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第2章
第23話 別れ
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「……閣下。こんな時に、申し訳ありませんが――先程、知らせが。グラナート国王サブルム様が、お亡くなりになりました。――代わって、西方将軍ウルカヌス殿下がグラナート国王となられます。議会でも賛成多数ですでに承認済です」
「そうか……」
プロクスは厳しい表情を浮かべる。
「彼は【商人】と契約し、竜殻甲冑を身にまとっている。危険です」
「そうだな。しかし、あれは粗悪品だ」
「……と、言うと?」
「あれは【商人連】の竜殻甲冑ではない。確かに竜の骨は使用されているが、何か……、もっと邪悪な気配がした」
プロクスは、タイタニスに顔を向ける。その夜空の色の瞳が濃い。飲み込まれそうになって、彼は一瞬息を止める。
「私も、こんな時に申し訳ないが騎士王の位を返上し、職を辞することを王に願い出た。返答があって、オリオン王は承認してくださった」
タイタニスの目が、驚愕に見開かれる。
「侯爵位はルーカスが継ぐ。私はこの国とは一切関係のない者となる」
「何をなさるつもりですか……」
それには答えず、プロクスは、手を伸ばし、タイタニスがぶつけた額に触れた。
「予定通り、最終任務につくだけ。……これから、どうすれば良いかわかっているな?タイタニス・アリヤ=ハキーカ。真実を知る者よ」
いつもの低い声は失われる。最後、涼やかな、優しい声で真名を呼ばれる。タイタニスは体を震わせ、目を閉じた。
「心得ております、我が主よ」
「ごめんね。これまで、よく仕えてくれた。これからは他の【目】共々、ルーカスを支えて欲しい」
タイタニスは目を開け、首を振る。自分の頬に触れていたプロクスの手を取ると、指先に口づけた。
「……私は、ずっとあなたの下僕です。主は変えない」
「なんと。この流れでは了承するところだろう」
プロクスは笑った。
「お前が納得するようにせよ。私の神官」
その言葉に、タイタニスは大きな体を折り曲げて、一礼した。
プロクスが居間に戻ると、タイタニスは外に控えていた神殿兵と共に慌ただしく出て行った。
「先程は驚かせたな」
着替えたプロクスは、昔の騎士服を身にまとっていた。妖魔の皮で出来ているという衣装は青みがかった黒で頑丈。五十年の歳月を経ても遜色はない。そして、両手首、首に填められた銀の輪が輝く。
「リリアックは早々に執事の真似事をやめたようだな。城の侍女には好評だったようだが」
「あれは城限定だ」
言いつつ、リリアックはプロクスに紅茶を淹れる。声、違うくね?と思っていた。口調は同じだが、声はずっと高い。だが、口調は同じで頭が混乱した。
「これから、城より迎えがあるだろう」
そう言い、プロクスはいつも通りに紅茶を飲む。緊急に巻いた包帯は足りずに、頭部だけを覆っていた。布越しではなく、肌に直に面をつけている。
「騎士王、それって悪い話か?」
「そうだな。後十分ぐらいだから簡潔に話をしよう。私はテルーをグラナートに差し出すように言われるだろうが、拒絶する。すでに王には退官の連絡をした。私は引退し、ルキは今よりグラディウス侯爵となる」
「……えぇえ?」
急な展開にルーカスは頭がついていなかった。
「リリアック=クラーバ。引き継ぎ資料全部部屋に置いてあるから、きちんとグラディウス侯爵を支えるように」
「マジかよ」
リリアックは驚きの声を上げたものの、表情を変えない。落ち着いていた。
「あんたはどうするんだ。まさか、あの女を連れて逃げるつもりか。妊婦だぞ。逃げ切れるわけがない」
「何とかする」
プロクスは笑う。そして、目を白黒させているルーカスの両肩に手を置いた。
