転生した武士妖怪の異世界救出奇譚

色彩和

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第一〇章 少女が通う学校内の最終関門

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    Ⅰ

    あれから結局、吟は自分の部屋を与えて貰えることとなった。
    吟自身は、セレーナの部屋の前で、廊下に座り込んで寝るつもりだった。それは、護衛の依頼を受けた時から考えていたことだった。護衛、ということであれば、人間の身体では仮眠程度の睡眠は必要かもしれないが、いついかなる状況でも対象の者を守れるように、すぐに駆けつけられるようにしておく必要があると考えていたからであった。
    しかし、これに関してはセレーナやグロリアに全否定されてしまった。というのも、他の生徒から苦情が来ると困るからという理由であった。廊下に一晩中誰かが、しかも生徒ではなく外部の者がとなれば、問題になる可能性もある。そう考えたセレーナやグロリアに時間をかけて説得された吟は渋々頷くしかなかった。
    吟は与えられた部屋のベッドに腰掛け、落ち着かない心を抑え込むかのように、膝の上に置かれた拳にぎゅっと力を込めた。腰掛けてじっとしてから、すでに一時間が経過しようとしていた。
「……落ち着かぬな。それに、眠りも一切来ぬ」
    吟は落ち着かない。セレーナの護衛のことも気にはなっているものの、それよりも大きな理由があった。なんといってもやはり気になってしまうのは、この領域を支配するかのように存在している謎の気配。どこに誰かがいるのか、何のためにある気配なのか、まったく何も分からずにいる。それが吟を追い詰めていた。逸る気持ちを、焦る気持ちを鎮めたいとは考えているものの、その気持ちは強くなる一方である。
    吟は一つ息を吐き出す。どうにもならない気持ちを吐き出すために、動くことにした。
「……要の様子を見に行くとしよう」
    この領域に入ってから、あまり顔を合わせていない相棒。馬小屋に預けてから行くに行けなかったのである。少し話を聞いて貰えるだけでも違うだろう、そう考えた吟は刀を持って立ち上がった。窓からタンと飛び降りた吟は要の気配を頼りに歩き出す。道順が覚えられているわけではないので、気配を探ったほうが早いと考えたためであった。
    吟のいた寮である建物からしばらく歩いていれば、ようやく馬小屋に到着した。そして、要を発見する。ほかの馬たちとは別に、一匹で小屋に入れられていた要は丸くなるようにして目を瞑っていた。だが、吟の気配を感じ取ったのか、耳をぴくりと反応させてから、頭を持ち上げる。ゆっくりと開かれた瞳に、吟が映った。
「吟様」
「すまぬ、起こしてしまったな」
「問題ありませんよ。いかがいたしましたか」
    要がゆっくりと馬小屋の奥から近づいてきたのを確認しつつ、吟は馬小屋に背中を預けて腕を組む。それから、ゆっくりと口を開いた。夜の静けさに合わせてか、吟の声は常よりさらに静かで小さく聞こえた。
「いや、少し落ち着かなくてな。要のことも気になっておったし、少し話し相手になって欲しいと思って出向いた次第だ」
「そうでしたか。私は大丈夫ですよ、何だかんだと快適に過ごさせていただいています。……落ち着かないのは、この気配のことですね」
「……ああ」
    吟は深く頷く。目を凝らして見るが、夜目に慣れてきた目でも、景色以外に捉えられるものはなかった。気配もあることは分かるものの、具体的なものは分からず、場所も不明だ。吟はそれを再度理解し、盛大にため息をついた。
「こうも相手が見えず、気配も分かりずらいとなると、気が急くものなのだな」
「そうですね。何かがいることを分かっているからこそ、余計ではないかと。しかし、焦りは禁物ですよ」
「ああ、分かっている」
    要と話していれば、吟は自分が次第に落ち着いてきていることを理解した。話したことによって、気持ちに整理がついたように思えるのである。
    吟は要の元で二〇分ほど話し込んだあと、要へと礼を述べた。
「要、感謝する。少し落ち着けたようだ」
「安心いたしました。私はここに常におりますので、何かありましたらお申し付けください。こちらから伺うことができないことは、残念ですが」
「いや、十分だ。その時はまた頼む」
    吟は要へと挨拶を交わしてから、背を翻す。要はその背中を優しく見守ったのであった。
    吟は寮へと戻る際、一瞬何か視線を感じ取った。刀に手をかけ、周囲を見渡してみるが、何もない。気配も感じ取れずに、しばらく立ち止まる。
    気の所為、か……。
    吟は気になりつつも、寮へと戻った。

