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第六章 第一部
22 侍女頭と神官長
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神官長はキリエの話を笑顔を崩さぬまま聞いていた。
「侍女がシャンタルやマユリアのお心を悩ますようなことは言わぬと信じております。ですが、どこからどう伝わったのかが分からぬ今の段階では、万が一ということがないとは言い切れぬとも理解しております。その上で、そのようなことはなさらないように、重ねてそうお願い申し上げます」
キリエは表情を崩さぬまま、丁寧に神官長に頭を下げて頼んだ。
侍女頭が頭を下げた。
シャンタル宮の中で女神2人をのぞけば最上位の人間が、その主以外には決して頭を下げぬ宮の人の中の最上位が自分に頭を下げた。
神殿は常に宮の下位に置かれていた。宮を平穏に運営するために支え続ける。光が当たる宮の影となり、静かに、流れるように、ひたすら身を低くして頭を下げ続ける存在だった。
その上でまっすぐに頭をもたげ、女神の光の当たる場所に君臨し続ける侍女頭。自分とは違い尊ばれる存在である侍女頭が、今、自分に頭を下げているのだ。
神官長は自分でも思わぬ身震いを感じた。そして同時に警戒心が強くなる。この女がただで自分に頭を下げるなどありえぬことだ、そう分かっているから。
「いやいや、これはこれは。まさか鋼鉄の侍女頭様に頭を下げられる日が来るなど、思いもしませんでした。どうぞ頭をお上げください」
神官長の声は微かに振るえていた。どうやってもそれだけは抑えられなかったらしい。
キリエはゆっくりと頭を上げる。その顔からはどんな感情もうかがうことはできない。
「それで、そのためにいらっしゃったのですか」
「いいえ、お聞きしたいことがあって、それで伺いました」
「そうですか。ではお聞きいたしましょう」
神官長は頭を上げたキリエに正面から向かい合って座り直した。
今、自分の頭は侍女頭と同じ高さにある。もう卑屈に頭を下げる必要はないのだと神官長は己に言い聞かせる。
「さあ、どうぞ」
神官長は慈悲深く微笑みキリエを促した。
「女神マユリアとシャンタリオ国王の婚姻についてお聞きしたいのです」
「ほう、お聞きになられましたか」
「ええ、マユリアがルギと私に話してくださいました。そのぐらいのことは予想をなさっていたでしょう」
「ええ、まあ」
「あらためてあなたの口からそのことをお聞きしたくて参りました」
キリエは淡々と、いつもの業務のことを口にするように続ける。
「なぜ女神マユリアがシャンタリオ国王と婚姻することが民のためになるのでしょう。確かに民の心の助けにはなるかも知れません。ですが、マユリアが人にお戻りになったら当代が後をお継ぎになります。そしてその後にはもうシャンタルはおられない。つまり新しいマユリアもおられないということです。結局は数年の誤魔化しにしかならないのではありませんか?」
キリエの感情のこもらぬいつもの言葉に神官長は苦笑する。
「いやいや、さすがです。ですが、少し勘違いをなさっておられるようだ」
「勘違い?」
「ええ、婚姻なさるのは当代マユリアだけです。当代シャンタルが王家の一員の女神となることはありませんよ」
やはりマユリアを国王に嫁がせるための詭弁かとキリエは思った。
「いえ、違います」
神官長は笑みを浮かべ、キリエが心に思ったであろうことを否定する。
「マユリアに国王の手を触れさせるようなことはいたしません。もちろん父も子も、どちらの国王の手も。そんな汚らわしいことを許せるとお思いでしょうか?」
意味がわからないとキリエは思った。
「てっきりマユリアを国王陛下に嫁がせるため、婚姻の絆を結ばせ既成事実を作るためだとばかり思っておりました」
ずばりと切り込むキリエの言葉に、神官長が楽しげに声を上げて笑った。
「さすがの侍女頭にもそこまでしか想像はできなかった。いや、私も捨てたものではありませんな」
この上何を考えているのか。キリエは相変わらず表情を変えぬまま神官長をまっすぐ見つめ続ける。
「マユリアは神聖な存在、この国を照らす女神。あの方ほど女神にふさわしい方がおられるでしょうか」
これはキリエにも理解できた。
確かにあの方は特別なお方だ。取り上げた産婆が、このような赤ん坊は見たことがないと思わず涙したほどのあの神々しさ。この世に生まれた瞬間から、輝くばかりに美しい、まさに女神としか思えぬお方。
キリエはマユリアのその身が本物の女神シャンタルの肉体を持って生まれたことは知らない。だが、それでも真の女神と認めぬわけにはいかなかった。
「そのマユリアと、そして先代の『黒のシャンタル』と比べて、当代のなんと凡庸なことか。確かにお美しい方ではいらっしゃるが、普通の美しい少女でしかない」
「シャンタルに無礼は許されませんよ」
キリエが静かに、だが厳しく神官長を咎めた。
「いえ、決して当代に無礼を申しているわけではないのです。当代ももちろん素晴らしいお方、ご尊敬申し上げております。ですが、先のお二人と比べて御覧なさい」
「お比べすることがすでに無礼です。どのシャンタルも全て素晴らしいお方。この世にお生まれになられ、存在してくださること、そのことが尊く素晴らしいことなのです」
