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零れる想いと溢れる涙
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「ごめんらさひっ。……えぐっ……ぐすっすきっで……ごめっ」
決壊した涙腺は、堰を越えてとめどなく溢れ、引き摺られるように溢れ出た想いは、感情を綯い交ぜにしてもうなにがなんだか自分でもわからない。ただ、クラウスへの想いだけが胸にあって、手をほんの少し伸ばせば触れれるのに……触れる事ができない。それが、今の自分とクラウスの関係を残酷に思い知らせる。
「ふっ……ひっ……ひくっそれでも……すきなの。すきになってすきすぎて……ごめっなさ……」
たくさん泣いた筈なのに、涙はなかなか止まってくれなくて。泣きすぎて頭もぼうっと痺れてくらくらする。
「……」
「くりゃうふ?」
ぼんやりと見上げると、ふわりと暖かな体温を感じた。甘いムスクのような……クラウスの香りに包まれる。
「あぁ……本当にどうしようもない。これ以上俺を虜にしないで下さい……胸が張り裂けそうだ……」
ギュッと抱きしめられ、顔はクラウスの胸元に埋まる。ドクドクと大きな音を立てる鼓動。私の旋毛に口付けしながら、とんとんと私を優しくあやすクラウス。
「お嬢様は俺を殺す気ですか?」
ぐりぐりと旋毛に頬ずりされ、囁かれた。
「このまま貴女を俺のモノにしたい。貴女が望むまま、俺の全てを捧げ注ぎたい。こんなにも求め合っているのに……貴女をこの場で抱けないなんて……」
少しの沈黙の後、白く長い指が私の頬を撫で、涙の跡を拭っていく。
「あぁ……こんなに泣き腫らして……」
「クラウス……んっ。あの」
「悲しみの涙は流させないと、あの日誓ったのに……俺が貴女を泣かせてる……」
クラウスの言葉と慈しむような優しい瞳が、私を包み込む。木漏れ日のようなソレ。あれ……私、この温もりを知っている。ずっとずっと昔に何処かで……。思い出そうとするのだけれど、泣きすぎた頭は朦朧とし、ポンポンと刻まれる心地よい振動と温もりに、瞼がとろんと重くなる。
「……お嬢様。私が執事でなければ、恋人にしてくれましたか?」
「ん。そう……ね。クラウスが……執事じゃなかったら恋人になってもらってた……」
かも……。貴族なんかじゃなくていい。何もない、ただのクラウスがいいわ。恋して、想いを重ねて、そうして此処でない何処かで、苦楽を共にするの
「貴方と一緒なら……きっと私……幸せね」
現実と夢の狭間をうつらうつらと行き交う。家は小さくていいわ。庭があると嬉しい。こどもは二人欲しいな。男の子と女の子で、クラウスの優しい翡翠の瞳を持ってるの。それでそれで……ああ、すごく眠たい。なにかクラウスが言ってる気がする。
「わかりました。お嬢様の執事を辞めます」
「執事……やめ……るの?」
「ええ。……執事として此処に留まるのも難しくなっていたので……」
「どっかにいっちゃうの?」
「はい。少しの間……」
「やだ……いかないで……クラウス」
私の言葉に、夢の中のクラウスは困ったように眉尻を下げ、優しく頭を撫でてくる。
「大丈夫ですよ。ちゃんと戻ってくるので安心して下さい」
「本当に?」
「ええ。だから貴女も待っていて下さいね。面倒事を全て片付けたら、貴女を迎えにきますから」
そっか、迎えにきてくれるのね。うん。待つわ。私ちゃんと待つ。だから
「その時は、俺を貴女の恋人にして下さいね」
落ちていく思考の中、掌に柔らかな何かが触れ「チュッ」と音を立て離れていく。その感触を名残惜しく感じながら、私はとろんと夢の中へと落ちていった。
*****
瞼に明るい日差しが入り込む。
「お嬢様。お目覚めのお時間です」
寝ぼけ眼の私に、メイドのハンナがそう声をかける。あれ?もう朝?私、あのまま眠ってしまったの?泣き腫らした気だるさと腫れぼったい顔に、昨日のアレコレが夢でないと教えてくれる。
夢じゃない。ちょっと待って、夢じゃないの!?えっ!それってあれよね?私がクラウスに夜這いをかけた事も、逆ギレして告白した事も、感情の箍が外れて大泣きした事も、全部全部現実って事!?
