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32.剣の魔将(1)
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苦しい行軍が続いた。
既に1万人以上の聖騎士が命を落としている。
聖女候補たちも懸命に負傷兵の救護にあたっている。
だけど聖女候補は28人しかいない。《回復》も《蘇生》も間に合っていない。
無力感に苛まれているのが、ありありと分かるのに、懸命に笑顔でいようとしている。聖女らしくあろうとしている。《聖女の宝玉》が輝くのを待っている。
きっと全員が、――もう、私でなくてもいい。と、思っていることだろう。
「そろそろ、子づくりは成功しそう?」
と、アンドレアスさんが言った。
隣に来ていたエミリアさんが、表情も変えずに続きを遮る。
「女性に聞くことではありません」
マルティン様が死をも覚悟されていることに気が付いてから、アンドレアスさんの下世話な冗談も意味が違って聞こえる。
けれど、その真意を糺すことはできない。
……恐ろしくて。
「ちょっと、いい感じまでは行ってるんですけどねーっ!」
と、私もおちゃらけて返す。
「アリエラ殿……。無理にアンドレアス殿に合わせることはありませんよ?」
「はっはっはっは! 笑顔になるなら、なんでもいいのさ。そうだ、アリエラ殿。そろそろ俺のことはアンドリーって呼んでくださいよ」
「アンドリー?」
アンドリーはアンドレアスの愛称として使われることも多いけど、フェステトゥア王国では同名で伝説になった女たらしのジゴロのイメージが強く、アンドレアスさんの悪人面の印象からはほど遠い。
エミリアさんが、呆れたように口をはさんだ。
「アンドレアス殿がアンドリーという、ご面体か?」
「はっは! 人には、自分の見られたいように見られる権利があるだろ? 俺はこう見えてもモテるんだぜ?」
「初耳だが……」
――見られたいように見られる権利。
脳天を撃たれるような衝撃だった。
たしかに私も『怖いゴリラ』より『愉快なゴリラ』と見られたくて、色々努力もしてきた。
けれど、それさえも"本当の私"ではない。
しかも、今は心の大部分を占める不安を隠そうと、おちゃらけて見せている。
私の『見られたい私』とは、なんなのだろうか――。
アンドレアスさんとエミリアさんの掛け合いを聞きながら、ぼおっと考え込んでしまった。
「仮面を被りたいヤツだって、仮面を被りたい自分が"本当の自分"だろ?」
「そう言われたら、そうかもしれんが……」
「どうせいつか死ぬんだ。本当の自分をさらけ出して生きてないと、もったいないじゃねぇか」
「一理あるようにも聞こえるが、身に過ぎた望みは神の恩寵を失わせかねませんぞ?」
「どうして? 俺の話に、なにも嘘はないぜ? 嘘がないから副長に登り詰められるだけの恩寵をお与えくださったんだとばかり思ってたんだがな」
心地よさそうに笑って見せる、アンドレアスさんの笑顔が眩しい。悪人面なのに……。
――私は、本当は美しいのよ!
