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第2章

第22話 帰宅

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 プロクスがテルーを連れて帰ってきた。

 それを聞き、何だか気が進まないながら、リリアックを伴いルーカスは家に帰った。
家に入ると、タイタニスが眉間に皺を寄せて小さなホットケーキを焼いていた。頼まれて、それを二階にいるプロクスの部屋に運ぶ。姉弟子のテルーもそこにいた。

 明らかにやつれていた姉弟子の様子に驚いたし、その腹部が大きく膨れているのを見て、言葉が失せる。

 プロクスはテルーに何とかものを食べさせようとするが、彼女はいやいやと首を振る。

(先生、疲れているな)

 表情は見えないものの、その猫背の痩せた背中が、あまりにも哀れだった。

「……先生。先生も、何か食べればって……」
「……すまないね。置いておいてくれ」

 プロクスが指し示した椅子の上に皿を置く。そして、そっと部屋を出た。
 ぱたり、と背中で扉が閉まる。

(何がどうなってんだ)

 ルーカスが階段を降りると、タイタニスとリリアックの姿がなかった。馬小屋の方から声がして、静かに近寄った。

「かなりやばいんじゃねぇか?」

 アシリータにブラッシングしているタイタニスに、リリアックは呟く。

「仮にも王族の子を妊娠した女を連れ帰るだなんて」
「そうだな。我々も今どうすべきか全力で考えているが」

 タイタニスはアシリータの首をなでる。水の入った桶を運び、彼女の前に置いた。

「ウルカヌス将軍は、西方防衛を盾にテルーを要求するだろう。軍部にはグラナート出身者も多い。敵に回すと非常に厄介だ」
「……それじゃ、誰も騎士王の味方はしないわな」

 呆れたようにリリアックは言う。

「そもそも、テルーをあの国に派遣するのを許したのは騎士王だろ」
「そうだな。……テルーもこれを終えれば対価を払い終えると言っていたが」

 それきり、タイタニスはしゃがみこんで黙り込んだ。深く考え込んでいて、こうなれば何を話しかけても答えてはくれない。

(テルーが叶えた望みとは、何だ?)

 リリアックは眉間に皺を寄せる。テルーも【商人】と契約していた。どうやら後払いだったらしい。

 ルーカスの視線に気づいて、リリアックは振り返る。

(もし、オリオン帝がテルーをグラナートに引き渡すように命じたら。果たして、騎士王は命令を聞くだろうか)

 【商人】との契約とはいえど、プロクスの王家に対する忠誠は絶対であるのをリリアックは知っている。
 だが、契約を破棄して帝国に抗うようなことがあれば、弟子のルーカスも危うい立場だ。

「ルーカス。お前、誰に忠誠を誓う?」

 リリアックはルーカスに問う。急になんだ、とルーカスは目を見張った。

「俺は……わかんねぇよ、そんな」

「そうだろうな。だが……死にたくなけりゃ、王だと言え。この国だとな。お前の師匠がどう動こうが、国のために動くんだ。そのために、【雷蹄】をお前は継ぐんだ」

「俺は……」

「お前は、【商人】と契約しているわけじゃない。【商人】と契約したが最後、その誓約とやらに一生縛られる。お前をそんな目に遭わせたくねぇから、騎士王はお前を【商人】と契約させないんだ。お前も、契約しようなどと思うなよ。騎士王は飄々としているが、その実とんでもねぇ代償を負っているんだぜ」

「それは」

 どういう、と言いかけたところで、派手に何かが破壊される音が二階から響いた。

「お前たち、動くな」

 タイタニスが立ち上がった。外から見上げると、テルーがいる部屋の窓がガタガタと震えていた。

「おいおい……」

 リリアックが呟く。甲高い、女の声。それが次第にか細くなる。そして、静かになった。
 ややあって、家の戸ががちゃりと開く。

「タンタン」

 半身をのぞかせたプロクスが、声をかけてくる。

「ちょっと、助けてくれ」

 ぼたぼたと落ちるのは、鮮血。プロクスの体は、首の右側から、胸にかけて包帯も服も真っ赤に染まっていた。

「先生!」

 ルーカスが動くよりも早く、タイタニスが全力で駆け抜け、体当たりするようにプロクスを捕まえた。ついでに扉の上の壁を破壊していく。

「おいおい、マジかよ!」

 いろいろな意味を込めてリリアックが叫んだ。それより早く、ルーカスもタイタニスの後を追う。

 家に入ると、床には血がぼたぼたと落ちている。血は浴室まで続いていた。近づくと、タイタニスの背中が見えた。彼はしゃがみこんだ状態でプロクスを膝にのせ、腕まくりしていた。その腕にはびっしりと青い魔法紋が刻まれる。