嘘でしょう……羞恥でクラウスの顔がまともに見れなそうにないわ。こんな丸越しじゃ防御力ゼロで自滅する!能面……何処かに売ってないかしら。
「お嬢様……何時にも増して挙動が不審です。何を探されているのですか?」
「えっと……のうめ……いや何か仮面的な物はないかしら。こんな装備じゃ不安なのよ」
「装備? 意図する物が察せず申し訳ありません。何かと闘われるのですか?」
「ええ。クラウスと対面するのに、丸越しでは死んでしまうもの」
「クラウスとですか……なら、装備は不要かと思われますが……」
私の言葉に、ハンナは眉を潜め言い淀んだ。
「ハンナ。クラウスがどうかしたの?」
「……ええとですね。お嬢様。その……クラウスはもう居りません」
「え?」
「今朝付けで執事を辞め、屋敷をでました……ってお嬢様!?」
ハンナの言葉に、私は着の身着のまま飛び出した。クラウスの部屋、食堂、中庭、広間、有りと有らゆる場所を探したけれど、どこにも姿はなくて、その日を境に、クラウスは私の前から消えてしまった。
*****
あれからひと月、クラウスは戻らない。唐突に消えたクラウス。それなのに家人もお父様も特になにも言う事もなく、ただ変わらぬ日々が過ぎていく。
ただ、クラウスがいない日々。三年前と同じなのに受け入れる事ができなくて、クラウスが居ないその事が、私の心を影らせた。
「明日は、卒業パーティだな」
夕食を終えた後、部屋に戻る途中でお義兄様に声をかけられた。ビクッと身体が震え、ぎこちなく振り向いてしまう。明日は、お義兄様とリチャード王子の卒業パーティだ。正直、できる事なら行きたくない。私は其処で何が起きるのか、知っているから。
「明日のエスコートは、もう決まっているのか?」
こうやって、お義兄様が私に話しかけてくるのは珍しい。よっぽど憎らしいのか、普段は口もきいてくれず、鋭い目つきで私をじろじろと観察し監視してくる。そんな事されなくてもヒロインに手出しなんてしないのに……。
「ええ。リチャード王子に一緒にでるよう言われましたわ」
そう言われたが、リチャード王子はヒロインと一緒に出席する筈だ。そうして、パートナー不在で一人登場する私を、笑い者にするおつもりなのだろう。
「……でなくても良いんだぞ」
「はい?」
「お前が乗り気でないなら、明日は休んでもいい。義父上と話をつけ、お前が困らぬようにしてやる事もできる」
「はぁ」
「お前は、リチャードが好きか?」
「……素敵な方だと思います。ですが、私如きがお慕いするなど畏れ多くできません。臣下の念以上のお気持ちは抱いておりませんわ」
つらつらと無難に答える。あっぶなー。馬鹿正直に、好きではありません。と応えるとこだった。これ、言質とられて不敬罪とか告げ口されるとこだったわー。セーフ!せぇえええふ!多分!お義兄様を前にして、よく頑張ったわ!私!
「そうか」
あら?私の答えに、何故かホッとしたようなお顔を浮かべていらっしゃるわ。それにお義兄様、少し頬が赤いような……熱でもあるのかしら。
「セリーナ。リチャードを慕っていないなら、俺と婚約してくれ」
─は?
「明日、お前はリチャードに……リチャード王子に婚約を申し込まれる。卒業パーティで皆の目の集まる中申し込まれては、今までのように逃げる事も躱す事も叶わない。だから、その前に俺との婚約をここでして欲しい」
──んん?
「愛しているんだ。セリーナ。お前に出会った瞬間から、俺はお前を愛してる」
真っ直ぐな瞳でそう仰るお義兄様。
言ってる意味がまったく理解できない。お義兄様、今なんて?幻聴よね?どの口が私を愛してるって?え?目の前のお義兄様が?私を?
混乱する間に、お義兄様の長く細い指が私の頬に触れてきた。顎を持ち上げられ、無理矢理に視線を絡められる。さらさらと零れる群青色の髪。切れ長の目にスッと通った鼻筋。遠い親戚筋にあたる為、お義兄様の瞳も私と同じ紫色だ。その同じ紫水晶の瞳は、私と違って揺れていて……いつも顰め面しか拝見していなかったその顔が、熱の篭った色を持ち私を見つめている。
えっと、……求愛されている?お義兄様に?嘘でしょう!?誰か嘘だと言って!!
