イカロスの騎士【帝国篇】

草壁文庫

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第2章

第21話 西方将軍VS騎士王 ※(挿絵あり)

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 彼女を抱き上げると、揺らさないように、階段を静かに降りていった。

(なぜ、こうなった。【商人連】に守られているはずのテルーが。私の大切な娘が)

 長く暗い階段の、先が見えぬ薄暗さは悪夢のようだと思った。

 だが、夢ではない証拠に階段を下りた先は明るい。周囲を無数の兵士が取り囲んでいた。
 その中心にいたのは、バハールだ。初めて会った時の柔和な表情は消え失せ、少しも笑っていない。

「テルー様をここから連れ出さないでくださいませ」

 何卒、とバハールは雨に打たれながら声を絞り出す。
 竜殻甲冑をまとった騎士王は、あまりにも恐ろしかった。だが、彼は忠節のブラキオン。譲れぬものがあった。

「テルーは連れ帰る」
「いけません。……動かしてはなりません。どうぞ、申し開きをさせてください」

 プロクスは、シーツで巻いたテルーを隠すように引き寄せる。

「テルー様の魔力は不安定で、動かすのは危険です。どうか」

 そう言い募るバハールの肩を、背後から現われた男がつかむ。そして、邪魔だと言わんばかりに退かせる。

「竜殻甲冑か。――ここで、見られるとはな」

 低く、周囲を振るわせる男の声。

 巨大な巌のような男だった。

 漆黒の、鋼の鎧を全身にまとう。雨に灰色と混じった黒髪が濡れる。底光りする銀の瞳は、冬の月を思わせる。その精悍な顔立ちは父親とよく似ているのに、もっと、ずっと、凶悪な表情をする。

「……ということは、おまえがグラディウス侯か。竜に跨がり、悪鬼を倒した騎士」

 軽い口調だが、周囲の者を震わせるほど彼は威圧的だ。笑った口元には、悪魔のように鋭い牙がちらりと見える。

「プロクス=ハイキング」

 ふん、と男は笑う。

「我が名はウルカヌス・キルディアブロ。サブルム王の息子。我が父は帝都のオリオン王の曾祖父が息子」

 ウルカヌスは一歩、プロクスに近づく。

「そして、俺はその血を引く。その意味がわかっているな?【王の手】よ。王家に忠実な下僕」

 彼はその両手を差し出す。プロクスの腕に抱えたテルーを燃えるような瞳で見つめる。

「テルーはこの国から出さん。俺の妻になる女だ」

 ウルカヌスは口元に笑みを浮かべている。その未来を夢見ているよう。
 兜の下で、プロクスはすっと目を細める。

「……テルーは【商人連】の商品。これは、商品の破損に当たる。重大な違反だ。よって、契約は強制的に終了される。王家の血を引くといえども」

「そうだな、テルー?」

「……商品が生物であった場合は、すみやかに【商人連】の保護下に置かれる。我々はあなたを危険だと判断した」

 ――ブン、と空気を切り裂く白刃。
 プロクスの眼前には、大剣の切っ先が突きつけられる。

「――警告はしたぞ」

 プロクスは告げる。

「商人だか商品だか知ったことではない。妻を返せ」

 怒れる男に、プロクスの言葉は届かないようだった。

「やめろ、ウルカヌス!」

 雨の中、老いた国王が大股で近づいてくる。

「お前……なんということを!プロクスに剣を向けるとは!」

 だが、サブルムの動きはウルカヌスの背後を守る騎士たちによって阻まれる。サブルムも気づいていた。すでに、この場にいる騎士たちは、自分ではなく息子のものだと。

「【商人連】を敵に回すつもりか!国が滅ぶぞ。しかも、その娘は……その娘は」

 サブルムは、娘の姿を認識して、顔色を悪くした。わなわなと肩が震える。

「そうですね、父上。宿私の子を宿しております」

 ウルカヌスは嬉しそうに目を細めた。
 プロクスは、視線を腕の中の娘に落とした。雨に濡れて布が肌に張り付いている――彼女の腹は膨らんでいる。

「ウルカヌス、なんてことを……」

 サブルムが、胸を押さえる。崩れ落ちるその瞬間、ほんのわずかウルカヌスの意識がそれた。

 プロクスは呪文を唱える。
 足下がたちまち盛り上がり、巨大な黒い手が無数に現れる。瞬く間にテルーを絡め取ると、そのまま地面に消えていく。

 ウルカヌスの意識が、再びプロクスに向けられる。凄まじい眼差しと共に、殺気が叩きつけられる。

「……死に損ないの、老騎士が」

 ウルカヌスが全身に魔力をまとわせ、獣の表情を浮かべる。

 彼は、生粋の戦士である父親の血を継いで、恵まれた体格をしていた。
 戦闘に関しては、この国でも五指に入る実力を持つ。自分の身長ほどの大剣を自在に操り、情け容赦なく敵を真っ二つにする。丸太のような魔獣の首も一太刀のもと落とした。

 そんな彼の怒りに、騎士たちが一斉に引き下がる。

「【鋼鐵ゴウテツ】」

 ウルカヌスが呟くと、彼の鎧に刻まれた蔦が、しゅるしゅると動き出す。
 それは蛇の形を取り、みるみる太くなり、やがて彼の頭部を丸呑みにし――兜となる。甲冑は強化され、蛇の鱗のように曇天に煌めき、火の粉を吐き出す。

