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3章 違える二人に女神は近づく。
2話 再会に歓喜する兄と伴侶との仲違いに涙する弟
しおりを挟む閉じた瞼を、彰はゆっくりと目を開けた。いつの間にか、キングサイズのベッドで寝ていたようだ。
辺りを見回すと部屋はまだ暗い。もうすぐ五月になろうとしているのに夜間の厳しい冷え込みは続いていた。
よく見るともう見慣れたサラサラとした銀色の髪が顔にかかっている。
「アルカシス様?」
珍しく熟睡しているのか、アルカシスは女性体のまま彰の隣でスゥ、スゥ・・・と静かな寝息を立てて寝ている。いつもなら自分より先に起きているのに全く動かず深く寝入っている。
「疲れたのかな?あれ、デーヴィッドさんは?」
そういえば一緒にいたデーヴィッドがいなくなっていることに気づき辺りを見回すが姿が見えない。
アルカシスと話をつけて宿へ行ったのか・・・。
彰は完全に眠っているアルカシスの寝顔をまじまじと見つめると内心嘆息する。
「(本当に綺麗だよな。この人・・・)」
本来の男性体の姿も、今の女性の姿もどちらも美しい。
デーヴィッドの話から、自分の存在だけで北国の王の地位が安定すると知って安心はしたものの、闘神として今なお淫魔の王として君臨する彼はどう思っているのか。
でも、この人のそばにいられる。
いつまでも共に生きていきたい。
たとえこの先何があっても。
「今度は俺から誘ってみようかな・・・」
でもまたアルカシスにうまく握られるだろうが・・・。
それでもいいと思ってしまう。自分がいることで、この人が安心できるなら。
「お休みなさい、アルカシス様」
残り少ない日の出までの時間を、彰はアルカシスの頭を撫でながらゆっくりと眠りについた。
* * *
「おはよう、秋山くん」
「神成さん、おはよう。・・・何か、あったの?」
朝一番の講義からいつもより学生達が騒がしい。
彰は一限目の解剖学の講義に指定された教室に入ると、既に来ている学生達が異様にざわついているのが目に止まった。それに彰の同級生の女子学生・神成は困ったような表情を浮かべて言った。
「それがね、解剖の平田先生が急遽病気療養に入ったの」
「えぇ、病気?じゃあ今日は休講?」
「ううん。復帰まで別の先生が講義してくれるんだって。ここの附属病院の非常勤の先生で患者さんにはもの凄く評判のいい先生みたい。・・・でもそんな先生なら、そのまま外来で診察続けた方がいいと思うんだけどなぁ」
わざわざ病気療養に入った教授のピンチヒッターなんて、気が重いだろうに気の毒だ。
彰達低学年は基本的に座学が中心としたカリキュラムが組まれており、学内の教授クラスが主に受け持っていた。特にこの解剖学を担当している平田という教授は他の教授よりも勤務年数が長い古株の老人だ。もしかして、今回をきっかけに引退するかもしれない。
そう思っていると、教壇近くの横開きの扉が開いた。今まで異様に騒がしかった学生達は扉の開く音を聞いて各々の席について待機する。彰も神成の隣の席に着き、講義を待っていたところ見知った人物に驚きを隠せなかった。
代わりって、まさか・・・。
その人物は教壇に立つと、遠くの席で座っている学生にも聞こえるようにマイクを手に取り学生達に挨拶する。
「本日より平田先生の代替として教壇に立つ秋山と言います。前期分のみの講義を担当させて頂きますが、後期に関しては選任中とのことで後日発表される予定となりますのでよろしくお願いします」
淡々と事務的な口調で話す人物は背が高く、他の講義を受け持つ教授達よりも幾分若い。だが昔から見覚えのある四角眼鏡と襟足を刈り上げた短めの髪は、自分が高校生の時に見た姿と変わらなかった。
「(どうして、兄貴がっ・・・!?)」
ブラックボードに記載された名前に彰は驚愕する。
ーー秋山 諒。
彰の実兄であり、前期分の講義の講師だ。
講義が終了し教材と黒板を片づけている諒に彰は近づいた。
「兄貴っ」
呼ばれた諒は彰に振り返ると指を立てて静かにと合図を送る。
「しっ、ここでは『秋山先生』だ。ここじゃ人の目がある。俺のゼミ室へ行こう」
