ドラゴンズ・ヴァイス

シノヤン

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壱ノ章:災いを継ぐ者

第19話 お早い帰宅

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「この野郎…てめ…わざとやりやがったな」

 謝罪も無しに自分へ手を差し伸べて来るSだが、龍人はその手を払いのけた。Sは特に気にも留めずに払われた手をズボンで拭き、倒れているおおだらごの方を振り返る。ぴくぴくと動いている事からまた動き出しそうな不穏さがあったので、念のためもう何発か撃ち込んだ。

「俺は百発百中だぜ。神通力で敵の動きをすべて把握できるし、そこから貫通の仕方や破壊する箇所まで全部計算してぶち込めるのよ。空がある限り…どんな角度、状況であってもだ。銃弾は体に残ったままか ? 必要なら取り除いてやるぞ」
「へっ、余計なお世話だバカ」

 貫通せずに皮膚に僅かに刺さっていた程度でとどまっていた弾丸を龍人は抜き、指ではじいてSに返却する。

「後でちゃんと消毒して手当てしとけよ。これ結構ヤバい物質使ってるからな。さて…死体レッカーしてもらうか。そこどけマッチョ狸」

 龍人を労わりSはムジナの横を通っておおだらごの死体を観察しに向かった。龍人はどうもいけ好かない彼の後ろ姿を見ていたがふと遠方に目をやると、Sが先程弾倉を入れ替える際に投げ捨てた使用済みの弾倉が転がっている。おおだらごの観察に夢中で気付いていないSの後ろを通り、ある程度近づいてから霊糸で弾倉を手繰り寄せる。

 そして腰のポーチから肉分虫の入った小瓶を取り出し、その一部を弾倉に擦り付けた。弾倉の内部へとナメクジのように這って侵入していくのを確認した龍人は、何食わぬ顔で戻って行きSを呼んで投げ渡す。

「おっサンキュー。現世に行って調達とか簡単じゃないからな。銃弾ムダに出来ないんだ」
「その割には投げ捨てたよなお前」
「ちょっとやってみたかったんだよ。あるだろ ? 武器とか道具を雑に扱うのがカッコいいと思う年頃」
「うん全然分からん」

 必要性が分からない謎のチャレンジ精神を発揮するSを前に龍人が困惑していた時、新手の気配を感じた。鴉天狗の群れが上空からこちらへ近づいている。

「ま、そうなるわな…」

 わざわざ自分達がいる方へ向かって来る鴉天狗の集団など、思い当たる節は一つしかない。当然のごとく全員が銃や刀、ボウガンなどで武装していた。

「おらぁ ! 見つけたぞクソガキ !」

 言う程年齢に大差はない様な気がするものの、鴉天狗の一人が怒鳴った。

「マズいな…」
「確かに、あの数相手にすんのは厳しいか」
「そっちじゃねえよ」

 Sは風巡組を前に逃亡を視野に入れていたが、そんな彼とは対照的に龍人は怖気づいていた。だがその原因は風巡組ではない。最悪逃げればどうとでもなってしまう上に、今更三下の小物に武器を向けられたぐらいで命乞いをする程やわな育ち方はしてない。彼が恐れているのはそれ以上に強大であり、逃げ場と言い訳のしようがない相手だった。

「…ん ?」

 鴉天狗の集団、その最後尾にいた者が異変に気付いた。自分の背後からモーターとエンジンの吹かしが組み合わさった軽快且つ力強い音が響いている。空気を切り裂き、タイヤが路上を切りつける音が次第に大きくなっていた。こちらに何かが近づいている。

 「え」

 不思議に思って振り返った直後だった。ライトを付けていない青色のクーペが鴉天狗たちの内の何人かを勢いよく跳ね飛ばす。周囲が騒然とする中、大きく凹んだ車体に急ブレーキをかけて止まった後に運転手が降りてきた。黒いワイシャツに落ち着いた色合いの腕時計を身に着け、片手に紙袋を携えている…初老の女性。見間違う筈がなかった。

「老師…」

 龍人が慄いた。彼女の顔が一切の感情を露にしておらず、こちらへ向かって来るその姿には獲物を狩ろうとする獣の様な威圧感があったのだ。ゆっくりと歩みを進めていくが、その折に鴉天狗の一人が立ち塞がる。

「ダチ轢いといて何すました顔してんだババア、止まれよ」

 片手に持っていたマチェットを突き付けて女の鴉天狗が威圧する。だが佐那はその刃を親指と人差し指でつまみ、カッターナイフの如くへし折った。龍人と同じく開醒を纏ってはいるが、その練度も強化のされ方も格が違っている。

「は―― ?」

 狼狽えた鴉天狗の喉にすかさず一本拳をめり込ませ、唾液を撒き散らしながら咳でむせ返って膝を突いた彼女を尻目に、佐那は周りで慌てふためきながらも構えようとする鴉天狗たちを窺う。

「どきなさい」

 その一言でおずおずと鴉天狗たちは道を開けだした。日寄ったと言えばそこまでだが、少なくともこの町で彼女の事を知る者達は、一部を除いて皆同じようにしただろう。仁豪町でも最大の企業グループである嵐凰財閥。そんな組織から一目置かれ、傭兵として活動する妖術使い…誰が呼んだか付いた異名は”葦が丘の番犬”。それが玄紹院佐那という人物だった。

「ろ、老師…その…色々と事情がさ…てか、早くない ? 帰って来るの…」
「ええ。中国へ向かおうとした直後に連絡があった。そして戻ってくる羽目になった。はいこれ」

 龍人に接近し、彼の間合いに立った佐那に龍人は恐る恐る接していたが、その頃には彼女から殺気が消え失せていた。やがて佐那は紙袋を龍人に渡す。

「…何これ ?」
「ロンドンの土産。ただのビスケットだけど」

 洒落た缶入りの焼き菓子が紙袋の中には入っていた。フォートナムアンドメイソンと英字で書かれている。

「今から行くところがある。今回あなたがやらかした件にも十分関係のある事よ」
「一応言っとくけど、単純に俺だけのせいじゃねえからな。なあS…あれ ?」

 やはり本題はそっちだった。なぜそこまでお見通しなのかは分からないが、釈明をしようと証人になってくれそうなSを呼ぶ。が、既に彼の姿はそこにはない。

「さっき私と目が合った時に凄い速さで逃げて行ったわ」
「だと思った。あーあ、死ねばいいのにアイツ」

 緊張はすっかり解け、龍人は土壇場で逃げだしてくれたSへ悪態を付く。そのまま二人で車の方へ向かっていくが、誰一人として止めようとする者はいなかった。
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