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第一一章 気配についての話し合い

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    Ⅰ

「何、気配だと!?」
「ああ」
    あれからセレーナたちの元へと戻ってきた吟は、セレーナやグロリアたちに報告した。グロリアが驚いて声を上げたが、吟は動じることなくただ頷いて肯定する。セレーナやアルフレッドは驚いて目を大きく見開いていたが、特に何を言うでもなかった。
    グロリアは吟へと詰め寄る。
「それで、何か分かったのか!」
    吟はそれに答えようと思ったが、周囲を見渡してみる。平穏を取り戻した食堂で、生徒たちが食事を続けているが、グロリアの言葉に視線はこちらへと向けられていた。その視線に気がついた吟は、三人に小声で告げる。
「……場所を移すぞ。ここでは目立つ。それに、せっかくの平穏を壊すこともあるまい」
    吟がそう言えば、三人は頷いた。グロリアを筆頭に動き始め、食堂を後にする。グロリアとアルフレッドが前を歩き、その後を吟とセレーナが着いて行った。吟は周囲に気を配りつつ、歩を進める。その姿をセレーナは心配そうに見つめた。不安そうに吟へと視線を投げかける。吟はその視線に気がついて、セレーナへと視線を向けた。セレーナはおずおずと口を開く。
「あの、ウタ様、大丈夫ですか?    お怪我、とかは……」
「心配は不要だ。かすり傷一つない。セレーナ殿は」
「わ、私は全然……!」
「なら、良い」
    吟は淡々と告げると、また視線を前へと戻した。周囲を確認しつつ、常に前を向いている。
    セレーナはその姿を見つつ、次の言葉をかけることができなかった。吟の様子がおかしい、鋭いように感じる、そうは思うものの、その心当たりがない。おそらく、先ほどの気配のことについて気にしているのだとは思うのだが、もしかしたら自分が何かしてしまったのかも、セレーナはそう不安になって仕方がない。いつも以上に口数が少ない吟に、セレーナは寂しく思うのであった。
    一方、吟は思考を纏めつつ、再度気配を探っていた。だが、思い当たるものも、気配が強くなることもなく、何も感じ取ることができずに終わる。見えない敵に、気配すらも感じ取らせないそれに、吟は苛立ちを覚えていた。
    まったく、厄介なものよ……。
    吟は自身の首に巻いていた布に手を伸ばす。力がつい込もるものの、鼻先まで埋めるかのように布を上に引き上げた。
    今の吟には、不機嫌な顔をさらに隠すことしかできなかったのであった。