「これからいろいろあるし言われると思うが、心を強くもて」
「雑じゃない?先生!」
ルーカスは思わず叫んだ。
「大丈夫。私はお前を信じている」
プロクスは、混乱している弟子を抱きしめた。
「……本当に、ごめんなさい」
「先生、声……」
いつもの低い、作られた声ではないのがずっと気になっていた。なんだか、泣きそうになるほど心細くさせられて、ルーカスはずっと動揺していた。
「テルーに噛みきられて、術式がうまく作用しなくなってしまった。これが本当の声だよ」
優しい、静かな声。男とも女ともつかぬ、――凜として、耳に心地よい声。
「絶対、大丈夫。なんとかなる……」
そう最後に言い、プロクスは立ち上がると二階に上がった。ルーカスは硬直したまま、呆然とその後ろ姿を見送った。
「テルー、入るよ」
ノックをし、プロクスは部屋に入った。
そこには虚ろな目をしたテルーがいた。口の端からはとろとろと赤い血が流れ、白い清潔だった服にはおびただしい量の血が染みている。
テルーはプロクスの姿を認めると、ぎょろりと目を動かした。獲物を見つけた、という風に目が細められ、赤く煌めく。顎についていた血を指で拭うと、それをひと舐めする。
「……お腹の子が、とても満足しているみたい。あなたの血のおかげで」
見て、と言わんばかりにテルーはお腹を撫でる。
「腹の子は我が一族を率いる王となるでしょう。だって、女王の私が産む子なのだから」
「……男の子か」
プロクスは、テルーのお腹を撫でる。テルーは、プロクスの手と、その顔を交互に見る。
「早く生まなければ。身二つだと、あなたについていけないもの」
そして、テルーはその両腕をプロクスに伸ばしてその首を絡め取る。
「今回の依頼は遂げられなかったけれど、また【商人】と契約する。まだ間に合うでしょう?私は仕事ができるわ。お腹の子を出したら、すぐに……」
「テルー、そのことだが。【商人連】は君を一族に返すことにした。【商人連】は、君が叶えた願いの対価を回収できないと判断した。ここで終わりだ、テルー」
テルーの両手首に填められた、銀の輪にひびが入る。そして、あっという間に崩れ落ちた。彼女は何が起こったかわからず、呆然とその破片を眺めた。
「大丈夫だ、テルー。残りの対価は私が支払う」
テルーの前で、プロクスは手をかざす。鼻筋をたどるように指を閃かせると、彼女のまぶたは伏せられる。全身の力が抜けて崩れ落ちる娘を、プロクスは優しく抱きかかえた。
「帰ろう、テルー」
そう囁き、そっと娘の額に口づける。
「――先生!」
部屋にルーカスが飛び込んできた。
その後に続いて、ガチャガチャと銀の鎧を身につけた騎士たちがやって来た。
「閣下、ご同行を願います」
聞き慣れた声にプロクスが振り返ると、無表情のジークバルトがそこにいた。
「あぁ……君が来たのか」
「残念です、閣下」
ジークバルトは、プロクスの腕の中にいる血まみれの女に目を留めた。痩せているのに、膨れた腹部が異様に感じる。
「何かしましたか?」
「眠らせた。さっきから覚醒と混濁を繰り返している。城の薬師に診せてくれ」
それ以上プロクスは言わず、マントを翻し、自ら階下へ降りていく。
「団長。テルーを連れて行くのか?」
「そうだ」
ふぅん、とルーカスは身動き一つしないテルーを見る。
「気をつけなよ。先生みたいに喉を裂かれないようにね」
その平たい、抑揚のない口調に思わずルーカスを見れば、彼は見たこともない厳しい表情をしている。そんな彼を後ろから守るようにリリアックが立つ。ルーカスの両肩に持ち、彼らはプロクスに続いて階下へ降りた。
ジークバルトは騎士に命じ、慎重にテルーを運ばせた。
プロクスが外に出れば、たくさんの領民たちが集まっていた。連行されるプロクスと、側にぴたりと張りつくルーカスを不安そうに見つめている。
プロクスはたった一人、馬車に乗せられる。ややあって馬車が動き出し、遠ざかる領民たちに窓から大丈夫だと頷いて見せた。
