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気高く咲く花のように ~モン トレゾー~ 11話
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「葵」
輝く月のように愛をささやくが聞こえる。
葵の歌声だ。
夏の舞台で卓也も歌った。
葵の声に合わせて、卓也も歌う。
三番まで歌って、次は銀河のレクイエムが聞こえてきた。
声が高くて、卓也には葵のような高音は歌えない。
それでも、葵の声に合わせて歌う。
銀河のレクイエムは鎮魂歌だ。
月の王子と地球の姫と結ばれることができなかったストーリーで創られた、悲しい歌。
地球の姫に恋をした月の王子は、地球には行けない。
姫に愛をささげて、王子は毎夜姫に愛を囁くことしかできない。
王子は禁忌を犯して、毎夜夜空を渡る。
地球では王子の姿は消え、陰に変わる。
姫の横に立つことしかできない。
触れたくても触れることすらできない。
それでも、姫と踊る。月明かりに照らされて、影と影は触れあっている。
互いに結ばれることのない憐みの賛歌だ。
葵の歌を聴きながら、卓也は涙を流す。
「僕が葵を犯しました」
「単独犯ではないだろう?」
「俺は事務所を換わらなければよかった。実力もないのに、上ばかり見すぎていた」
卓也は両手で顔を覆うと、涙を流していた。
「葵は僕たちメンバーの中で、一番年下で、弟みたいな存在だった。実力は俺らたちには、及ばないほどあったけれど、それでも葵は大切でかわいかった」
「大切でかわいい葵君を、ただ犯しただけではないだろう。彼は見えない場所にひどい怪我を負った」
「それは俺がしたんじゃない。やめろって止めたんだ」
「やったのは誰だ?」
「ワインのボトルを押し込んだのは、水木製薬の荒井田さんで、そのボトルを割って、それを押し込んだのはミツヤプロダクションの大和田さん。はじめはお腹を殴って割ろうとしたんだ。でも、割れなくて、ホテルにあったポットをお尻にぶつけて割ったんだ。そのとき大和田さん指を切って、怒った大和田さんは無理矢理割れた瓶を押し込んだんだ。眠っているはずの葵は暴れて、血がいっぱい出てきて葵は死ぬのかと思った」
「大和田の血はどこに落ちた?」
「葵の血と混ざるようにシーツに」
「シーツのDNA鑑定、もう一度させろ」
「わかりました」
警官が一人取調室から出て行く。
「葵君を犯したのは誰だ」
「水木製薬の荒井田さん、ミツヤプロダクションの大和田さん、カメラマンの飯田さん、俺と俊介と弘明。俊介と弘明は、俺がミツヤプロダクションに誘ったんだ。俺が巻き込んだ。大和田さんの仕事のさせ方は、俺は嫌だったんだ。荒井田さんに抱かれることも、理不尽な命令をされることも。でも仕事がほしいならやれって命令された。もう仕事はいらないから辞めるってって言っても葵を誘拐して強姦することを手伝わなかったら、家族に仕事を断った違約金を請求するって脅された。僕には従うしかできなかった。俊介と弘明は無理矢理させられた。二人は葵を抱きながら泣いていた」
「DNAは四人分しか見つかってなかったが」
「コンドームしてたんだ、あいつらだけ。飯田さんはコンドーム破れたんだ。めちゃくちゃ抱くから」
「指紋も見つかってないが」
「刑事さん、手袋してたら指紋はつかないよ」
「俺たちに全部押し付けるつもりだったんだ。初めから・・・証拠は残ってない」
「目薬はいつ誰から、どこで手に入れた?」
「荒井田さんが、一時的に目が見えなくなる薬だからと料亭でわたされた。料亭で一回。ホテルについたときに、一回。俺たちが逃げるときに一回」
「目薬はどこにやった?」
「稽古場の更衣室のゴミ箱に箱と一緒に捨てた」
「荒井田の指紋はついてるか?」
「わからない」
「スマホと一緒に脅迫状を送り届けたのは誰だ?」
「スマホと脅迫状が入っていたって知らなかったけど、大和田さんに出してくるように言われて、事務所のポストに封筒を入れたのは俺だ」
「二度目の脅迫状も君が出したのか?」
「二度目は知らない」
「葵君をどうやって、連れ出した?」
「ワンピースを着た葵は料亭の座敷に倒れた。ストッキングが破けていて、下着がずれてた。ウイックは簡単に外れないはずなのに、ウイックが外れて、畳の上に落ちていた。荒井田に葵にウイックを付けろと命令されて、倒れている葵につけようとしたけど、僕はわざとつけなかった。荒井田が葵に何かしたことは見てすぐにわかったから。ぐずぐずしてたら、荒井田さんに早く連れて行けと言われて、葵と一緒にウイックを持ち出して、外に待っていた車に乗せた。ウイックは後部座席から助手席の後ろについているファスナーの付いた小物入れに隠した。もしかしたら留め具に荒井田の痕跡が付いているかもしれないと思って」
「秘書の車を押収しろ」
刑事が一人取調室から出て行く。
「葵をホテルの部屋まで運んで、何か飲まされたのかと思ってベッドに寝かせて、吐かせようとしたけど、うまく吐かせられなくて、そうしている間に、荒井田たちがやってきて」
「荒井田と誰だ?」
「飯田さんと大和田さん」
「運転していたのは誰だ」
「荒井田さんの秘書の矢野さんです」
卓也はすべて話し終えて、取調官に頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。葵にも謝罪がしたい。月のシンフォニーはきっと解散になる。本当は冬の公演もみんなでしたかった」
月のシンフォニーが崩壊した。
卓也のほかに俊介と弘明も逮捕されてしまった。
契約していたゲーム会社から連絡が入って、月のシンフォニーというグループはなくなってしまった。
裕久と話し合って、SNSには『月のシンフォニーは解散しました。今まで応援ありがとうございました』と打ち込んだ。
反響は大きく、たくさんのコメントが寄せられたが、何も答えることができなかった。
葵の歌った二曲の歌のCDと過去の舞台のDVDが爆発的に売れて、その日のうちに完売になった。
ドラマの撮影を終えて帰ってくると、葵は入浴してベッドに潜って泣いていた。
「葵、夕食食べるぞ」
篠原が部屋に入ってきて、布団をめくると葵の頭を膝の上に載せてきた。
「不本意な結果だが、DNAの四人は見つかった」
「大切に温めてきた月のシンフォニーがなくなって、悲しくてたまらないんだ」
「悲しくても食事は摂りなさい。葵の体はまだ万全じゃないんだよ。泣いていたら治癒力が落ちる。わかるね」
つけるのを忘れていた指輪をはめられる。
「ほら、起き上がって」
葵は起き上がると、篠原の手を掴んだ。
「純也は僕を裏切らないよね?」
「僕たちはパートナーだ」
指輪と指輪が重ねられる。
キラリと指輪が光った。
「信じていいんだよね?」
「信じてくれないと、僕は悲しい」
葵は篠原に抱きついた。
抱きしめてくれる腕の強さが安らぎをくれる。
翌日の撮影の練習を終えて、温かなお風呂にゆっくり浸かっていた。
『怪盗山猫』の撮影も明日でラストだ。
季節はいつの間にか秋も深まり、予定ではこのドラマの後は月のシンフォニーの舞台稽古に入る予定だった。
葵は次の仕事をまだ受けていない。
たくさんのオファーが来ているが、学校と両立している葵には、欲張った仕事はできない。
お風呂から出るとパジャマに着替えて、自室に入っていった。
扉は開けておく。
篠原を拒絶しているわけではない。その証として部屋は開けている。
最近では閉めていても、篠原は部屋に入ってきてくれるので、気を遣う必要はないのだろうけれど。
ヘッドホンをつけて、ピアノに向かう。
防音されている部屋なので、ヘッドホンはほとんど使わないが、それでも篠原と同居をするようになって、少しだけ気遣うようになった。
篠原は台本を読んでいた。
その邪魔をしたくはなかった。
弾いた曲は月のシンフォニーの二曲だ。
二曲を弾いた後に、新しい曲を弾いていく。
作詞作曲をした曲だ。
七度オファーがきたドラマで、主演と主題歌の作詞作曲の依頼が来ていた。
今回も断ったが、またオファーが来ていた。
曲は最初のオファーの時に、既に作ってあった。