決壊した涙腺は、堰を越えてとめどなく溢れ、引き摺られるように溢れ出た想いは、感情を綯い交ぜにしてもうなにがなんだか自分でもわからない。ただ、クラウスへの想いだけが胸にあって、手をほんの少し伸ばせば触れれるのに……触れる事ができない。それが、今の自分とクラウスの関係を残酷に思い知らせる。
「ふっ……ひっ……ひくっそれでも……すきなの。すきになってすきすぎて……ごめっなさ……」
たくさん泣いた筈なのに、涙はなかなか止まってくれなくて。泣きすぎて頭もぼうっと痺れてくらくらする。
「……」
「くりゃうふ?」
ぼんやりと見上げると、ふわりと暖かな体温を感じた。甘いムスクのような……クラウスの香りに包まれる。
「あぁ……本当にどうしようもない。これ以上俺を虜にしないで下さい……胸が張り裂けそうだ……」
ギュッと抱きしめられ、顔はクラウスの胸元に埋まる。ドクドクと大きな音を立てる鼓動。私の旋毛に口付けしながら、とんとんと私を優しくあやすクラウス。
「お嬢様は俺を殺す気ですか?」
ぐりぐりと旋毛に頬ずりされ、囁かれた。
「このまま貴女を俺のモノにしたい。貴女が望むまま、俺の全てを捧げ注ぎたい。こんなにも求め合っているのに……貴女をこの場で抱けないなんて……」
少しの沈黙の後、白く長い指が私の頬を撫で、涙の跡を拭っていく。
「あぁ……こんなに泣き腫らして……」
「クラウス……んっ。あの」
「悲しみの涙は流させないと、あの日誓ったのに……俺が貴女を泣かせてる……」
クラウスの言葉と慈しむような優しい瞳が、私を包み込む。木漏れ日のようなソレ。あれ……私、この温もりを知っている。ずっとずっと昔に何処かで……。思い出そうとするのだけれど、泣きすぎた頭は朦朧とし、ポンポンと刻まれる心地よい振動と温もりに、瞼がとろんと重くなる。
「……お嬢様。私が執事でなければ、恋人にしてくれましたか?」
「ん。そう……ね。クラウスが……執事じゃなかったら恋人になってもらってた……」
かも……。貴族なんかじゃなくていい。何もない、ただのクラウスがいいわ。恋して、想いを重ねて、そうして此処でない何処かで、苦楽を共にするの
「貴方と一緒なら……きっと私……幸せね」
現実と夢の狭間をうつらうつらと行き交う。家は小さくていいわ。庭があると嬉しい。こどもは二人欲しいな。男の子と女の子で、クラウスの優しい翡翠の瞳を持ってるの。それでそれで……ああ、すごく眠たい。なにかクラウスが言ってる気がする。
「わかりました。お嬢様の執事を辞めます」
「執事……やめ……るの?」
「ええ。……執事として此処に留まるのも難しくなっていたので……」
「どっかにいっちゃうの?」
「はい。少しの間……」
「やだ……いかないで……クラウス」
私の言葉に、夢の中のクラウスは困ったように眉尻を下げ、優しく頭を撫でてくる。
「大丈夫ですよ。ちゃんと戻ってくるので安心して下さい」
「本当に?」
「ええ。だから貴女も待っていて下さいね。面倒事を全て片付けたら、貴女を迎えにきますから」
そっか、迎えにきてくれるのね。うん。待つわ。私ちゃんと待つ。だから
「その時は、俺を貴女の恋人にして下さいね」
落ちていく思考の中、掌に柔らかな何かが触れ「チュッ」と音を立て離れていく。その感触を名残惜しく感じながら、私はとろんと夢の中へと落ちていった。
*****
瞼に明るい日差しが入り込む。
「お嬢様。お目覚めのお時間です」
寝ぼけ眼の私に、メイドのハンナがそう声をかける。あれ?もう朝?私、あのまま眠ってしまったの?泣き腫らした気だるさと腫れぼったい顔に、昨日のアレコレが夢でないと教えてくれる。
夢じゃない。ちょっと待って、夢じゃないの!?えっ!それってあれよね?私がクラウスに夜這いをかけた事も、逆ギレして告白した事も、感情の箍が外れて大泣きした事も、全部全部現実って事!?
