上 下
21 / 35
第3章

6. 迷子とは道が分からなくなること

しおりを挟む
 ザッザッザッ 
 自分が生み出す足音だけが人気のない山中に響く。先ほどまで迷うことのなかった足取りがウソのように行き先不明な不協和音に変わっていた。
 
「あーあー参った。あかんやつやん。これ」
 わざと大きな声を出してみるが当然「うるさい」と突っ込まれることもなく静かさが余計に引き立っただけであった。
 おそらく一刻もかからないうちに雨が降り出すだろう。しかも今の時期、雷雨である可能性もある。
 とにかく身を守るために避難出来るところを探す必要があった。
 
 現在、朱璃は一人。野外演習最終日、武修院へ戻る道中なのだが、わけあって一人で山中を彷徨っているところである。

「雷鳴りませんように」

 雷が大の苦手な朱璃は両手を合わせ天に祈るほか無かった。時間的にこのままだと一人で野宿の可能性もある。
 朱璃は大きく深呼吸し、冷静になろうと両手を握りしめた。

「よし、帰るのはあきらめよう」

 声に出すことで凹みかけていた気力をとり戻す。一日中 山を歩いていた疲労感でもう一歩も歩きたくない心境だったが野宿に適した場所を探す必要がある。先ほど休憩した辺りは小さな小川があり高い木もない開けた場所だった。万が一雷雨であれば落雷の危険が少ないところに行かなくてはと考え、朱璃は戻ることに決めた。
 
 実は山中での迷子位で朱璃はそこまで凹むことはない。一人ぼっちの野宿も心細くないと言えばうそになるが初めてではないのでそれほど慌ててはいなかった。
 朱璃が凹んでいる一番の理由はこい池で溺れた一件から美琳の態度が急変したことだ。復路の始まる朝から前のような冷たい態度に戻っていた。無視されるほどでもないが必要最小限の返事だけしかくれず以前に増して高い壁が再建設されていた。そのことに思いのほか落ち込んでいたのだ。

「莉己さんの事本当に好きだったんだな~」
 紫明から一部始終を聞かされ忠告されていたので大体の事情は分かっていた。人工呼吸をしてもらったと聞いた時は申し訳なさでいっぱいになったが、意識が無かったので不可抗力と諦めてもらおう。子守り役として莉己も背に腹は代えられなかったのだろうが、意識が無かったのはちょっと勿体なかった。いや、あの美しい顔が間近に来ただけで気絶する自信はあるので意識が無くて丁度良かったかもしれない。
 
 とにかく莉己との関係はまだ知られたくない為、美琳の誤解を解けていないのだが、本当の自分の事を折を見て話したいとは思っている。話せる相手であって欲しいと言うのが本音か。
 しかしまだ、彼女たちの身辺に謎が多く大切な人たちに迷惑が掛かってはいけないと踏み止まっていたのだ。
 
 特に入れ替わりをしている白蓮の目的が分からない。溺れた事にも関係があるような気もするが無い気もする。
 「悩ましいってこういうことを言うんやな。うん」
 一歩間違えば死んでいたかもしれないのにその点に関しては(自分の事)寛容すぎる朱璃であった。


「よーし。ここに決めた」

 理想的な洞窟はそうそう都合よく見つからないかったが、少し出っ張った岩がちょうど雨風をしのいでくれそうだ。雷対策としてはあまり崖の横はよろしくないようだが大きな岩レベルなので良いことにする。景雪と琉晟と旅をしていた時に培われた知識と経験が役に立っている事を実感し心から感謝する。

「心配してるやろうなぁ……」
 本来なら今日中に武修院に戻る予定なので、間違いなく心配をかけ多大なる迷惑をかけているだろう。
「本当にごめんなさい」
 届く訳ないが武修院の方向に手を合わせ謝っておく。とにかく今は野宿の準備だ。

「雨が降る前に火をおこして、薪を集めないと」
 夜間に野生動物から身を守るための準備も整えなくてはならない。
 今は落ち込んでいる場合ではないと気持ちを切り替え、必死で動きまわった甲斐あり雨が降り出す前に最低限だが準備を終えることが出来た。


 
 降り出した雨、遠くに雷鳴。お願いだから近づかないでと朱璃は耳をふさぎ祈る。
 幼いころから雷が苦手だった。理屈ではなく怖いのだ。朱璃の心を満たしていたプラス思考の気力、例えば勇気、元気、活気 鋭気などが消えてしまい、弱気、陰気、邪気が思考を支配し始める。