曲も詩も篠原と出会う前に作ってあったものを、篠原と出会ってから、少しずつ書き換えていた。
突然音が遠くなって顔を上げると、篠原が立っていた。
「隠れて練習?」
「純也台本読んでたから」
「姿が見えないと、余計に気になる」
「ごめん。もう自殺なんかしないから」
「そうじゃなくて、葵の気配がないと僕が寂しいんだ」
髪をふわりと撫でられる。
「何を弾いてたの?聞かせて」
「いいけど、純也、僕と歌を歌わない?」
「なんの歌を歌うんだ?」
「ドラマの主題歌」
「なんのドラマだ?」
「男同士の恋愛ドラマなんだ。元々の原作はコミックで実写化なんだ。男性との恋愛がわからなかったから、大学一年の時からずっと断ってきたんだ。今はリアルすぎてずっと断ったんだけど、七度目の出演依頼なんだ。歌は主演と準主演で歌ってほしいって依頼が来てるんだ。相手役は僕が選んでいいって言われてる。キスシーンがあるから。歌は僕が曲も歌も作るんだ。実は歌はもうできてる。断るために作った曲だったんだけど、作者さんが僕をイメージして画いたストーリーだから演じるのは僕がいいって言って。僕が断るたび実写化が延期されてきてる。今回もどうしても僕にって依頼がまた来てて。コミックは事務所に初回から送られてきて、新刊が出るたびに送られてきてるんだ。読んだのは純也と出会ってから。僕は基本的に恋愛ドラマには出なかったから、興味はなかったんだ。でも純也と出会って気持ちが変わっていって、送られてきたコミックを読んでみたんだ。作品は胸があったくなるようなストーリーだった。相手は同性同士なのに、いやらしくないんだ。慈愛に満ちた作品だった。最初に作った曲も詞も書き換えた」
「僕が相手役でいいのか?」
「他にだれがいるの?」
「月のシンフォニーの裕久さんをデビューさせてあげられるんじゃないのか?」
「ドラマのストーリーは、僕は高校生役で相手は教師役なんだ。家庭ではネグレクトで学校では苛められ役の僕を熱烈な教師が救って恋愛感情が芽生えていく話なんだ。僕が選ぶのは、やっぱり純也なんだ。リアルでもドラマでも恋に落ちる相手は純也しかいない」
ヘッドホンを片付ける。コードを巻いて、電子ピアノの邪魔にならない場所に置く。
「裕久さんを推薦することはできるけど、オーディションを受けずに、大きな役に就くと、卓也さんみたいに潰れてしまう。この世界は甘くないから。自分でよじ登って、突き落とされて、それでも登れる人しか残れない。裕久さんには他の役でオーディション受けてもらう。それがきっと本人のためなんだ」
「僕が断ったら?」
「このドラマの出演はまた断る」
篠原の目をまっすぐ見つめる。
月にシンフォニーはなくなったが、新しい何かを始めないと前に進めない。
「考えておいてくれる?」
葵はピアノに向かって初めて篠原に新曲を披露した。
しっとりした優しい曲調に歌詞をつける。思わず寄り添って手を繋いで歩きたくなる曲だった。
葵の声は作った声ではなく、普段のありのままの優しい声だ。
「いろんなパターンも考えているんだ。一人で歌う時も、二人で歌う時もあって、二重奏にするときもあるんだ」
「いい曲だな」
「僕もそう思う」
「純也を歌は歌ったことある?」
「ないよ」
葵は笑った。
「純也が引き受けてくれたら、僕が特訓する」
篠原が笑った。
「社長に相談してみるよ」
「うん」
葵はピアノを片付ける。
「純也、今日は寝るよ。疲れた」
「寝る準備はできてるのか?」
「あと、薬だけ」
二人で一緒にキッチンに行き、薬を飲むとベッドルームに向かう。
けがの手当てをしてもらって、布団にもぐる。
ふと触れた額が熱かった。
「葵、熱があるのか?」
「少し体が怠いだけ。昨日からいっぱい泣いたからかもしれない」
「それならゆっくり休みなさい」
「純也も寝て」
「いいよ。電気消してくるから少し待ってて」
「うん」
寝る支度をして、ベッドに入ると、葵が抱きついてきた。
「純也、僕のこと好き?」
「好きだよ」
「葵は僕のこと好き?」
「好き」
葵の体を抱きしめると、葵は目を閉じた。
いつもより体温の高い体を抱きしめていると、すぐに寝息が聞こえてくる。
念のために熱を測ると38℃もあった。
アイス枕を頭の下に置いて、寝かせた。
「朝一番で、葵たちは警察に呼び出されていた」
「社長、おはようございます」
「おはよう」
「葵は顔色が悪いね」
「昨夜から発熱してるんです。ここが終わったら、念のために病院に連れていきます」
「頼むよ」
「川島卓也の供述で、悠木さんの体を暴行した様子がわかってきました。田中俊介と水沢弘明の供述も一致しています。川島卓也が荒井田の暴行を立証させるために、悠木さんが身につけていたウイックを隠したと供述しました。荒井田の秘書の車は押収しまして、川島が言ったとおりウイックが出てきました。今、それを鑑定に出していますが、今のところ大きな証拠がなくて立証できません。念のためにお知らせしておいたほうがいいと思いまして」
「どんなことでしょう?」
社長が促す。
「最初に悠木さんを犯したのは、水木製薬の荒井田らしいです。コンドームに手袋をはめていたようです。二度目に抱いたのが、ミツヤプロダクションの大和田らしいです。お知合いですか?」
「僕は知りません」
葵は答えた。その隣で篠原が答える。
「ミツヤプロダクションの三谷社長の直属の部下です」
「篠原さんとはお知合いですか?」
「はい。手段は択ばない人です」
「三度目に抱いたのが、カメラマンの飯田らしいです。抱いている途中でコンドームが敗れたそうです。三人に三度抱かれた後に、川島卓也が一度抱いたそうです。そのあとに、田中俊介が一度抱いたそうです。最後に水沢弘明が一度抱いたそうです。そのあとに、荒井田がワインの瓶を細いほうから肛門に入れて、飯田が葵君の腹部を殴打して、瓶を割ろうとしたそうです。それでも瓶が割れなかったので、大和田がホテルにあったポットでお尻を殴打して割ったと言っていました。そのとき、大和田は手を切ったらしいです。今、大和田のDNAを探しています。割れた瓶を体内で突き刺したのは大和田らしいのですが、手袋を着用していたため、指紋などは見つかっておりませんが、手を切ったことで指紋や血液が付着しているか再鑑定しています。目薬の件も川島卓也が供述しています。目薬は荒井田からわたされたそうです。捨てた場所が稽古場らしいので、鑑識が調査しています。こちらでもマークしますが、まだ逮捕できていない二人に関しては、十分に注意してください」
「わかりました」
社長が頭を下げるのを待つように、葵は倒れた。
崩れ落ちる体を受け止めて、篠原は葵の体を支える。
「大丈夫か?」
「こんなに汚れてる僕を嫌いにならないで」
悲しくて涙が流れる。
「気持ちは変わらない」
葵は頷いて、支えてくれる篠原に体を預ける。
「川島卓也、田中俊介、水沢宏明は悠木葵さんに謝罪をしたいと言っておりました。三人はレイプを強要されたようです。冬の舞台も一緒にしたかったと泣いておりました」
何度もうなずいて、葵は流れた涙を拭った。
「葵、病院に行くぞ」
葵は首を振った。
「撮影に行く」
「39℃近くも熱があるんだ」
「撮影が終わって、明日も熱があったら行くから。予定通りドラマを終わらせる」
「その体で演技できるのか?」
「できる」
せっかく授業のない貴重な日だ。
「それなら行くぞ。さっさと終わらせて病院に連れて行く」
葵の肩を抱き寄せて、篠原は歩き出した。
小池が慌てて追いかけてくる。
「社長、ではすみません」
「はい、行ってらっしゃい」
社長が三人を見送る。
「小池さん、いったん自宅に戻ってもらっていいですか?」
「忘れ物か?」
「直接行くとは思ってなかったから。台本とかいろいろ持ってきてない」
「わかりました。いったん自宅に戻ります」
『おとなしくお縄にかかれ』
麻薬の裏取引現場だ。
一番見せ場のアクションシーン。
バク転の連続技から回し蹴りが入る。
ロケ場所は廃工場だ。
次々と人が倒れ行く。
孝房と映見は、倒れた悪党を縄で縛って、蹴りを入れている。