って、皆に言って回っていれば、私もこんな風に笑えたんだろうか。
いや……、それで向けられる憐みの視線は、私が見られたい私を決して映さない。
そして、待ちに待ちに待ちに待って、遂にマルティン様に巡り合ったのだ。“本当の私“を見つけてもらったのだ。
後悔はなにもないではないか――。
◆ ◆ ◆
魔将が振った大剣のひと薙ぎで、前列の聖騎士、数千人が一瞬で消し飛んだ――。
人間の3倍を超えようかという巨体は、最後尾からでも確認できる。
――剣の魔将、ヘルフェンブリンガー。
マルティン様から天幕で聞いていた通りの禍々しい瘴気を身にまとって、哄笑を響かせた。
「魔王の四方に偵察を放ち、西に回り込むことにいたしました」
と、マルティン様から聞いていた。
「魔将は4体とも倒すのではないのですね?」
「ええ。どちらか一方向をこじ開ければ魔王に到達することが出来ます。魔王が出現させる魔将には一定のパターンがあり、今回は西に出現した剣の魔将ヘルフェンブリンガーに狙いを絞りました」
「ヘルフェン……、恐ろしい名前です」
「ええ。しかし、今回の我々の戦力では、突破できる可能性が最も高い相手です」
その相手は、充分に戦闘経験を積んだ聖騎士を、数千人まとめて、一瞬で薙ぎ払った……。
あの様子では《回復》も《蘇生》も間に合わない。聖女候補たちの中には膝から崩れ落ちる者もいる。
――これまでの魔物とはケタが違う。
私も青ざめていると、アンドレアスさんがケタケタと笑った。
「さて。俺の出番だな」
「アンドレアスさん……」
「ヘルフェンブリンガーは、一騎討ちを挑まれたら拒まないんですよ」
「え…………」
「しかも、一騎討ちになると魔力も使わず、純粋に剣の技術だけで勝負してくれる稀有な魔将だ」
アンドレアスさんは、あの巨体の魔将とひとりで闘おうと言うのか……。
「3番手の聖騎士が挑む手筈でしたが、今、吹き飛ばされちまった。俺が行かねぇと、マルティンが突っ込んでしまう」
そこに、エミリアさんが駆け込んで来た。
「アンドレアス殿! ヘルフェンブリンガーは一騎討ちを承諾した!」
「承知!」
アンドレアスさんは二マリと笑った。
「アリエラ殿。あとは頼んだぜ? マルティンの横で、ずっと笑っててくれよ」
「……ご武運を。…………アンドリー」
「へへっ! いいね、いいねぇ! アンドリー、頑張っちゃおっかなーっ!」
「もう……。真面目に祈っているのに……」
「うん、いい笑顔だ。笑顔はなによりの《浄化》なんだぜ? 俺情報だけどな」
アンドリーはいつも通りに、気持ちよさそうな笑い声をあげた――。
既に1万人以上の聖騎士が命を落としている。
聖女候補たちも懸命に負傷兵の救護にあたっている。
だけど聖女候補は28人しかいない。《回復》も《蘇生》も間に合っていない。
無力感に苛まれているのが、ありありと分かるのに、懸命に笑顔でいようとしている。聖女らしくあろうとしている。《聖女の宝玉》が輝くのを待っている。
きっと全員が、――もう、私でなくてもいい。と、思っていることだろう。
「そろそろ、子づくりは成功しそう?」
と、アンドレアスさんが言った。
隣に来ていたエミリアさんが、表情も変えずに続きを遮る。
「女性に聞くことではありません」
マルティン様が死をも覚悟されていることに気が付いてから、アンドレアスさんの下世話な冗談も意味が違って聞こえる。
けれど、その真意を糺すことはできない。
……恐ろしくて。
「ちょっと、いい感じまでは行ってるんですけどねーっ!」
と、私もおちゃらけて返す。
「アリエラ殿……。無理にアンドレアス殿に合わせることはありませんよ?」
「はっはっはっは! 笑顔になるなら、なんでもいいのさ。そうだ、アリエラ殿。そろそろ俺のことはアンドリーって呼んでくださいよ」
「アンドリー?」
アンドリーはアンドレアスの愛称として使われることも多いけど、フェステトゥア王国では同名で伝説になった女たらしのジゴロのイメージが強く、アンドレアスさんの悪人面の印象からはほど遠い。
エミリアさんが、呆れたように口をはさんだ。
「アンドレアス殿がアンドリーという、ご面体か?」
「はっは! 人には、自分の見られたいように見られる権利があるだろ? 俺はこう見えてもモテるんだぜ?」
「初耳だが……」
――見られたいように見られる権利。
脳天を撃たれるような衝撃だった。
たしかに私も『怖いゴリラ』より『愉快なゴリラ』と見られたくて、色々努力もしてきた。
けれど、それさえも"本当の私"ではない。
しかも、今は心の大部分を占める不安を隠そうと、おちゃらけて見せている。
私の『見られたい私』とは、なんなのだろうか――。
アンドレアスさんとエミリアさんの掛け合いを聞きながら、ぼおっと考え込んでしまった。
「仮面を被りたいヤツだって、仮面を被りたい自分が"本当の自分"だろ?」
「そう言われたら、そうかもしれんが……」
「どうせいつか死ぬんだ。本当の自分をさらけ出して生きてないと、もったいないじゃねぇか」
「一理あるようにも聞こえるが、身に過ぎた望みは神の恩寵を失わせかねませんぞ?」
「どうして? 俺の話に、なにも嘘はないぜ? 嘘がないから副長に登り詰められるだけの恩寵をお与えくださったんだとばかり思ってたんだがな」
心地よさそうに笑って見せる、アンドレアスさんの笑顔が眩しい。悪人面なのに……。
――私は、本当は美しいのよ!