「何でこんなことに」
 一日中、山を歩いてきた疲労感で体が重い。というより復路は最初からハードスケジュールだった為疲労感はピークに達していた。

 

 2日前、こい池から武修院を目指す復路が始まった。往路と違いそれぞれの班に課題が与えられており、使命を果たし期日以内に武修院へ帰院するという武官としての実習を兼ねていたのだ。

 4班の課題は戸佐村にある祇国の百宝の一つと言われている鏡を受け取ってくることであった。簡単な課題で終わるはずが無く、よきせぬトラブルが当然起る。そういう対処方法も評価されるのであろう、仕組まれた感が実に面倒なものであった。
 実はその鏡、合わせ鏡でもう一枚ある(しかも隣村にある)と判明したのだ。これに関しては汰享たひょんのお手柄だった。彼は州候推薦枠でありながら今までどちらかと言えば目立たぬ存在であった。そんな彼が百宝の中では知らぬ人がほとんどと言ってもよい鏡についての知っていたのだ。
 なぜ、彼がそのような知識を持っていたかというと、汰享は過去の野外演習の課題を分析し必要な知識を得ていたからだ。その知識量は多く、また記憶力も抜群であった。彼の弱点は知識だけで経験が無いことなのだと朱璃は理解し、汰享の可能性に心が躍ったのも記憶に新しい。
 
 復路2日目、美琳とは相変わらずギクシャクし、惟孫淳からは完全に無視されてはいたがリーダーである健翔が皆をまとめてくれたおかげで何とか課題であった鏡を入手することが出来た。
 あとは武修院へ帰るだけとなった3日目の本日、朱璃がこうして一人ぼっちになった事件が起こる。
道中負傷し困っていたご老人とその孫娘を助けたことが発端であった。
 任務中であっても負傷した祖父とその孫を村まで送り届けたい朱璃とまずは任務を行うべきと反対する美琳。
 
 村人を送り届けても時間的には問題なく武修院に到着できると朱璃は考えていたが、疲労が目立つ美琳や汰享にとっては2時間の寄り道が堪えるのも事実であった。
 朱璃は自分勝手な意見を反省しつつ、それでも彼らをほってはおくわけにはいかないと譲らず対立してしまったのだ。

 話し合いの結果、朱璃だけ別行動をとることになった。本来なら体力的に余裕のあるものがもう一人行くべきであったがリーダーの健翔が行くわけにもいかず、孫淳が承知するはずもなかった。朱璃自身も一人の方が好都合であり一人で大丈夫だと押し切った形となった。
 最終的に武修院の手前の千本杉で落ち合う算段をつけ、朱璃は予定通り一人で村まで彼らを送り届けて順調に帰ってきたのだが、落ち合うはずの場所に仲間の姿はなかったのだ。

 太陽が西に傾き、姿を消すまでに落ち合うことが出来なかったら別行動で武修院まで戻る約束になっており、朱璃は結局単独で武修院を目指すことにした。仲間たちに何かトラブルが起こったのではないかと不安になり、必死で山を下りたのだが何時までたっても目印の龍樹が見えてこない。

「やばいかも」
 地図上では2刻もあれば武修院につくはずだったことから、朱璃は自分が迷子になったことを悟った。
 そして改めて地図を確認しため息をついた。
単独行動をすると決まった時、孫淳から渡された地図はどこか違和感があり高い木に登って確信した。
「これ、偽物やん」

 どうしてもっと早くに気が付けなかったか自分の間抜け加減を呪った。と同時にここまで人に疎まれてしまう自分を情けなく思う。よほど自分の存在が気に食わないのであろう数人の顔が頭に浮かんだ。美琳の取り巻き達の仕業だとは思うが彼女の指示だったら立ち直れない。
 そうこうしているうちに朱璃の心中に比例するがごとく天気が崩れてきてしまい、止むを得ずもう一泊することにしたのだ。



「ぎゃっ!」
 思わず悲鳴をあげる。天を二分するような鋭い稲光に手に取っていた薪を投げ落としてしまった。
 十数秒後にゴロゴロと音がし、まだ遠いが確実に近づいていると朱璃は頭を抱えた。
「お願い。もうあっちいって……」
 願いは叶わず、やがて容赦なく雷鳴が鳴り響き、朱璃はただひたすら小さくなって耐えるしかなかった。
 雷雨が去るまで半刻にも満たなかったが朱璃にとっては数時間にも感じる地獄の時であった。