最後の一人を開いた腕で倒して、捕らわれた恋人役の亜香里の元に駆け寄る。
『あなたは誰?』
声はかけずに、縛られた縄だけ外し、互いに向き合う。
『山猫なのでしょう?』
亜香里が霞の頬に触れてくる。
耳につけたイヤホンから、陽の声が聞こえる。
『サツが来た。撤退』
身を翻すと、『行かないで』と手を握られる。
『さようなら』
亜香里との別れだ。手を離して、霞は駆けていく。
『車の運転席には陽がいる。最後に車に乗り込んで。霞はマスクを外す。
車の後部座席では、麻薬と引き換えになるはずだった盗品の黄金のマスクを映見が身につけ喜んでいる。
『山猫さんよ。盗み忘れたものがあるんじゃないのか?』
『心は盗めないよ、兄さん』
『いいのかいそれで。お嬢ちゃんの心は目の前にあったぜ』
『僕は泥棒だ。彼女には相応しくない』
『山猫は正義の泥棒だけどな』
『これでいいんだ』
霞の笑顔でストリーが終わっていく。
「はい、OK」
「クランクアップです。お疲れ様でした」
拍手が湧き上がる。
「素晴らしかったよ、葵君」
花束を持った荒井田が歩いてきた。
「ありがとうございます」
花束を受け取って、丁寧に頭を下げる。
体は怒りと悲しみで震えるのに、笑顔を作るしかない。
監督も拍手で迎えてくれている。
クランクアップは皆が嬉しい瞬間だ。
「葵、お疲れ」
篠原がさりげなく隣に来てくれる。
「お疲れ様です。篠原さん」
「体は大丈夫か?」
「みんなのパワーで熱も下がったんじゃないかな?」
篠原は眉を顰める。
「皆さん、ロケバスは30分後に出発しまーす」
「葵、着替えに行くぞ」
「はい」
「ちょっと待って、葵君。会社に飾りたいから写真一緒に撮ってくれる?」
腕を掴んで引っ張ってきた。葵はバランスを崩して膝をつくように転ぶ。
「葵!」
声をかけてくる篠原に、頷いて黙らせる。
「ごめんよ、葵君。怪我してない?」
荒井田が大袈裟に騒いで、葵の周りから人が離れていく。荒井田は秘書にカメラを持たせていた。
「大丈夫です」
「じゃ、一枚ね」
荒井田の秘書が荒井田と並んだ葵を、写真を連写で撮っていく。
荒井田の手が肩を抱く。
吐き気がして、体がふらつく。
「この後、食事でもどう?」
「すみません。この後は打ち上げがあるんです。食事なら皆さんと一緒にいかがですか?」
篠原が葵の手を引っ張って、連れ戻してくれる。
「バスに遅れるので、着替えてきます」
葵の手はいつもより熱かった。
額に手を当てると、朝より熱が上がっている。
「葵、帰るぞ」
「だめ」
「何を考えてるんだ?」
葵は指をあげる。
指した先には、体格のいい男性が立っていた。
「あの人が大和田さんでしょう?僕のこと嫌らしい目でずっと見てた」
「何を考えてる?」
「僕が囮になる。せっかく授業がなくて、ノーミスで撮影終えたんだから、時間はたっぷりあるよ」
「葵」
「僕と卓也さんと俊介さんと弘明さんの無念を晴らすんだ」
葵はうっすらと笑っていた。
「とにかく着替えるぞ」
「うん」
簡易更衣室でつなぎの服を脱いで、私服に着替える。
「なんで女装するんだ?」
「襲われやすくない?」
スカートをひらひらさせる。
ちらりと見える下着も女性ものだ。
スカート丈は持っている中で、一番短いものにした。
髪は篠原が『かわいい』と言ったゆるふわのショートボブだ。
最初に襲われたときと、長さは違うが雰囲気が似ている。
素早くメイクをして、口紅は篠原を救出したときに使った大人っぽい色にした。
「さすがに半袖は寒いな」
「危険なことはやめてくれ」
「純也のこと大好きだから」
背伸びをして、篠原に触れるだけのキスをした。
「一緒に戦って」
「無茶をするな」
「今からが本番なんだ。今日は許して」
篠原の腕に腕を絡めて更衣室を出ると笑顔を振りまく。
「篠原さん、葵君がいません!」
小池が走ってきた。
「小池さん、荷物持って行って」
「あ?葵君?」
「新しいメイク、大原さんに習ったんだ。美人でしょう」
「美人って言うか、綺麗っていうか」
「僕を抱きたくなるくらい?」
「抱きませんよ」
葵はにっこり笑って、小池に手を振る。
「護衛してね」
「もちろんです」
声はいつもより高めだ。
「葵、あまり目立つな」
「目立ってるんだよ」
誰もが篠原と歩いている葵を見る。
篠原自身も人目を引くハンサムだ。
「篠原さん、彼女さんですか?」
「さすが篠原さんレベルだと、彼女のレベルも高い」
声をかけてくるキャストやスタッフに笑顔を振りまく。
誰も葵だと気づいていないようだ。
「スタイルいいですね。生足が眩しい」
「ありがと」
かわいい笑顔を見せる。
思った通り、荒井田も大和田も葵を目で追っている。
二人は篠原の隣にいるのが葵だと気づいているようだ。
「襲われるように仕掛けるから助けに来て」
「おい」
「自信がない?」
「危ないだろう?」
甘えるようにもたれかかる。
「もう何度も抱かれてしまったんだから、あと一回や二回同じだよ」
「同じじゃない。葵は僕のパートナーだ。誰にも触れさせたくはない」
「ありがとう、純也。大好きだよ。もし失敗しても嫌いにならないで」
「ちょっと待て、抱かれるつもりじゃないだろうな」
篠原の首にしがみつくと、初めて教わったキスをした。
まわりの人々がざわめく。
「タダでは抱かれない」
魅力的な笑顔で言って、また篠原の腕に腕を絡めて甘えるようにもたれかかる。
「だけど、純也以外には抱かれたくない。だから助けて」
「駄目だ。帰ろう」
「帰らない。純也一緒に戦って」
篠原が葵の手を引いたとき、霞の恋人を演じた人気アイドルの黒川千鶴が走り寄ってきた。
「篠原さん、お疲れ様でした」
「お疲れ」
葵は篠原から手を離して、千鶴の様子を観察する。
「あの、篠原さん、こちらの方紹介していただけませんか?」
葵はにっこり笑う。
「千鶴ちゃん、僕、葵だよ」
「えー!葵君?私より綺麗」
「ありがとう」
「どうして女装してるの?」
「余興だよ。でも、内緒ね。みんなを驚かせたいんだ」
「うんうん。わかった」
千鶴はキラキラした目で篠原を見た。
「篠原さんの恋人かと思っちゃった。私、ずっと篠原さんのこと大好きなんです。今回共演できて、すごく嬉しくて。今日が最後の撮影だと思うと寂しくて」
葵は身を引いた。
「これからも仲良くしてもらえたらと思って。恋人になってほしいなんて、図々しいことは言いません。たまに会って、お茶したりお話ししたり、してほしいなって思って」
これが普通の男女の関係。
同性同士はまだ世間では認めてもらえない。
結婚もできなければ、法律で認められない。
どんなに大好きでも、超えられない壁がある。
篠原の答えを聞きたくなくて、人混みにまみれた。それがどんなに危険なことだとわかっていても。
「葵!葵、どこだ」
すぐに篠原の声が聞こえる。
(あ、気づいてくれた。純也好き)
ロケバスとは反対方向に歩いて行く。
すぐに腕を捕まれた。
「葵君、葵ちゃんかな?どこ行くの?」
葵はポケットの中に忍ばせているボイスレコーダーのスイッチを入れた。
荒井田と大和田がセットで立っていた。
葵は営業スマイルを荒井田に浮かべて、初対面である大和田の方を見つめる。
「荒井田さん、こちらの方は?紹介していただけますか?」
「わたくし、カズハプロダクションの大和田です。ここには役者さんのスカウトに来ています。悠木葵さんに出会えるなんて、なんてラッキーなんだ?」
「あら?今、女装して素の僕の面影は少しもないのに、どうして僕だとわかったんですか?」
大和田は一瞬焦ったような顔をした。
「私が教えたんですよ」
「荒井田さんが?」
「そうなんですよ。荒井田さんの会社のCMで女性の役も演じられたと聞きまして。お会いしたいと思っていたんです」
「そうなんですか?僕みたいな若輩者の役者まで気にしてくださるなんて、さすがカズハプロダクションさんですね」
「うちのプロダクションに引き抜きたいと前々から思っていまして」
「そうなんですか?」
「よかったら、どこかでお話しませんか?」
「今から打ち上げがあるんですけど、少し興味があります」
荒井田の顔が片笑んだ。
「打ち上げ場所には後から送りますから、移動しましょうか?」
