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三上さんとメモ帳
いつも通りの日常 その4
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「黒木く~ん、大丈夫ですか?」
「どうした三上。あれ、渋谷は?」
「もうとっくに帰っちゃましたよ」
「あー……ごめん」
考え事に熱中しすぎていたようだ。
彼女の言葉通り、すでに渋谷の姿はなくなっていた。
「それで、三上は俺になにか言ってくれてたのか? 全然聞いてなくて……」
「いえいえ。さっき、後で課題やりましょって話してたけど、この後は予定あるのかなって」
「大丈夫だ。今日は何もないぞ」
本来なら、大丈夫の前に「もちろん」が付く。
だが、あまりにも暇過ぎる男だと三上に思われたくないため、今日「は」という無駄なプライドを発揮しつつ返答してしまった。
見栄というやつがあまりにもバレバレだし、今更恥ずかしくなってきたぞ。
「あ、よかったです。ならレポートしましょうね」
しかし、三上はそれに気付いていないのか、スルーしてくれているのか、口の両端を少しあげて笑う。
「もちろんだ。イタリアンプリンでもケーキでもハンバーグセットでも、好きなメニューを頼むといい」
「やった~。それじゃあステーキ5皿頼んじゃいますね」
「全然どんとこいだ!」
「冗談のつもりだったんです……」
三上の喜ぶ姿が見られるなら、ステーキの5皿や10皿など安いものだ。
あれか、パフェとかだとリアリティがあるから、あえてステーキをチョイスしたのか。
「……私ってそんなに食べるように見えます?」
「むしろ少食なイメージがあるな。コースの魚料理の時点でお腹いっぱいになってそうな」
「正直否定はできないって感じです……」
そんな会話をしているうちに、講義の開始を伝えるチャイムが鳴った。
立っていた生徒が椅子を引く男や、滑り込みで教場に到着した生徒の足音が騒々しい。
「さ、今日も頑張りますか」
「頑張りましょう」
音が収まって、徐々に静けさを取り戻していく教場。
しかし、教授はなかなか姿を現さず、またポツポツと会話が聞こえてくる。
「いつもはピッタリに始まるのに珍しいな。どうしたんだろう」
「そうですね。先生、あったかいしお昼寝しちゃってるのかもしれませんね」
「た、確かにな……」
彼女は、五十代半ばのおっさんを、うさみみのマスコットキャラクターかなにかと勘違いしているのだろうか。
五分ほど経って、ようやく教授が姿を現した。
ヒーローよろしく、遅れてやってくることに意義を見出しているかのようだ。
だるそうにゆっくりと足を進めており、教卓に着くまで三十秒くらいかかっていた。
教壇に立つと、教場上部のスピーカーから、マイクのスイッチが入ったことを知らせるノイズが聞こえる。
「え~、今日の、講義を始めていきたいんですけどもね、まずは遅れてしまって申し訳ない。これにはまず、今日起こった事件について説明を――」
この講義は、本筋から話が脱線することが多い。
さらに、教授の話自体は面白いのだが、昼過ぎの陽気と外から聞こえる小鳥の囀り、満腹感が相まって、絶妙に睡眠に適した環境が形成されている。
「最近わたしの娘が新しいゲームを――」
もはやこれは、眠気を誘うための呪文なのだ。
後ろへ振り向くことはできないが、きっと8割の生徒が寝ていると思う。
俺は眠ってしまわないよう、横目で三上を見てみる。
彼女はルーズリーフと、もう一つ小さいメモ帳を机の上に置き、黙々と、メモ帳にペンを走らせていた。
「それはソシャゲと言うらしいんだが――」
ノートを見つめる目元は涼しく、横から見ると長い睫毛がよく分かる。
睫毛にマスカラを塗っているわけでもなさそうだし、つけ睫毛でもない。
ビューラーを使っているかは定かではないが、不自然な折れもなく、美しいカールを描いていた。
女性のメイクにはあまり詳しくないが、彼女のそれは一般と比べても、かなり薄めだと思う。
しかし、決して芋っぽさはなく、圧倒的とも言える垢抜け感があった。
