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第二十六話 上坂
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翌朝、吉川屋敷の門が力強く叩かれた。
「出雲侍従殿、出雲侍従殿はおられるか」
声の主は益田元祥。
元春の娘を妻とし、広家にとっては義兄に当たる。
彼もまた広家が率いる会津征伐隊の一員として参加していた。
書室で元祥来訪を聞いた広家は、少しうんざりした様子で頭を掻いた。
歳も近く、前述の縁故。
益田家が毛利に従う経緯に元春が大きく関与していた事。
その後も大きな戦にはしばしば吉川家の指揮下として参戦していた事もあり、親しくしている。
此度の家康と三成の争いに関しても『内府につくべし』との考えを持っており、広家にとっては同じ考えを持つ同志でもある。
信頼もしている。
が、どうにも苦手だった。
決して嫌いな訳ではない。
だが、何はなくとも声が大きく騒々しい。
阿呆ではないが、場の空気は読めず、遠慮もない。
そして岳父の元春を尊敬してやまず、度の越えたそれは崇拝に近い。
それが鬱陶しい。
「一体どうなされた、玄蕃頭殿。
騒々しい。
姉上と喧嘩でもされたのか」
書室から出た広家は、元祥と対面して軽口を叩いた。
対する元祥は苛立ちの雰囲気を見せながら広家に詰め寄る。
「そんな冗談を言っている場合ではござらぬ。
今、港は大騒ぎでございます。
宍戸備前守(宍戸隆家の孫、元続)殿や熊谷豊前守(熊谷信直の孫、元直)殿も如何なる事かと訝しんでおられる」
「港……
港に何がござった」
広家は怪訝な表情で首を傾げ、逆に元祥に尋ねた。
「安芸中納言様が大坂に参られ申した」
その瞬間、広家の表情が凍りついた。
「港には一文字に三つ星(毛利家の家紋)を掲げた軍船がひしめいており、安芸中納言様は既に大坂城に入城されております。
これ如何なる事にござりますか」
詰問するかのように強い口調に対し、広家はゆっくりと額に手を当てて、呆然と呟いた。
「なんと……なんと……
安芸中納言様が……大坂に……
それは……何かの間違いではなかろうか……」
その様子を見た元祥は、今度は大きく目を見開いて狼狽の様子を見せる。
「まさか……出雲侍従殿も存じ上げなかったのですか……
安芸中納言様の上坂を……」
広家はゆっくりと、そして徐々に強く首を振る。
「知らぬ……知らぬ、聞いておらぬ。
安芸中納言様が上坂なさるなど……
そんな必要などない。
毛利が取るべき道は、内府の支援。
我ら会津征伐組が為せばよきことではないか。
……まさか……まさか……」
まるでうわ言のように呟いた後、広家は目を見開き、元祥に尋ねる。
「安芸中納言様は大坂城のいずこにお入りになられた」
広家の疑問に対して元祥は恐る恐る返答した。
「に、西の丸でござる」
広家はまるで雷に打たれたかのように跳ね、立ち上がると天を仰いで叫んだ。
「内府の居を占拠したのか。
儂からの書も、式部少輔からの書も届かなんだか」
家康は大坂滞在時に大阪城西の丸を居として政務を執っていた。
当然関東の所領、江戸にいる時などには留守居役が滞在している。
その西の丸に入る事は、家康の留守居役を追い出す必要があり、家康に楯突くに等しい行為だ。
一連の輝元の大坂入りは石田三成方に付く意思表示に他ならない。
また益田元祥を当初は苛立たせ、その後ひどく狼狽させたのは、自身はもとより家中の重臣、特に広家にすら相談もなく、知らされもせずに取られた行動だったからだ。