    Ⅱ

    グロリアたちに案内されて辿り着いたのは、前日に訪れた寮長室で。グロリアは自分専用の椅子に腰かけ、机の上で手を組む。その横にアルフレッドが控えており、グロリアの前に設置されて向かい合っているソファの片方にセレーナが腰掛けた。吟はそれを見てから、入口の扉を閉めて、扉の横で壁に背を預ける。そのまま腕を組んで座ろうとしない吟に、セレーナは声をかけた。
「ウタ様?」
    セレーナが不思議そうに声をかけるが、吟はそれにも淡々と返すだけであった。
「念には念を、だ。先ほどのこともあったしな」
「して、ウタ殿。用件を聞こう」
    グロリアが真剣な表情でそう問いかけるのを、吟はじっと見つめる。だが、吟はそれよりも先に三人に確認したいことがあった。
「話に入る前に、セレーナ殿たちに確認したいことがある」
    その言葉に、三人は目を瞬いた。これは吟の予想通りであった。元々、確認するつもりではあったが、それを彼らには話していなかったため、不思議に思われるだろうとは予想していたのである。
    唯一名を呼ばれたセレーナが代表で口を開く。
「確認したいこと、ですか?」
    吟はその問いかけに静かに頷いた。間髪入れずに三人へ問いかける。
「セレーナ殿たちは、『妖怪』と呼ばれる存在のことをご存知か」
    吟の言葉に、三人は顔を見合せた。全員、キョトンとしてから首を傾げている。どうやら、聞き慣れない言葉だったようだ。今度はグロリアが代表で口を開いた。
「ウタ殿、それは一体……」
    吟は説明を付け足すかのように告げた。
「言い方を変えるとすれば、あやかし、幽霊、怪異、お化け……。その辺だろうな。怪談や七不思議、都市伝説、というものでも良いのだが」
    吟の説明を聞いて、グロリアはふむと頷く。顎に手を添えてしばし考えた彼女は、答えを口にした。
「……その辺で言うのであれば、幽霊、怪異なら分かるところだな。あとは、お化け、と言ったところか」
    ……なるほど。
    吟が心中で頷く中、セレーナは口元を抑えてぷるぷると身体を震わせていた。吟はそれに気がついて、少女へ声をかける。
「セレーナ殿、如何した」
「す、すみません……」
    セレーナの声音が弱々しい。吟はセレーナが無理をしているのではないかと思った。
    セレーナ殿はこういった話が得意ではなかったのか……。
    呼んだのは間違いだったかと、吟は反省する。それから、セレーナに再度声をかけた。
「すまぬ、こういったたぐいの話が得意ではないのであれば、一度外に――」
    吟がそこまで言えば、セレーナは横に首を振った。いまだに身体が震えている。吟は途中で言葉を止めたが、やはり気になってしまった。しかし、そんな吟の心配は杞憂に終わる。
    セレーナがゆっくりと声を発した。
「い、いえ、あの……。苦手とか得意とかそれ以前に……、ウタ様の口から『お化け』なんて可愛らしいお言葉が聞けるとは思っておらず、つい……!」
「確かにそれは私も思ったが」
「普段、聞けなさそうな言葉だもんね 」
「……話を続けても良いだろうか」
    どうやら、セレーナは吟の言葉に身悶えていただけのようで。その後に、グロリアとアルフレッドが肯定するのを、吟は気が遠くなる思いで耳にした。その会話には触れることなく、先へと進めていいかだけを確認する。代表でグロリアが頷いたのを確認すると、吟はため息をついてから続きを話すことにした。
「……我はそういった類の存在を『妖怪』と呼んでいた。我の周辺にいたものもそう呼んでいたことが多かったと記憶している。無論、すべてが妖怪に属しているわけではないが、あやかしや幽霊を一纏めにして『妖怪』と呼ぶことが多かったのだ」
    ちなみに、これは吟に限らず、吟の周辺にいた妖怪たちもそうであった。前世で吟がよく耳にしていた呼び名が、「妖怪」だったのである。前世の人間世界がどうだったのかはよく分かっていないが、吟を含め人ならざるものである彼らは、自分たちのことを「妖怪」と呼んでいたのである。無論、先ほどの話のように、「妖」や「幽霊」、「怪異」と名乗るものもいたわけだが、「妖怪」の括りで呼んでいたものが圧倒的に多かったと吟は記憶していた。
    それもあってか、吟自身もよく「妖怪」と自分や彼らのことを呼んでいたのである。
    吟はそこまで思い出しつつ、話を進めた。
「その妖怪……、まあ、幽霊でも何でも良い。それを見たものはこの中におるのか。それか、そういった話を聞いたものがいるのであれば、情報が欲しい」
「何故そんなことを聞くのだ、ウタ殿。その話が今までのことと関連があるとは私は思えないのだが」
    吟の言葉に怪訝そうな顔をして返答をするのは、グロリアだ。眉間に皺を寄せて納得がいかないと顔が物語っている。吟はそれを見ても嫌な顔を一つせず、ただ自分が感じ取ったことを答えた。
「いや、関係はある。ここは明確にしておきたいところだ」
「……どういうことだ」
    グロリアの顔がさらに険しくなった。アルフレッドも難しそうな顔をして、二人の行方を見ている。セレーナは心配そうに吟を見つめていた。
    吟は一つ息をつく。
「我が感じ取っている気配というものが、その『妖怪』に近いと感じ取っているからなのだ」
    三人がごくりと息を呑んだ。その音がやけに大きく聞こえたような気がした。



    Ⅲ

    グロリアは一拍空けてから、バンと勢いよく机に手をつき立ち上がる。それと同時に半ば叫ぶかのようにして声を上げた。
「そのようなことがあるとでも言うのか!」
「グロリア殿が信じたくないのも無理はない。だが、これだけは言える。あの気配は間違いなく妖怪に近い。だからこそ、我は今確認しているのだ。それが確認できないとなれば、我が何を言ったところで誰も信用などせぬだろう」
    グロリアは吟の言葉を聞いてしばらく立ったまま呆けていた。だが、その内に内容を理解したのか、力無く椅子に逆戻りする。ドサリと椅子に倒れ込むかのように座ると、頭を抱えるかのように手を伸ばした。それから、自分の前髪をくしゃりと掴んだ。乾いた笑いをしながら、吟をチラリと見る。
    吟はそれをただじっと見つめ、彼女の言葉を静かに待った。
    グロリアは静かに言葉を紡ぐ。
「……ウタ殿はやけに冷静すぎないか?」
「そういうわけではない。だが、焦っても仕方がないことだ。……ただ、相手が相手だ。こちらの手が利くと考えないほうが良いだろう。何をしても効果がないと考えていたほうが、困惑せずに済む」
    吟が淡々と考えを告げる中、口を挟んだのはアルフレッドであった。
「ウタさん、あなたの話を聞く限り、相手は人間離れしているということになるでしょう。その人間離れした相手でも、ウタさんは怖くないと仰るのですか?」
    アルフレッドの言葉に、吟はどう返答しようか迷った。
    というのも――。