「はい」
荒井田はまっすぐ駐車場へ歩いて行く。
「うちの車を待たせてあるんですよ」
「あら?以前の車とは違うんですね?」
荒井田の顔が引きつった。
「眠っていたのに、覚えていらっしゃる?」
「はい」
「松屋の料亭の菊の間に連れて行っていただきました。今日はどちらへ?」
「それなら、今日はわたくしがイタリアンのお店にお連れしましょう」
「僕、赤ワインより白ワインが好きなんです」
白ワインなら薬を入れられたらすぐにわかる。
ああ、駄目だ。オレンジジュースに混ぜられていた。
無味無臭無色だ。
飲み物は飲めない。
食べ物も振りかけられたら、眠らされてしまう。
「あ、電話、少し待ってください」
小さなポシェットから、スマホを出して、篠原にラインを送った。
『接触してる。駐車場にいる。早く来てナンバーは―――』
『すぐに行く』
返事を確認してから、通話ボタンを押してバックにしまう。
「僕、主役だったからバスが待てるみたいで。後から行くと連絡しました」
「では行きましょうか?」
後ろから口を塞がれて、口の中に錠剤を入れられた。
「いやっ」
口を塞がれた手を噛んで、錠剤を吐き出した。
「何をしやがる」
頬を叩かれて、怯んだ隙に腹に拳が入った。
「いってぇ」
「乗れ」
「いきなり口の中に薬入れて、平手打ちと腹に拳がスカウトの仕方なのか?」
「おまえをスカウトなんてしねえよ」
大和田の口調が変わった。
「篠原を誑かしやがって、おまえのせいで俺がどれだけ裁判で叩かれた知ってるのか?」
「しらねえ。テレビも新聞も取ってねえ。裁判で叩かれるようなことをしたんだろう?例えば、体を売らせるとか?」
「仕事ができなきゃ体で取ってくるもんだ」
「いってぇ。押し込むな。どこに拉致するつもりだ」
「ひらひらした服着て、また犯されにきたんだろう?」
「僕を最初に犯したやつは、荒井田、次は大和田、その次が飯田だ。僕は覚えてる。飯田のやつめちゃくちゃ抱きやがって、コンドームやぶきやがった。おまえらのことも覚えてる。下手くそなくせに乱暴なだけで痛いだけだった」
「このガキ」
荒井田に体を支えられ、大和田に腹を蹴られた。
「二人して、やっと僕の腹を蹴られるんだ?それでも大人かよ」
「このクソガキ」
「荒井田、手を離せ。痛いんだよ。大和田は短い足を片付けろ」
二人の間でがむしゃらに体をよじる。
「いってぇ」
頬を殴られ、腹を蹴られる。
「叩くな、蹴るな」
「矢野、一番近くのホテルでいい入れ」
「なんだよ、駅前のラブホか?僕はそんなに安いのか?」
「ただのガキだ」
頬を拳で力一杯叩かれて、唇が切れた。
「荒井田、顔を拳で殴るな。これでも俳優だ。僕は商品だ」
「なにが商品だ。しょうもない学芸会じみた舞台しかできないやつが」
「それは卓也のことか?」
大和田が大笑いをする。
「あのガキは甘い言葉にのっかって、のこのこやってきて、荒井田さんのおもちゃになったよ。生意気に嫌だと言い出しやがって、親に慰謝料ふっかけてやるって脅したら、やっと言うことを聞くようになった。おまえを連れ出したのは卓也だ。だけど、あいつはおまえが俺たちにおもちゃにされてるとこ見て泣き出したよ。他の二人も同じだ。目の前でびびりやがって、子供みたいに大泣きしやがった。起ちもしない。俺がしごいてやっと起たせておまえの中に入れたら、三人とも大泣きしやがって、せっかく勃起させたのに、萎れてさせてやがって、仕方ないから体外で射精させておまえにかけた。まったく手間がかかる。こんな意気地なしは仕事をとって来られない。篠原はその点、黙って体を売るやつだった。ああいう奴が成功するんだ。女を裏切らなかったら褒めてやったのに、馬鹿な奴。今じゃ、脇役だ。落ちぶれてみっともねえ」
「純也はみっともなくない。今回の仕事もいい演技だった。主役や脇役なんて関係ないんだ。与えられた役を演じられるかどうかじゃないのか?」
「生意気なガキだ」
「荒井田、顔を殴るな」
「うるせえ」
車から降ろされて、両腕を荒井田と大和田に捕まれ、乱暴に連れて行かれる。
息が上がる。
熱が高くなっている。
足がもつれて、転びそうになると、荒井田がわざと足を引っかけて、転ばせる。
「転ばせるな、ばか荒井田」
「泣きそうな顔してるぞ」
「足が痛かっただけだ」
二人が大笑いする。
目の前の扉を見上げる。
「102号室か近場な部屋だな、そんなに僕を犯したいか?」
ぐっと手を引かれて、葵は立ち上がる。
室内に入るとオートロックだった。
「へえ、オートロックなのか。ラブホなんて初めて来た」
扉は薄いが、オートロックは篠原の蹴りでも開けられそうもない。
間に合わないかもしれない。
「腹に割れた瓶ぶちこんで、腹ん中ぐちゃぐちゃにしてやったのに、もう治ったのか?」
「もう、痛くも痒くもないよ。あんたたち甘いんじゃないのか?あっ」
体を投げられ、痛みで息が詰まる。
言葉にしないと伝わらない。
「ベッドに投げるな、馬鹿野郎」
痛くて声が震える。
(早く来て、純也怖い。純也、純也、助けて)
「篠原がおまえを抱けないように壊してやったのに。壊れてなかったか?」
「脱がすな馬鹿。純也は抱き合えなくなったって、僕を嫌いになったりしない」
葵はスカートの裾を握って、侵入を阻むが、二人がかりでは容易く押さえ込まれてしまう。
「どうだかな?口ではどうでも言える。すぐに飽きられて捨てられるさ」
「そんなことない」
必死でもがくが、体は動かない。
「おまえ、女の下着着てるのか?」
「触るな」
「脱がされたかったんだろう」
「嫌だっ。脱がすな」
一気に脱がされ、荒井田に上半身を抱えられながら、大和田が葵の足を開いてき、勃起した凶器をつぼみに押しつけてきた。
「入れるなっ!嫌だっ」
「うるさいガキだ。口にも入れてやれ」
荒井田が性器を出して、口に入れようと顎を掴んできた。
「口に入れたら、噛み切ってやる」
「うるさい」
「うっ」
頬を拳で殴られて、頭まで痛みが響いて目が回る。
「助けて、純也っ」
今、意識を失ったら、すべてが台無しになる。
ウイックを引っ張られ、髪が引っ張られその痛みで意識が戻ってきた。
ウイックが外れて素の葵の髪が、荒井田に掴まれて、引っ張られ、荒井田の性器が額や顔に当たる。
気持ちは悪いが、濡れた感触は荒井田の体液だろう。DNAは取れる。
必死にそれを拒みながら、必死に声を上げる。
「痛い。入れるな。痛いっ、純也っ純也っ、ああっ!」
下肢に当てられた熱いものは、蕾を押してくる。
「入れないで、じゅんやあぁ!」
手術で縫われた蕾は突っ張り、挿入を妨げている。それでも徐々に裂けていく感じがする。
(純也、ごめん)
挿入の痛みを覚悟したとき、バンと扉が開いた。
篠原と警察と小池が部屋の中に入ってきた。
「純也っ」
駆けつけてくれた篠原が、大和田の腹を殴った。
葵の上から、転がり落ちていく。
逃げようとした荒井田の頬を拳で殴る。
篠原が抱きしめようとしてきたのを、葵は拒んだ。
「待って、純也。今の僕には証拠がいっぱいついてる」
顔には、荒井田の精液が付着して、下肢の蕾には大和田の精液が付着している。
シーツに赤いシミが広がっていく。
「純也、怖かった」
立ち尽くす篠原の手を握る。
篠原の顔は今まで見たこともないほど、怒りに満ちていた。
恐怖と痛みで葵の体が震える。
「すぐに救急車が来ますので」
警察官が言った。
「入れられたのか?」
「突き立てられただけ」
「でも間に合わなかった。血が流れてる」
「純也が来てくれなかったら、どうなっていたかわからない。助けてくれて、ありがとう」
葵は立ち尽くす篠原の手を包み込む。
「熱が高い」
葵は頷いて篠原の手を握り返す。
「いつ倒れるか、ヒヤヒヤしてた」
「無茶しやがって」
篠原は本気で怒っていた。
「純也っ」
葵はポケットからボイスレコーダーを取り出して、篠原に手渡した。
「卓也さんたち、助かるよね」
ボイスレコーダーを見て、すべてを察してくれた。
「葵が命をかけて戦ったんだ。きっと助かる」
救急車が到着した。
「小池さん、弁護士に届けてください。僕は葵を病院に連れて行きます」
「わかりました」
