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第3章

8. 荒療治

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「……!」
 泉李の整った顔が目の前にあって、唇に柔らかいものが触れて……。
 今のって、今のって。
「ちゅう。しました? いま?」

 非難されたら謝ろうと身構えていた泉李は聞きなれない単語に首をひねる。
「ちゅうと言うのが接吻のことだったら、した。お前が、なかなか正気に戻らないから荒療治」

「荒療治。あーーそういうことか。それなら仕方ないか。……って言うわけないでしょ。 ちょ、ちょっと泉李さん!?」
 腕の中から逃れようとバタバタ暴れる朱璃の意外な反応に泉李はつい笑ってしまった。

「な、なんで笑うんですか!? 笑っていいとこ? もしかして祇国って挨拶代わりに接吻するところ?」
「いや、挨拶で接吻するなんて聞いたことが無い」
「え、じゃあ なんで」
「それは、したら正気の戻るかなと思って。いや嘘だ。お前が愛おしいと思ったからだな。たまらなくしたくなっちまった。すまん」

「……えっと。どう反応すれば」
 女子高生のころ、彼氏がいたこともあったが、恋に恋したよう関係で長くは続かなかった覚えがある。ちゅうしたのも何年振りだろう。いや、そんなことはどうでも良いか。知らない上級生から告白されたこともあったがそんな経験何の役にも立たない。うん、これもどうでもいいか。今、愛おしいって聞こえたけど、イケメンが言ったらあかんやん。えっと、ど、どういう状況?
 
 数分前、地面のどん底で穴を掘っていた朱璃は見事に浮上し、浮上したものの着地地点が見つからず、逆に足をバタバタした状態であった。

「ま、気にすんな。俺はどうやらお前の事を愛しいと思っているが、それに応えようと思わなくていい」
 ニカッといつもと変わらない温かい笑顔。目尻の笑いじわはいつも朱璃を安心させてくれる。武修院に来てから、ずっと見守ってくれたかけがいのない人。

「えっ……で、でも」

「そんなことよりお前は溜め込み過ぎだ。我慢せずに泣け。時々放出しないから感情が崩壊するんだ」
 大きな手で少し強めにぐりぐりと頭を撫でられ朱璃は目をつむる。
 ダムが崩壊する様子が思い浮かび、何となく当たっているような気がして頷く。流石です先生。そして前にもそんなこと言われたなぁと思い出していた。

「背が伸びないのと関係があると思います?」
「……? くっくっく あるかもしれんな。ちょっとはすっきりしたか? まだ足りなかったらいくらでも胸をかしてやるぞ」
「じゅ、十分です。ありがとうございました」

 少し距離をとって頭を下げる朱璃を目を細めて見つめていた泉李が薪のそばにあるものを見て噴き出した。
「ちゃんと食い物は確保してたんだな」

「はい。もちろん。おひとつどうですか? 美味しいですよ」
 売れば1個で1か月分の米代くらいになる貴重な玉茸が面白いように見つかり、当然しっかり採取してきたのだ。火であぶると香ばしい香りが辺りに広がりこの上なく食欲をする。あ、お腹鳴った。

「ほんと塩もってて良かった~。はい、どうぞ」
 ぱっぱと塩を振り、泉李に渡す。

「いや、いい。お前が食べろ。腹減ってるんだろ」
「大丈夫です。まだまだありますから! もう、こうなったらどんどん焼きますよ。はいっ」
 泉李に半ば強引に玉茸をぶっ刺した枝を渡すと手際よく次々と茸をあぶっていく。
「くっくっく。さすが名人だ。ああ、本当にうまいな」
「でしょ。でも、一人だったらこんなに美味しいと感じなかったと思います。泉李さんが来てくれたから100倍おいしい」
「そうか」
「せっかくだから霊霊芝も焼いちゃおー。あ、白雪茸が今日の収穫では一番珍しいやつです。ほんとは炭火で焼いて酒に入れるのが一番おいしいんですよ」
「お前さ、ちまたきのこの精霊って呼ばれてるらしいぞ」
「何ですかそれ。飛天さんでしょ、そんなあほな事言うの」

