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第三章

4   医術学校 1

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 祖父の家に戻って五日目になった。
 フラウムの体調はすっかりよくなり、早朝から厨房で、パン作りを教えてもらっている。


「お嬢様、しっかり捏ねるのですよ」

「はい」


 シェフが実践で教えてくれるので、このパンが皆の夕ご飯になる。

 朝から、パンを捏ねて、発酵させる、膨らむ間に、シェフがお茶を淹れてくれた。


「こんなに、捏ねるなんて、知りませんでした」

「パン作りは、力仕事です。天然酵母菌を上手く使うと、夜に仕込んで朝、焼けますし、早朝に仕込んだ物が夜焼けます。そうですね。天然酵母を作っておくのです。干しブドウが比較的簡単ですね。イチゴ、リンゴ、柿や梨、糖度の高いフルーツは発酵にむいていますね。天然酵母を作るときに、またお知らせします。酵母菌がないと、パンは膨らみません」

「奥深いわ。天然酵母菌なんて知らなかったの。粉を混ぜて、焼けばできると思っていたの」


 シェフは微笑んだ。


「せっかく暖炉にオーブンが付いていたのに、まともに使えずに、諦めてしまったの。残念だわ」


 銀のスプーンでカップを混ぜて、紅茶を飲む。

 この屋敷の食器は、全て銀製だ。唯一、紅茶のカップは品のいいカップを使っているが、必ず、銀の匙が置かれている。

 毒をどこかで混ぜられてもおかしくはないと、当主のお祖父様はいつも言っている。

 緋色の魔術師は、毒の研究もしているし、人体の研究もしている。亡くなった人を買ってきて、解剖をすることは、日常茶飯事だという

 フラウムは、まだ解剖に立ち会った事はないが、本では読んで知っている。

 温室では、毒草を栽培し、毒や解毒薬を作っている。

 パンを習いながら、午後からは、初めて解剖に立ち会う。

 フラウムはシュワルツの治療を成功させたので、いきなり上級者のクラスに入れてもらえる事になった。

 母は講師になった。

 無職だった母に、祖父が推薦してくださった。

 母は、毒の知識も治癒の知識もある。

 一族で、一番と言われた魔力の持ち主だったので、誰も反対はしなかった。

 フラウムは、緋色の一族として、まず、学ぼうとしている。

 料理は、その傍ら習っている。

 約束していたシュワルツは、来ない。

 きっと、宿場町に置き去りにした馬車や騎士達の捜索や、シュワルツを襲った者の取り調べなどがあるのだろう。

 来てくれないことは寂しいけれど、それは仕方がない事だと諦めもある。

 シュワルツは皇太子殿下で、いずれ、皇帝になる身だ。

 約束をしても、全て叶えられるとは思ってはいない。

 それでも、寂しくはある。

 近いうちにお妃教育も始まるだろう。それまでは、医学の知識を少しでも学びたいと思っている。


「お嬢様、発酵まで時間がかかりますので、どうぞ、講義に出てきてください」

「はい、ありがとうございます」


 フラウムは、キッチンから出ると、いったん部屋に戻って、医術の勉強をする時の制服を着る。白い膝丈のワンピースに白衣を羽織る。

 その姿で、別棟の研究塔にやってきた。

 授業までは、まだあるようで、人は疎らだ。

 皆、緋色の瞳をして、緋色の髪をしている。

 同じような顔立ちなのは、皆、一族だからだ。

 フラウムのように銀の髪をしている者は、いない。

 教卓に、席順が書かれていた。

 フラウムは、それを見て、自分の席を見つけた。

 一番前の中央が、フラウムの席になっていた。

 祖父も教壇に立つので、優遇されたのかもしれない。


「フラウム嬢、初めまして」


 突然、声をかけられて、本を読んでいたフラウムは、視線をあげる。


「私は、フラウム嬢の従兄のモナルコス・プラネット侯爵です。隣にいるのが、ナターシャです。フラウム嬢の母と私の父は兄妹です」


 フラウムは立ち上がって、お辞儀をした。


「初めまして、フラウム・プラネット侯爵です。田舎で薬草と薬の研究をしておりました。約束の3年間が過ぎたので、テールの都に戻ってきました」

「一人で自活して、山に登って薬草を採っていたんだってね。すごいね。私には真似ができないよ」

「いいえ」


 フラウムは微笑みを浮かべて、頭を下げた。


「山にこもって薬草の勉強をするより、ここで学んだ方が役に立つわ」


 気の強そうな女性は、ナターシャで、彼女は緋色の瞳と長い髪をしていた、髪は一つに結んでいる。