荒井田と大和田は現行犯で警察に捕まった。
駐車場で吐き出した薬も、警察に回収されていた。
「葵」
輝く月のように愛をささやくが聞こえる。
葵の歌声だ。
夏の舞台で卓也も歌った。
葵の声に合わせて、卓也も歌う。
三番まで歌って、次は銀河のレクイエムが聞こえてきた。
声が高くて、卓也には葵のような高音は歌えない。
それでも、葵の声に合わせて歌う。
銀河のレクイエムは鎮魂歌だ。
月の王子と地球の姫と結ばれることができなかったストーリーで創られた、悲しい歌。
地球の姫に恋をした月の王子は、地球には行けない。
姫に愛をささげて、王子は毎夜姫に愛を囁くことしかできない。
王子は禁忌を犯して、毎夜夜空を渡る。
地球では王子の姿は消え、陰に変わる。
姫の横に立つことしかできない。
触れたくても触れることすらできない。
それでも、姫と踊る。月明かりに照らされて、影と影は触れあっている。
互いに結ばれることのない憐みの賛歌だ。
葵の歌を聴きながら、卓也は涙を流す。
「僕が葵を犯しました」
「単独犯ではないだろう?」
「俺は事務所を換わらなければよかった。実力もないのに、上ばかり見すぎていた」
卓也は両手で顔を覆うと、涙を流していた。
「葵は僕たちメンバーの中で、一番年下で、弟みたいな存在だった。実力は俺らたちには、及ばないほどあったけれど、それでも葵は大切でかわいかった」
「大切でかわいい葵君を、ただ犯しただけではないだろう。彼は見えない場所にひどい怪我を負った」
「それは俺がしたんじゃない。やめろって止めたんだ」
「やったのは誰だ?」
「ワインのボトルを押し込んだのは、水木製薬の荒井田さんで、そのボトルを割って、それを押し込んだのはミツヤプロダクションの大和田さん。はじめはお腹を殴って割ろうとしたんだ。でも、割れなくて、ホテルにあったポットをお尻にぶつけて割ったんだ。そのとき大和田さん指を切って、怒った大和田さんは無理矢理割れた瓶を押し込んだんだ。眠っているはずの葵は暴れて、血がいっぱい出てきて葵は死ぬのかと思った」
「大和田の血はどこに落ちた?」
「葵の血と混ざるようにシーツに」
「シーツのDNA鑑定、もう一度させろ」
「わかりました」
警官が一人取調室から出て行く。
「葵君を犯したのは誰だ」
「水木製薬の荒井田さん、ミツヤプロダクションの大和田さん、カメラマンの飯田さん、俺と俊介と弘明。俊介と弘明は、俺がミツヤプロダクションに誘ったんだ。俺が巻き込んだ。大和田さんの仕事のさせ方は、俺は嫌だったんだ。荒井田さんに抱かれることも、理不尽な命令をされることも。でも仕事がほしいならやれって命令された。もう仕事はいらないから辞めるってって言っても葵を誘拐して強姦することを手伝わなかったら、家族に仕事を断った違約金を請求するって脅された。僕には従うしかできなかった。俊介と弘明は無理矢理させられた。二人は葵を抱きながら泣いていた」
「DNAは四人分しか見つかってなかったが」
「コンドームしてたんだ、あいつらだけ。飯田さんはコンドーム破れたんだ。めちゃくちゃ抱くから」
「指紋も見つかってないが」
「刑事さん、手袋してたら指紋はつかないよ」
「俺たちに全部押し付けるつもりだったんだ。初めから・・・証拠は残ってない」
「目薬はいつ誰から、どこで手に入れた?」
「荒井田さんが、一時的に目が見えなくなる薬だからと料亭でわたされた。料亭で一回。ホテルについたときに、一回。俺たちが逃げるときに一回」
「目薬はどこにやった?」
「稽古場の更衣室のゴミ箱に箱と一緒に捨てた」
「荒井田の指紋はついてるか?」
「わからない」
「スマホと一緒に脅迫状を送り届けたのは誰だ?」
「スマホと脅迫状が入っていたって知らなかったけど、大和田さんに出してくるように言われて、事務所のポストに封筒を入れたのは俺だ」
「二度目の脅迫状も君が出したのか?」
「二度目は知らない」
「葵君をどうやって、連れ出した?」
「ワンピースを着た葵は料亭の座敷に倒れた。ストッキングが破けていて、下着がずれてた。ウイックは簡単に外れないはずなのに、ウイックが外れて、畳の上に落ちていた。荒井田に葵にウイックを付けろと命令されて、倒れている葵につけようとしたけど、僕はわざとつけなかった。荒井田が葵に何かしたことは見てすぐにわかったから。ぐずぐずしてたら、荒井田さんに早く連れて行けと言われて、葵と一緒にウイックを持ち出して、外に待っていた車に乗せた。ウイックは後部座席から助手席の後ろについているファスナーの付いた小物入れに隠した。もしかしたら留め具に荒井田の痕跡が付いているかもしれないと思って」
「秘書の車を押収しろ」
刑事が一人取調室から出て行く。
「葵をホテルの部屋まで運んで、何か飲まされたのかと思ってベッドに寝かせて、吐かせようとしたけど、うまく吐かせられなくて、そうしている間に、荒井田たちがやってきて」
「荒井田と誰だ?」
「飯田さんと大和田さん」
「運転していたのは誰だ」
「荒井田さんの秘書の矢野さんです」
卓也はすべて話し終えて、取調官に頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。葵にも謝罪がしたい。月のシンフォニーはきっと解散になる。本当は冬の公演もみんなでしたかった」
月のシンフォニーが崩壊した。
卓也のほかに俊介と弘明も逮捕されてしまった。
契約していたゲーム会社から連絡が入って、月のシンフォニーというグループはなくなってしまった。
裕久と話し合って、SNSには『月のシンフォニーは解散しました。今まで応援ありがとうございました』と打ち込んだ。
反響は大きく、たくさんのコメントが寄せられたが、何も答えることができなかった。
葵の歌った二曲の歌のCDと過去の舞台のDVDが爆発的に売れて、その日のうちに完売になった。
ドラマの撮影を終えて帰ってくると、葵は入浴してベッドに潜って泣いていた。
「葵、夕食食べるぞ」
篠原が部屋に入ってきて、布団をめくると葵の頭を膝の上に載せてきた。
「不本意な結果だが、DNAの四人は見つかった」
「大切に温めてきた月のシンフォニーがなくなって、悲しくてたまらないんだ」
「悲しくても食事は摂りなさい。葵の体はまだ万全じゃないんだよ。泣いていたら治癒力が落ちる。わかるね」
つけるのを忘れていた指輪をはめられる。
「ほら、起き上がって」
葵は起き上がると、篠原の手を掴んだ。
「純也は僕を裏切らないよね?」
「僕たちはパートナーだ」
指輪と指輪が重ねられる。
キラリと指輪が光った。
「信じていいんだよね?」
「信じてくれないと、僕は悲しい」
葵は篠原に抱きついた。
抱きしめてくれる腕の強さが安らぎをくれる。
翌日の撮影の練習を終えて、温かなお風呂にゆっくり浸かっていた。
『怪盗山猫』の撮影も明日でラストだ。
季節はいつの間にか秋も深まり、予定ではこのドラマの後は月のシンフォニーの舞台稽古に入る予定だった。
葵は次の仕事をまだ受けていない。
たくさんのオファーが来ているが、学校と両立している葵には、欲張った仕事はできない。
お風呂から出るとパジャマに着替えて、自室に入っていった。
扉は開けておく。
篠原を拒絶しているわけではない。その証として部屋は開けている。
最近では閉めていても、篠原は部屋に入ってきてくれるので、気を遣う必要はないのだろうけれど。
ヘッドホンをつけて、ピアノに向かう。
防音されている部屋なので、ヘッドホンはほとんど使わないが、それでも篠原と同居をするようになって、少しだけ気遣うようになった。
篠原は台本を読んでいた。
その邪魔をしたくはなかった。
弾いた曲は月のシンフォニーの二曲だ。
二曲を弾いた後に、新しい曲を弾いていく。
作詞作曲をした曲だ。
七度オファーがきたドラマで、主演と主題歌の作詞作曲の依頼が来ていた。
今回も断ったが、またオファーが来ていた。
曲は最初のオファーの時に、既に作ってあった。
曲も詩も篠原と出会う前に作ってあったものを、篠原と出会ってから、少しずつ書き換えていた。
突然音が遠くなって顔を上げると、篠原が立っていた。
「隠れて練習?」