と、その輪から飛び出してくるものがあった。
「アシリータ……」
とことこと、追いかけるように歩いてくる小さなロバ。
プロクスはその姿が見えなくなるまで、ずっと窓の外に顔を向けていた。
「そうか……」
プロクスは厳しい表情を浮かべる。
「彼は【商人】と契約し、竜殻甲冑を身にまとっている。危険です」
「そうだな。しかし、あれは粗悪品だ」
「……と、言うと?」
「あれは【商人連】の竜殻甲冑ではない。確かに竜の骨は使用されているが、何か……、もっと邪悪な気配がした」
プロクスは、タイタニスに顔を向ける。その夜空の色の瞳が濃い。飲み込まれそうになって、彼は一瞬息を止める。
「私も、こんな時に申し訳ないが騎士王の位を返上し、職を辞することを王に願い出た。返答があって、オリオン王は承認してくださった」
タイタニスの目が、驚愕に見開かれる。
「侯爵位はルーカスが継ぐ。私はこの国とは一切関係のない者となる」
「何をなさるつもりですか……」
それには答えず、プロクスは、手を伸ばし、タイタニスがぶつけた額に触れた。
「予定通り、最終任務につくだけ。……これから、どうすれば良いかわかっているな?タイタニス・アリヤ=ハキーカ。真実を知る者よ」
いつもの低い声は失われる。最後、涼やかな、優しい声で真名を呼ばれる。タイタニスは体を震わせ、目を閉じた。
「心得ております、我が主よ」
「ごめんね。これまで、よく仕えてくれた。これからは他の【目】共々、ルーカスを支えて欲しい」
タイタニスは目を開け、首を振る。自分の頬に触れていたプロクスの手を取ると、指先に口づけた。
「……私は、ずっとあなたの下僕です。主は変えない」
「なんと。この流れでは了承するところだろう」
プロクスは笑った。
「お前が納得するようにせよ。私の神官」
その言葉に、タイタニスは大きな体を折り曲げて、一礼した。
プロクスが居間に戻ると、タイタニスは外に控えていた神殿兵と共に慌ただしく出て行った。
「先程は驚かせたな」
着替えたプロクスは、昔の騎士服を身にまとっていた。妖魔の皮で出来ているという衣装は青みがかった黒で頑丈。五十年の歳月を経ても遜色はない。そして、両手首、首に填められた銀の輪が輝く。
「リリアックは早々に執事の真似事をやめたようだな。城の侍女には好評だったようだが」
「あれは城限定だ」
言いつつ、リリアックはプロクスに紅茶を淹れる。声、違うくね?と思っていた。口調は同じだが、声はずっと高い。だが、口調は同じで頭が混乱した。
「これから、城より迎えがあるだろう」
そう言い、プロクスはいつも通りに紅茶を飲む。緊急に巻いた包帯は足りずに、頭部だけを覆っていた。布越しではなく、肌に直に面をつけている。
「騎士王、それって悪い話か?」
「そうだな。後十分ぐらいだから簡潔に話をしよう。私はテルーをグラナートに差し出すように言われるだろうが、拒絶する。すでに王には退官の連絡をした。私は引退し、ルキは今よりグラディウス侯爵となる」
「……えぇえ?」
急な展開にルーカスは頭がついていなかった。
「リリアック=クラーバ。引き継ぎ資料全部部屋に置いてあるから、きちんとグラディウス侯爵を支えるように」
「マジかよ」
リリアックは驚きの声を上げたものの、表情を変えない。落ち着いていた。
「あんたはどうするんだ。まさか、あの女を連れて逃げるつもりか。妊婦だぞ。逃げ切れるわけがない」
「何とかする」
プロクスは笑う。そして、目を白黒させているルーカスの両肩に手を置いた。
「これからいろいろあるし言われると思うが、心を強くもて」
「雑じゃない?先生!」
ルーカスは思わず叫んだ。
「大丈夫。私はお前を信じている」
プロクスは、混乱している弟子を抱きしめた。
「……本当に、ごめんなさい」
「先生、声……」