小規模の国人領主からのし上がった毛利家の組織体制は当主の独裁的なものではなく、当時の戦国大名としては一般的な国人領主達の連合隊に近かった。
その後元就から隆元、輝元と代が代わり、体制は従属国人領主の連合隊から直臣家臣団へと徐々に変化していった。
それでもなお、毛利家では家臣団との談合と承認がなければ大軍を動かせなかった。
にも関わらずその過程なく大軍を率いての輝元の上坂。
それは広家や元祥達を大いに困惑させるに十分な強行であり、そして同時に安芸に残っていた重臣達による輝元上坂の賛同を意味している。
『見事に出し抜かれたな、奴に』
天狗は広家を揶揄うように小さく笑う。
天狗の指す奴が誰なのかは明白だった。
『戦場では百戦錬磨の出雲侍従であっても、政の機微、根回しに関しては及ばなかったか』
広家は奥歯割れんばかりに歯軋りをした。
広家と会談した際、全ての手筈は整っていた。
広家を始めとした家康派の将は、最初から蚊帳の外にいたのだ。
「あの糞坊主めが……」
まなじり裂けんばかりに目を見開いて吐き捨てた広家に、元祥が同調する。
「出雲侍従殿、これはあの坊主が奸言を用いて安芸中納言様を謀ったに相違ありませぬ。
直ちに我らで捕え、誅殺すべきでございましょう」
声を荒げる元祥。
だが広家は慌てて押しとどめる。
「いや、待たれよ。
そんな事を我らの一存で起こせば、毛利は二つに割れる。
安芸中納言様がそれ相応の軍を率いて上坂されたと言う事は、少なからず賛同するものがいるという事だ。
その中でそんな勝手な事をすれば、我らが腹を切るだけでは済まされぬぞ」
「何たる弱気。
かの随浪院様であれば、腹の心配などせず、毛利の為に坊主を誅しておりましょう。
そして毛利の禍根也、と安芸中納言様にその首を献上しておられる筈です」
「ええい、少し黙られよ。
儂は儂、随浪院は随浪院。
人間も、家中での立場も異なるではないか」
広家は苛立ち混じりに、語気を強めた。
「いいや、黙りませぬ。
このままでは毛利が滅びますぞ。
毛利が滅んで腹を切る事になるならば、いっそ毛利の為にあの坊主を斬って腹を切る所存」
「黙られよと言うに。
其方にそう騒がれると、浮かぶ妙案も浮かばぬ。
そもそも坊主を斬ったところで、内府と戦わぬ道に導けねば結局毛利は滅ぶのだぞ」
元祥はそれでも食い下がる。
「ならば我らと安芸中納言様で坊主の首級を内府に献上いたせばよろしかろう」
「そのような事、安芸中納言様が承知される筈がなかろう。
それに安芸中納言様の意向なく坊主を誅し、内府に献上していただくなど、それこそやる事は坊主と同じではないか」
「ではどうなさろうと言うのか」
広家の言葉が止まる。
声にはせずに天狗に問いかける。
どうすればいい。
毛利存亡がかかる今、何をすべきか。
元祥は鼻息を荒くしたまま、広家の言葉を待つ。
だが天狗は答えない。
無為に沈黙の時が続く。
やがて業を煮やした広家が呟く。
「何とか言ってみたらどうじゃ」
元祥は広家の言葉に思わず声を荒げる。
「先は黙られよ、と申されたのに、今度は何か言うてみよとは、これ如何なる事か。
出雲侍従殿こそ何か所見を申されよ」
広家は迂闊に独言た事を悔やみ、頭を抱えた。
まずはこの騒々しい男を追い返すべきだ。
さもなくば落ち着いて打開策を案ずる事もできない。
天狗の声は聞けず、一人だけが騒々しく無為な時が過ぎていった。
「出雲侍従殿、出雲侍従殿はおられるか」
声の主は益田元祥。
元春の娘を妻とし、広家にとっては義兄に当たる。
彼もまた広家が率いる会津征伐隊の一員として参加していた。
書室で元祥来訪を聞いた広家は、少しうんざりした様子で頭を掻いた。
歳も近く、前述の縁故。
益田家が毛利に従う経緯に元春が大きく関与していた事。
