈がとうとう震える声と共に反論したが、それが何よりも癪に障ったのか、彼女の母親は少し早歩きでベッドに近づく。そして夏奈の頬を平手で叩いた。父親の方は顔を俯かせ、その瞬間を見ないようにしている。

「周りに味方がいるからって調子に乗ったつもりかしら」

 夏奈を見下ろす彼女の姿は、さながら暴君であった。

「奥さん、流石に今のは――」
「黙りなさいカマホモ野郎。聞き分けの無いバカっていうのは言葉で言っても無駄なの」
「やめてよ。お願いだから…私が悪かったから…」

 とうとうアンディまで口を出したが、負けじと夏奈の母親は言い返し始める。このまま迷惑をかけるくらいなら全て自分の責任にして、母が持つ苛立ちを自分に向けさせるしかない。夏奈はそう考えたのか泣きながら謝り出した。

「そうやって都合が悪くなればいつも泣くわよね」
「ごめん…でも…」
「死ねば良かったのに」

 夏奈の母親が小さく放った最後の言葉が、良い意味でも悪い意味でも賑やかさに満ちていた病室を一瞬で凍りつかせた。だが、間もなく静寂を掻き消すように龍人が歩き出し、やがて夏奈の母親の背後に立つ。

「おい、ババア」
「何――」

 話しかけられた夏奈の母親が振り向いた直後、自身が娘に叩きつけたものよりも強い平手打ちが顔を引っ叩いてきた。まさかされる側になるとは夢にも思っていなかったのか、暫し呆然としている彼女に向かって龍人は不気味なほどに落ち着いていた。

「”開醒”を使ってないって事は、かなり手加減したわねアレ」
「そうなの ?」
「あの子が本気なら、たぶん首の骨が折れてる」
「こっわ…」

 龍人に殺意は感じられない。それが分かっていた佐那は小声で颯真にも伝える。それを聞いた颯真は、本気で喰らう機会が来ないように祈り、震え上がっていた。

「何、すんの…⁉」
「アンタが言った通りだよ。聞き分けの無いバカが目の前に立っていた。それじゃ悪いか ?」

 夏奈の母親に言い返す龍人だが、なぜこのような衝動に駆られたのか自分自身でもあまり分かっていなかった。死ね、くたばれ、地獄に堕ちろといった言葉など彼にとってみれば朝の挨拶と同じような頻度で言われ続けてきた物である。辛さも悲しさも無い。ましてや家族に言われたからなんだというのだ。そう思うのが彼にとっては普通だった。だが、夏奈にとってはそうではないのだ。彼女は泣いていた。

 それを見た時、怒りがほんの僅かに沸き上がった。友達とはいかないまでも、夏奈とは奇妙な縁を持った間柄である。そんな彼女が悲しげにしていた。その悲しみの元凶を咎めない道理は無い。

 夏奈の母は再び火が付いたようにとち狂い、品格とは無縁の薄汚い罵倒を並べながら龍人へ掴みかかるが、これ以上は我慢の限界だったのか弓田と夏奈の父親が彼女を引き離した。

「物事には限度があるぞ。今日はもう帰って頭を冷やしてください」

 弓田に言われるがまま、夏奈の父親は彼女を引きずりながら病室を出て行く。

「グーじゃなかっただけ有難いと思えよクソババア~ !」
「君もだ。調子に乗るんなら今度は窓から叩き出すぞ」
「す、すんません」

 言葉で追い打ちをかける龍人だが、弓田も牙をむき出しにして彼へ忠告をした。その気迫に龍人が怯みつつ後ろへ下がる側を佐那は通り抜け、差し入れの菓子をテーブルへ置く。

「夏奈さん、治療費については安心してください。私が何とかします」
「老師様…」

 佐那が微笑みながら語り掛けると夏奈も少し顔を明るくする。龍人と颯真も少しホッとしたように互いの顔を見合った。直後、再び病室のドアがノックされ、恐る恐る翔希が入って来る。夏奈の顔が少しだけ引きつっていた。

「あ~…まあ、あれだ。夏奈ちゃん。また様子見に来るよ。元気でね」

 彼女にちゃんと謝る機会が欲しいと言ってきた翔希へ病院の場所を教えた手前、いつまでもここにいては話しづらいだろうと感じた龍人は別れの言葉と共に病室を出て行く。去り際に彼の肩を小さく叩いてから病室を出ると、遅れて出てきた颯真と並んで廊下を歩く。

「上手く行くと思うか ? 仲直り」
「一回じゃ無理だろ。まあ、これ以降は本人のやる気と根性次第だ。コミュニケーションなんて結局そんなもんだよ」

 颯真の問いかけに龍人は背伸びをしながら答え、コミュニケーションを取るどころか暴力に頼った自分を自嘲するように鼻で笑った。
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