 フラウムも長い髪を一つに結んでいるが、ずいぶん、雰囲気が違う。

 確か、フラウムより2つ年上だったはずだ。


「13歳で山にこもって、何ができて?」


 口調は毒舌のようだ。

 皆さん、母のブレスレットと同じ物を付けていらっしゃる。フラウムだけ、やたらと大きなブレスレットだ。


「大きなブレスレットね。そんなに魔力を使うの?」

「皇妃様からいただいた物なので」


 そう言うと、ナターシャは不機嫌な顔が、更に不機嫌な顔になった。


「あなた、まだ皇太子のお妃教育に行ってらっしゃるの?純血でもないのに?」


 この場合の純血というのは、一族以外の血が混ざっていないことを指している。

 フラウムの父は、サルサミア王国の諜者だった。

 それは、もう替えようがないのだから、諦めるしかない。


「わたくしは母の血を受け継いでいます。今は、お休みしております。けれど、そのうち始まると思います」

「私の婚約者は、従兄のファベル・プラネット伯爵よ。お兄様と同い年で、穢れなき純血の政略結婚よ」


 ファベルとナターシャは名を呼ぶと、緋色の髪を短くした男性がやってきた。


「フラウム、この方が、私の婚約者よ。一族の血を濃くして、強い魔力の子を産むのが、私の使命よ」


 ナターシャは、それが当然の義務だと胸を張って言った。

 その潔さに、フラウムはナターシャを見直して、その穢れなき血を羨ましく思った。


「フラウム嬢、初めまして。ファベル・プラネット伯爵です。お名前だけは聞いた事がありました」


 フラウムは、またお辞儀をした。

 この教室の中では淑女の礼等畏まった礼はしない。ただ、お辞儀をするだけだ。

 ここにいる者は、ドクターと呼ばれ、男でも女でも区別はされない。


「フラウム、突然、上級者のクラスに入って、ついて行けるのかしら?」

「頑張ります」

「どんな頑張りか楽しみね」


 教室に教師が入ってきて、皆席に戻っていった。

 初めに、フラウムは、教師に紹介された。

 フラウムは丁寧に頭を下げた。

 担当先生は、ナーゲル・プラネット侯爵というらしい。

 また、親戚の可能性もある。年齢は祖父と変わらない。

 それから、授業が始まった。

 上級者のクラスは6名だ。同じくらいの年齢の子は、6名ということになる。





 教科書は、母が持っていた物と同じだったので、ほぼ暗記している。

 後は、実践の勉強をしたい。


「魔術で縫合をなさい。人の怪我だと思いなされ」


 提供されたのは、鶏の足だ。ナイフで乱雑に切られていた。

 それがトレーに置かれていた。

 切り傷が汚い。

 フラウムは魔術で足を浮かせた。


(浮遊)

(消毒)

(縫合)


 じっとその肉を視て、丁寧に魔術で縫合していく。


(消毒)


 人の足や腹に比べて、容易い。

 処置を終えて、縫合した足をトレーに置いた。

 年配の男の先生が、フラウムの横に来て、鶏の足を視ている。


「よろしい」

「ありがとうございます」


 フラウムは、頭を下げた。

 先生は、教室の中をゆっくり歩いている。

 どうやら、皆さんはまだ苦戦中のようだ。

 フラウムは精神を集中しながら、心眼を使って、周りの様子を見た。

 モラヌコスもナターシャもファベルも鶏の足だと思い、手で持ってしまっている。

 最初に先生が、人の怪我だと思いなされと言ったことを忘れているようだ。

 なんとか縫合しても、先生が手に持ったナイフで、肉に傷を付けていく。

「やり直し」と、皆、言われている。


「早く治さなければ、人なら死んでしまうぞ」


 皆が息をのむ。

 フラウムは、シュワルツの怪我を実際に治しているから、手順が分かっている。

 それにしても、先生の連続慧眼は素晴らしい。

 フラウムも心眼を使いながら、慧眼で手順の確認をしてみる。

 皆さん、まず、手で持って、消毒を忘れているようだ。

 縫合は人それぞれだ。上手な人と下手な人がいる。

 これが、顔の傷なら、痕が残ってしまう。

 慧眼で周りを見ていることに気づいた先生が、やってきて、フラウムの肉の足を浮遊させて魔術で折った。

 足は、見事に開放性骨折を起こした。

 先生は、ニヤッと笑って、歩いて行く。

 骨折は治した事はないが、捻挫は治した。

 フラウムは、ブレスレットに触れて、肉を浮遊させて、


(消毒)

(接合)


 魔力を流し込んで、折れた骨をくっつけて、周りの肉や靱帯等に炎症予防の魔力を流し込んだ。

 傷ついた血管を縫合する。

(切除)

 縫合部分を綺麗にした。

(縫合)

 傷跡が残らないように、綺麗に魔法で縫合していく。

(消毒)