 ニコニコしながら茸を食べる朱璃はあれほどまで泣いていたのがウソのようにいつもの調子を取り戻していた。どこからか干しイモも出してきて炙り始めている。
 
 軽口をたたきながら泉李は内心ほっとしていた。泣いてスッキリ出来たのならも大丈夫だろうか。苦手な雷雨にも遭遇し辛い思いをしたことが心の傷にならないかが心配だった。その反面、こうして火を起こし食料を確保し、完璧に野宿の準備を整えている朱璃がいじらしくも可笑しく、そして頼もしく思った。

「酒が飲みたくなる」
「ふふふっ。じゃあ、残りは武修院に帰ってから、って、あー! もしかして、茸食べてる場合じゃないんじゃ」
「はっはっはっ。ま、そうだな。しびれ切らした奴らが飛び出してくる前にそろそろ帰った方がいいかな」

 野宿する気満々だった朱璃は泉李と一緒なら帰れるということをすっかり失念していた。

「ま、俺としては野宿も捨てがたいんだがな」

「……!! ダメですっ。帰ります」

 なぜか色気たっぷりに見つめられ、不意に先ほどの接吻を思い出してしまった。体温が2~3度上昇したかのようになった朱璃は残りの茸を全て泉李の口に掘り込んだ。これはあかん。
「襲われても知りませんよ!」

 赤い顔でそうわめきながらバタバタと帰り支度を始める朱璃を可愛いなぁと泉李は見つめていた。
 そしていつの間にか天気が回復し高く昇ってきた月に気付く。霧によって朱璃を無事に保護したことは伝えられているにしろ、帰らないわけにはいかない。今夜の事は幻影だったとでも思うことにし泉李は己の心にそっと鍵をかけた。

「しっかり火の始末はしておけよ」
「はい。ばっちしです」
 宗長官の顔に戻った泉李に腕を引かれ、ようやく山道に戻った朱璃はため息をついた。なぜ迷子になったかを思い出してしまったからだ。
 どんな顔をして戻ったらいいのだろうか。これからどうしたらいいのだろうか。

 その時右手の握りが強くなり朱璃ははっと顔を上げた。
「大丈夫だ」
「泉李さん……」
「お前のやりたいようにしろ。何をしても、ちゃんと守ってやるから」

「……」
 したいようにしていい。優しい眼差しに応えるように朱璃は右手を強く握り返し、じんと熱くなってしまった喉を潤すようにつばを飲んだ。
「じゃあ、暴れてもいいですか」
「おうっ。気が済むまで暴れろ」
「ふふふっ」



 月明かりが道を照らしてくれたおかげか、さほど苦労せず千本杉のあたりまで出てこれたことに朱璃はいささかショックを受けた。玉茸採りに没頭していなければ(下ばかり見ていた)もっと早くに迷子に気が付いた、いや、迷子にならなかったかもしれないことは黙っていよう。うん。もともとニセ地図が悪いんだからね。

 その時だった。咆哮が聴こえ二人は顔を見合わせた。その数秒後、再び咆哮と、人の声。
「女性の声でした」
「ああ、行くぞ」

 人の声はしなくなったが、獣の咆哮は時折聴こえ、間違いなく距離が縮まって来たと分かる。
「もしかして、ボン!?」
 威嚇を示す唸り声は聞き覚えがある。まさかとは思うが、自分を探しに山中まで来たのだろうか。
 気が焦る中、泉李の背を追いかける。ちなみに荷物は全部持ってもらっているので朱璃はいつでも矢を射れる状態だ。

 獣の咆哮が決して一匹のものではないと気付くと同時に女性の悲鳴が上がった。
「……!!」

 なぜ、美琳がここにいるのか。

 ボンよりひと回り以上大きな灰色狼が美琳を守ろうとしているボンに飛びかかってくるのが見え、朱璃が叫んだ。
「ボン!!」

 その瞬間、泉李の太刀が空を切った。
「キャイーン」
 まともに急所に入ったのか飛ばされた狼は悲鳴をあげる。
 泉李の太刀が鞘のままであったことに朱璃は安心したが、無駄な殺生を好まない優しさに感動している場合じゃない。
「泉李さん! 荷物くださーいっ」