    その様子を、誰かが見ているとも知らずに――。



    Ⅱ

    ――翌日。

    吟は起床し、身支度を整えると、部屋から出た。セレーナの元へと足を進める。
    廊下を歩いていれば、すれ違う寮内にいた生徒たちから視線を向けられる。多くの視線が刺さりつつも、吟は気にせずに足を前へと進めた。ただ、向けられる視線が昨日よりも多少緩和されているようには感じていたのであった。
    吟は昨日教えて貰ったセレーナの部屋の前で立ち止まる。扉の向かいにある壁に背を預け、彼女が出てくるのを待つことにした。声をかけることも考えたが、わざわざ急かすこともないだろうと思ったからであった。
    背を預けて腕を組み、彼女が部屋から出てくるのを待っていれば、だんだんと足音が扉に近づいてきた。音が大きくなるのを聞き取り、吟は扉へと視線を向ける。
    数秒後、扉が勢いよく開いた。部屋から顔を出したセレーナと視線が交わると、少女は顔を輝かせた。
「ウタ様!」
「おはよう、セレーナ殿。すまぬな、急かしてしまったか」
「おはようございます、ウタ様。いいえ、お待たせしてしまってすみません。ウタ様がこちらにいらっしゃってたとは気がつかなかったもので……」
「なら、良い」
    セレーナも身支度を整え終わっていたようで、そのまま部屋を出た。吟は少女とともに、廊下を歩み始める。二人の様子を周囲の生徒たちは不思議そうに見つめてきた。だが、吟もセレーナもそれには触れることはなかった。
    それよりも、吟は気になっていることがあった。吟はセレーナに声をかける。
「セレーナ殿、我のことを気にしてくれるのはありがたいのだが、セレーナ殿のご友人は良いのか」
    そう、吟はセレーナが自分のことに付きっきりであるということに気がついていた。友人と話している姿を見かけていない。セレーナにも友人がいるだろうと考えている吟は、自分が邪魔になっているのではないか、ときになっていた。セレーナの隣にいることで、セレーナへ話しかけたい友人たちが話しかけられないという状況になっているのであれば、距離を取るつもりでいた。距離を取ったとしても、セレーナがどこにいてすぐに駆けつけられるかを把握していれば、護衛としての役目は果たせるだろうと、吟は考えている。
    だが、セレーナはにこやかに微笑むだけであった。
「大丈夫ですわ。実は、昨日、ウタ様と別れてから友人たちには質問攻めに遭いましたの。ウタ様のことを気になる方々ばかりでして……」
「……そうか」
    吟はセレーナの言葉を聞いて、深く考えないようにした。ただ頷くだけで、それ以上深堀しないことにする。セレーナの言葉も、それ以上続くことはなかった。
    セレーナと廊下を突き進んでいけば、辿り着いたのは賑やかで広い空間。たくさんの声が、言葉が飛び交っている中、吟は呆気にとられていた。その光景を立ち止まって呆然と見つめてしまう。
「セレーナ殿、ここは……」
「食堂ですわ、ウタ様。まずは、食事にしませんと」
「……なるほど」
    吟は思わず顔を顰めていた。セレーナの言葉には納得していた。人間であるなら、生きるためにも、活動するためにも食事は必須だろう。だが、これだけ広い空間であれば、人も多く集まっている。つまり、その中で吟はマスクや布を取らなくてはいけないということになるのだ。まだそれらを外して人前に出ることに慣れずにいる吟は、その状況を考えて顔を顰めてしまったのであった。
    だが、要にもきつく言われていることである。以前と違い、人間の身体になったのだから、食事や睡眠をきちんと取るように、と口を酸っぱくして言われたようなものだ。
    背に腹はかえられぬ、か……。
    吟はセレーナの言葉を断ることもできずに、渋々頷く。
    すると、横でセレーナが嬉しそうな声を上げた。
「グロリア寮長、アルフレッド副寮長!」
    その言葉に吟も視線を向けてみれば、向かい合って座っている二人がいた。グロリアが右手を軽く上げ、アルフレッドが軽く頭を下げる。吟はそれを見て軽く頭を下げた。
    吟はセレーナと二人の元へと歩み寄る。グロリアが口を開いた。
「おはよう、セレーナ、ウタ殿」
「おはようございます、セレーナさん、ウタさん」
「おはようございます、グロリア寮長、アルフレッド副寮長」
「おはよう、グロリア殿、アルフレッド殿」
