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プロローグ
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俺がホテルに戻ったのは、もう夕方と言うよりは夜に近い時刻だった。
部屋に向かおうとエレベーターを待っていると、ばったり高輪サンに会った。
「あれ? 夕食……にしては、早すぎだし……」
「いえ、昼からの戻りです」
「ああ……うん、まぁ、気晴らしになったならいいけど?」
並んでエレベーターに乗り込み、ボタンを押す。
「……まぁ、飯を食いに出かけられる俺達は、まだマシなんだろうケド……」
妙な言い回しに、俺はちょっと引っかかりを感じて。
「どうかしたんですか?」
「うん……」
高輪サンはちょっとだけ顔をしかめてみせる。
「セイさん、食欲がないとか言って朝から食ってねェんだってさ」
わざと笑って見せて、出来るだけ何気ない風に言ってくれたけど、でもそれは結構深刻な話だ。
「そうですか」
俺は高輪サンの気遣いに、ささやかな笑みで応えた。
エレベーターを降りたところで高輪サンとは別れ、俺は自分の部屋に戻ろうとしたのだけど。
でも、やっぱり考え直してそのままセイ氏の部屋に向かった。
部屋の前にたどり着いた時、セイ氏のマネージャーである田淵サンが扉を開けて出てきたところだった。
「様子、どうですか?」
俺が声を掛けると、田淵サンは少しだけ困ったみたいな顔をしてみせる。
「薬が効いてるみたいで、今は熱が下がったんだけど。でもまだなんにも食べたくないって言っててね。ホテルの厨房にお願いしておいたお粥をこれから取りに行く所なんだけど、食べてくれるかどうか…」
セイ氏がほとんど無名だった時代から、ずっと彼の付き人をやってきた田淵サンは、さすがに「なにもかもお見通し」って感じだ。
「入っても大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ」
田淵サンが開けてくれたオートロックの扉を抜けて、俺は部屋に入る。
当たり前だけど、部屋の中は静かで人の気配もない。
俺は静かに、ベッドの側に歩み寄った。
「ブッチー……、俺、メシはいいよ……」
俺の事を田淵サンだと思っているらしいセイ氏は、背中を向けたまま、かすれた声でそう言った。
「お見舞いにきました」
俺の声にビックリしたように、セイ氏が振り返る。
のぞき込むような姿勢の俺と目が合うと、調子が悪いはずなのにセイ氏は笑みをくれた。
「ごめんな、迷惑掛けて」
声にならないような声でそう言われて、俺はちょっとだけ胸が痛んだ。
「食欲がないんですって?」
「味なんてわかんないし、身体起こしたくないんだ」
そりゃあそうだろう。
風邪引いてご飯が美味しく食べられる人間なんて、居るわけないんだから。
「そう思って、ちょっとイイモノ買ってきました」
ニッと笑った俺に、セイ氏は眉をひそめる。
「ホント…全然食べたくないんだって」
「じゃーん」
俺は下げていたビニールの手提げの中から、『それ』を取り出した。
セイ氏の目が、まん丸に見開かれる。
「どうしたの、それ?」
「昼飯を食べに出かけた折りに、見つけて買いました」
俺が取り出した『それ』とは、紙製のラベルが少し破れた桃缶だった。
牧歌的な風景の中をアンニュイな気分で歩いていた俺が見つけた、木造二階建ての商店。
周りにはなんにもなくて、畑の真ん中にあるアスファルトの道脇にいきなり出現したみたいな感じのその店は、まるで昭和からタイムスリップしてきたみたいだった。
正直、壁に由美かおるのホーロー看板が貼ってあっても違和感が無いレベルに、レトロな木造の "商店" だ。
入り口はガラスの嵌った木枠の引き戸が開けっ放しになっていて、店頭にはかなり古い清涼飲料水の自販機と、今時のコンビニにある物とは一線を画す "エスキモーアイス" の冷凍庫が置かれている。
店内に至っては、昭和ドラマのスタジオセットも真っ青な、完全なる昭和レトロが時を超えて、そこに保存されていた。
その店の商品棚で見つけた、缶詰。
別にこれが特別なにってワケでもないけど、でも子供の頃に発熱で寝込んだ時に母親が枕元に持ってきてくれた缶詰のフルーツって、病床の身で何もかもが砂を食ってるみたいに美味くない中で、唯一「美味しい」って思えた物だったなぁ…なんて、ちょっとだけ思い出して。
思わず衝動買いしてしまった物だった。
