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第3章

7.  救援

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「籐朱璃は戻っていませんか……」

 4班リーダーの健翔の悪い予感は的中してしまった。日没まで朱璃を待った。お互いに会えなかった時はまず武修院に戻ると約束をしたため、わずかな希望をかけて戻ってきたのだが……。
 やはり、一人にしてはいけなかったか。 朱璃一人を行かせたことを激しく後悔し健翔は唇をかんだ。
「探していきます!  近くまで戻って来ているはずです」

 
 蘇健翔は寡黙な人だと誰もが口をそろえて言う。能力はあるのに控えめで優しく、人のために力になろうとしてくれる人物が頼られない訳はなく、同期のお父さん的存在になりつつある。
 健翔自身は今までも縁の下の力持ちと言われるような役割を果たしてき、自分自身でもそれが向いていると思っていた。
 しかし今回、リーダーを推薦され、新たな試練だと考え挑戦することにした。 リーダー役を引き受けたのはひとえに朱璃の存在があったからだ。彼女こそリーダーにふさわしい素質を持った人間だと健翔は考えていた。よって、彼女がサポート役に廻ってくれるという安心感、加えてサポート役としての行動から学ぶことも多いのではないかと考えたからだ。

 予測どおりこの野外演習はとても有意義なものであった。特に往路は初心者の美琳や汰享をサポートし気遣う朱璃に頭が下がる思いだった。加えて知識をひけらかせず、経験させて習得させようとする器の大きさに感服した。彼女の素質もすばらしいが彼女を育てた指導者はよほど優秀なのであろう。
 
 また、朱璃は明るいムードメーカーでそれにつられた美琳のにぎやか一面も見ることが出来た。秀家の肩書から解放されれば彼女もあんな年相応の笑顔が出来るのだと感じた。いつの間にか朱璃に対し敵対心を持っているはずの惟孫淳でさえ話の輪に入ってバカ騒ぎをする場面すら見られ、康汰享も彼らのやり取りに笑いが絶えないようであった。最初はどうなることかと思えた班だったが、とても良い空気で前半戦を終えることが出来たと健翔は満足していた。

 しかし、中間地点のこい池で朱璃が溺れてしまう騒動を境に、帰り道の復路は波乱続きとなってしまった。
 ただでさえ往路に比べて復路は難易度が高いのに(そのために往路は美琳たちのレベルアップを重点的に行ってきた)チームワークが全く取れなくなってしまった状態に健翔も頭を抱えた。朱璃も本当に申し訳なさそうに謝罪してきたが、彼女が悪いのではないとよく解っていた。

 原因はと言うと、劉長官が溺れた朱璃だけを助けたことがプライドの高い秀美琳には許せなかったということだろうが、客観的に見れば泳げない者を優先して救助するのは当然の事と思う。仮に健翔でも同じことをしただろう。
 しかし、女心は理屈ではないらしい。
紫明のアドバイスは『当人たちしか解決できないので首を突っ込むな』であった。健翔と汰享は仕方なく傍観するしかなかった。
 
 復路で与えられた課題はそう難しいものではなく、よきせぬ問題が起こった時に臨機応変に対処で出来るかが今回の演習の真の目的であった。これまで以上に班の団結が必要な時にと責任感の強い健翔は自分のふがいなさに対して心の中で苛立ちを覚えたが、張本人の朱璃が思ったよりも変わらぬ様子だったので平常心を失わずに済んだ。

 と言っても最初は楽観的な朱璃もあからさまな美琳の態度にはショックを受けたようであった。しかし汰享をぐりぐりと撫で廻し「ふっかーつ!」と言っていたのでその切り替えの早さは朱璃の最大の武器だと健翔は評価していた。
 ただその後で「あれは人工呼吸で接吻ではないから。劉長官とは何でもないから安心して! って言っておいたんだけど無視されたわ。困ったなぁ。でもしょうがないな。ミレちゃんお年頃やからな。思春期っていうか反抗期っていうか、難しいお年頃やし」と言う発言については健翔だけでなく汰享も思うことはあった。(口には出さなかったが)
 自分も人の事を言える立場ではないが、朱璃はもう少し恥じらいを持った方が良いと思う。

 
 とにかく、予想通り課題は色々と問題はあったが解決でき、あとは戻るだけとなった矢先の予期せぬ事態。人助けとはいえ朱璃の一時的な単独行動を許した自分に責任があると健翔はすぐにでも引き返すつもりだった。
「探しに行きます。許可をお願いします」

 すでに足が山に向いている蘇健翔から事情を聞いた弘由仁はため息をついた。
「許可は出来ない。っていうか、お前大丈夫か? そんなに思いつめるな。籐朱璃の事はちゃんと報告を受けてるから心配するな」
「……!」
「もちろん救助に向かっているし、捜索中だがあいつらに任せておけば心配いらん。そんな顔するなよ。命にかかわらん限りは手を出さない決まりなんだ。遊びじゃないんだからな。解るだろ」
「はい」