    各々挨拶を交わした後、グロリアは笑った。
「相変わらず注目の的だな。……席だが、良ければここはどうだ。ウタ殿とも少し話がしたいしな」
「お二方が問題なければ、私は大丈夫ですわ。ウタ様はどうですか?」
「我のことは気にしなくて良い。セレーナ殿に任せる」
    こうして、吟たちはグロリアたちと同席することとなった。セレーナはすぐに食事を取ってくると言って動く。吟も動くつもりであったが、セレーナに「ウタ様の分も取ってきますので、待っていてくださいませ!」と強く言われてしまい、仕方がなく席に着くことにした。アルフレッドの左隣の席に腰を下ろす。少女が心配ではあるものの、気遣いを無駄にするわけにもいかずに、吟はため息をついた。
    グロリアは吟が席に着いたことを確認してから口を開いた。
「ウタ殿、よく眠れたか?」
「とりあえず、休むことができた。礼を言う」
「ウタさんは礼儀正しいですよね」
「そうだろうか」
    グロリアの言葉に礼を述べれば、アルフレッドが優しい声音で告げる。吟はそれを聞いて首を傾げた。グロリアとアルフレッドは間髪入れずに頷いた。
「すでに何人かの護衛が来ているが、偉そうだったり、素行が悪かったりしてな」
「あまりに行いが酷いと、学校から強制的に追い出されるのですが、まだ例の件が解決できていないので……」
「……なるほど」
    この二人も苦労者だな……。
    吟はそう思いつつ、二人の様子を眺めた。
    その時、吟はセレーナが戻ってきたことを気配で感じ取った。近くまで来ているが、すぐに近づいてくる感じがない。吟が視線を気配の方向へと向ければ、セレーナが両手に食事の乗ったトレーを持っておぼつかない足取りでこちらに向かっているのを見つけた。吟はそれを見るとすぐに席を立ち、少女へと駆け寄って両手のトレーを攫う。それから、少女へと声をかけた。
「大丈夫か」
「す、すみません、ウタ様」
「無理をするな」
    吟はそのまま歩き、机に二つのトレーを置いた。セレーナも机に辿り着くと同時に、グロリアが口笛を吹いた。
「やるな、ウタ殿。さすが『貴公子』」
「……何の話だ」
    グロリアの言葉に聞き慣れない言葉があり、吟は思わず聞き返していた。すると、それに答えたのは、アルフレッドであった。
「おや、知りませんでしたか?    昨日、ウタさんの素顔を見た女子生徒たちが呼び始めたのですよ。あまりにも美しい顔立ちだったからこその呼び名だとか。確か……、『宵の貴公子』、でしたかね」
「さすが、ウタ様ですわ!」
「……我は喜べないのだが」
    吟は三人の言葉に耳を傾けつつ、一つため息をつく。それから、しゅるりと仕方なく布とマスクを外した。あまり顔は出したくないものの、食事にするのであれば外さなくてはいけない。いつまでもずるずると時間をかけてしまえば、食事も冷めてしまう。それよりは潔く取ることにしたのである。
    吟が首に巻いていた布とマスクを外せば、目の前にいる三人を含め、多くの視線が吟に注がれた。あまりの視線の多さに、吟は眉を寄せた。思わず低い声で言葉を発してしまう。
「……何だ」
「いや、何度見ても絵になるな、と」
「何度見ても、惚れ惚れしてしまいますよね」
「納得しますね」
「……我には分からぬ」
    吟は何度目か分からないため息をついた。アルフレッドはさらに口を開いた。
「いや、男性の私から見てもうっとりしてしまうほどの美形ですからね。女性からしたら、目が離せなくなるでしょう」
「……すまぬ。我には何と返して良いのか分からぬ故」
    吟はマスクと布を畳んでまとめつつ、肩を落とした。それから、呆れた声音で言葉を紡ぐ。
「正直に言えば、我の何が良いのか分からぬ。セレーナ殿は我の顔をよく褒めているように思えるが、そのようなことにも慣れてない故」
「もったいないですわ」
    セレーナはそう呟く。グロリアやアルフレッドも深く、深く頷いていた。
    吟はこれ以上何を言っても仕方がないと思いつつ、両手を合わせてから、食事に手を伸ばすことにした。
    吟がいた国よりも、その外にあったいわゆる海外と呼ばれる国々に近いこの世界。だが、この世界にも米があったし、和食に近い料理もあった。しかも箸まであって、吟が驚いたのは記憶に新しい。
    吟は綺麗な所作で食べ始めた。しばらくそれを見ていた三人であったが、各々食事に手を伸ばし始める。