役に立つかどうかなんて、全く考えなかった。
食ってもらえるかどうかすら、あやしかった。
でも俺に出来る事を全部やってみて、それでもダメだったら仕方がないケド。
なにもしないで諦めるなんて事は、出来ないから。
ベッドの中から手を伸ばし、セイ氏はその缶を手に取った。
「うっわ、なっつかしー」
俺に対する気遣いとは違う、嬉しそうな笑み。
思わず発した言葉に、セイ氏は咳き込んでしまったけれど。
でも手からその缶を放す事はなかった。
「缶切りも一緒に買ったんですよ。雑貨屋さんっていうか、近所の便利屋さんというか、アレって一種コンビニと同じノリですよね」
店の話をして、スマホで記念に撮ってきた商店の外観を見せると、セイ氏は喜んでくれた。
「あ~、ガキの頃、こういう店が近所にあったなぁ~。そうそう、このアイス入れてるヤツ! 自分で取って奥で店番してるバアチャンにお金渡して。当たりが出ると、もう一本食えたんだよなぁ」
感慨深げにスマホの画面を眺めているセイ氏をそのままにして、俺は下げていた手提げから、缶切りとプラスチック製のフォークを取り出した。
この缶詰は売っていた店と同じく、由緒正しい缶詰! であるため、当然のごとくイージーオープンでは無い。
なんとなくセイ氏の事を考えながら買ったけど、お届け出来なかった自分で食おうと思い、途中でコンビニに寄って缶切りとプラスチック製のフォークを購入した。
セイ氏がスマホの画面に気を取られている間に、俺は缶切りで桃缶を開封する。
「ワイルドに、缶から直にどうぞ」
身体を起こしたセイ氏は、差し出した缶を素直に受け取ってくれた。
「あ、ちょっとそこのタオル取ってくれる? シロップこぼしたら、格好悪すぎるもんなぁ」
しっかり缶とフォークを握りしめているセイ氏の胸元から膝上までに、俺はバスタオルを広げてやった。
準備万端、缶から取り出した二つ割りの桃に、セイ氏がパクつく。
「あ、なんか結構美味いかも…」
「でしょ? 風邪の時は、やっぱそーいうモンしか受け付けないですよね」
「サンキュー」
上目遣いにニッと笑われて、俺はひどく嬉しい気持ちになる。
滅入った気分で床に伏していた彼を、この一瞬だけでも微笑ませる事が出来たんだって思うと、本当にヒトカケラだけだけどなにかを返す事が出来た……様な気がした。
──了
部屋に向かおうとエレベーターを待っていると、ばったり高輪サンに会った。
「あれ? 夕食……にしては、早すぎだし……」
「いえ、昼からの戻りです」
「ああ……うん、まぁ、気晴らしになったならいいけど?」
並んでエレベーターに乗り込み、ボタンを押す。
「……まぁ、飯を食いに出かけられる俺達は、まだマシなんだろうケド……」
妙な言い回しに、俺はちょっと引っかかりを感じて。
「どうかしたんですか?」
「うん……」
高輪サンはちょっとだけ顔をしかめてみせる。
「セイさん、食欲がないとか言って朝から食ってねェんだってさ」
わざと笑って見せて、出来るだけ何気ない風に言ってくれたけど、でもそれは結構深刻な話だ。
「そうですか」
俺は高輪サンの気遣いに、ささやかな笑みで応えた。
エレベーターを降りたところで高輪サンとは別れ、俺は自分の部屋に戻ろうとしたのだけど。
でも、やっぱり考え直してそのままセイ氏の部屋に向かった。
部屋の前にたどり着いた時、セイ氏のマネージャーである田淵サンが扉を開けて出てきたところだった。
「様子、どうですか?」
俺が声を掛けると、田淵サンは少しだけ困ったみたいな顔をしてみせる。
「薬が効いてるみたいで、今は熱が下がったんだけど。でもまだなんにも食べたくないって言っててね。ホテルの厨房にお願いしておいたお粥をこれから取りに行く所なんだけど、食べてくれるかどうか…」
セイ氏がほとんど無名だった時代から、ずっと彼の付き人をやってきた田淵サンは、さすがに「なにもかもお見通し」って感じだ。
「入っても大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ」
田淵サンが開けてくれたオートロックの扉を抜けて、俺は部屋に入る。
当たり前だけど、部屋の中は静かで人の気配もない。
俺は静かに、ベッドの側に歩み寄った。
「ブッチー……、俺、メシはいいよ……」
俺の事を田淵サンだと思っているらしいセイ氏は、背中を向けたまま、かすれた声でそう言った。
「お見舞いにきました」
俺の声にビックリしたように、セイ氏が振り返る。