そう諭された彰は、周囲をキョロキョロと見回す。終了と同時に数人が退室したのもあり、教室内は閑散としているがまだ数人学生達が残っている。他の人に聞かれるのは憚れるだろう。
諒は彰に尋ねる。
「お前、この後講義は?」
「午後に三つ。これ終わったら昼飯にしようと思ってたから」
「じゃあこのまま俺のゼミ室に行こう。話はそれからだ」
二人は教室を後にすると、学内から離れた別棟に移動する。この棟には講師や教授のゼミ室があった。『秋山講師』と書かれたプレートがある部屋の扉を開けると付いてきた彰へ入室を促した。
「入れ。まだ一コマあるから、他の先生達は不在だ」
彰は言われるがまま、ゼミ室へ入室する。彰が入室したのを見計らい諒は彰を抱きしめた。彼は安心したような表情をしている。一体どうしたのか。
「どうして、兄貴がこんなところで・・・」
「お前を、ずっと探していたんだ」
良かった。生きていたんだな。
諒は彰からゆっくり離れると話した。
「十年前、駅のロータリーで行方不明になったお前を探して各地を転々としたんだ。ロータリーで発見されたのは粉々になったスマホと、会社の社員証と鞄。目撃者もおらず、駅にあった防犯カメラにもお前の姿は写っておらず手掛かりがないままずっと探していたんだ」
彰は、アルカシスに淫魔界に連れて行かれたあの年末の夜を思い出した。
確かにあの夜は年の瀬や遅い時間帯もあって人気は全く無かった。それでも、兄は十年の時間をかけて自分を探してくれた。自分を心配してくれた人がいたことに素直に喜びたかったが、アルカシスが鏡で見せたモノとは真逆だった。
彰は諒に尋ねる。
「ごめん、心配かけて。じゃあ母さんと父さんは?ずっと家で待ってくれたの?」
彰の問いに諒は言い淀むも、何か決意したように彰に向き直り「落ち着いて聞いてくれよ」と前置きした上で彰に言った。
「実はな、父さんはもう亡くなったんだ。母さんは、認知症を発症して今は施設にいる。もう家も売却したんだ」
「嘘っ・・・」
諒の話に彰は彼の言った意味が理解できず唖然となった。すぐに彼に尋ねる。
「亡くなった?」
「心筋梗塞だ。お前がいなくなった後、俺も暫く実家にいて色々あって父さんと喧嘩したんだ・・・。それから、朝起きたらすでに冷たくなって・・・。司法解剖から死因は心筋梗塞だと診断されて」
「そう、だったんだ・・・」
彰は、言葉が出なかった。
彼の中でかつての父の姿が脳裏に蘇る。開業医だった父は、全く自分に見向きもしなかった。既に兄の諒が医学部に進学したこともあって高校卒業後の自分の進路に全く関心を見せなかった。
決定的だったのは卒業間近に控えた二月の時期。一次試験を通過し、二次試験に備えて受験勉強に取り組んでいた矢先に唐突に突き付けられた入学費用は出さないという通告だった。祖母を尊敬し彼女のような医師になりたかった彰は事務的に告げて出て行こうとした父に食ってかかりそこで始めて大喧嘩となった。医師になりたいという夢も父に嘲笑され自身の根暗な性格を詰られたことで実家を離れることを決意。学校とハローワークと転職サイトを利用してようやく就職先を決めた。そんな自分には理不尽な扱いしかしなかった父が死んだ。随分と呆気ないと思った。だが肉親だからか、なんとも言えない空虚さを感じた。
彰はさらに尋ねる。
「母さんも認知症に?」
「お前が行方不明になったと警察から連絡が来てすぐだった。母さんはお前を心配してとにかく探そうと父さんに言ったんだが取り合ってくれなくて・・・。そのうち何度も徘徊を繰り返して近所中でお前を知らないかと聞き回ってひどくなって施設に入ったんだ。実家は・・・もう誰も住まなくなって手入れもできなくなったからそのまま売却した。ばあちゃんのクリニックも」
「そうか・・・。兄貴、大変だったな。ごめん」
「いや、いいさ。やっとお前が見つかったんだ。それだけで安心したよ。それと彰。お前にもう一つ知ってほしいことがある」
「何?」
「父さんに、多額の負債があった。死んだ後に整理して分かったんだが途方もない額でな・・・。今俺が働きながら返済しているが正直俺一人じゃ完済の目処が立たなくて・・・。だから彰。お前も一緒に返済してほしい」
諒のこの話に彰は驚いた。
借金?父さんが?そんなに借りていたのか?