キリエは髪の毛の幅ほども引くつもりがない。
「侍女がシャンタルやマユリアのお心を悩ますようなことは言わぬと信じております。ですが、どこからどう伝わったのかが分からぬ今の段階では、万が一ということがないとは言い切れぬとも理解しております。その上で、そのようなことはなさらないように、重ねてそうお願い申し上げます」
キリエは表情を崩さぬまま、丁寧に神官長に頭を下げて頼んだ。
侍女頭が頭を下げた。
シャンタル宮の中で女神2人をのぞけば最上位の人間が、その主以外には決して頭を下げぬ宮の人の中の最上位が自分に頭を下げた。
神殿は常に宮の下位に置かれていた。宮を平穏に運営するために支え続ける。光が当たる宮の影となり、静かに、流れるように、ひたすら身を低くして頭を下げ続ける存在だった。
その上でまっすぐに頭をもたげ、女神の光の当たる場所に君臨し続ける侍女頭。自分とは違い尊ばれる存在である侍女頭が、今、自分に頭を下げているのだ。
神官長は自分でも思わぬ身震いを感じた。そして同時に警戒心が強くなる。この女がただで自分に頭を下げるなどありえぬことだ、そう分かっているから。
「いやいや、これはこれは。まさか鋼鉄の侍女頭様に頭を下げられる日が来るなど、思いもしませんでした。どうぞ頭をお上げください」
神官長の声は微かに振るえていた。どうやってもそれだけは抑えられなかったらしい。
キリエはゆっくりと頭を上げる。その顔からはどんな感情もうかがうことはできない。
「それで、そのためにいらっしゃったのですか」
「いいえ、お聞きしたいことがあって、それで伺いました」
「そうですか。ではお聞きいたしましょう」
神官長は頭を上げたキリエに正面から向かい合って座り直した。
今、自分の頭は侍女頭と同じ高さにある。もう卑屈に頭を下げる必要はないのだと神官長は己に言い聞かせる。
「さあ、どうぞ」
神官長は慈悲深く微笑みキリエを促した。
「女神マユリアとシャンタリオ国王の婚姻についてお聞きしたいのです」
「ほう、お聞きになられましたか」
「ええ、マユリアがルギと私に話してくださいました。そのぐらいのことは予想をなさっていたでしょう」
「ええ、まあ」
「あらためてあなたの口からそのことをお聞きしたくて参りました」
キリエは淡々と、いつもの業務のことを口にするように続ける。
「なぜ女神マユリアがシャンタリオ国王と婚姻することが民のためになるのでしょう。確かに民の心の助けにはなるかも知れません。ですが、マユリアが人にお戻りになったら当代が後をお継ぎになります。そしてその後にはもうシャンタルはおられない。つまり新しいマユリアもおられないということです。結局は数年の誤魔化しにしかならないのではありませんか?」
キリエの感情のこもらぬいつもの言葉に神官長は苦笑する。
「いやいや、さすがです。ですが、少し勘違いをなさっておられるようだ」
「勘違い?」
「ええ、婚姻なさるのは当代マユリアだけです。当代シャンタルが王家の一員の女神となることはありませんよ」
やはりマユリアを国王に嫁がせるための詭弁かとキリエは思った。
「いえ、違います」
神官長は笑みを浮かべ、キリエが心に思ったであろうことを否定する。
「マユリアに国王の手を触れさせるようなことはいたしません。もちろん父も子も、どちらの国王の手も。そんな汚らわしいことを許せるとお思いでしょうか?」
意味がわからないとキリエは思った。
「てっきりマユリアを国王陛下に嫁がせるため、婚姻の絆を結ばせ既成事実を作るためだとばかり思っておりました」
ずばりと切り込むキリエの言葉に、神官長が楽しげに声を上げて笑った。
「さすがの侍女頭にもそこまでしか想像はできなかった。いや、私も捨てたものではありませんな」
この上何を考えているのか。キリエは相変わらず表情を変えぬまま神官長をまっすぐ見つめ続ける。
「マユリアは神聖な存在、この国を照らす女神。あの方ほど女神にふさわしい方がおられるでしょうか」
これはキリエにも理解できた。
確かにあの方は特別なお方だ。取り上げた産婆が、このような赤ん坊は見たことがないと思わず涙したほどのあの神々しさ。この世に生まれた瞬間から、輝くばかりに美しい、まさに女神としか思えぬお方。
キリエはマユリアのその身が本物の女神シャンタルの肉体を持って生まれたことは知らない。だが、それでも真の女神と認めぬわけにはいかなかった。
「そのマユリアと、そして先代の『黒のシャンタル』と比べて、当代のなんと凡庸なことか。確かにお美しい方ではいらっしゃるが、普通の美しい少女でしかない」
「シャンタルに無礼は許されませんよ」
キリエが静かに、だが厳しく神官長を咎めた。
「いえ、決して当代に無礼を申しているわけではないのです。当代ももちろん素晴らしいお方、ご尊敬申し上げております。ですが、先のお二人と比べて御覧なさい」
「お比べすることがすでに無礼です。どのシャンタルも全て素晴らしいお方。この世にお生まれになられ、存在してくださること、そのことが尊く素晴らしいことなのです」
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