    だが、すぐに第三者の声が、その空間を破るのであった――。



    Ⅲ

    吟たちがいる机の目の前で、大声で声をかけてくる男がいた。
    吟がちらりと視線を向ければ、そこには昨日少々痛めつけた男がいたではないか。吟はそれを見て目を細めた。
    昨日も同じようなことがあった気がするが……。確か、この男の名は、アンドレ、と言っていたか……。
    吟が考えていたことをセレーナたちが聞いたのであれば、その現象を「デジャヴ」と言うと教えてくれたことであろうが、残念ながら吟はその言葉を知らなかった。
    吟が視線を向けたからか、それとも何も気にしていないのか、アンドレは吟へと続けて声をかけてきた。怒号にも近く聞こえるその声に、周囲がざわざわと騒いでいるが、吟は気にしない。むしろ、男を睨みつけていた。
「昨日はよくもやってくれたな、よそ者」
「……食事の席だ。静かにせぬか」
    吟は手にしていた茶碗と箸を机に置く。それから、冷たく言い放った。その言葉が癪に障ったのか、アンドレは吟たちが使っていた机を思いっきり蹴飛ばす。その勢いで机に乗っていた食事は床へとばら撒かれてしまった。セレーナやグロリアたちの分まですべて落ちてしまい、吟はそれに視線をさらに鋭くした。グロリアが声を上げる。
「アンドレ、貴様!」
「寮長、信用できないものには、食事も必要ないでしょう?」
「その話は昨日ケリが着いたはずだ。お前が口を挟むことでも、判断することでもない」
    グロリアが叱るが、アンドレは気にすることなく、ただニヤニヤと笑うだけだった。
    そんな中、吟が刀を手にしてゆらりと立ち上がった。鞘に収めたままの状態で、刀を構える。
「グロリア殿、少しどいていろ」
「ウタ殿!」
「ようやくやるつもりか!    てめえの実力、ここで証明してみろ!」
    アンドレの言葉によって、ざっとたくさんの人間が食堂に姿を現す。おそらく、一〇〇人近くの人間がいるだろう。下卑た笑いをしながら、彼らは吟をぐるりと囲んだ。
    食堂にいた生徒たちは、すぐに逃げ始めた。グロリアやアルフレッドは指示を出しつつ、様子を窺う。セレーナは不安そうに吟を見つめていた。
    吟は囲まれても焦る様子一つなく、対峙する男たちをギロリと睨む。それでも、刀を抜く様子はなかった。
    セレーナはグロリアへと声をかける。
「グロリア寮長、あの人たちは一体……!」
「確か、アンドレが雇った用心棒と、ほかの者たちが雇った護衛たちだな。どうやら、アンドレが上手く交渉でもしたんだろう」
「全校生徒たちが連れてきた護衛たち、全員いますね。交渉が上手なアンドレなら、簡単にやってのけるでしょう」
    三人の話し声を微かに聞き取りつつ、吟は鞘に収めたままの刀を構える。アンドレはそれを見て鼻で笑った。
「おいおい、刀も抜けねえのかよ。昨日の威勢はどうした」
「貴様らにはこれで十分だ。さっさと来い、相手をしてやる」
「その余裕、どこまで持つかな!」
    アンドレの号令により、男たちは一斉に襲いかかる。
    セレーナが思わず、吟の名前を呼んだ。悲痛な叫びにも聞こえたそれは、吟の耳にもしっかりと届いていた。

