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ジャスミン
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「だからやめとけばって言ったのに」
エリカはベッドの上に座って、あたしの新しい傷に液体を塗った。一瞬、痛さにビクッとなる。
エリカのきれいで冷たい手があたしを手当てするのを見てたらまた涙が溢れてきて、ハルがここにいなくて良かったと思った。
ハルは今日はお姉さんに会いに行ってていない。あたしとエリカは仕事だった。今日のお客さんはあたしを縛るのが好きな人だった。
「しばらく休めばいいじゃない。もう目標のお金は貯まったんでしょう?」
パーティがあるのに。ドレスを着るのに、また新しい傷が増えてしまった。エリカは何とかしてくれるって言うけど、ちょっとでもきれいでいたいのに逆になっちゃう自分がいやでたまらない。
「ダメだよ。ハルが怒られる」
「どういうこと?」
「ハルがあたしたちといるのをボスは知ってるみたい。あたしとエリカが辞めたらハルのせいだって言ってて、あたしがちゃんと仕事すればハルのことは気にしないって言うから」
エリカがタオルを渡してくれる。拭いても拭いても涙は出てくる。こんなの子供みたいだからやめたいのに。
「なんなのそれ」
「ハルには言わないで。あたしは大丈夫だから。クリスマスも休んでいいって言われてるし」
「ヴァイ、こんな仕事はいつだって辞められるんだよ」
「だって辞めたらハルがひどいことされるかもしれない。もう三人でいられなくなるかもしれないし、そんなのいやだ」
痛いのはいやだ。だけど仕方ない。だけどエリカやハルといられなくなるのは耐えられない。ずっとひとりでいいと思ってたのに。それで大丈夫だったのに。
「ハルが好きなの?」
頷く。そんなの当たり前だ。
あの日、息をひそめてハルが眠るのを待ってた。
ハルがもうこわい夢を見ないように見張ってた。ハルはあたしと同じベッドにいて、顔は涙で汚れてた。あたしにできることはなにもないから、ただその顔を見つめてた。途中まで手を握りながら。
ハルに触られるのは嫌じゃなくて、むしろ嬉しかった。ハルはたぶん世界でただひとりだけ、あたしに何も望まない男の人だから。ハルはすごくやさしいから、最初から大好きだった。ハルはあたしを傷つけないって知ってた。
恋とかじゃないんだと思う。キスとかそういうのをしたいとは思わないから。あたしはただ、ハルがちゃんと眠れればいいなと思ってた。もう二度と、どんなつらいこともあなたに起こりませんようにって、ずっとそう願ってた。
「ハルのことも、エリカのことも大好き。アリス以外に好きになったのってはじめてだよ」
きつく縛られたあとが擦りむけて、紫色になってる。エリカはそこに液体を塗って、パウダーをはたく。ホットチョコレートもいれてくれて、それと一緒に飲むようにって薬もくれた。
「こわい」
喋りながらどんどんかなしくなる。黙ればいいのにできない。エリカが服を着せてくれる。モールで一緒に選んでもらったガウン。明るいピンク色で、ふわふわの。
「今までそんなふうに思ったことないのに。大好きだからすごくこわい。大好きな人と一緒にいられなくなるのってこわい」
「じゃあ逃げようか?」
エリカの声は優しい。心臓に届く声だ。
「どっか遠くにみんなで逃げようか。何もかも捨てて。みんなで新しいIDを手に入れて。ぜんぶ最初からやり直そうか」
嘘だって分かってる。エリカはお伽話を聞かせるみたいにそう言ってくれてるんだ。だけど嬉しかった。そんなことを想像したら、ちょっとだけ気分が明るくなった。
「ありがとう」
タオルで拭けるだけ涙を拭く。エリカはあたしの肩を抱いてくれた。
「エリカみたいな子に優しくしてもらえて本当に嬉しいんだ。エリカと知り合えたのって、あたしの人生で起きた最高にいいことだよ」
「わたしもヴァイが好きだよ」
エリカはやっぱりいい匂いがする。仕事のあとなのに。エリカはぜんぜん汚れてない。特別なバリアが張ってあるみたいに。
「誰かを好きだと思ったのって久しぶり。ヴァイがここにいてくれて嬉しいよ」
「ほんとに?」
「本当に」
「ハルのことも好き?」
「好きだよ」
「一緒にいられたらいいのに」
あたしはここにいたい。ずっとこのままここにいたい。あたしを作り直すんじゃなくて、いまのあたしのままここにいたい。そうできたらいいのに。
「家族みたいにできたらいいのに」
だけどそれは無理だって知ってる。あたしはたくさん殴られすぎて、たくさん血を流しすぎて、もう半分壊れちゃってる。