「リリアック、包帯を取り替える。鋏に魔法をかけてくれ。新しい包帯は暖炉の左の棚だ。後、救急箱をここに置いておいてくれ」

 そう言って振り返ったタイタニスの額からは血が流れていた。

 タイタニスは、プロクスにそのままぬるま湯をかける。穴が空いたような傷は深く、血が流れ続けている。そこへ、リリアックがいち早く鋏を差し出し、ルーカスが救急箱を置く。

「ありがとう。布が準備できたら声をかけてくれ」

 そう言うと、タイタニスは浴室の扉を閉めた。
 残された二人は、しばし呆然としていた。

 浴室からは、じゃきじゃきと包帯を切る音がした。

 先に我に返ったリリアックは、もう一度棚の前に戻り、包帯を取り出した。机の上に広げると、そこに刻まれた呪文一つ一つに魔力を吹き込む。

「……あれ、やったの……」
「二階にいる女だろ」

 リリアックが呪文を指先でなぞると、炎が走るように、文字が一瞬光り輝く。

「お前は余計なことするなよ。騎士王であぁなるってことはかなりやばいぞ。俺、あの人が血まみれになってるの初めて見たわ」

「俺もだよ」

 ルーカスは、すとんと椅子に座る。

「おっさん……タイタニスは、知っているの?先生の顔」
「そうだろうな」

 何でも無い風に、リリアックは言う。

「俺も見たことないのに……」
「タイタニス様の一族は特別だ。代々騎士王の世話をしてきた【目】の筆頭で、王家と同じくらい脈々と続く神官一族だ。花壇の世話とか動物が好きなおっさんだけどな、あぁ見えてタイタニス様は精鋭中の精鋭。騎士王の側に仕えるために育てられてきた男だ」

 そこまで言って、リリアックは浴室の扉を伺い見る。

「リリアックは見たことがないの」

 それには、意味深にリリアックは笑みを浮かべる。

「……顔、見たいかルーカス。どんな顔だと思う?」
「おじいさんだろ?七十を越えた……正確な年齢は知らないけれど。とてもあったかい声だから、優しそうな顔をしているとは思う」
「そうか」

 それきり、リリアックは魔術に集中する。ルーカスは困惑して、風呂の方を眺めた。




 青いタイルの床に、血が流れていく。

 すぐ側には、赤く染まった服が落ちている。噛まれた首だけでなく、はだけられた上半身には、あちこちにひどいかき傷ができていた。

 その傷一つ一つに、タイタニスは丁寧に軟膏を塗り、魔法をかけて癒やしの力を与えた。その多さと深さに顔をしかめた。

「かなりの力で噛まれましたね」

 一番深い歯形が残る首と、腕と脇腹の傷を見、タイタニスはプロクスの背後でため息をつく。プロクスは床の上で三角座りをして治療を受けていた。薄い下着も真っ赤に染まっている。

「まだテルーは意識が混濁している。大量の薬を摂取させられていたようだ。薬香の充満した空間で過ごして……特殊な箱に入れられていた。恐らく、かなり暴れたのだろう。魔力を抑制させられた状態で子を宿して、相当辛かったはずだ」

 プロクスは考え込むように、膝に顔を埋めた。タイタニスは、その痩せた傷だらけの背中から、細いうなじを見上げ、その小さな頭部に目を落とす。

 髪が一本たりとも生えていないその小さな頭。

 その後頭部には、こちらをあざ笑うかのような魔物の顔が刻まれる。直視できない禍々しさだった。

 タイタニスは、無意識にその頭を小さな子にするように撫でていた。プロクスは小首傾げてされるがままだった。神官であるタイタニスの癒やしの力に、プロクスの傷はたちまち塞がっていく。

「さすがタンタンだね」

 温かく流れる魔力に、プロクスはほぅとため息ついた。

「……アレを側に置くのは、危険だと申したはずです。出してはならなかった」
「そうだな。私の選択誤りだったかもしれない。一つの選択が後々大変な影響をもたらすというのはわかっていたのにね」

 今度はプロクスがため息をつく。

「お前もわかっているが、腹にいる赤子は人間の手には負えない。テルー共々、一族に返す」

  そう言った後、返事がないのでプロクスは背後で膝をついているタイタニスを振り返る。彼は、まるで痛みをこらえるような顔をしていた。
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