いつもの低い、作られた声ではないのがずっと気になっていた。なんだか、泣きそうになるほど心細くさせられて、ルーカスはずっと動揺していた。
「テルーに噛みきられて、術式がうまく作用しなくなってしまった。これが本当の声だよ」
優しい、静かな声。男とも女ともつかぬ、――凜として、耳に心地よい声。
「絶対、大丈夫。なんとかなる……」
そう最後に言い、プロクスは立ち上がると二階に上がった。ルーカスは硬直したまま、呆然とその後ろ姿を見送った。
「テルー、入るよ」
ノックをし、プロクスは部屋に入った。
そこには虚ろな目をしたテルーがいた。口の端からはとろとろと赤い血が流れ、白い清潔だった服にはおびただしい量の血が染みている。
テルーはプロクスの姿を認めると、ぎょろりと目を動かした。獲物を見つけた、という風に目が細められ、赤く煌めく。顎についていた血を指で拭うと、それをひと舐めする。
「……お腹の子が、とても満足しているみたい。あなたの血のおかげで」
見て、と言わんばかりにテルーはお腹を撫でる。
「腹の子は我が一族を率いる王となるでしょう。だって、女王の私が産む子なのだから」
「……男の子か」
プロクスは、テルーのお腹を撫でる。テルーは、プロクスの手と、その顔を交互に見る。
「早く生まなければ。身二つだと、あなたについていけないもの」
そして、テルーはその両腕をプロクスに伸ばしてその首を絡め取る。
「今回の依頼は遂げられなかったけれど、また【商人】と契約する。まだ間に合うでしょう?私は仕事ができるわ。お腹の子を出したら、すぐに……」
「テルー、そのことだが。【商人連】は君を一族に返すことにした。【商人連】は、君が叶えた願いの対価を回収できないと判断した。ここで終わりだ、テルー」
テルーの両手首に填められた、銀の輪にひびが入る。そして、あっという間に崩れ落ちた。彼女は何が起こったかわからず、呆然とその破片を眺めた。
「大丈夫だ、テルー。残りの対価は私が支払う」
テルーの前で、プロクスは手をかざす。鼻筋をたどるように指を閃かせると、彼女のまぶたは伏せられる。全身の力が抜けて崩れ落ちる娘を、プロクスは優しく抱きかかえた。
「帰ろう、テルー」
そう囁き、そっと娘の額に口づける。
「――先生!」
部屋にルーカスが飛び込んできた。
その後に続いて、ガチャガチャと銀の鎧を身につけた騎士たちがやって来た。
「閣下、ご同行を願います」
聞き慣れた声にプロクスが振り返ると、無表情のジークバルトがそこにいた。
「あぁ……君が来たのか」
「残念です、閣下」
ジークバルトは、プロクスの腕の中にいる血まみれの女に目を留めた。痩せているのに、膨れた腹部が異様に感じる。
「何かしましたか?」
「眠らせた。さっきから覚醒と混濁を繰り返している。城の薬師に診せてくれ」
それ以上プロクスは言わず、マントを翻し、自ら階下へ降りていく。
「団長。テルーを連れて行くのか?」
「そうだ」
ふぅん、とルーカスは身動き一つしないテルーを見る。
「気をつけなよ。先生みたいに喉を裂かれないようにね」
その平たい、抑揚のない口調に思わずルーカスを見れば、彼は見たこともない厳しい表情をしている。そんな彼を後ろから守るようにリリアックが立つ。ルーカスの両肩に持ち、彼らはプロクスに続いて階下へ降りた。
ジークバルトは騎士に命じ、慎重にテルーを運ばせた。
プロクスが外に出れば、たくさんの領民たちが集まっていた。連行されるプロクスと、側にぴたりと張りつくルーカスを不安そうに見つめている。
プロクスはたった一人、馬車に乗せられる。ややあって馬車が動き出し、遠ざかる領民たちに窓から大丈夫だと頷いて見せた。
と、その輪から飛び出してくるものがあった。
「アシリータ……」
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