ヴァイオレット・ウォンになるのが遅すぎた。名前を持つのが遅すぎたんだ。
エリカはベッドの上に座って、あたしの新しい傷に液体を塗った。一瞬、痛さにビクッとなる。
エリカのきれいで冷たい手があたしを手当てするのを見てたらまた涙が溢れてきて、ハルがここにいなくて良かったと思った。
ハルは今日はお姉さんに会いに行ってていない。あたしとエリカは仕事だった。今日のお客さんはあたしを縛るのが好きな人だった。
「しばらく休めばいいじゃない。もう目標のお金は貯まったんでしょう?」
パーティがあるのに。ドレスを着るのに、また新しい傷が増えてしまった。エリカは何とかしてくれるって言うけど、ちょっとでもきれいでいたいのに逆になっちゃう自分がいやでたまらない。
「ダメだよ。ハルが怒られる」
「どういうこと?」
「ハルがあたしたちといるのをボスは知ってるみたい。あたしとエリカが辞めたらハルのせいだって言ってて、あたしがちゃんと仕事すればハルのことは気にしないって言うから」
エリカがタオルを渡してくれる。拭いても拭いても涙は出てくる。こんなの子供みたいだからやめたいのに。
「なんなのそれ」
「ハルには言わないで。あたしは大丈夫だから。クリスマスも休んでいいって言われてるし」
「ヴァイ、こんな仕事はいつだって辞められるんだよ」
「だって辞めたらハルがひどいことされるかもしれない。もう三人でいられなくなるかもしれないし、そんなのいやだ」
痛いのはいやだ。だけど仕方ない。だけどエリカやハルといられなくなるのは耐えられない。ずっとひとりでいいと思ってたのに。それで大丈夫だったのに。
「ハルが好きなの?」
頷く。そんなの当たり前だ。
あの日、息をひそめてハルが眠るのを待ってた。
ハルがもうこわい夢を見ないように見張ってた。ハルはあたしと同じベッドにいて、顔は涙で汚れてた。あたしにできることはなにもないから、ただその顔を見つめてた。途中まで手を握りながら。
ハルに触られるのは嫌じゃなくて、むしろ嬉しかった。ハルはたぶん世界でただひとりだけ、あたしに何も望まない男の人だから。ハルはすごくやさしいから、最初から大好きだった。ハルはあたしを傷つけないって知ってた。
恋とかじゃないんだと思う。キスとかそういうのをしたいとは思わないから。あたしはただ、ハルがちゃんと眠れればいいなと思ってた。もう二度と、どんなつらいこともあなたに起こりませんようにって、ずっとそう願ってた。
「ハルのことも、エリカのことも大好き。アリス以外に好きになったのってはじめてだよ」
きつく縛られたあとが擦りむけて、紫色になってる。エリカはそこに液体を塗って、パウダーをはたく。ホットチョコレートもいれてくれて、それと一緒に飲むようにって薬もくれた。
「こわい」
喋りながらどんどんかなしくなる。黙ればいいのにできない。エリカが服を着せてくれる。モールで一緒に選んでもらったガウン。明るいピンク色で、ふわふわの。
「今までそんなふうに思ったことないのに。大好きだからすごくこわい。大好きな人と一緒にいられなくなるのってこわい」
「じゃあ逃げようか?」
エリカの声は優しい。心臓に届く声だ。
「どっか遠くにみんなで逃げようか。何もかも捨てて。みんなで新しいIDを手に入れて。ぜんぶ最初からやり直そうか」
嘘だって分かってる。エリカはお伽話を聞かせるみたいにそう言ってくれてるんだ。だけど嬉しかった。そんなことを想像したら、ちょっとだけ気分が明るくなった。
「ありがとう」
タオルで拭けるだけ涙を拭く。エリカはあたしの肩を抱いてくれた。
「エリカみたいな子に優しくしてもらえて本当に嬉しいんだ。エリカと知り合えたのって、あたしの人生で起きた最高にいいことだよ」
「わたしもヴァイが好きだよ」
エリカはやっぱりいい匂いがする。仕事のあとなのに。エリカはぜんぜん汚れてない。特別なバリアが張ってあるみたいに。
「誰かを好きだと思ったのって久しぶり。ヴァイがここにいてくれて嬉しいよ」
「ほんとに?」
「本当に」
「ハルのことも好き?」
「好きだよ」
「一緒にいられたらいいのに」
あたしはここにいたい。ずっとこのままここにいたい。あたしを作り直すんじゃなくて、いまのあたしのままここにいたい。そうできたらいいのに。
「家族みたいにできたらいいのに」
だけどそれは無理だって知ってる。あたしはたくさん殴られすぎて、たくさん血を流しすぎて、もう半分壊れちゃってる。
ヴァイオレット・ウォンになるのが遅すぎた。名前を持つのが遅すぎたんだ。
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