その後も大きな戦にはしばしば吉川家の指揮下として参戦していた事もあり、親しくしている。
此度の家康と三成の争いに関しても『内府につくべし』との考えを持っており、広家にとっては同じ考えを持つ同志でもある。
信頼もしている。
が、どうにも苦手だった。
決して嫌いな訳ではない。
だが、何はなくとも声が大きく騒々しい。
阿呆ではないが、場の空気は読めず、遠慮もない。
そして岳父の元春を尊敬してやまず、度の越えたそれは崇拝に近い。
それが鬱陶しい。
「一体どうなされた、玄蕃頭殿。
騒々しい。
姉上と喧嘩でもされたのか」
書室から出た広家は、元祥と対面して軽口を叩いた。
対する元祥は苛立ちの雰囲気を見せながら広家に詰め寄る。
「そんな冗談を言っている場合ではござらぬ。
今、港は大騒ぎでございます。
宍戸備前守(宍戸隆家の孫、元続)殿や熊谷豊前守(熊谷信直の孫、元直)殿も如何なる事かと訝しんでおられる」
「港……
港に何がござった」
広家は怪訝な表情で首を傾げ、逆に元祥に尋ねた。
「安芸中納言様が大坂に参られ申した」
その瞬間、広家の表情が凍りついた。
「港には一文字に三つ星(毛利家の家紋)を掲げた軍船がひしめいており、安芸中納言様は既に大坂城に入城されております。
これ如何なる事にござりますか」
詰問するかのように強い口調に対し、広家はゆっくりと額に手を当てて、呆然と呟いた。
「なんと……なんと……
安芸中納言様が……大坂に……
それは……何かの間違いではなかろうか……」
その様子を見た元祥は、今度は大きく目を見開いて狼狽の様子を見せる。
「まさか……出雲侍従殿も存じ上げなかったのですか……
安芸中納言様の上坂を……」
広家はゆっくりと、そして徐々に強く首を振る。
「知らぬ……知らぬ、聞いておらぬ。
安芸中納言様が上坂なさるなど……
そんな必要などない。
毛利が取るべき道は、内府の支援。
我ら会津征伐組が為せばよきことではないか。
……まさか……まさか……」
まるでうわ言のように呟いた後、広家は目を見開き、元祥に尋ねる。
「安芸中納言様は大坂城のいずこにお入りになられた」
広家の疑問に対して元祥は恐る恐る返答した。
「に、西の丸でござる」
広家はまるで雷に打たれたかのように跳ね、立ち上がると天を仰いで叫んだ。
「内府の居を占拠したのか。
儂からの書も、式部少輔からの書も届かなんだか」
家康は大坂滞在時に大阪城西の丸を居として政務を執っていた。
当然関東の所領、江戸にいる時などには留守居役が滞在している。
その西の丸に入る事は、家康の留守居役を追い出す必要があり、家康に楯突くに等しい行為だ。
一連の輝元の大坂入りは石田三成方に付く意思表示に他ならない。
また益田元祥を当初は苛立たせ、その後ひどく狼狽させたのは、自身はもとより家中の重臣、特に広家にすら相談もなく、知らされもせずに取られた行動だったからだ。
小規模の国人領主からのし上がった毛利家の組織体制は当主の独裁的なものではなく、当時の戦国大名としては一般的な国人領主達の連合隊に近かった。
その後元就から隆元、輝元と代が代わり、体制は従属国人領主の連合隊から直臣家臣団へと徐々に変化していった。
それでもなお、毛利家では家臣団との談合と承認がなければ大軍を動かせなかった。
にも関わらずその過程なく大軍を率いての輝元の上坂。
それは広家や元祥達を大いに困惑させるに十分な強行であり、そして同時に安芸に残っていた重臣達による輝元上坂の賛同を意味している。
『見事に出し抜かれたな、奴に』
天狗は広家を揶揄うように小さく笑う。
天狗の指す奴が誰なのかは明白だった。