 泉李は背負っていた朱璃の荷物を素早く投げつつ、もう一匹を剣先で突くように排除する。ボンも負けずと起き上がってきた大きな狼に飛び掛かった。

 朱璃は美琳のそばに駆け寄り松明を素早く預けると、袋から小さな茸をワシ掴みにして投げた。
「米1俵分だ~ こんちくしょー」

『コンチキショオ コンチクショオ アアオナカヘッタナ コンチキショオオ』

 キュウ……いたのか。
 キュウと生活をしながら鳥は夜でも目が見えていることを知った。夜盲症の事を鳥目と言うので鳥は夜、目が見えていないと思っていたが間違いだったようだ。昼間に比べると見えにくいのかも知れないがそれは人間とて同じことだ。それにしても、お口が悪くなってきたね。

「何だそれは?」
「これですか? 正式な名前は知らないんですけど、『ほろ酔い石』って呼ばれてる茸です。名のごとく、ほろ酔い状態になります。猫にまたたび子に乳房ですよ~」
「……また珍妙な事を」

『シュリチャン。カワイイ カワイイ。セカイイチカワイイ。セカイカイイチカワイイ。ウチノコニシタイ』
 キュウが肩に乗っておねだりしてきたので一粒やる。どこぞのおっさんみたいになってきたな。どこで覚えてきたんだろ。
「ちなみに、キュウには効きません。四肢動物は大抵効くんですが、熊ほど大きくなると両手いっぱい必要です。なので春は価格が急騰します」
 
 朱璃の言った通り、狼たちががふらふらと恍惚状態になっていくのを泉李も美琳も感嘆の表情で見つめていた。
「持続時間は?」
「食べた量によりますが、このくらいでしたら半日くらいは。ただ、中には耐性を持ったものも居たり、易怒性が増すものもいますので注意が必要です。たとえば……」
 
 朱璃の茸講座きのここうざが始まってしまったが美琳は耐え切れず言葉を遮った。

「あのっ!! 朱璃。宗長官。危ないところを助けていただいてありがとうございます。そ、それから」

 一体何から言えばよいのだろう。朱璃に対して、何から何まで申し訳ない気持ちでいっぱいであったが、同世代の友人すらいなかった美琳は言葉にして気持ちを伝える方法が分からず戸惑った。

 朱璃は美琳から自分を拒絶するオーラが消えていることに安堵した。必死で何か言いたげな、でもどう言っていいか判らない。そんな様子を感じ取った。もしかして謝ろうとしている?
 プライドの高い美琳とは思えない迷子の子どものような不安や怯えの表情に逆に戸惑う。
 そもそも美琳がボンキュウを連れて一人でここにいる意味が分からない。まさかだが自分を探そうとして一人でここまで来たのならお説教だなと朱璃は考えていた。

 泉李は朱璃が美琳の言葉を待とうとしているのを感じ、彼女を尊重し一歩引いたところで待機する。おそらくここからは、朱璃と美琳の正念場。いや、朱璃しか美琳を救えない。
 
 
 やがて、あれもこれも言わなければという思いが強過ぎて言葉が見つからなかった美琳はまずは頭を下げる。身分の事など1ミリも考えていなかった。
 とにかく謝罪しなくてはと思ったのだ。
 朱璃を見ると穏やかににっこりと微笑んでくれた。
 いいよ、ゆっくりで。大丈夫、ちゃんと聞くよ。そう言ってくれているようだった。
 
 そう。いつだって朱璃は優しくて暖かい。自分の事より人の事ばかり考えて……。野営の時だって眠れるように気にかけてくれた。いや、武修院に来てから、ずっと、ずっと、朱璃は虫を退治してくれたり、掃除をしてくれたり、何も言わないで助けてくれていた。どうして気が付かなかったのか、いや、気付こうとしなかっただけだ。なんて自分は傲慢な人間なのだろうか。