って、皆に言って回っていれば、私もこんな風に笑えたんだろうか。
いや……、それで向けられる憐みの視線は、私が見られたい私を決して映さない。
そして、待ちに待ちに待ちに待って、遂にマルティン様に巡り合ったのだ。“本当の私“を見つけてもらったのだ。
後悔はなにもないではないか――。
◆ ◆ ◆
魔将が振った大剣のひと薙ぎで、前列の聖騎士、数千人が一瞬で消し飛んだ――。
人間の3倍を超えようかという巨体は、最後尾からでも確認できる。
――剣の魔将、ヘルフェンブリンガー。
マルティン様から天幕で聞いていた通りの禍々しい瘴気を身にまとって、哄笑を響かせた。
「魔王の四方に偵察を放ち、西に回り込むことにいたしました」
と、マルティン様から聞いていた。
「魔将は4体とも倒すのではないのですね?」
「ええ。どちらか一方向をこじ開ければ魔王に到達することが出来ます。魔王が出現させる魔将には一定のパターンがあり、今回は西に出現した剣の魔将ヘルフェンブリンガーに狙いを絞りました」
「ヘルフェン……、恐ろしい名前です」
「ええ。しかし、今回の我々の戦力では、突破できる可能性が最も高い相手です」
その相手は、充分に戦闘経験を積んだ聖騎士を、数千人まとめて、一瞬で薙ぎ払った……。
あの様子では《回復》も《蘇生》も間に合わない。聖女候補たちの中には膝から崩れ落ちる者もいる。
――これまでの魔物とはケタが違う。
私も青ざめていると、アンドレアスさんがケタケタと笑った。
「さて。俺の出番だな」
「アンドレアスさん……」
「ヘルフェンブリンガーは、一騎討ちを挑まれたら拒まないんですよ」
「え…………」
「しかも、一騎討ちになると魔力も使わず、純粋に剣の技術だけで勝負してくれる稀有な魔将だ」
アンドレアスさんは、あの巨体の魔将とひとりで闘おうと言うのか……。
「3番手の聖騎士が挑む手筈でしたが、今、吹き飛ばされちまった。俺が行かねぇと、マルティンが突っ込んでしまう」
そこに、エミリアさんが駆け込んで来た。
「アンドレアス殿! ヘルフェンブリンガーは一騎討ちを承諾した!」
「承知!」
アンドレアスさんは二マリと笑った。
「アリエラ殿。あとは頼んだぜ? マルティンの横で、ずっと笑っててくれよ」
「……ご武運を。…………アンドリー」
「へへっ! いいね、いいねぇ! アンドリー、頑張っちゃおっかなーっ!」
「もう……。真面目に祈っているのに……」
「うん、いい笑顔だ。笑顔はなによりの《浄化》なんだぜ? 俺情報だけどな」
アンドリーはいつも通りに、気持ちよさそうな笑い声をあげた――。
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