 30分後「……」
 少し大げさかもしれないが正気に戻った頃には数キロ痩せたに違いないと朱璃は思った。
 すっかり日も落ちてしまい雷雨の後は急激に気温も下り、火のそばに居るのに寒くてやりきれない。薪をくべながら朱璃は小さな炎を見つめた。
 チラチラと揺れる炎は少しずつ身体を温めてくれたが言いようのない寂しさを同時に運んできてしまった。
暗く重い感情で胸が潰れそうに痛む。渡された偽物の地図から感じる悪意。美琳の拒絶。武修院に入ってから受けた数々の嫌がらせなど嫌な記憶ばかり蘇ってくる。

 日本にいた時からそれほど対人関係を作るのに得意な方ではなかったが、ここまで人に疎まれることはなかった。
朱璃はどちらかと言えば自分の未熟さが原因だと考える性質たちなので、人のせいにし人を恨む感情が理解できない。よほど自分に問題があるのだろうと天を仰いだ。

 いくら鍛錬を積み重ねても、一般市民の自分が武官になることなどやはり無謀だったのではないか。自分の選んだ道は間違っていたのではないか。誰かに嫌な思いをさせてまで武官になる必要などあるのだろうか。
 絶望的な思考にとらわれそうになった朱璃は景雪から預かっているお守り思い出した。首の下げた紐を手繰り寄せ、ぎゅうっと握りしめた。
 
「景先生……琉……」
 ここに居ても良いと言ってくれた人たち。今の自分のままで良いと言ってくれた人たち。生きる価値を見出せなかった自分に生きている価値を見出せる方法を教えてくれた人たち。
 王族だけど王族らしくない真面目で純粋で、それでいて不器用な桜雅。おおらかで自然と人を気遣うことの出来る優しい桃弥、身分など関係なしに初めてできた私の友達。
 武修院でずっと見守り支えてくれた泉李さん莉己さん。隠れて隠れきれていない飛天さんと蘭雅さん。
 そして武修院での新しい仲間は、朱璃の住む世界を広げてくれた。

「……うっうっう……」
 泣いてはいけない。泣かないと決めたじゃないか。泣いたら負け。
 そう自分に言い聞かせて懸命に耐えてきたが、その糸がぷっつりと切れてしまった。
 あふれ出てくる感情、あふれ出した涙はもう己の力では止めることは出来なかった。

 たった一人でこの世界に来てからいつもそばに居てくれた。彼らに守られ、そばに居ることを許してくれた。前の世界に居た時よりも孤独だったはずなのに、そんな想いをしたことが無かった。
 今、改めて彼らの思いやりが心に染み、幸せだったとつくづく感じた。
 どれだけ自分は恵まれていたのだろうか。

 帰りたい。もう、やめたい。十分頑張ったではないか。
 でも、どんな顔をして帰ると言うのだ? 投げ出してしまった自分をみて景先生は何と言うだろう。琉はきっと怒らないががっかりするだろう。自分は……自分もそんな自分が嫌だ。だって、また、逃げ出してしまったら、皆に合わせる顔がない。あのままこい池に沈んでいったら、元の世界に帰るれるのだろうか。帰ったとて自分の居場所はないのに……。自分はどこに帰ったらよいのだろうか。
 やるせない悲しみの深い穴に沈む朱璃はすっかり自分を見失っていた。



「やっと、見つけた」


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

一国の姫として第二の生を受けたけど兄王様が暴君で困る

恋愛 / 完結 24h.ポイント:248pt お気に入り:2,183

みなしご白虎が獣人異世界でしあわせになるまで

BL / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:436

氷の軍師は妻をこよなく愛する事が出来るか

恋愛 / 完結 24h.ポイント:397pt お気に入り:3,679

自己肯定感の低い令嬢が策士な騎士の溺愛に絡め取られるまで

恋愛 / 完結 24h.ポイント:262pt お気に入り:2,607

夫に裏切られ子供を奪われた私は、離宮から逃げ出したい

恋愛 / 完結 24h.ポイント:120pt お気に入り:4,070

あなたの幸せを願うから

恋愛 / 完結 24h.ポイント:284pt お気に入り:1,015

[完結]王子に婚約を破棄されたら、完璧騎士様との結婚が決まりまして

恋愛 / 完結 24h.ポイント:397pt お気に入り:4,479

処理中です...