 美琳は生まれて初めて、自分の価値観が変わる経験をしていた。大げさかも知れないが世の中の見方が変わったのだ。同じ景色であってもすべてが違う風に見えていた。

「ごめんなさい。朱璃。わ、わたくし、貴女に謝らなくては、いえ謝っても許されないのだけど、たくさん、貴女にひどいことをして傷つけていたことに気がつきました。自分がどれほど未熟で愚かなのか、認められずにいたのです。彼らが酷いことをしているのを当然だと、おかしいとすら思わなかった。人間性が劣っているをごまかすために、貴女を悪者にしていた私の方がはるかに悪者です。……それなのに、朱璃はいつも私に優しくしてくれて。貴女がどれほど素晴らしい人なのか知ろうともしなかった。……私なんてこの世に生きている価値などございません。どうか成敗してください」

 涙ながらにそう訴える美琳に朱璃は頭を抱えた。一体何があったのか。こんな美琳を見るのは初めてだった。文章が多少おかしいのは彼女が冷静でない証拠である。
 成敗してくださいなんて物騒なセリフ、テレビでしか聞いたことないです。

 とりあえずそれは聞かなかったことにし、朱璃はゆっくりと美琳の両手をとった。
 びくっと全身が震え、彼女が極度に緊張しているのが分かる。今の状態の美琳に大丈夫だよ。気にしてないよ。と言っても心に届かないのではないかと思う。
 
 助け舟を求めようとチラリと泉李を見ると、お腹見せてゴロン状態のボンをわしわしと撫でながらくつろいでおられた。ボンほんと泉李さんの事好きだね~。ちょっと寂しくなって見つめていると頑張れよと笑顔を返された。

 自分で解決しろってことね……。ひとまず、確認から。
「どうして、ここに一人でいるのかな? 武修院には戻っていないの?」

 びくっとした後、美琳の目かぶわっと涙があふれた。
 そして、康汰享がニセの地図を使ったこと、それがすべて自分の為であること、自分が朱璃がいなくなることを望んでいるのだと指摘されたと正直に話しだした。
 
 自尊心が高い美琳が卑怯な手を使った事実を知り、罪悪感で飛び出してきたのであろうと朱璃は推測した。
 美琳にボンキュウがついて来て本当に良かった。なんて無茶をするんだ。
 ごめんなさいを繰りかえして涙する美琳をそっと抱きしめる。

「ほんま無事でよかった……。怖かったやろ。すごく危なかったんやで。わかってるな」
「……はい」
 ただでさえ山に慣れていない美琳が夜間に、しかもあの雷雨の中、どれほど不安で怖かっただろう。
 無意識であったが朱璃は美琳が泣き止むまで泉李にしてもらったと同じ様に「もう、大丈夫や」と背や頭を撫で続けた。
 その結果、優しくされればされるほど申し訳なさが増し涙が止まらないと言う終わりのないループに陥ってしまっていた。

 どうしよう。泣かしてあげたいけど、そろそろ泣き止んでもらわなあかんよな。それにしても美女は泣いても美しいな。鼻水は出ないのか? などと現実逃避している場合ではない。
 さすがの朱璃も悩み始めた。


「お前のご主人はお人好し過ぎるな」
 美琳を抱きしめ背中をさすって慰める朱璃を見て泉李は呆れていた。自分もひどい目にあったことを忘れているに違いない。もどかしく思うが口を挟まないと決めていたので我慢した。
 なぜ一緒に泣きそうになっている? 
 武官としては優しすぎるのは弱点。これからも、このように何度も傷つけられるのだろうかと思うと胸が痛む。だから、ほおっておけないのだ。だから惹かれずにはいられないのだ。
 
 困った様子の朱璃も可愛いなぁと飽きずに見つめていた泉李だったが、やがて何を思ったのか美琳に接吻しようとする朱璃を全力で阻止しに行く羽目になる。

「ちょっと荒療治を」
「それは却下な」


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