 そっとトレーの上に置いた。

 隣に先生が来て、「よろしい」と告げた。


「今日の午前中はこれ以上の授業はない。戻ってよろしい」

「ありがとうございます」


 フラウムは立ち上がると、お辞儀をした。


「午後から解剖がある。その時間に来なさい」

「はい」


 それから、教室から出て行った。

 朝一の授業だったので、午後の授業までずいぶん時間がある。

 授業を受けていた研究塔から屋敷に戻っていく。

 白衣を脱いで、代わりに温かなカーディガンを着ると、暖炉の部屋のソファーに座った。


「あら、もう終わったの?」


 お祖母様が、出て行ったばかりのフラウムがいることに驚いて声をあげた。


「今日は鶏の足の縫合でした。さっさと片付けてしまうと、先生は開放骨折を作って、治すように言われました。それも、終えてしまったので、午後の授業まで自由です」

「今日の課題は、簡単でしたか?」

「ええ、皇子の傷を治した時より、簡単でした」


 お祖母様は、お茶を淹れてくださった。

 テーブルに美しい茶器が置かれた。銀の匙で、紅茶を混ぜて、一口いただく。


「フラウムは、既に実践をしているので、本物の感覚を知っているからでしょうね。死んだ鶏の足では、肉が硬直しているので、やはり紛い物でしょうね」

「でも、あのお肉、勿体ないわ。村ではあんな立派なお肉など買えなかったのに。お肉はどうなるのかしら?」

「フラウム、ここは研究塔よ。鶏の肉は貴い犠牲よ。この先に人を救う事ができるように犠牲になってくれたの。気になるなら、北のガゼボの近くに供養塔がありますから、そこに参るといいわ」

「まあ、供養塔もあるのね」

「プラネット侯爵邸は、広大な土地に、研究塔もありますし、医学書を集めた図書館もあります。伯爵を名乗る者までは、この土地に屋敷を構えております。数十件と屋敷はありますね。その全てを背の高い壁とその上に槍のような頑丈な擁壁があります。門番は魔術に長けた者が行っています。この敷地にいる間は、安全ですからいろいろ見て回るといいですよ」

「伯爵以上が、この敷地内にいるのですか。すごいですね」

「名門の家柄ですからね。学校も独特でしょう?」

「ええ、少人数で」

「13歳から入学をすることになっているのよ。フラウムがキールの村に行っていた頃から、同じクラスの子供達は、勉強をしていたのよ」


 フラウムは頷いた。

 フラウムもキールの村で薬草を採って薬を作っていたが、みんなも13歳から修行をしてきたのだ。

 自分だけが特別ではない。

 環境が違っただけだ。

 むしろ、皆より遅れている可能性もあると言うことになる。


「頑張ります、お祖母様」

「そうよ。皆、よくできる子達ばかりよ。遊んでいると、ついて行けなくなるわ」

「分かりましたわ、お祖母様」


 ゆっくりお茶を飲んでいたフラウムに、お祖母様は、注意をなさった。


「お昼まで図書館に行って参ります。お薦めの本はありますか?」


 お祖母様は、何冊かの題名を教えてくださった。

 お茶を飲み干すと、フラウムは白衣を羽織り図書館に出掛けた。


(お家にいても、休む暇はないわね)


 休むつもりはなかったけれど、勉強の時間は屋敷にいない方が良さそうだ。

 屋敷にいるとサボっていると思われてしまうようだ。

 図書館で、お祖母様が推薦してくださった本を読んだ。確かに役に立ちそうな本だった。数冊借りて、お昼前に屋敷に戻ってきた。

 すると、シュワルツから手紙が届いた。

 自室に移動して、本を机に置くと、シュワルツの手紙を開けて読んだ。

 どうやら、シュワルツは、まだフラウムが寝込んでいると思っているようだ。

 体の具合を案じている様子で、体調がよくなったら教えて欲しいと書かれている。

 直ぐにでも、会いに行きたいと書かれていた。

 フラウムは、すぐに返事を書いた。





親愛なるシュワルツ皇太子殿下へ




体を案じてくださり嬉しく存じます。

今、わたくしは、プラネット侯爵家の学校に入り、医術の勉強を始めました。

授業は週の前半の4日間です。後は自宅勉強になりますので、できれば、週の5日目以降にお目にかかりたく存じます。

今週の5日目は、母が皇妃様に面会を取ると申しておりました。

その時、時間が合えば、お時間をいただきたいと存じます。

                     
                        フラウム




 畏まった文字を見て、シュワルツが眉を顰めている様子が目に浮かぶ。

 食事前に屋敷の宰相のリサンスに手渡した。

 今日中に届くだろう。

 母も朝、皇妃様に面会を申し込む手紙をリサンスに渡していた。

 数日、会えずにいただけなのに、フラウムは、シュワルツともうずいぶん会えていないように思えていた。


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