そのまま三上を見ていると、彼女は片手でルースリーフに書き込みながら、もう片方の手では、机に垂れた髪を鬱陶しく思ったのか耳へと掛けた。
その仕草が何故か艶かしくて、視線を黒板へ戻してしまう。
「なんでも、簡単にガチャを回すための――」
相変わらず、教授は勉強三十、雑談七十くらいの調子で話し続けていたが、気付けば眠気はすっかり消え去ってしまっていた。
「はい、じゃあそろそろ時間なんでね、次回は――」
やっとのこと意識が覚醒してきたというのに、三上の姿を眺めているうちに、講義が終わりを迎えていたようだ。
教授の言葉に呼応するようにチャイムが鳴り、生徒達は一斉に話し出す。
教授はまだ何か言っているのに、帰宅準備をされたら腹が立ちそうだな。
まぁ、俺も似たようなもんなんだけど。
4~5行しか書いていない自分のルーズリーフを見るのも申し訳ないので、そそくさとバッグにしまう。
そして、完全に教授が講義を終わらせたタイミングで、三上もルーズリーフをしまい始めた。
待つこと数秒。聖徳太子でも聞き比べられないほどの会話が飛び交う中、彼女が帰り支度を終わらせて「よしっ」と小さく漏らすタイミングで、俺はいつも通り聞くのだ。
「三上、今日はどんなメモを取ったんだ?」
彼女が書いたメモの内容を聞くのが、いつしか俺の日課になっていた。
ルーズリーフは見たまま、講義の内容を書き写しているものだ。
しかし、その隣にずっと置いてあった小さなメモ帳。
それは、彼女が趣味で書いているものだ。
「えーとですね……今日は……」
三上の趣味は、日常生活で学んだ事をメモにとるというものだ。
最初に聞いた時はえらく疑問に思ったのだが、彼女曰く「物心ついた時からやっていて、日記みたいに後で見返すと楽しいんですよ」だそうだ。
言われてみれば、毎日の終わりに日記を書くというのも中々大変だし、好きなタイミングで短く済ませられるメモというのはナイスなアイデアかもしれない。
しかし、極めてシンプルに、一箇所だけを抜き取って書かれたそれは、確かに重要で思い出になる情報なのだが――。
「教授の娘さんは、ソーシャルゲームに十万円課金した。です」
「そこ!? っていうかなにやってんの娘さん!?」
絶妙にズレているのだった。
「どうした三上。あれ、渋谷は?」
「もうとっくに帰っちゃましたよ」
「あー……ごめん」
考え事に熱中しすぎていたようだ。
彼女の言葉通り、すでに渋谷の姿はなくなっていた。
「それで、三上は俺になにか言ってくれてたのか? 全然聞いてなくて……」
「いえいえ。さっき、後で課題やりましょって話してたけど、この後は予定あるのかなって」
「大丈夫だ。今日は何もないぞ」
本来なら、大丈夫の前に「もちろん」が付く。
だが、あまりにも暇過ぎる男だと三上に思われたくないため、今日「は」という無駄なプライドを発揮しつつ返答してしまった。
見栄というやつがあまりにもバレバレだし、今更恥ずかしくなってきたぞ。
「あ、よかったです。ならレポートしましょうね」
しかし、三上はそれに気付いていないのか、スルーしてくれているのか、口の両端を少しあげて笑う。
「もちろんだ。イタリアンプリンでもケーキでもハンバーグセットでも、好きなメニューを頼むといい」
「やった~。それじゃあステーキ5皿頼んじゃいますね」
「全然どんとこいだ!」
「冗談のつもりだったんです……」
三上の喜ぶ姿が見られるなら、ステーキの5皿や10皿など安いものだ。
あれか、パフェとかだとリアリティがあるから、あえてステーキをチョイスしたのか。
「……私ってそんなに食べるように見えます?」
「むしろ少食なイメージがあるな。コースの魚料理の時点でお腹いっぱいになってそうな」
「正直否定はできないって感じです……」
そんな会話をしているうちに、講義の開始を伝えるチャイムが鳴った。
立っていた生徒が椅子を引く男や、滑り込みで教場に到着した生徒の足音が騒々しい。
「さ、今日も頑張りますか」
「頑張りましょう」
音が収まって、徐々に静けさを取り戻していく教場。
しかし、教授はなかなか姿を現さず、またポツポツと会話が聞こえてくる。
「いつもはピッタリに始まるのに珍しいな。どうしたんだろう」