「なんでそんなに?」
「詳しい使用用途は分からなかったが、どうやらキャバクラに使っていたらしい。遺品から派手な名刺が出た」
虚しさが込み上げる。
息子の進学にはビタ一文出さなかったのって、自分の豪遊のためとは・・・。それを父の死後は兄が返済し続けていたのか。
彰は諒に言った。
「分かったよ兄貴。俺も手伝う。なんとか返そう」
「本当、ごめんな。彰」
* * *
「バイトがしたい?」
その日の夜、ホテルに戻った彰は男性体の姿でソファに寛いでいるアルカシスに説明した。突然の申し出に目を細めて懐疑そうなアルカシスにドキドキしながら、その経緯を話した。
「大学で兄に会ったんです。父も母も既に実家にいなくて、兄が一人で借金を返しているんです。俺しか家族はいなくて・・・少しの時間でもいいんです。お願いです。俺に働く時間をください」
アルカシスに向けて彰は深々と頭を下げる。だがアルカシスは彼の申し出に対し切り捨てるように応えた。
「ダメだ」
「えっ・・・?」
アルカシスの返答に彰は面食らう。驚いた彰は彼を見上げた時、彼の顔に怒気が浮かんでおり、この顔を見た時表情を硬らせた。彰の戸惑う表情を見てアルカシスは言った。
「なぜ私と伴侶契約を結んだ君まで?既に君の兄だという男が返済しているならば任せておけばいい話だ。君は自分の意思で医師になりたいと言った。私はパートナーである君の意思には惜しみなく援助はする。だが兄から頼まれたというならば話は別だ。だから君が働きに出るのは私は許可しない。働きに出るのはそもそも君の意思ではなかったはずだ」
「でもアルカシス様・・・」
ソファで寛いでいたアルカシスが突然立ち上がる。怒気を纏ったまま彰に近づくとアルカシスは彼の顎を指で固定し自分の怒気に当てられて怖がっている彰と視線を合わせる。彰は、ゆっくりと口を開くと震えながら言葉を絞り出す。
「兄は、俺が淫魔界にいた十年ずっと探してくれたんです。兄は、俺が子どもの頃から優秀な人で・・・。兄には、医師として続けてほしいし、人間界で穏やかに暮らしてほしい。お願いですアルっ」
「ーーショウ」
彰の話を聞いていたアルカシスが、彼の言葉を遮るよう名前を呼ぶ。先程からの怒気は遮るように彰の名前を呼んだことでさらに強くなっていた。
「先程から聞いていたら、なぜ君は兄を庇う?君が子どもの頃から優秀だった?ならば兄に全て任せておけばいい。優秀だから心配は不要だろ。なぜ君を巻き込む必要がある?」
「あ・・・アルっ・・・」
怯える彰の表情を横目にアルカシスは彰の耳元まで顔を近づけると彼の耳たぶに歯を立てた。
「いっ・・・!?」
痛みが走る。今のはすごく痛かった。
反射的に手で押さえようとした彰の腕を掴んだまま、アルカシスは耳元で囁いた。
「君は既に私の支配下にある。それを忘れたかな?兄のためとはいえ、君が私以外の他人のために労苦を強いるのは私には不愉快極まりない」
彰の腕を掴むその手に力がこもる。
これに彰はやっと分かった。
アルカシスは、今までで一番本当に怒っているのだと。
彰を抱き抱えたアルカシスは、荒々しく彼をベッドへ放り投げるとそのまま彼に覆いかぶさるように馬乗りになるともう一度彼の耳元で囁いた。
「何度でも教えてやろう。ーー君が、私の支配下にあるということを」
「アルっ・・・、どうしてですか?俺が医学部に行くのは許してくれたのに・・・どうして兄を助けるのはダメなんですかっ・・・」
怯えたまま、彰は必死にアルカシスに訴える。
今のアルカシスが、彰は怖かった。
でも、兄の借金苦を助けられるのは自分しかいないのに・・・!