「霧が俺たちを見張っているかも」と紫明が言ったことがあったが当らずとも遠からずだろう。しかし、命に係わるまで手は出してこないのが決まりのようだし、朱璃が溺れた一件もある。本当に助けてくれるか信用できない。それでも自分がむやみに探し回ることよりも効率が高いことも分かる。今すぐにでも助けに行きたい衝動を必死に抑え健翔は頭を下げた。
「宜しくお願い致します」
 何かトラブルに巻き込まれているのだろうか。どうか先ほどから降り出した雷雨のせいで到着が遅れているだけであってくれ。

 健翔の葛藤を正確に理解した弘由仁は健翔の頭に手を置きぐりぐりと撫でた。
「ああ。もう一度情報をくれるか」
 地図を基に朱璃の足取りを確認する。
「なるほど千本杉までたどり着いていない可能性が高いのか。わかった。お前たちはもう部屋に戻れ、他の3人にも勝手な行動をするなと釘を刺しておいてくれよ」
「承知しました」

 
 重い足取りで仲間の所戻ってきた健翔を皆が取り囲んだ。
「朱璃が迷子だって聞いたが本当か」
 とっくに到着していた別班の久遠や紫明も駆けつけていた。
「次から次へと、よくもまぁ問題ばかりおこしやがって。あいつはお祓いに行った方がいいぜ」
「単独行動を許した俺のせいだ。いくら朱璃が優れていても慎重に行動するべきだった」
 後悔して始まらないのだが、健翔は朱璃に甘んじてしまった自分を責めていた。

「ところで、秀美琳らはどこだ。あいつら自分の仲間が行方不明なのに知らん顔かよ。そもそも姫さんの子どもじみた嫉妬が原因なんじゃないのか」
 紫明の言葉に秀派の者が黙っているはずはなかった。激しい口論が始まったが久遠と健翔はそれに加わらず、腑に落ちない違和感に苛立ちを覚えていた。
 
 仲違い中なので美琳が関わってこないと決めつけていたが、理由はそれだけではないかもしれない。朱璃が現れなかった理由を知っている、もしくは戻れないように仕組んだ!?
 朱璃に対する嫌がらせが酷い時期に比べると関係が修復され下火になっていたが、段炳霧辺りはまだ敵対心を持っていた。もし、こい池の一件で再び朱璃を排除しようとしたのなら。

「「段炳霧。いや、惟孫淳はどこだ!! あいつが何か知っているはずだ!」」

 健翔が感じた違和感。今、その一片が埋まった気がした。
 それはとても嫌な答えであった。
 朱璃と別れるときに孫淳が渡したもの。朱璃を嫌う孫淳が親切に地図を渡す訳がない。

 その時だった。
「健翔さん! 大変です!」
 汰享が飛び込んできた。
 
 影が薄いと言っても良いほど大人しい汰享の大声だけでなく、自分より一回り大きな孫淳を引きずるように連れてきたことに皆わが目を疑った。
 孫淳が心なしかボロボロになっているのは見ないようにし健翔が何事か問う。

「この人が朱璃さんに偽の地図を渡したんです。それで朱璃さんは道に迷って」
「なんだって」
「もし、禍審の森に迷い込んでいたら大変です。あそこは最近ヒグマが目撃されていますし、狼獣が多く生息しています」
 
 一触即発の状況の中、さらなる追い討ちをかける事実に派閥問わず全員が天を仰ぐことになる。

「そのことを聞いた美琳さんが居なくなってしまったそうです。さっきまでいたボンキュウも居ません。おそらく探しに行ってしまったのではないでしょうか」



 
 

 霧からの情報で朱璃が遭難しそうだと知ったのは一刻前。雷が鳴る前に助け出したかったが残念ながら激しい雷雨が邪魔をし時間がかかってしまった。
 そしてようやく一筋の煙を見つけた泉李は声を殺して泣く朱璃の姿に息をのむ。
 こんなにも悲しい泣き方しか出来ない朱璃を思うと胸が痛んだ。

「……朱璃」

 泉李は自分の声が小さ過ぎて届いていないことに気が付く。心のどこかで朱璃は泣く姿を見られたくないのではないか、自分が姿を見せたら泣けないのではないかと躊躇したから声が出なかったのだ。
 しかしその一方で、これ以上一人にしておけない。今すぐに抱きしめたいという衝動が抑えきれず、無意識に駆け寄っていた。

