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決戦
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「……苺。苺」
軽く、頬を撫でるように叩く架鞍くんの声に、わたしは目を開けた。
「架鞍くん……?」
ぼんやりと返事を返すわたしの頭を、架鞍くんは撫でてくれる。
「初めてに近いのに二回、一度にイッたのがまずかったみたいだね。気絶してたよ」
架鞍くんは、もう服を着てしまっていた。わたしのほうは、びっしょりとなっていたはずの身体中の汗も花芯の愛液もすべて拭い取られている。そのことに、慌てた。
「あ、のっ。わ、わたしの身体拭いたの、架鞍くん……?」
架鞍くんは、微笑む。
「風邪、また引かれたら困るし男の役目だから」
わたしは恥ずかしくてまた頬が熱くなったけど、急に淋しくなってぎゅっと架鞍くんに抱きついた。
「なに? 俺のことそんなに好きになってくれたの?」
架鞍くんは優しく、背中を撫でてくれる。
「架鞍くん……絶対遠くに行かないでね。こんなに人、好きになったことないんだから責任取って」
「苺は甘えんぼだね」
前から分かってたけど、と続けながら優しく抱きしめ返してくれる。
「取るよ、好きになって好かれた責任。苺を誰の代わりにするでもなく、ただ苺だけのために」
架鞍くんのわたしを抱きしめる手に、力がこもる。
「そして……護る」
架鞍くんがそう言ったとほぼ同時に、耳元で風船が割れるような激しい音がした。穏やかだった部屋の空気が、まがまがしいものに変わっていく。結界というものがとけたのだ、と架鞍くんの顔つきを見て思った。
「【鬼精虫】は退治したよ。かかってこい、【鬼精鬼】!」
わたしの身体をタオルケットで隠す架鞍くん。
一瞬後には、まるで瞬間移動でもしたかのように、わたしと架鞍くんは空の遥か上にいた。
曇天に、ごうごうと風が唸っている。その中に、いつか街中で見た奇妙な青年が浮いていた。
彼が、【鬼精鬼】──。
鬼精鬼は架鞍くんを見て、背筋が震えるほど恐ろしい、不敵な笑みを浮かべる。
「ほう……久し振りだな、小僧」
「覚えていてくれるとは光栄だね」
「忘れるものか。いくら【鬼精王】でも13歳の餓鬼が俺の棲んでいる巣まで俺を殺しに乗り込んで来る無謀なことなど、そうそうある事ではない」
13歳……花奈さんの時、だ。わたしは、ぎゅっとタオルケットを握りしめる。
「そんな過去を持つお前が、苺を愛せるのか? 今回だって俺を封印したいのは過去に愛した女のためだろう?」
「そうだよ」
いともあっさりと答えた架鞍くんのその答えに、わたしの胸がズキンと痛む。やっぱり……やっぱり、所詮は過去の女性には敵わないのだろうか。架鞍くんの中の優しさも、わたしを通して花奈さんに向けたものでしかないのだろうか。
だけど続けて、架鞍くんは言ったのだ。
「それと、苺のため」
え……?