    ――自分が元々それに近い存在であった、などと言って誰が信用するというのだろうか……。

    そう、吟は自分の前世が妖怪に近い、もとい、妖怪と呼ぶに相応しい存在であったのである。つまり、妖怪の存在は痛いほどよく理解しているし、その存在を否定することなどもってのほかだ。今さら怖気付くこともないし、自分が妖怪のことをよく理解しているからか、そう困ることはないとも考えている。
    強いて言うなら、今の自分が前世と違って人間であるため、どう戦うかを少し考える必要がある、ということぐらいだろうか。
    吟は思考を巡らせた後、ようやく口を開いた。とは言っても、ここまでで三〇秒も経っていないのではあるが。
「相手が何者だろうと、絶対に勝てないということはなかろう。だが、相手が仮に妖怪であるとするのであれば、扉に鍵をかけたところでそう効果はないだろう。それと、気になるのは先ほどの気配だ。何故一瞬強くなったのか、それすらも理由は分からぬ。……調べることは多そうだな」
    吟が一人で分析している中、ようやく落ち着いてきたグロリアが息をつく。それから、ゆっくりと口を開いた。
「……して、ウタ殿。これからどうする気だ」
「とりあえず、この領域内を調べたい。それと、先ほどの話には心当たりはないのか」
    吟の問いかけに、グロリアは沈黙した後、首を横に振った。
「大したことは聞いていない。どれも目撃したわけではないし、気味悪い話というのは飛び交わなかったしな。そちらは少し他の生徒にも聞いてみよう。……私は目撃したことはないし、基本的にそんな話を聞いたことがない、としか今は言えない」
「私も似たようなものですね。あまりそういう話を好きな者に出会ったことがないというのもありますが」
    グロリアに続いて、アルフレッドも言葉を紡ぐ。それに一つ頷いて見せてから、今度はセレーナに視線を投げかけた。しかし、セレーナも首を横に振る。
「すみません、ウタ様。私もそのようなお話は……。屋敷にいた頃にも聞いたことがなかったですわ」
「……そうか」
    吟はその言葉にふむと頷く。
    となれば、妖怪について詳しい者はいない、そう考えるべきか……。
    吟は目を細める。この世界に妖怪の概念があるか、不安なところではあったが、その不安はどうやら的中してしまったらしい。そうなれば、吟の記憶と知識に頼るほかないだろう。
    望みは薄い……。だが、多少でも情報が集まれば……。
    吟はそこまで考えて、再度グロリアに向き直る。吟が調べるためにも、許可を貰っておいたほうが良いだろう。それには、グロリアの協力がいるのだ。
「グロリア殿、様子を見たいと我は考えている。だが、その間にもこの領域を調べたい。できれば、領域内すべてを調べたいのだ」
「分かった。とりあえず、学校内を自由に動き回れるように、先生方に掛け合ってみよう」
    こうして、吟は学校内を詮索する手はずをすぐに整えてもらうことに成功したのであった。



    Ⅳ

「ウタ様」
「セレーナ殿、如何した」
    寮長室を出て少しすれば、吟はセレーナに声をかけられた。すぐに足を止めて振り返る。数歩後ろで寂しそうな表情のセレーナが立っていた。服をギュッと掴んで、何かに怯えているように見えた。吟はそれを見て首を傾げた。できるだけ優しく声をかける。
「セレーナ殿」
「……ウタ様は、怒っていらっしゃるのですか?」
    これには吟が驚いた。目を見開いて、目の前にいる少女をじっと見つめる。やがて、少し低くなりつつも、声を発した。ちなみに、怒っているわけではなかった。
「……何故、そう思う」
「いえ、あの……」
    言いにくそうにしている少女を見て、吟は急かすこともなく、ただじっと少女を見つめているだけであった。しかし、なかなか言わない彼女を見て、ふと自分の行動を振り返ってみる。そうして、すぐにはたと気がついた。
    少し、殺気立ってしまっていたか……。
    吟は小さく息をついて、自身の行動に反省する。それから、目の前の少女の頭にぽんと右手を置いた。セレーナがチラリと上目で吟を見ている。吟は努めて優しく話しかけた。
「……すまぬ、少し殺気立っていたな。セレーナ殿に怒ってはおらぬ、許せ」
「そう、でしたか……。すみません、変なことを言ってしまって……」
「いや、我のせい故、セレーナ殿が気にすることではない。すまぬな」
    吟はそう言って一度少女の頭の上で手を弾ませてから、ゆっくりと自身の身体の横へと戻す。それから、一つ息をつくと、再度口を開いた。
「……我は少し外に出てくる、見えぬ敵をそのままにしておくのも気が気でない故。セレーナ殿は部屋に居よ。行動するにせよ、極力一人にならぬよう」
「は、はい。ウタ様、お気をつけて」
「ああ、行ってくる」
    吟は背を向けて歩み出す。それからは一度も振り向くことはなかった。
    セレーナは吟の背中が見えなくなるまで、ずっと静かに見送るのであった。
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