 ガサガサッ

 木の枝葉を擦過する音に朱璃が我に返ったように顔を上げた。野生動物だと思ったのだろう、とっさに弓を掴むのが目に入り泉李は一瞬立ち止まってしまった。
 朱璃の大きな眼がさらに見開き、自分をとらえたのが分かった。
 
「朱璃」
 その場を動けずゆっくりと名を呼ぶ。

 朱璃の顔が幼い子のように歪み、その瞬間 泉李の胸にドスンと衝撃がはしった。

「遅くなって悪かった。……もう大丈夫だ。よく頑張ったな」
 胸の飛び込んできた朱璃を優しく抱きしめながらそう言うと、泣きじゃくりながらしがみついてきた。

「せんりさん……泉李さん」

 しがみついてくる朱璃を今度は強く抱きしめると愛しさが込み上げてくる。
「もう大丈夫だ。ごめんな。怖かったな」
 
 このまま思い切り泣かせてやろうと朱璃を抱きしめたまま泉李は火のそばにそっと腰を下ろした。
 優しく背を撫で、髪を撫で、落ち着くように何度も名を呼び大丈夫だと語り続けた。
 心の中にたまった感情を吐き出せるよう声を掛けると、やがて朱璃は泣きじゃくりながら話始めた。

「わ、私のせいで、ひっく……嫌な思いを……させてしまって……。そんなにしてまで……ひっく……ここにいる必要ある……のかって。わ、わたし、め、迷惑ばかりかけて……」

 ここまで理不尽な目に合い、辛く怖い思いをしても自分のせいだと苦しむ朱璃の人の好さ、不器用さがもどかしかった。と同時にそのひたむきで優しく思いやりにあふれた心に惹かれずにはいられなかった。

「本当に、お前は」
 景雪が朱璃を馬鹿だ阿呆だと言う気持ちがよく解った。

「お前は何も悪くない。お前は本当によくやっている。だから自分をそんなに責めるな」
 
 自分を過小評価しすぎる朱璃の傾向を心配し気にかけていた。武修院で同世代の者に認められ自分が優れているか気が付けば、自信が持てるのではないかと期待した。女性と云う立場から簡単なことではないと思ったが朱璃ならなし得ると泉李は確信していた。現に、お人好しで優しすぎる性格のせいで損な役割ばかりしているようだが周りは朱璃が優秀だと認め、一目置かれた存在になってきているのだ。本人だけがそれに気が付いていない。それほどまでにここでの生活は孤独で過酷なものだったかと泉李は心苦しく思った。
 影ながら支えてきたつもりになっていたが、自分の無力さに腹が立った。

「お前はもっと自分に自信を持って、自分を大事にしろ。傷つく必要なんかないことに早く気付いてくれ」
 朱璃の頬を大きな手で包むように撫で涙をぬぐう。朱璃の瞳には自分が映っているが、まだ朱璃の心に自分の声が届いていないと感じた。

「私は、私はいない方がいい。この世界でも、役に立てない……」

 朱璃の根底にある負の感情が野外演習でのストレスや山で迷い一人きりになった不安な状況で一気にあふれ出て来ているのだと泉李は思った。絶望感、孤独感、罪悪感に苦しむ姿は見たくなかった。
 無邪気で純粋、深い洞察力があると思えば身を守るための鈍感さも持ち、いつも能天気なくらい明るい朱璃の中に、こんな苦しみがあったのかと胸が痛む。

「朱璃。俺はお前といると心が安らぎ、幸せな気持ちになる。お前といると力が湧いてくる。いない方いいなんて思った事はない。出会えたことに、心から感謝している」

 止まらない涙をぬぐったのは泉李の唇だった。優しく何度も何度も涙をぬぐい、頬に唇を寄せた。
「朱璃。俺が誰だか解るか?俺をちゃんと見ろ」

「……泉李さん」
「ああ。名を呼ばれると嬉しい。俺は、お前を大切の思っている。だからいない方がいいなんて言わないでくれ」

 いとおしい。
 泉李の強靭な精神力でもこの感情を抑えることが出来なかった。
 武修院に入り3か月余り、ずっと朱璃を見守り続けた泉李に朱璃への愛情が芽生えるのは自然の成り行きだったかもしれない。朱璃を心配すればするほど、知れば知るほど惹かれていく自分がいた。好きになってはダメだと分かっていたのでこの気持ちは封印している。一生表に出すつもりはなかった。
 それなのに声を押し殺して泣く姿に、腕の中で幼子のように声をあげて泣く姿に我を忘れてしまった。

 重なった唇が離れた数秒後、朱璃の瞳がこれ以上ないほど見開かれた。
 次にうろたえるように瞬きを繰り返す朱璃の目からはもう涙はあふれてこなかった。

 正気に戻った朱璃に最後のチャンスとばかりに、泉李は一瞬だけ触れるような接吻をもう一度朱璃に落とした。


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