「そうですね。先生、あったかいしお昼寝しちゃってるのかもしれませんね」
「た、確かにな……」
彼女は、五十代半ばのおっさんを、うさみみのマスコットキャラクターかなにかと勘違いしているのだろうか。
五分ほど経って、ようやく教授が姿を現した。
ヒーローよろしく、遅れてやってくることに意義を見出しているかのようだ。
だるそうにゆっくりと足を進めており、教卓に着くまで三十秒くらいかかっていた。
教壇に立つと、教場上部のスピーカーから、マイクのスイッチが入ったことを知らせるノイズが聞こえる。
「え~、今日の、講義を始めていきたいんですけどもね、まずは遅れてしまって申し訳ない。これにはまず、今日起こった事件について説明を――」
この講義は、本筋から話が脱線することが多い。
さらに、教授の話自体は面白いのだが、昼過ぎの陽気と外から聞こえる小鳥の囀り、満腹感が相まって、絶妙に睡眠に適した環境が形成されている。
「最近わたしの娘が新しいゲームを――」
もはやこれは、眠気を誘うための呪文なのだ。
後ろへ振り向くことはできないが、きっと8割の生徒が寝ていると思う。
俺は眠ってしまわないよう、横目で三上を見てみる。
彼女はルーズリーフと、もう一つ小さいメモ帳を机の上に置き、黙々と、メモ帳にペンを走らせていた。
「それはソシャゲと言うらしいんだが――」
ノートを見つめる目元は涼しく、横から見ると長い睫毛がよく分かる。
睫毛にマスカラを塗っているわけでもなさそうだし、つけ睫毛でもない。
ビューラーを使っているかは定かではないが、不自然な折れもなく、美しいカールを描いていた。
女性のメイクにはあまり詳しくないが、彼女のそれは一般と比べても、かなり薄めだと思う。
しかし、決して芋っぽさはなく、圧倒的とも言える垢抜け感があった。
そのまま三上を見ていると、彼女は片手でルースリーフに書き込みながら、もう片方の手では、机に垂れた髪を鬱陶しく思ったのか耳へと掛けた。
その仕草が何故か艶かしくて、視線を黒板へ戻してしまう。
「なんでも、簡単にガチャを回すための――」
相変わらず、教授は勉強三十、雑談七十くらいの調子で話し続けていたが、気付けば眠気はすっかり消え去ってしまっていた。
「はい、じゃあそろそろ時間なんでね、次回は――」
やっとのこと意識が覚醒してきたというのに、三上の姿を眺めているうちに、講義が終わりを迎えていたようだ。
教授の言葉に呼応するようにチャイムが鳴り、生徒達は一斉に話し出す。
教授はまだ何か言っているのに、帰宅準備をされたら腹が立ちそうだな。
まぁ、俺も似たようなもんなんだけど。
4~5行しか書いていない自分のルーズリーフを見るのも申し訳ないので、そそくさとバッグにしまう。
そして、完全に教授が講義を終わらせたタイミングで、三上もルーズリーフをしまい始めた。
待つこと数秒。聖徳太子でも聞き比べられないほどの会話が飛び交う中、彼女が帰り支度を終わらせて「よしっ」と小さく漏らすタイミングで、俺はいつも通り聞くのだ。
「三上、今日はどんなメモを取ったんだ?」
彼女が書いたメモの内容を聞くのが、いつしか俺の日課になっていた。
ルーズリーフは見たまま、講義の内容を書き写しているものだ。
しかし、その隣にずっと置いてあった小さなメモ帳。
それは、彼女が趣味で書いているものだ。
「えーとですね……今日は……」
三上の趣味は、日常生活で学んだ事をメモにとるというものだ。
最初に聞いた時はえらく疑問に思ったのだが、彼女曰く「物心ついた時からやっていて、日記みたいに後で見返すと楽しいんですよ」だそうだ。
言われてみれば、毎日の終わりに日記を書くというのも中々大変だし、好きなタイミングで短く済ませられるメモというのはナイスなアイデアかもしれない。
しかし、極めてシンプルに、一箇所だけを抜き取って書かれたそれは、確かに重要で思い出になる情報なのだが――。
「教授の娘さんは、ソーシャルゲームに十万円課金した。です」
「そこ!? っていうかなにやってんの娘さん!?」
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