のぞき込むような姿勢の俺と目が合うと、調子が悪いはずなのにセイ氏は笑みをくれた。
「ごめんな、迷惑掛けて」
声にならないような声でそう言われて、俺はちょっとだけ胸が痛んだ。
「食欲がないんですって?」
「味なんてわかんないし、身体起こしたくないんだ」
そりゃあそうだろう。
風邪引いてご飯が美味しく食べられる人間なんて、居るわけないんだから。
「そう思って、ちょっとイイモノ買ってきました」
ニッと笑った俺に、セイ氏は眉をひそめる。
「ホント…全然食べたくないんだって」
「じゃーん」
俺は下げていたビニールの手提げの中から、『それ』を取り出した。
セイ氏の目が、まん丸に見開かれる。
「どうしたの、それ?」
「昼飯を食べに出かけた折りに、見つけて買いました」
俺が取り出した『それ』とは、紙製のラベルが少し破れた桃缶だった。
牧歌的な風景の中をアンニュイな気分で歩いていた俺が見つけた、木造二階建ての商店。
周りにはなんにもなくて、畑の真ん中にあるアスファルトの道脇にいきなり出現したみたいな感じのその店は、まるで昭和からタイムスリップしてきたみたいだった。
正直、壁に由美かおるのホーロー看板が貼ってあっても違和感が無いレベルに、レトロな木造の "商店" だ。
入り口はガラスの嵌った木枠の引き戸が開けっ放しになっていて、店頭にはかなり古い清涼飲料水の自販機と、今時のコンビニにある物とは一線を画す "エスキモーアイス" の冷凍庫が置かれている。
店内に至っては、昭和ドラマのスタジオセットも真っ青な、完全なる昭和レトロが時を超えて、そこに保存されていた。
その店の商品棚で見つけた、缶詰。
別にこれが特別なにってワケでもないけど、でも子供の頃に発熱で寝込んだ時に母親が枕元に持ってきてくれた缶詰のフルーツって、病床の身で何もかもが砂を食ってるみたいに美味くない中で、唯一「美味しい」って思えた物だったなぁ…なんて、ちょっとだけ思い出して。
思わず衝動買いしてしまった物だった。
役に立つかどうかなんて、全く考えなかった。
食ってもらえるかどうかすら、あやしかった。
でも俺に出来る事を全部やってみて、それでもダメだったら仕方がないケド。
なにもしないで諦めるなんて事は、出来ないから。
ベッドの中から手を伸ばし、セイ氏はその缶を手に取った。
「うっわ、なっつかしー」
俺に対する気遣いとは違う、嬉しそうな笑み。
思わず発した言葉に、セイ氏は咳き込んでしまったけれど。
でも手からその缶を放す事はなかった。
「缶切りも一緒に買ったんですよ。雑貨屋さんっていうか、近所の便利屋さんというか、アレって一種コンビニと同じノリですよね」
店の話をして、スマホで記念に撮ってきた商店の外観を見せると、セイ氏は喜んでくれた。
「あ~、ガキの頃、こういう店が近所にあったなぁ~。そうそう、このアイス入れてるヤツ! 自分で取って奥で店番してるバアチャンにお金渡して。当たりが出ると、もう一本食えたんだよなぁ」
感慨深げにスマホの画面を眺めているセイ氏をそのままにして、俺は下げていた手提げから、缶切りとプラスチック製のフォークを取り出した。
この缶詰は売っていた店と同じく、由緒正しい缶詰! であるため、当然のごとくイージーオープンでは無い。
なんとなくセイ氏の事を考えながら買ったけど、お届け出来なかった自分で食おうと思い、途中でコンビニに寄って缶切りとプラスチック製のフォークを購入した。
セイ氏がスマホの画面に気を取られている間に、俺は缶切りで桃缶を開封する。
「ワイルドに、缶から直にどうぞ」
身体を起こしたセイ氏は、差し出した缶を素直に受け取ってくれた。
「あ、ちょっとそこのタオル取ってくれる? シロップこぼしたら、格好悪すぎるもんなぁ」
しっかり缶とフォークを握りしめているセイ氏の胸元から膝上までに、俺はバスタオルを広げてやった。
準備万端、缶から取り出した二つ割りの桃に、セイ氏がパクつく。
「あ、なんか結構美味いかも…」
「でしょ? 風邪の時は、やっぱそーいうモンしか受け付けないですよね」
「サンキュー」
上目遣いにニッと笑われて、俺はひどく嬉しい気持ちになる。
滅入った気分で床に伏していた彼を、この一瞬だけでも微笑ませる事が出来たんだって思うと、本当にヒトカケラだけだけどなにかを返す事が出来た……様な気がした。
──了
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