「あれだけ愛していた女を忘れ、次の女を愛するような男は、また同じことを繰り返す。それか、一生過去愛し殺された女のことを引き摺り続ける。そんな男には、餓鬼でなくとも苺を幸せには出来まい。お前には渡せん」
鬼精鬼の厳しい台詞にも、架鞍くんはふっと微笑む。
「あんたがどう俺の気持ちを勘違いしていても構わないけどね、ひとつだけ言っとくよ。俺って普通の性質とどこか違うみたいなんだよね。だからもう花奈のことはなんとも思ってない。思い出はあってもそれ以上の愛が俺の心をつかんで離してくれないから」
鬼精鬼の表情が、とたんに冷たいものになった。
「……ではそれよりももっと上の愛がお前をつかんで離さなくなったら?」
「自分を殺すよ」
「薄情で自分勝手で捻くれ者な餓鬼だ」
「多分その通りだろうからなんとでも言っていいよ。だけど俺は自分の心が苺を愛せなくなるくらいなら死んだほうがマシなのは確かだから」
ざっ、と風を切る音がして、空を蹴って接近した架鞍くんの腕を、血が滴る。
「架鞍くんっ……!」
思わず叫んだが、架鞍くんは冷たい表情で鬼精鬼と対峙していた。
「心のけじめはもうとっくについてる。【鬼精鬼】、お前を封印するのは“形”のけじめをつけるため」
「……言っておくが、並の力や方法では俺を封印など出来ないぞ」
「分かってる。今のは交わされちゃったみたいだから、もう一度行くよ」
架鞍くんの足が、もう一度空を蹴る。ざくっといやな音がした。
なんの音だろう、と思って見たわたしは、目を疑った。
──鬼精鬼の手が、架鞍くんの心臓を貫いていた。
「心臓を貫かれたのにまだ立っていられるとは、さすが餓鬼でも【鬼精王】、といったところか。表情すら変えなかったのは誉めてやろう」
「いや……架鞍くん! 架鞍くん!」
架鞍くんの傍に行きたいのに、がくがく震えるだけで身体が動かない。
「だが、お前はもう終わりだ」
そう言った鬼精鬼に、
「終わりなのはあんた」
かすれもしない声で架鞍くんが返す。
「何……?」
鬼精鬼の表情が、不審そうに歪む。淡々と、架鞍くんは説明した。
「あんた、俺が13歳のあの時、【鬼精虫】を仕込んでくれたよね。禾牙魅と霞がどうにか“治療”して消滅させてはくれたけど、毒はわざと身体の中に残しておいた。男の中に仕込んだ【鬼精虫】の毒は成長すればそれだけあんた自身にとっても最高の毒になるから」
「!!」
驚きの表情に変わった鬼精鬼。
架鞍くんの突き出した右手から突出した不思議な赤紫色の結晶が、鬼精鬼の心臓に吸い込まれていく。
「毒は返すよ」
完全に結晶が吸い込まれると、鬼精鬼は空間の中に倒れた。彼は、なぜか切なそうな笑顔を浮かべる。
「あっさりと接近してきたのもこのためか……餓鬼にしては……大した策士、だ」
「誉めてくれてありがとう」
「毒を成長させるために、どれだけの……苦しみを乗り越えた……?」
「忘れたよ」
「……本当に、苺を……愛しているのか」
「愚問過ぎ」
鬼精鬼の姿が透けて行く。
「幸せに……して、やれるのだな。過去の女の代わりなどという、理由……ではなく」
「当たり前でしょ」
「そうか……ならば俺にももう心残りはない……」
鬼精鬼は消える瞬間、真っ白な掌に乗る程度の球体の中に吸い込まれ、架鞍くんの手に収まった。架鞍くんはその球体を指でこすり、消滅させて自分の【中】にしまい込むと、まだ震えているわたしの傍に飛んできた。
「戻ろう、また風邪引くよ」
「架鞍くん、心臓、の……」
言ってわたしは、架鞍くんの心臓にあったはずの深い傷が綺麗に消えているのに気づいた。
「【鬼精鬼】に受けた傷は【鬼精鬼】を封印すればすぐ完治するからね。後は封印した【鬼精鬼】を【鬼精界】に持っていけばいい」
わたしを抱き抱えた架鞍くんは、ふと見下ろした。
「恐かった? すごく震えてる」
「コワ、かった……架鞍くんが死んじゃうんじゃないかって、でも……うれし、くて」
わたしは泣きながらぎゅっと架鞍くんの服にしがみつく。
「あんな……あれほどの告白、ほかにしてくれる人、この世にいないよ……」
架鞍くんは優しく微笑んで、わたしの髪を撫でる。
「俺ね、花奈がもし生きていたら花奈にこういうふうに俺が優しくしてただろうって思う度、それ以上に、苺に優しい気持ちを抱いてることに気づくんだ。でも、そう思うことももう多分、ない」
「どう、して……?」
「もう花奈と比較できないほど、苺を愛してしまったから」
「ぅ、……」
嬉しさのあまり嗚咽するわたしが泣きやむまでずっと、架鞍くんは優しく包んでくれていた。
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