    ――勝負は一瞬だった。

    五分と経たずに、吟は全員を叩きのめしていたのである。鞘に収めたままの刀を振るい、地を蹴り、宙を舞って、時に相手を投げ飛ばし、時に相手を蹴り飛ばす。
    食堂は荒れてしまったものの、静けさに、包まれていた。
    アンドレが口をあんぐりと開けたまま、固まっている。セレーナやグロリアたちは、それを呆然と見つめていた。
    逃げていた大半の生徒たちも、食堂の中が静かになったからか、少しずつ戻ってきて中を見ている。皆、呆気にとられていた。
    吟は手にしていた刀を腰に携えると、ゆっくりと鞘から刀を抜いた。そして、足音を少しだけ鳴らしながら、アンドレへと一歩、一歩距離を詰めていく。アンドレはその場で腰を抜かしてしまっていた。
    アンドレの前に来ると、彼の鼻先に吟は刀を突きつけた。アンドレが息を呑む。吟はそれを冷ややかな目で見下ろした。
「……よくもあのような行動に出れたものだ」
「な、なんで……!」
「いくら人数が増えようと、我には勝てぬ。単調な動き、武器に頼った戦い方、勢いに任せた身体の使い方……。気配も、殺気も隠すことなく近づいてくる。そのような相手が我に勝てるわけがなかろう」
「……!」
    吟が淡々と告げる中、アンドレは床に着いた手をぎゅっと握りしめた。悔しさを拳に込めていく。吟はそれを見つつも、「それよりも」と口を開いた。
「何故、食事を無駄にした」
「……は?」
    アンドレは吟の言葉に目を瞬く。拍子抜けした声を出して、きょとんとしていた。吟の言葉を聞いていたその場にいた者たちは、皆、聞き間違いかと思ってしまう。だが、吟はそれを気にすることもなく、低い声でさらに続けた。
「答えよ。何故、食事を無駄にしたのだ」
「んなこと関係――」
「――ある」
    吟は否定しようとしたアンドレの言葉を遮った。冷たい視線がアンドレを射抜く。アンドレは思わず言葉を飲み込んでいた。吟はアンドレの言葉が出てこないと踏んで、言葉を紡いだ。
「……貴様は勘違いしておるようだが、食い物が無限にあるわけではない」
「……!」
    その言葉に、アンドレだけでなく、セレーナたちも目を見開いた。吟はさらに言葉を続けた。
「この世にいる者が、すべて食事にありつけているわけではない。食事にありつけない者もいれば、水にすらありつけない者もいる。食事は必ずしもできるわけではない。好きなものを好きなだけ食べられるということが、食事にありつけるということが、どれだけ贅沢なことか理解できぬか」
「……」
「ありがたみも分からずに、食事を無駄にするなど、言語道断。そのような者に、我は負けぬ」
「な、にを……」
「それとも何か。貴様は神にでもなったつもりか。我のことなどどうでも良いが、セレーナ殿たちを巻き込むことには納得行かぬ。セレーナ殿たちの食事まで貴様の好きにできると思うな。――少しは考えを改めろ」
    吟は刀をさらに近づけてそう言う。アンドレはギリギリと歯を噛み締めた。そして、懐に手を伸ばす。吟はそれを見ても動じなかった。何が来てもいいように、気を引き締めて様子を窺う。アンドレが懐から出したものは、何やら木でできた棒のようなものであった。
    何だ、木の棒、か……?
    吟が目を細めれば、その棒から火の玉が放たれる。吟はそれをひらりと避けた。少し距離を取りつつ、次から次へと放たれる火の玉を刀で振り払う。
「誰が、誰がてめえなんかに――」
   吟は攻撃を避けつつ、振り払いつつ、アンドレの動きを見る。棒から放たれる火の玉に目を細めた。
    もしや、あれが魔法とやらか……。
    以前、セレーナを助けた時も何か力が増大していたのを感じ取った。だが、その時は何かを見ることなく、そのまま倒してしまったので、これが初見である。
    吟は攻撃を避けつつ、アンドレとの距離を再度詰めた。そして、木の棒を斬り落とす。真っ二つにされた棒を唖然として見つめるアンドレの背後に回りこみ、首に手刀を落とした。アンドレが地に倒れ込むのを見届けた吟は、視線をチラリと動かして今度は周囲で逃げ出そうとしている護衛たちを見る。それから、冷ややかに告げた。
「……我を前にして逃げられると思うか」
    吟がそう言えば、男たちは一斉に悲鳴を上げた。泣く者も出てくる中、全員吟に向かって一斉に頭を下げる。いわゆる、土下座であった。
    吟はそれを見て、盛大にため息をつく。静かに刀を鞘に収めるのであった。