「純也台本読んでたから」
「姿が見えないと、余計に気になる」
「ごめん。もう自殺なんかしないから」
「そうじゃなくて、葵の気配がないと僕が寂しいんだ」
髪をふわりと撫でられる。
「何を弾いてたの?聞かせて」
「いいけど、純也、僕と歌を歌わない?」
「なんの歌を歌うんだ?」
「ドラマの主題歌」
「なんのドラマだ?」
「男同士の恋愛ドラマなんだ。元々の原作はコミックで実写化なんだ。男性との恋愛がわからなかったから、大学一年の時からずっと断ってきたんだ。今はリアルすぎてずっと断ったんだけど、七度目の出演依頼なんだ。歌は主演と準主演で歌ってほしいって依頼が来てるんだ。相手役は僕が選んでいいって言われてる。キスシーンがあるから。歌は僕が曲も歌も作るんだ。実は歌はもうできてる。断るために作った曲だったんだけど、作者さんが僕をイメージして画いたストーリーだから演じるのは僕がいいって言って。僕が断るたび実写化が延期されてきてる。今回もどうしても僕にって依頼がまた来てて。コミックは事務所に初回から送られてきて、新刊が出るたびに送られてきてるんだ。読んだのは純也と出会ってから。僕は基本的に恋愛ドラマには出なかったから、興味はなかったんだ。でも純也と出会って気持ちが変わっていって、送られてきたコミックを読んでみたんだ。作品は胸があったくなるようなストーリーだった。相手は同性同士なのに、いやらしくないんだ。慈愛に満ちた作品だった。最初に作った曲も詞も書き換えた」
「僕が相手役でいいのか?」
「他にだれがいるの?」
「月のシンフォニーの裕久さんをデビューさせてあげられるんじゃないのか?」
「ドラマのストーリーは、僕は高校生役で相手は教師役なんだ。家庭ではネグレクトで学校では苛められ役の僕を熱烈な教師が救って恋愛感情が芽生えていく話なんだ。僕が選ぶのは、やっぱり純也なんだ。リアルでもドラマでも恋に落ちる相手は純也しかいない」
ヘッドホンを片付ける。コードを巻いて、電子ピアノの邪魔にならない場所に置く。
「裕久さんを推薦することはできるけど、オーディションを受けずに、大きな役に就くと、卓也さんみたいに潰れてしまう。この世界は甘くないから。自分でよじ登って、突き落とされて、それでも登れる人しか残れない。裕久さんには他の役でオーディション受けてもらう。それがきっと本人のためなんだ」
「僕が断ったら?」
「このドラマの出演はまた断る」
篠原の目をまっすぐ見つめる。
月にシンフォニーはなくなったが、新しい何かを始めないと前に進めない。
「考えておいてくれる?」
葵はピアノに向かって初めて篠原に新曲を披露した。
しっとりした優しい曲調に歌詞をつける。思わず寄り添って手を繋いで歩きたくなる曲だった。
葵の声は作った声ではなく、普段のありのままの優しい声だ。
「いろんなパターンも考えているんだ。一人で歌う時も、二人で歌う時もあって、二重奏にするときもあるんだ」
「いい曲だな」
「僕もそう思う」
「純也を歌は歌ったことある?」
「ないよ」
葵は笑った。
「純也が引き受けてくれたら、僕が特訓する」
篠原が笑った。
「社長に相談してみるよ」
「うん」
葵はピアノを片付ける。
「純也、今日は寝るよ。疲れた」
「寝る準備はできてるのか?」
「あと、薬だけ」
二人で一緒にキッチンに行き、薬を飲むとベッドルームに向かう。
けがの手当てをしてもらって、布団にもぐる。
ふと触れた額が熱かった。
「葵、熱があるのか?」
「少し体が怠いだけ。昨日からいっぱい泣いたからかもしれない」
「それならゆっくり休みなさい」
「純也も寝て」
「いいよ。電気消してくるから少し待ってて」
「うん」
寝る支度をして、ベッドに入ると、葵が抱きついてきた。
「純也、僕のこと好き?」
「好きだよ」
「葵は僕のこと好き?」
「好き」
葵の体を抱きしめると、葵は目を閉じた。
いつもより体温の高い体を抱きしめていると、すぐに寝息が聞こえてくる。
念のために熱を測ると38℃もあった。
アイス枕を頭の下に置いて、寝かせた。
「朝一番で、葵たちは警察に呼び出されていた」
「社長、おはようございます」
「おはよう」
「葵は顔色が悪いね」
「昨夜から発熱してるんです。ここが終わったら、念のために病院に連れていきます」
「頼むよ」
「川島卓也の供述で、悠木さんの体を暴行した様子がわかってきました。田中俊介と水沢弘明の供述も一致しています。川島卓也が荒井田の暴行を立証させるために、悠木さんが身につけていたウイックを隠したと供述しました。荒井田の秘書の車は押収しまして、川島が言ったとおりウイックが出てきました。今、それを鑑定に出していますが、今のところ大きな証拠がなくて立証できません。念のためにお知らせしておいたほうがいいと思いまして」
「どんなことでしょう?」
社長が促す。
「最初に悠木さんを犯したのは、水木製薬の荒井田らしいです。コンドームに手袋をはめていたようです。二度目に抱いたのが、ミツヤプロダクションの大和田らしいです。お知合いですか?」
「僕は知りません」
葵は答えた。その隣で篠原が答える。
「ミツヤプロダクションの三谷社長の直属の部下です」
「篠原さんとはお知合いですか?」
「はい。手段は択ばない人です」
「三度目に抱いたのが、カメラマンの飯田らしいです。抱いている途中でコンドームが敗れたそうです。三人に三度抱かれた後に、川島卓也が一度抱いたそうです。そのあとに、田中俊介が一度抱いたそうです。最後に水沢弘明が一度抱いたそうです。そのあとに、荒井田がワインの瓶を細いほうから肛門に入れて、飯田が葵君の腹部を殴打して、瓶を割ろうとしたそうです。それでも瓶が割れなかったので、大和田がホテルにあったポットでお尻を殴打して割ったと言っていました。そのとき、大和田は手を切ったらしいです。今、大和田のDNAを探しています。割れた瓶を体内で突き刺したのは大和田らしいのですが、手袋を着用していたため、指紋などは見つかっておりませんが、手を切ったことで指紋や血液が付着しているか再鑑定しています。目薬の件も川島卓也が供述しています。目薬は荒井田からわたされたそうです。捨てた場所が稽古場らしいので、鑑識が調査しています。こちらでもマークしますが、まだ逮捕できていない二人に関しては、十分に注意してください」
「わかりました」
社長が頭を下げるのを待つように、葵は倒れた。
崩れ落ちる体を受け止めて、篠原は葵の体を支える。
「大丈夫か?」
「こんなに汚れてる僕を嫌いにならないで」
悲しくて涙が流れる。
「気持ちは変わらない」
葵は頷いて、支えてくれる篠原に体を預ける。
「川島卓也、田中俊介、水沢宏明は悠木葵さんに謝罪をしたいと言っておりました。三人はレイプを強要されたようです。冬の舞台も一緒にしたかったと泣いておりました」
何度もうなずいて、葵は流れた涙を拭った。
「葵、病院に行くぞ」
葵は首を振った。
「撮影に行く」
「39℃近くも熱があるんだ」
「撮影が終わって、明日も熱があったら行くから。予定通りドラマを終わらせる」
「その体で演技できるのか?」
「できる」
せっかく授業のない貴重な日だ。
「それなら行くぞ。さっさと終わらせて病院に連れて行く」
葵の肩を抱き寄せて、篠原は歩き出した。
小池が慌てて追いかけてくる。
「社長、ではすみません」
「はい、行ってらっしゃい」
社長が三人を見送る。
「小池さん、いったん自宅に戻ってもらっていいですか?」
「忘れ物か?」
「直接行くとは思ってなかったから。台本とかいろいろ持ってきてない」
「わかりました。いったん自宅に戻ります」
『おとなしくお縄にかかれ』
麻薬の裏取引現場だ。
一番見せ場のアクションシーン。
バク転の連続技から回し蹴りが入る。
ロケ場所は廃工場だ。
次々と人が倒れ行く。
孝房と映見は、倒れた悪党を縄で縛って、蹴りを入れている。
最後の一人を開いた腕で倒して、捕らわれた恋人役の亜香里の元に駆け寄る。
『あなたは誰?』
声はかけずに、縛られた縄だけ外し、互いに向き合う。
『山猫なのでしょう?』
亜香里が霞の頬に触れてくる。
耳につけたイヤホンから、陽の声が聞こえる。
