毒殺された男

埴輪

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手紙

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 メリッサは懐にある手紙の存在を確かめた。

 ディエゴの腕の中で目覚めたとき、メリッサは既視感を覚えた。
 昔、幼い頃、ずっと大好きだった従兄の寝台に忍び込み、共に朝を迎えたときの懐かしい感覚だ。
 ずっと、メリッサよりも早く目覚めたのだろう、ディエゴの視線を感じながら。
 昔、ディエゴはこうして早く目覚め、メリッサの寝顔を眺める癖があった。
 そして、特別な笑みを浮かべてメリッサに朝の挨拶をするのだ。
 今のメリッサは口を動かすことでしかそれを返せないが、ディエゴはひどく満足そうに、愛し気に微笑んだ。
 顔を半分隠す眼帯が取り外れた今、その照れた表情がよく見えた。

 額に口づけ、名残惜し気にディエゴは神殿を後にした。
 使用人の、王妃が待っているという言葉を無視することはできない。

 ディエゴが去って行くのを見送り、メリッサはディエゴの愛を深く感じていた。
 きっと、このままならばディエゴは王妃が出産した後もメリッサを囲い、もしかしたら側室に迎えるかもしれない。
 あの王妃に傅き、後宮で共に暮らすなど冗談ではないが。

 メリッサはディエゴを再び裏切ることにした。
 もうこの国は既に崩壊しているのだと、冷静な一国の王女であったメリッサは断言する。
 メリッサのような歪んだ、本能のままの女が生まれた時点で、既に王家の血は狂っているのだ。



* 


 メリッサは記憶力が良い。
 一度通った道を間違えることなく、障害物さえなければ暗闇でも蝋燭の灯りだけで記憶を辿って進むことができた。
 今度は病人服を身に纏い、メリッサは再び牢獄に向かう。
 王妃には良いものを貰った。

 以前の賄賂を受け取った牢番はどうやら処罰されたらしい。
 若い女が近づいたことに下品な笑みを一瞬浮かべたが、メリッサの包帯の巻かれていない火傷の痕を見て、思わず化け物と吐き捨て後ずさった。
 そんな男の姿を嗤いながら、メリッサは王妃の印が入った金貨の袋を投げつける。
 石畳に落ちた聞き慣れた音に、牢番は素早く反応して袋から零れた眩しい金色の光に目を見開き、夢中で拾い上げる。
 悠然とメリッサはその脇を通って行く。

 もう、嗅ぎ慣れてしまった悪臭の中、メリッサは磔から解かれ、石畳の上に座り込むカイルの姿を柵越しに見やる。
 灯りと人の気配に、カイルはゆっくり痩せ焦げた顔を上げる。
 そして、燭台を持つメリッサの火傷を負った顔を見て、信じられないと目を見開いた。
 その表情がディエゴにそっくりだと、今更実感する。
 考えれば考えるほど、不自然なほど二人はよく似ている。
 それはつまりカイルは前国王にもよく似ているということだ。
 王家の血は、想像以上に濃い。
 近親交配を繰り返してきた弊害だろう。
 それは呪いとして、今のメリッサ達の世代に現れている。

 メリッサの顔に、カイルは怯えることなく、膝を引きずったまま、柵の方に近づく。
 カイルを縛るものは何もなく、口も塞がれていない。
 それでもカイルは痛々しいメリッサの姿を見て、無言で涙を流してその場に跪いた。
 カイルを庇い、炎に焼かれたメリッサの姿をずっと、カイルは思い返し、何度も死のうと思った。
 あの日も、火を消し、気絶したメリッサの前で自分も同じように松明の炎浴びて死のうとした。
 そのときのディエゴの憎しみの籠った怒声が耳に残る。
 メリッサが救った命を無駄にするつもりか、と。
 恥知らずな自分が死なず、守るべきメリッサに一生消えない傷を残してしまった。
 どう足掻いても償い切れない罪に、カイルは頭を下げるしかない。
 そんな、カイルを、メリッサは柵越しに優しく触れた。
 顔を上げるように顎を撫でるメリッサに、メリッサ以上に痛々しいカイルが濁った目で見上げる。
 今までにない狂気に満ちたカイルの形相に、彼もまた正常ではないと分かった。
 メリッサも、カイルも、ディエゴも、前国王も。
 この国の王族は皆狂っている。

 ならば、もう断ち切るしかないのだと、正常ではないメリッサは冷静に判断した。
 喉に手をつけ、苦しい声帯からなんとか声を絞り出す。
 しゃがれた、断片的なメリッサの囁きに、カイルは神の啓示を受けたかのように、迷うことなくその意思に従う。
 むしろそれは、カイルが望んでいた結末だ。
 現世で二人が夫婦としていられないのなら、地獄に落ちてもかまわない。

 狂ったカイルと正常ではないメリッサはそれが最も正しい判断であり、唯一の償いであると思っている。
 離れ離れだった、愛する二人の固く繋がれた手がそれを証明していた。

 メリッサは王妃から貰った懐の小瓶と自身が書いた手紙を取り出す。



* * 


 ディエゴがその報告を聞いたとき、彼は思考を停止し、次いで躊躇いもなく腰の長剣を引き抜いて目の前で跪く兵士を斬り捨てた。
 腹を抱えた王妃や臣下達のいる前で、その凶行を止められる者はいなかった。