嘘でしょう……羞恥でクラウスの顔がまともに見れなそうにないわ。こんな丸越しじゃ防御力ゼロで自滅する!能面……何処かに売ってないかしら。
「お嬢様……何時にも増して挙動が不審です。何を探されているのですか?」
「えっと……のうめ……いや何か仮面的な物はないかしら。こんな装備じゃ不安なのよ」
「装備? 意図する物が察せず申し訳ありません。何かと闘われるのですか?」
「ええ。クラウスと対面するのに、丸越しでは死んでしまうもの」
「クラウスとですか……なら、装備は不要かと思われますが……」
私の言葉に、ハンナは眉を潜め言い淀んだ。
「ハンナ。クラウスがどうかしたの?」
「……ええとですね。お嬢様。その……クラウスはもう居りません」
「え?」
「今朝付けで執事を辞め、屋敷をでました……ってお嬢様!?」
ハンナの言葉に、私は着の身着のまま飛び出した。クラウスの部屋、食堂、中庭、広間、有りと有らゆる場所を探したけれど、どこにも姿はなくて、その日を境に、クラウスは私の前から消えてしまった。
*****
あれからひと月、クラウスは戻らない。唐突に消えたクラウス。それなのに家人もお父様も特になにも言う事もなく、ただ変わらぬ日々が過ぎていく。
ただ、クラウスがいない日々。三年前と同じなのに受け入れる事ができなくて、クラウスが居ないその事が、私の心を影らせた。
「明日は、卒業パーティだな」
夕食を終えた後、部屋に戻る途中でお義兄様に声をかけられた。ビクッと身体が震え、ぎこちなく振り向いてしまう。明日は、お義兄様とリチャード王子の卒業パーティだ。正直、できる事なら行きたくない。私は其処で何が起きるのか、知っているから。
「明日のエスコートは、もう決まっているのか?」
こうやって、お義兄様が私に話しかけてくるのは珍しい。よっぽど憎らしいのか、普段は口もきいてくれず、鋭い目つきで私をじろじろと観察し監視してくる。そんな事されなくてもヒロインに手出しなんてしないのに……。
「ええ。リチャード王子に一緒にでるよう言われましたわ」
そう言われたが、リチャード王子はヒロインと一緒に出席する筈だ。そうして、パートナー不在で一人登場する私を、笑い者にするおつもりなのだろう。
「……でなくても良いんだぞ」
「はい?」
「お前が乗り気でないなら、明日は休んでもいい。義父上と話をつけ、お前が困らぬようにしてやる事もできる」
「はぁ」
「お前は、リチャードが好きか?」
「……素敵な方だと思います。ですが、私如きがお慕いするなど畏れ多くできません。臣下の念以上のお気持ちは抱いておりませんわ」
つらつらと無難に答える。あっぶなー。馬鹿正直に、好きではありません。と応えるとこだった。これ、言質とられて不敬罪とか告げ口されるとこだったわー。セーフ!せぇえええふ!多分!お義兄様を前にして、よく頑張ったわ!私!
「そうか」
あら?私の答えに、何故かホッとしたようなお顔を浮かべていらっしゃるわ。それにお義兄様、少し頬が赤いような……熱でもあるのかしら。
「セリーナ。リチャードを慕っていないなら、俺と婚約してくれ」
─は?
「明日、お前はリチャードに……リチャード王子に婚約を申し込まれる。卒業パーティで皆の目の集まる中申し込まれては、今までのように逃げる事も躱す事も叶わない。だから、その前に俺との婚約をここでして欲しい」
──んん?
「愛しているんだ。セリーナ。お前に出会った瞬間から、俺はお前を愛してる」
真っ直ぐな瞳でそう仰るお義兄様。
言ってる意味がまったく理解できない。お義兄様、今なんて?幻聴よね?どの口が私を愛してるって?え?目の前のお義兄様が?私を?
混乱する間に、お義兄様の長く細い指が私の頬に触れてきた。顎を持ち上げられ、無理矢理に視線を絡められる。さらさらと零れる群青色の髪。切れ長の目にスッと通った鼻筋。遠い親戚筋にあたる為、お義兄様の瞳も私と同じ紫色だ。その同じ紫水晶の瞳は、私と違って揺れていて……いつも顰め面しか拝見していなかったその顔が、熱の篭った色を持ち私を見つめている。
えっと、……求愛されている?お義兄様に?嘘でしょう!?誰か嘘だと言って!!
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