『サツが来た。撤退』
身を翻すと、『行かないで』と手を握られる。
『さようなら』
亜香里との別れだ。手を離して、霞は駆けていく。
『車の運転席には陽がいる。最後に車に乗り込んで。霞はマスクを外す。
車の後部座席では、麻薬と引き換えになるはずだった盗品の黄金のマスクを映見が身につけ喜んでいる。
『山猫さんよ。盗み忘れたものがあるんじゃないのか?』
『心は盗めないよ、兄さん』
『いいのかいそれで。お嬢ちゃんの心は目の前にあったぜ』
『僕は泥棒だ。彼女には相応しくない』
『山猫は正義の泥棒だけどな』
『これでいいんだ』
霞の笑顔でストリーが終わっていく。
「はい、OK」
「クランクアップです。お疲れ様でした」
拍手が湧き上がる。
「素晴らしかったよ、葵君」
花束を持った荒井田が歩いてきた。
「ありがとうございます」
花束を受け取って、丁寧に頭を下げる。
体は怒りと悲しみで震えるのに、笑顔を作るしかない。
監督も拍手で迎えてくれている。
クランクアップは皆が嬉しい瞬間だ。
「葵、お疲れ」
篠原がさりげなく隣に来てくれる。
「お疲れ様です。篠原さん」
「体は大丈夫か?」
「みんなのパワーで熱も下がったんじゃないかな?」
篠原は眉を顰める。
「皆さん、ロケバスは30分後に出発しまーす」
「葵、着替えに行くぞ」
「はい」
「ちょっと待って、葵君。会社に飾りたいから写真一緒に撮ってくれる?」
腕を掴んで引っ張ってきた。葵はバランスを崩して膝をつくように転ぶ。
「葵!」
声をかけてくる篠原に、頷いて黙らせる。
「ごめんよ、葵君。怪我してない?」
荒井田が大袈裟に騒いで、葵の周りから人が離れていく。荒井田は秘書にカメラを持たせていた。
「大丈夫です」
「じゃ、一枚ね」
荒井田の秘書が荒井田と並んだ葵を、写真を連写で撮っていく。
荒井田の手が肩を抱く。
吐き気がして、体がふらつく。
「この後、食事でもどう?」
「すみません。この後は打ち上げがあるんです。食事なら皆さんと一緒にいかがですか?」
篠原が葵の手を引っ張って、連れ戻してくれる。
「バスに遅れるので、着替えてきます」
葵の手はいつもより熱かった。
額に手を当てると、朝より熱が上がっている。
「葵、帰るぞ」
「だめ」
「何を考えてるんだ?」
葵は指をあげる。
指した先には、体格のいい男性が立っていた。
「あの人が大和田さんでしょう?僕のこと嫌らしい目でずっと見てた」
「何を考えてる?」
「僕が囮になる。せっかく授業がなくて、ノーミスで撮影終えたんだから、時間はたっぷりあるよ」
「葵」
「僕と卓也さんと俊介さんと弘明さんの無念を晴らすんだ」
葵はうっすらと笑っていた。
「とにかく着替えるぞ」
「うん」
簡易更衣室でつなぎの服を脱いで、私服に着替える。
「なんで女装するんだ?」
「襲われやすくない?」
スカートをひらひらさせる。
ちらりと見える下着も女性ものだ。
スカート丈は持っている中で、一番短いものにした。
髪は篠原が『かわいい』と言ったゆるふわのショートボブだ。
最初に襲われたときと、長さは違うが雰囲気が似ている。
素早くメイクをして、口紅は篠原を救出したときに使った大人っぽい色にした。
「さすがに半袖は寒いな」
「危険なことはやめてくれ」
「純也のこと大好きだから」
背伸びをして、篠原に触れるだけのキスをした。
「一緒に戦って」
「無茶をするな」
「今からが本番なんだ。今日は許して」
篠原の腕に腕を絡めて更衣室を出ると笑顔を振りまく。
「篠原さん、葵君がいません!」
小池が走ってきた。
「小池さん、荷物持って行って」
「あ?葵君?」
「新しいメイク、大原さんに習ったんだ。美人でしょう」
「美人って言うか、綺麗っていうか」
「僕を抱きたくなるくらい?」
「抱きませんよ」
葵はにっこり笑って、小池に手を振る。
「護衛してね」
「もちろんです」
声はいつもより高めだ。
「葵、あまり目立つな」
「目立ってるんだよ」
誰もが篠原と歩いている葵を見る。
篠原自身も人目を引くハンサムだ。
「篠原さん、彼女さんですか?」
「さすが篠原さんレベルだと、彼女のレベルも高い」
声をかけてくるキャストやスタッフに笑顔を振りまく。
誰も葵だと気づいていないようだ。
「スタイルいいですね。生足が眩しい」
「ありがと」
かわいい笑顔を見せる。
思った通り、荒井田も大和田も葵を目で追っている。
二人は篠原の隣にいるのが葵だと気づいているようだ。
「襲われるように仕掛けるから助けに来て」
「おい」
「自信がない?」
「危ないだろう?」
甘えるようにもたれかかる。
「もう何度も抱かれてしまったんだから、あと一回や二回同じだよ」
「同じじゃない。葵は僕のパートナーだ。誰にも触れさせたくはない」
「ありがとう、純也。大好きだよ。もし失敗しても嫌いにならないで」
「ちょっと待て、抱かれるつもりじゃないだろうな」
篠原の首にしがみつくと、初めて教わったキスをした。
まわりの人々がざわめく。
「タダでは抱かれない」
魅力的な笑顔で言って、また篠原の腕に腕を絡めて甘えるようにもたれかかる。
「だけど、純也以外には抱かれたくない。だから助けて」
「駄目だ。帰ろう」
「帰らない。純也一緒に戦って」
篠原が葵の手を引いたとき、霞の恋人を演じた人気アイドルの黒川千鶴が走り寄ってきた。
「篠原さん、お疲れ様でした」
「お疲れ」
葵は篠原から手を離して、千鶴の様子を観察する。
「あの、篠原さん、こちらの方紹介していただけませんか?」
葵はにっこり笑う。
「千鶴ちゃん、僕、葵だよ」
「えー!葵君?私より綺麗」
「ありがとう」
「どうして女装してるの?」
「余興だよ。でも、内緒ね。みんなを驚かせたいんだ」
「うんうん。わかった」
千鶴はキラキラした目で篠原を見た。
「篠原さんの恋人かと思っちゃった。私、ずっと篠原さんのこと大好きなんです。今回共演できて、すごく嬉しくて。今日が最後の撮影だと思うと寂しくて」
葵は身を引いた。
「これからも仲良くしてもらえたらと思って。恋人になってほしいなんて、図々しいことは言いません。たまに会って、お茶したりお話ししたり、してほしいなって思って」
これが普通の男女の関係。
同性同士はまだ世間では認めてもらえない。
結婚もできなければ、法律で認められない。
どんなに大好きでも、超えられない壁がある。
篠原の答えを聞きたくなくて、人混みにまみれた。それがどんなに危険なことだとわかっていても。
「葵!葵、どこだ」
すぐに篠原の声が聞こえる。
(あ、気づいてくれた。純也好き)
ロケバスとは反対方向に歩いて行く。
すぐに腕を捕まれた。
「葵君、葵ちゃんかな?どこ行くの?」
葵はポケットの中に忍ばせているボイスレコーダーのスイッチを入れた。
荒井田と大和田がセットで立っていた。
葵は営業スマイルを荒井田に浮かべて、初対面である大和田の方を見つめる。
「荒井田さん、こちらの方は?紹介していただけますか?」
「わたくし、カズハプロダクションの大和田です。ここには役者さんのスカウトに来ています。悠木葵さんに出会えるなんて、なんてラッキーなんだ?」
「あら?今、女装して素の僕の面影は少しもないのに、どうして僕だとわかったんですか?」
大和田は一瞬焦ったような顔をした。
「私が教えたんですよ」
「荒井田さんが?」
「そうなんですよ。荒井田さんの会社のCMで女性の役も演じられたと聞きまして。お会いしたいと思っていたんです」
「そうなんですか?僕みたいな若輩者の役者まで気にしてくださるなんて、さすがカズハプロダクションさんですね」
「うちのプロダクションに引き抜きたいと前々から思っていまして」
「そうなんですか?」
「よかったら、どこかでお話しませんか?」
「今から打ち上げがあるんですけど、少し興味があります」
荒井田の顔が片笑んだ。
「打ち上げ場所には後から送りますから、移動しましょうか?」
「はい」
荒井田はまっすぐ駐車場へ歩いて行く。
「うちの車を待たせてあるんですよ」
「あら?以前の車とは違うんですね?」
荒井田の顔が引きつった。
「眠っていたのに、覚えていらっしゃる?」