「嘘だ」

 ディエゴは強く、否定する。
 王に嘘の報告をするなど、万死に値する。

 メリッサが牢獄でカイルと共に毒を呷って死んだ。

 ありえる話だ。
 だが、ありえない。
 何故なら、つい数刻前までディエゴはメリッサと抱き合い、共に朝を迎えた。
 互いの醜い傷を晒し合い、受け入れたのだ。
 ディエゴをメリッサは漸く受け入れたのだ。

 それが全て嘘だったなんて、そんなこと信じられない。
 信じられないと強く否定するのとは裏腹に、ディエゴは城の者が驚くほど顔を真っ白にして一匹の獣のように地下の牢獄へと駆けて行った。
 その姿を、王妃は無言で見守った。

 動かすことが躊躇われたのか、メリッサとカイルはそのままの状態で倒れていた。
 冷たくなったメリッサと牢獄の柵越しに手を繋いで同じ様に冷たくなったカイルの満足気な表情を前にしても、ディエゴは信じられなかった。
 メリッサはカイルと手を繋ぎ、そしてもう片手は胸に当てていた。
 その手の下に封筒があることに、ディエゴは気づき、ふらふらと覚束ない足取りで近づいた。 
 役に立たない牢番が多すぎる。
 二番目の牢番も殺したが、もう既にディエゴの頭にはない。
 メリッサの呼吸や脈を確かめても無駄だった。
 それでもディエゴは信じられず、メリッサの押印で封がされた封筒を震える手で開けた。
 メリッサが死んだことを信じられないのに、ディエゴはそれをメリッサの遺書だと頭の中では分かっていた。
 恐る恐る見慣れた紙にここの所特訓して大分綺麗になったメリッサの字が綴られている。
 陛下へと宛てられたそれをディエゴは食い入るように見る。
 メリッサはディエゴに何を伝えたかったのか。
 恨み言か、それとも謝罪か、愛か。

 手紙はたったの二枚だった。
 遺書となるその手紙には意味の分からない単語が事細かく記されている。
 単語と単語が連なった暗号のようなそれを訝し気ながら、どこかにヒントは隠されていないかとディエゴはかつてない焦燥に駆られ、片目で必死になって全ての単語を呟く。
 ぶつぶつと呟くディエゴはまるで狂人のようだ。
 いや、確実にディエゴは狂っていた。
 二枚目の最後の行に漸く文章を発見し、凝視する。

『この手紙に記されている意味が分からない限り、王女である私は貴方を許すことができない』

 ディエゴにはそのメリッサの執念が書かれた単語、それがただの単語ではなく人名だと知るのはもう少し後のことである。
 さよならも書かれていない、冷淡な手紙に、ディエゴは絶望した。
 そして震える手で石畳の上で冷たくなっているメリッサを抱きしめる。
 カイルと繋がれた手を振り解きたくとも、死後に硬直したせいか、二人の手は固く繋がっている。
 どうしようもなく、狂ったまま、ディエゴはメリッサに何故と問いかけ続ける。
 何故、ディエゴを見捨てるのなら、結局最後に裏切るのなら、何故あんな幸せな夢をディエゴに見せ、希望を抱かせた。
 漸く、メリッサと再び心が通じ合ったと思った矢先に、どうしてカイルと共に死んだ。
 メリッサがどうやって神殿を抜け出したのか、そしてどうやって毒を手に入れたのか。
 考える余裕は今のディエゴにはない。
 それはある意味救いである。
 もしも今の状態のディエゴがメリッサの自害に協力した者を知れば、例えその腹に自分の子を宿していても躊躇いもなく殺してしまっただろう。
 それだけ、ディエゴにとってメリッサは特別なのだ。

 結局、王妃が出産したとしても、ディエゴの心の奥底ではメリッサの子を望んでいるのだ。
 愚かな父のように、メリッサを囲い、そして醜い跡目争いが再び起こるであろうことを承知でメリッサに子を産んでほしかった。
 かつて二人が婚約者だったときの約束を無にしたくなかった。

 だが、全ては遅すぎた。
 ディエゴはメリッサに鎖をするのを忘れてしまった。
 もう、メリッサを捨て、自分を傷つけない愛する王妃だけを側に置こうと本気で考えた結果だ。
 所詮、その本気など脆いものだったが。

 もう、全てがどうでも良い。
 愛も憎しみも復讐も、ディエゴは疲れた。

「メリッサ……」

 だが、メリッサよ。
 これだけはお前に伝えたい。
 例え、その心にはカイルしかいなく、既にこの世を旅立った後でも構わない。

「……お前は、毒で傷つき、醜くなった俺を化け物だと言って拒絶した。かつて、あんなにもお前を愛し、慈しんで来た俺を、お前は捨てた」

 これは決して恨み言ではない。

「だが、同じように醜くなったお前を、俺と同じ化け物になったお前を…… 俺は決して拒絶しない」

 冷たいメリッサの頬に涙がぽたぽた落ちる。
 変わり果てた姿のメリッサ。
 それなのに、ディエゴの目には春の陽気に誘われて無邪気に寝ている可憐な姿にしか見えない。

「俺には、お前の気持ちが分からない。例え、どんなにお前が醜くなっても、全ての人間に化け物と怖れられても…… それでも俺はお前を愛するだろう」

 爛れた右頬を優しくディエゴは掌で包み込む。
 その傷ですら愛しいとばかりに。
 こんな傷で愛が壊れるなど、ディエゴには信じられず、ありえないことだ。
 だからこそ、ディエゴはメリッサとの愛の差により裏切られたと思った。

「俺には、どんなお前も可愛くて仕方がないんだ…… お前が生まれたときから、そしてお前に裏切られた後ですら」

 ずっと、愛していた。
 ディエゴは何一つ変わっていなかった。

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