 ウルカヌスが吠える。口が、バカリと人間にはありえないほどに割れた。


 ――竜殻甲冑イカロス


 プロクスが認識すると同時、ウルカヌスが獣のように襲いかかってくる。
 彼の雷のような一撃で、岩が砕ける。それを、プロクスは真正面から受ける。

 まるで鉄の塊と戦っているよう。濡れた地面の上で、プロクスはほんの少したたらを踏む。
 火花が散る。刃を交え、間近に睨み合う。

 かつて竜殺しの一族と呼ばれたキルディアブロ家。

 今は悪魔のごとく、容赦なく牙をむく。

 常人にはありえない早さは、竜殻甲冑をまとうからこそ。鋭い爪を振り下ろすがごとく、白刃が闇に閃く。風圧ですら、周囲を傷つける。

 それを優雅にかわす白鷺は、まるで舞うかのよう。大剣を避け、的確に攻撃を仕掛ける。その動きはしなやかで、思わず見とれてしまうほど。

 ウルカヌスの肩が、大きく上下に揺れ始めた。

「いけない、ウルカヌス様」

 戦いを見守っていたバハールの顔色が、雨に濡れたわけではなく白くなっていく。

「魔力切れを起こしてしまいます!」

 まさしくそれを狙っているのだろう、プロクスは急所を狙わず、じわじわとウルカヌスを追い詰める。

 ――白鷺が、鋭く嘴を突き出すかのよう。優雅な爪先で、獣をあしらう。

 ついに、黒い悪魔は攻撃を避けきれず、その身を砕かれる。
 兜がはがれ、人の顔が半分現れる。その肌は割れ、ぴりりと痛んで血が滲む。それに気を取られた瞬間に、大剣がはたき落とされる。

 身近に迫ったプロクスは、ウルカヌスの首をひねり上げるがごとくつかんだ。



 そのまま勢いよく地面に叩きつけると、ぬかるんだ地面が泥を跳ね上げる。ビチャリ、と白い甲冑が汚れたが、雨があっという間にそれを流していった。

「合意か?」

 剣を突きつけて、プロクスは問う。切っ先は、ウルカヌスの胸の上。魔法は解けて、彼がまとうのはただの甲冑だった。プロクスの腕力なら、造作なく貫くことができる。

「私は、……彼女を、愛している」

 ウルカヌスは、苦し紛れに言う。

「彼女も、私に……応えて、くれた」

 プロクスは、男の目をじっと見る。

(記憶を、読むか。そうすれば、全てがわかる)

 プロクスは、彼の顔をつかもうと手を伸ばした。

 その瞬間、背中にトン、と何かが当たった。

「将軍から離れてください、閣下」

 振り返れば、矢をつがえるタイタニスの姿がそこにあった。

 プロクスが自らの背中を見れば、矢が刺さり――竜殻甲冑が解けた。小さな老騎士がそこに現われる。矢だけが背中に残ったが、手を伸ばしてぶつりと引き抜く。
 プロクスはその光る矢をしばらくそのまま見ていたが、それを、勢いよくウルカヌスの顔の横の地面に突き立てる。

「……騎士王閣下!」

 タイタニスが怒鳴る。
 プロクスは答えない。矢を握る手は微動だにしない。

「……お前は、選ばれない」

 ウルカヌスが、犬歯を見せて笑う。

「プロクス=ハイキング!」

 咎めるような、タイタニスの声も届かない。
 ウルカヌスの全身から、ねっとりとした魔力が立ち上る。それは邪悪で、どす黒い。プロクスはゆっくりと距離を取る。

 雨が止んで、場違いな明るい日差しが二人を照らした。
 お互いに譲らず、しばし睨み合う。

 その時、プロクスの足下の影が、すぅと伸び上がった。そこから、銀の髪の娘が現れる。

「テルー」

 嬉しそうに呼びかけたのは、ウルカヌスだ。体の痛みも忘れて、すがるように娘を見る。

 だが、娘は彼を見ない。
 彼女が触れたのは、ぼろぼろの老騎士だった。

「先生、会いたかった」

 日差しの中に白い衣装を着て佇む彼女は、女神のよう。
 テルーはプロクスを背中から抱きしめると、頬に口づけた。そして、男も女も魅了する極上の笑みを浮かべる。たった一人だけのために。
 
 プロクスは、間近に彼女の瞳を見る。
 戒めの魔法が解けたテルーの瞳が、のを彼女は見逃さなかった。

「お腹が空いたの、私……とても、とてもね」

 甘い声でねだられて、プロクスは自分より大きい彼女を軽々と抱き上げる。テルーは、するりとその首に腕を回す。無表情の面に指を這わせ、うっとり目を細めた。

 二人の視界には、すでにウルカヌスも、取り囲む騎士の姿も目に入っていない。皆、唖然としている。

「戻る」

 そう言い、美女を抱いてロバ騎士は来た道を歩き始める。その背を守るように、神官たちが後に続く。
 ウルカヌスは追いかけることもできず、その場でよろよろと立ち上がった。

「テルー……」

 足がふらつく。

「ウルカヌス様。かなり消耗しております」

 バハールが泥と血で汚れた顔を拭こうとするのを、ウルカヌスは振り払う。

「わかっている」

 ウルカヌスの脳裏には、仲睦まじい二人の姿。
 彼はぎりぎりと悔しさに歯がみした。

「妻を取り返し、老騎士は殺す。準備せよ」

 ――キルディアブロを敵に回せばどうなるか、思い知るが良い。

 そう思う男の表情は、悪魔そのものだった。



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