「はい」
「松屋の料亭の菊の間に連れて行っていただきました。今日はどちらへ?」
「それなら、今日はわたくしがイタリアンのお店にお連れしましょう」
「僕、赤ワインより白ワインが好きなんです」
白ワインなら薬を入れられたらすぐにわかる。
ああ、駄目だ。オレンジジュースに混ぜられていた。
無味無臭無色だ。
飲み物は飲めない。
食べ物も振りかけられたら、眠らされてしまう。
「あ、電話、少し待ってください」
小さなポシェットから、スマホを出して、篠原にラインを送った。
『接触してる。駐車場にいる。早く来てナンバーは―――』
『すぐに行く』
返事を確認してから、通話ボタンを押してバックにしまう。
「僕、主役だったからバスが待てるみたいで。後から行くと連絡しました」
「では行きましょうか?」
後ろから口を塞がれて、口の中に錠剤を入れられた。
「いやっ」
口を塞がれた手を噛んで、錠剤を吐き出した。
「何をしやがる」
頬を叩かれて、怯んだ隙に腹に拳が入った。
「いってぇ」
「乗れ」
「いきなり口の中に薬入れて、平手打ちと腹に拳がスカウトの仕方なのか?」
「おまえをスカウトなんてしねえよ」
大和田の口調が変わった。
「篠原を誑かしやがって、おまえのせいで俺がどれだけ裁判で叩かれた知ってるのか?」
「しらねえ。テレビも新聞も取ってねえ。裁判で叩かれるようなことをしたんだろう?例えば、体を売らせるとか?」
「仕事ができなきゃ体で取ってくるもんだ」
「いってぇ。押し込むな。どこに拉致するつもりだ」
「ひらひらした服着て、また犯されにきたんだろう?」
「僕を最初に犯したやつは、荒井田、次は大和田、その次が飯田だ。僕は覚えてる。飯田のやつめちゃくちゃ抱きやがって、コンドームやぶきやがった。おまえらのことも覚えてる。下手くそなくせに乱暴なだけで痛いだけだった」
「このガキ」
荒井田に体を支えられ、大和田に腹を蹴られた。
「二人して、やっと僕の腹を蹴られるんだ?それでも大人かよ」
「このクソガキ」
「荒井田、手を離せ。痛いんだよ。大和田は短い足を片付けろ」
二人の間でがむしゃらに体をよじる。
「いってぇ」
頬を殴られ、腹を蹴られる。
「叩くな、蹴るな」
「矢野、一番近くのホテルでいい入れ」
「なんだよ、駅前のラブホか?僕はそんなに安いのか?」
「ただのガキだ」
頬を拳で力一杯叩かれて、唇が切れた。
「荒井田、顔を拳で殴るな。これでも俳優だ。僕は商品だ」
「なにが商品だ。しょうもない学芸会じみた舞台しかできないやつが」
「それは卓也のことか?」
大和田が大笑いをする。
「あのガキは甘い言葉にのっかって、のこのこやってきて、荒井田さんのおもちゃになったよ。生意気に嫌だと言い出しやがって、親に慰謝料ふっかけてやるって脅したら、やっと言うことを聞くようになった。おまえを連れ出したのは卓也だ。だけど、あいつはおまえが俺たちにおもちゃにされてるとこ見て泣き出したよ。他の二人も同じだ。目の前でびびりやがって、子供みたいに大泣きしやがった。起ちもしない。俺がしごいてやっと起たせておまえの中に入れたら、三人とも大泣きしやがって、せっかく勃起させたのに、萎れてさせてやがって、仕方ないから体外で射精させておまえにかけた。まったく手間がかかる。こんな意気地なしは仕事をとって来られない。篠原はその点、黙って体を売るやつだった。ああいう奴が成功するんだ。女を裏切らなかったら褒めてやったのに、馬鹿な奴。今じゃ、脇役だ。落ちぶれてみっともねえ」
「純也はみっともなくない。今回の仕事もいい演技だった。主役や脇役なんて関係ないんだ。与えられた役を演じられるかどうかじゃないのか?」
「生意気なガキだ」
「荒井田、顔を殴るな」
「うるせえ」
車から降ろされて、両腕を荒井田と大和田に捕まれ、乱暴に連れて行かれる。
息が上がる。
熱が高くなっている。
足がもつれて、転びそうになると、荒井田がわざと足を引っかけて、転ばせる。
「転ばせるな、ばか荒井田」
「泣きそうな顔してるぞ」
「足が痛かっただけだ」
二人が大笑いする。
目の前の扉を見上げる。
「102号室か近場な部屋だな、そんなに僕を犯したいか?」
ぐっと手を引かれて、葵は立ち上がる。
室内に入るとオートロックだった。
「へえ、オートロックなのか。ラブホなんて初めて来た」
扉は薄いが、オートロックは篠原の蹴りでも開けられそうもない。
間に合わないかもしれない。
「腹に割れた瓶ぶちこんで、腹ん中ぐちゃぐちゃにしてやったのに、もう治ったのか?」
「もう、痛くも痒くもないよ。あんたたち甘いんじゃないのか?あっ」
体を投げられ、痛みで息が詰まる。
言葉にしないと伝わらない。
「ベッドに投げるな、馬鹿野郎」
痛くて声が震える。
(早く来て、純也怖い。純也、純也、助けて)
「篠原がおまえを抱けないように壊してやったのに。壊れてなかったか?」
「脱がすな馬鹿。純也は抱き合えなくなったって、僕を嫌いになったりしない」
葵はスカートの裾を握って、侵入を阻むが、二人がかりでは容易く押さえ込まれてしまう。
「どうだかな?口ではどうでも言える。すぐに飽きられて捨てられるさ」
「そんなことない」
必死でもがくが、体は動かない。
「おまえ、女の下着着てるのか?」
「触るな」
「脱がされたかったんだろう」
「嫌だっ。脱がすな」
一気に脱がされ、荒井田に上半身を抱えられながら、大和田が葵の足を開いてき、勃起した凶器をつぼみに押しつけてきた。
「入れるなっ!嫌だっ」
「うるさいガキだ。口にも入れてやれ」
荒井田が性器を出して、口に入れようと顎を掴んできた。
「口に入れたら、噛み切ってやる」
「うるさい」
「うっ」
頬を拳で殴られて、頭まで痛みが響いて目が回る。
「助けて、純也っ」
今、意識を失ったら、すべてが台無しになる。
ウイックを引っ張られ、髪が引っ張られその痛みで意識が戻ってきた。
ウイックが外れて素の葵の髪が、荒井田に掴まれて、引っ張られ、荒井田の性器が額や顔に当たる。
気持ちは悪いが、濡れた感触は荒井田の体液だろう。DNAは取れる。
必死にそれを拒みながら、必死に声を上げる。
「痛い。入れるな。痛いっ、純也っ純也っ、ああっ!」
下肢に当てられた熱いものは、蕾を押してくる。
「入れないで、じゅんやあぁ!」
手術で縫われた蕾は突っ張り、挿入を妨げている。それでも徐々に裂けていく感じがする。
(純也、ごめん)
挿入の痛みを覚悟したとき、バンと扉が開いた。
篠原と警察と小池が部屋の中に入ってきた。
「純也っ」
駆けつけてくれた篠原が、大和田の腹を殴った。
葵の上から、転がり落ちていく。
逃げようとした荒井田の頬を拳で殴る。
篠原が抱きしめようとしてきたのを、葵は拒んだ。
「待って、純也。今の僕には証拠がいっぱいついてる」
顔には、荒井田の精液が付着して、下肢の蕾には大和田の精液が付着している。
シーツに赤いシミが広がっていく。
「純也、怖かった」
立ち尽くす篠原の手を握る。
篠原の顔は今まで見たこともないほど、怒りに満ちていた。
恐怖と痛みで葵の体が震える。
「すぐに救急車が来ますので」
警察官が言った。
「入れられたのか?」
「突き立てられただけ」
「でも間に合わなかった。血が流れてる」
「純也が来てくれなかったら、どうなっていたかわからない。助けてくれて、ありがとう」
葵は立ち尽くす篠原の手を包み込む。
「熱が高い」
葵は頷いて篠原の手を握り返す。
「いつ倒れるか、ヒヤヒヤしてた」
「無茶しやがって」
篠原は本気で怒っていた。
「純也っ」
葵はポケットからボイスレコーダーを取り出して、篠原に手渡した。
「卓也さんたち、助かるよね」
ボイスレコーダーを見て、すべてを察してくれた。
「葵が命をかけて戦ったんだ。きっと助かる」
救急車が到着した。
「小池さん、弁護士に届けてください。僕は葵を病院に連れて行きます」
「わかりました」
荒井田と大和田は現行犯で警察に捕まった。
駐車場で吐き出した薬も、警察に回収されていた。
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