恋の対価は安寧な夜

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プロローグ

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 ホテルを出た俺は、ブラブラと周辺を歩いて回った。
 地方都市ってのは、本当に面白と思う。
 駅周辺は理路整然と、いかにも「計画的に作りました」って感じがするのに、ちょっと足を伸ばすと周囲の景色が徐々に変わる。
 すると急に、そこにいる人間も含めて「一世紀前から何も変わってないんじゃないか?」と思ってしまうような牧歌的な風景なんかが、道路を一本渡っただけで現れたりするのだ。
 少しでもネガティブな気持ちから離れたくて、俺はわざとそんな事を考えながら歩いた。

 俺自身の知名度は、正直言って低い。
 一応ミリオンヒットを飛ばしたバンドに在籍し、俺のギターのテクニックがセイ氏の耳目に留まって、今回の大抜擢を受けたワケだけど。
 しかし一般的な世間の認識からすると、俺は『元・一発屋のバンドに所属していたギタリスト』になる。
 少々不満と言うか、俺的には「それはないんじゃないの?」って気持ちになるけど、思ったところでなんとかなるモノでも無いので、仕方がない。
 ステージ衣装を着ていたとしても、普通に道を歩いている時に、俺が誰かを特定する者は稀だろう。
 天気が良くて、こんな塞いだ気分には似合わない。
 俺はぼんやりと空を見上げてみたり、そこココにある畑を眺めたりしながら、本当に散歩するように歩いた。
 でも、気持ちのいい天気も、穏やかな風も、俺の滅入った気分をどうにかしてはくれない。
 なんでもいいんだ。
 新参者で、ひたすら現在の状況に戸惑うばかりの俺だけど、たったひとつでいい、最悪な体調と最悪な気分で倒れている彼を、励ましたいんだ。

 確かに神田サンが言うように、本物の輝きを持っているあの人が立ち直れないなんて事は決してないだろう。
 しかし、病に倒れた為に日程をどうしても予定通りに進める事が出来なくなって、ギリギリのところでセイ氏が選択したのは "公演延期" の苦い一言。
 ライブに足を運んでくれるオーディエンスは、決して俺達ミュージシャンの従属物ではない。
 そこにやってくる人達には、ちゃんとそれぞれの生活がある。
 それはつまり、彼らもライブ会場に足を運ぶ為には「チケットを取る為に奔走」し「ライブに出掛ける為に日程を調整」し、ようやくの思いでやってくる。
 まさしく一期一会だ。
 その事を誰よりもよく理解しているセイ氏は、己の体調が低迷している事よりも、公演が延期されてしまった事によって「逢えなくなってしまった誰か」を思って、気を滅入らせている。
 だからこそ。
 万全の体調であのステージに立てず、せっかくの周年ライブに最高のプレイを提供出来なかった俺は、ここでヒトカケラでもいいから、彼の滅入った気持ちを浮上させてあげたい。
 根本の解決にはならないとしても、滅入った気分は治る病気も治りにくくしてしまうから。
 失われた貴重な時間は絶対に取り戻せないけれど、でも体調を取り戻せれば埋め合わせをする事は出来る。
 そしてセイというヒトは、その事もまた解っているはずだから。
 ほんの少し、ささやかなきっかけで良い。
 あの時に、俺を最高の気分にしてくれた彼に、せめてなにかひとつでも俺は返したいんだ。
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