自分を見て怯える彰に、アルカシスは厳かに言った。
「ショウ。伴侶契約の時私は君に言ったね。私から離れることがあれば君を傷つけても縛り付けると」
アルカシスはパチン!指を鳴らした。すると、彰の両腕が頭上で固定されそこから革ベルトの手錠が装着される。
「アルっ・・・」
「それでも君は私の支配下に入った。その時君はこう言ったね。『私には、逆らいたくはない』と」
怒気を纏ったまま、アルカシスは彰の衣服を荒々しく引き裂いた。ボロボロになった布切れから見える彰の白くて柔らかい首筋にアルカシスは歯を立てて噛みつく。
「いっ・・・!アルカシス様っ」
「闘神の支配から逃れることはできない。逃れようとするならば・・・この身体にどうなるか刻み込んでやろう。私以外の男の誘惑など、気にも留めないように・・・」
そのまま噛みついた箇所を、アルカシスは屠るように舌で舐めほぐす。鋭い痛みが走ってすぐのゾクゾクとした快感に、彰は身体をビクつかせる。
「んっ・・・!」
「感じるかい?君は痛みから快感を与えるとクセのように強く受容するだろ?ペット時代、私がそう仕込んだからね」
アルカシスは舌を首筋から鎖骨、胸元と滑らかに移動させていく。彰の胸の突起に到達すると、そこは痛みと快感にぷっくりと膨らみかけていた。それを見てアルカシスは笑みを浮かべ口を開けてそこを含み弄っていく。
ーーチュチュチュチュチュチュ・・・。
「あぁ、んっ!そこっ、弱っ・・・」
「あぁ、もちろん知っているさ。ここも私が仕込んだからね。君の髪だけじゃなく、私は君の性感帯を知り尽くしている。どこを弄れば君が弱いか、どのように弄れば君が感じるか・・・。あと・・・」
アルカシスの空いた手がスーっと彰の下半身へ伸び下着をずらして彰自身を取り出した。先程の首筋の刺激に既に彰自身が敏感に感じ取っていたのが分かるようにそこは既に固くなっていた。
「ここがどんな刺激にも敏感に反応することも」
アルカシスの指がバラバラと、彰の陰嚢をくすぐるように刺激する。彼の指に中の袋が徐々に固さを増し、それと連動してビクビクと腹筋が痙攣し彰自身が上下に動く。
この動きにアルカシスは満足そうに笑みを浮かべると胸の突起を離して舌でスーっと舐めながら彰の臍の窪みを舐め弄っていく。
「んっ、やぁ・・・」
「悦い反応をするじゃないか。君の身体は私でなければ満足できないのに、どうして心は他の男を気にかけてしまうんだろうね」
臍の窪みを舐めながら、アルカシスは陰嚢を弄っていた指をビクビクと痙攣する下腹部に滑らせる。小刻みに上下運動する腹を優しく撫でるとアルカシスは思い出したように言った。
「そういえば・・・ショウは、君自身が子どもを孕ませることができることは知っているかい?」
「えっ!?ど、どうして・・・!?」
彰は驚いた。
自分は男だ。子どもを妊娠するなんてできるわけがない。彼もそれは知っているはずだ。
だがアルカシスは、彰の考えていることはお見通しだと言わんばかりに声を上げて笑った。
「アハハハ。本当に君は面白い反応をしてくれるね。『魅惑の人』の魂を持つ人間は神と幾度となく交わりを果たすことで新たな命を宿すことができるんだよ」
「で、でも俺は男です!妊娠なんて、できるわけないじゃないですかっ・・・」
「それは人間と交わればの話だ。ルシフェル達が人間を・・・特に『魅惑の人』を探していたのは強い神気を持つ子どもを産ませるためだ」
「ーーっ・・・」
彰は言葉が出ず唖然となった。それなら闘神となった彼とこのまま身体を重ね続けていたらいずれ自分は彼の子を妊娠することになるというのか。
でも、素直に喜べない。そうなりたいという気持ちはあるのに、今の彼とは・・・したくない。
彰は全身を震わせた。そんな彼にアルカシスはさらに続ける。
「むしろ、今私とこのまま交わりを果たして孕んでみるかい?そうすれば、他の男に関心を向いている暇もないだろう。私はいっこうに構わない。君の心が私のモノになるならそうする・・・」
「嫌だっ!!」
全身の力を振り絞り、彰は思いっきり声を上げた。突然の彼の拒否にアルカシスも驚いて面食らう。既に彼の瞼からは、大粒の涙が流れていた。
「ショウ・・・?」
「うっ・・・ぐっ・・・うっ・・・」
アルカシスは彰が泣く姿を唖然と見ていた。
どうして泣いているんだ。
自分がこの子を誰よりも知り尽くしているし、この子は自分のパートナーになることを望んでいたはず・・・。
グッ、グッと彰は手錠を外そうともがいた。取れないと分かると、震える声でアルカシスに懇願する。
「手錠を外してください。ここから出ていきます」
「ショウ・・・」
泣きながら自分に懇願する彰にアルカシスは怪訝に眉を顰める。いつの間にか、彰への怒気はなくなっていた。
「私は君のパートナーだ。私から逃れることはできないと何度も伝えたはずだ」
「それでも・・・今あなたの顔は、見たくないんです。・・・外してください」
ポロポロと涙を流す。彰のその姿を見たアルカシスはどこか冷めた感情を覚えた。アルカシスはパチンと指を鳴らすと、手錠が取れ彰の身体の自由も戻った。
ベッドから起き上がるとボロボロになった服の上からコートを羽織る。どこかに行こうとする彰にアルカシスは思わず声をかけた。
「どこへ行く。その恰好で外に出るな」
その言葉に彰はキッとアルカシスを睨んだ。
「なんですか。俺が他の男を誘惑すると思ったんですか・・・!俺はただ、家族が大変なことになっているから少しでも助けようとしただけなのに・・・。あなたなんか、嫌いだ・・・!しばらく、顔も見たくない」
彰はそう言うと涙ながらに部屋を出てエレベーターに乗った。それをアルカシスは無表情に、ただ見守るしかなかった。
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