『戦場では百戦錬磨の出雲侍従であっても、政の機微、根回しに関しては及ばなかったか』
広家は奥歯割れんばかりに歯軋りをした。
広家と会談した際、全ての手筈は整っていた。
広家を始めとした家康派の将は、最初から蚊帳の外にいたのだ。
「あの糞坊主めが……」
まなじり裂けんばかりに目を見開いて吐き捨てた広家に、元祥が同調する。
「出雲侍従殿、これはあの坊主が奸言を用いて安芸中納言様を謀ったに相違ありませぬ。
直ちに我らで捕え、誅殺すべきでございましょう」
声を荒げる元祥。
だが広家は慌てて押しとどめる。
「いや、待たれよ。
そんな事を我らの一存で起こせば、毛利は二つに割れる。
安芸中納言様がそれ相応の軍を率いて上坂されたと言う事は、少なからず賛同するものがいるという事だ。
その中でそんな勝手な事をすれば、我らが腹を切るだけでは済まされぬぞ」
「何たる弱気。
かの随浪院様であれば、腹の心配などせず、毛利の為に坊主を誅しておりましょう。
そして毛利の禍根也、と安芸中納言様にその首を献上しておられる筈です」
「ええい、少し黙られよ。
儂は儂、随浪院は随浪院。
人間も、家中での立場も異なるではないか」
広家は苛立ち混じりに、語気を強めた。
「いいや、黙りませぬ。
このままでは毛利が滅びますぞ。
毛利が滅んで腹を切る事になるならば、いっそ毛利の為にあの坊主を斬って腹を切る所存」
「黙られよと言うに。
其方にそう騒がれると、浮かぶ妙案も浮かばぬ。
そもそも坊主を斬ったところで、内府と戦わぬ道に導けねば結局毛利は滅ぶのだぞ」
元祥はそれでも食い下がる。
「ならば我らと安芸中納言様で坊主の首級を内府に献上いたせばよろしかろう」
「そのような事、安芸中納言様が承知される筈がなかろう。
それに安芸中納言様の意向なく坊主を誅し、内府に献上していただくなど、それこそやる事は坊主と同じではないか」
「ではどうなさろうと言うのか」
広家の言葉が止まる。
声にはせずに天狗に問いかける。
どうすればいい。
毛利存亡がかかる今、何をすべきか。
元祥は鼻息を荒くしたまま、広家の言葉を待つ。
だが天狗は答えない。
無為に沈黙の時が続く。
やがて業を煮やした広家が呟く。
「何とか言ってみたらどうじゃ」
元祥は広家の言葉に思わず声を荒げる。
「先は黙られよ、と申されたのに、今度は何か言うてみよとは、これ如何なる事か。
出雲侍従殿こそ何か所見を申されよ」
広家は迂闊に独言た事を悔やみ、頭を抱えた。
まずはこの騒々しい男を追い返すべきだ。
さもなくば落ち着いて打開策を案ずる事もできない。
天狗の声は聞けず、一人だけが騒々しく無為な時が過ぎていった。
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毛利氏関係好きなので投票しました。
ありがとうございます。
私も毛利家が大好きです。
虚々実々の雰囲気を良く描き出していますね。
実際にこんな会話が交わされたんではないかと、想像しちゃいます。
大変面白い。
続きが楽しみです。
ご感想ありがとうございます。
これから本業が繁忙期に入って、
書く余裕がなくなっていくのですが、
ご期待に添えられる様、頑張ります。
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時代小説はあまり読んだことがないのですが、面白い内容で読みやすいと思いました。
歴史に詳しくなくても、気になることなく読めました。
ご感想ありがとうございます。
まだ完結しておりませんので、これからもよろしくお願いいたします。
また、これを機に時代小説、歴史小説に興味を持っていただけると嬉しいです。