天狗の囁き

井上 滋瑛

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第五話 問い

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 多久和城を出た毛利勢は進路を西にとり、月山富田城を目指す。
 先年より元春は出雲の地の一揆衆に金銀を与えて手懐け、間諜としていた。
 一揆衆とは平時は農民でありながら、戦時の徴収に応じて戦に参加する、いわば武装した農民である。
 時に徴兵に応じずとも、戦見物の末に見計らって敗残兵を襲い、落武者狩りをする事もある。
 十二日、その間諜から報せが入る。
「尼子勢は城を打って出て布部へと集まっている」
 また毛利家臣杉原盛重の抱える外聞衆(忍び衆)からも同様の報告があり、元春と隆景の二人は互いに頷き合う。
 毛利勢は報告の布部の地へ入り、要害山に陣取る尼子勢と対峙した。
 布部から月山富田城へ通ずる為には、この山の尾根道を通らなければならない。
 そしてその尾根道は頂上に通じている道で、ここへ登って行くには二つの入り口があった。
 西の水谷口、東の中山口。
 この両入口を押さえれば、月山への通路は完全に遮断されるのである。 
 尼子勢は山頂を本陣、水谷口と中山口に堅陣を敷き、元春も意識する猛将山中鹿介は水谷口の第二陣として待ち構える。
 各家の紅白の色を交えた旗印が二月半ばの春風に吹かれ、峰の木々の間から花や雪と見紛うばかりに翻る。
 秋の野辺の露時雨に打ち落とされた紅葉の葉の様に、萌黄や緋縅など種々の鎧の袖が並ぶ。
 毛利勢も二手に別れ、水谷口には吉川隊と小早川隊を第一陣に杉原、熊谷、宍戸らが続く。
 一方の中山口には福原、桂、志道、児玉ら譜代の重臣達が進む。
 そして後方では総大将の輝元が旗本衆や後備を並べて陣を固めて控える。
 毛利勢の先陣を任されたのは才寿丸も加わる吉川隊。
 吉川隊は長きに渡って山陰の最前線で尼子家と戦ってきた。
 宿敵との雌雄を決するのは今とばかりに士気高く、気勢を上げて攻めかかる。
 対する尼子勢も主家再興の為に集った熱血の忠臣達。
 主家の怨敵に弓矢鉄砲を構えて放ち、迎え撃つ。
 轟く銃声は大地に響き、草木を震わす。
 吉川隊や小早川隊は飛び交う銃弾矢雨に臆せず、坂を駆け上がっていく。
 しかし尼子勢もさる者、間近に迫った吉川、小早川隊に槍を構え、閧を上げて攻めかかった。
 流石の吉川、小早川隊も、高所の利を活かす尼子勢の攻勢に徐々に押し戻されていく。
 これを見た元資は自ら太刀を抜いて気を吐く。
「吉川少輔次郎元資これにあり。
 者ども押し返せ」
 敵の標的になる事も恐れず、太刀を振るう吉川家嫡子。
 その姿に勇気励まされ、後退していた吉川隊、小早川隊は取って返して再度ぶつかり合う。
 隊の後陣に構える元春も、その様子を見て強く号令する。
「息も継がせぬ攻勢をかけよ」
 飛び交う矢は骨身を穿ち、交わる太刀は火花散らし、火縄に焼かれた火薬の臭いが鼻を刺す。
 血飛沫が霧のように辺りを包み、無数の矢と硝煙が陽光を覆い隠す。
 吉川隊の左翼で二宮俊実と行動を共にする才寿丸は、馬上で胸焼けに耐えていた。
 元春より配慮され、激戦となる配置から外されてはいた。
 しかし初めて肌で感じる戦場は、才寿丸の想像を遥かに越えたものであった。
 兄よ、母よ、何故初陣に反対してくれなかったのか。
 才寿丸は身勝手ながら恨みを抱いた。
 かつて父や兄、そして祖父から聞き、血湧き肉踊らせた話とは程遠い、阿鼻叫喚の地獄絵図ではないか。
「若、恐ろしゅうございますかな」
「う、うむ」
 俊実の問いに才寿丸は強がる事も出来ず、一言だけ答えた。
 俊実は少し驚き目を丸くした。
 てっきり必死に強がりを見せるものと思っていた。
「しかし若、臆病風に吹かれていてはいけませんぞ。
 ここで尼子勢を叩かねば、また毛利家に更なる災いを為しましょう」
 才寿丸は神妙な面持ちで頷く。
 改めて初陣を願い出た時の心境を思い起こす。
 中国地方最大の戦国大名たる毛利家に生まれ、今まで不自由なく暮らしてきた。
 それも全て祖父元就や父元春らが、尼子家や大内家などの外敵から守り、討ち果たしてきたからこそのものだ。
 それは当然自分だけではなく、毛利、吉川に仕える家臣達も同様だ。
 そして今度は自分達がそれを、祖父や父が守ってきた家、土地、そして家臣や領民の生活を守っていかなくてはならない。
 才寿丸は恐怖を胸の奥底にしまいこみ、腹に決意の炎を焚き付けて弓を引く。
『だがその言い分は滅ぼされた尼子や大内も同じだったのではないのか。
 今対峙しておる者共も守るべき主家があり、臣を有していた。
 それを滅ぼしたのは毛利ではないか』
 あの声だ。
 才寿丸は驚き、馬上で身をよじって辺りを見回した。
「どうされましたか、若」
 そう尋ねる俊実の声ではなかった。
「今、何か……声が聞こえはしなかったか……」
 俊実は不思議そうな顔をして才寿丸を見る。
「戦う兵の声ではない。
 何かこう、耳元と言うよりも頭に響くような声が……」
 そう聞いて俊実は少し困った顔をした。
「若、その様に怯えなさいますな。
 ご心配なさらなくとも、いざという時は某が身命に懸けてお守り致しますのでご安心召されよ」
 俊実は戦場の恐怖で才寿丸が幻聴を聞いたと思ったのだ。
 小馬鹿にされたと感じ、才寿丸は少しむくれた。
「左様な臆病の幻聴などではない。
 確かにはっきりとした声を聞いたのだ」
 才寿丸がむきになって反論すると同時に、味方の鳴らす法螺の音が響いた。
「若、合図でございます。
 我らもゆるりと下がりますぞ」
 小さく溜め息をついた俊実にそう促され、才寿丸は釈然としない面持ちのまま弓を納めて馬首を返した。
 入れ替わりで杉原隊、熊谷隊が前線へと進む。
 前線は未だ一進一退を繰り返し、趨勢は見えない。
「我こそ安芸三入の熊谷也。
 者ども続け」
 熊谷隊は信直の号令に続いて、臣はおろか一兵卒に至るまでが口々に『我こそ安芸三入の熊谷也』と叫び、槍を振るって攻め上がる。
 それは地の底より這い出た夜叉の進軍を彷彿とさせ、隊の中心で指揮を執る信直は普段の温厚な面影は欠片もなく、まるで血肉に飢えた修羅か羅刹かの様に感じられた。
 一方で左翼から攻め上がる杉原隊率いる杉原盛重は能面のような強面に一切の表情を灯す事なく、言葉少なに指揮を執る。
 従う兵もまた誰一人として閧の声をあげず、返って不気味なものを味方ながらにも感じさせた。
『熊谷伊豆守に杉原播磨守、確かに豪の者である。
 だがこの地、この敵。
 正面からの突破は出来まい』
 まただ。
 頭に響く声に苛立ちを感じ頭を振った。
 この声は何の為にこんな事を話しかけるのか。
 自分に何を言いたいのか。
 俊実はその様子を不安げに見る。
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