    Ⅳ

    食堂は歓声に包まれた。吟はその中を歩いて、セレーナたちの元へと戻る。
「ウタ様、お怪我は……!」
「問題ない。セレーナ殿は無事か」
「はい……!」
    グロリアとアルフレッドは周囲に指示を出しつつ、動き始めていた。その中で、グロリアが吟へと近づく。吟は謝罪した。
「すまぬ、グロリア殿」
「いや、こちらこそ申し訳ない。アンドレの処分は任せてくれ。……それにしても、もうウタ殿に文句を言う奴はいないだろう。この歓声だ、誰も彼もが納得しているはずだ」
    吟は歓声を上げている生徒たちをチラリと見つつ、ふむと頷く。グロリアは生徒たちを見てから、吟を見て肩を落とした。
「しかし、ウタ殿も少しは気をつけてくれ。毎度フォローに回るのも大変なのだからな」
「以後気をつけるとしよう」
    吟はそれに頷きつつ、すぐに疑問を口にした。
「それよりも、あのアンドレとやらが使っていたのは、魔法、と言うやつか……」
「そうだな。この世界では一般的なものになる」
    グロリアが肯定する中、吟は再度口を開いた。
「そうか。我は――っ!」
    だが、その言葉は最後まで発せられることはなかった。吟は刀に手をかけ、周囲を見渡す。セレーナを背後にかばい、警戒した。突如警戒し始めた吟を、セレーナたちは不思議そうに見つめた。セレーナが名前を呼ぶ。
「ウタ様?」
「この、気配……。こちらか」
    吟は気配を探して駆け始める。背後でセレーナたちの声がしたが、振り向くことはなかった。
    急に強まった謎の気配。しかも、それは一瞬自分たちに近づいてきていた。吟は遠くなっていく気配を必死に探りながら、寮内を駆けて行く。
    しかし、寮である建物から出てすぐに、その気配は分からなくなってしまった。また領域全体を覆う気配だけになってしまい、正体は掴めずじまいだ。
    吟は周囲を見渡すが、やはり何もない。気配も分からなくなってしまった今、吟は呆然と立ち尽くすだけだった。
    何だったのだ、今のは……。
    吟は妙な気配の正体を見ることができなかった。如何に突っかかってくる敵を倒したところで、本命が倒せないのでは話にならない。
    吟は歯がゆい思いを押し殺して、寮内に引き返すのであった。
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