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5話

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 リクが用意してくれた食事は、果物がメインのものだった。「パンとか売ってないですからね」とリクは肩を竦めた。


「もちろん、お嬢が――〈姫〉が望むなら、〈神子〉は揃えてくれるでしょうが、そこまでされたくはないでしょう?」

「もちろんよ。だってそれ、奇跡の力を使うんでしょう」

「そうでしょうね。ここエデルファーレに食べ物はいらないって伝えてあるんで、供物には食べ物入ってませんし」

「そんなことに奇跡の力を使ってもらうわけにはいかないもの。……それに、本当は『食べる』という行為もいらないんでしょう? さっきそんなこと言ってたじゃない」

「そうですよ。お嬢、お腹空いてないでしょう」


 言われて、自分の体に問いかけてみる。空腹の感覚はなかった。


「確かに、お腹は空いてないわ。……それくらいの時間は経ったはずだけれど」

ここエデルファーレはそういう場所なんですよ。腹は減らない、眠くもならない。でもそれじゃあ人間は違和感に耐えられなくなったりする。だから最低限食べ物は採れるようになってるし、屋敷は夜が来たように見せかける仕組みがある」

「エデルファーレには夜がないの?」


 リクの言葉に引っかかって問えば、リクは頷いた。


「ありません。というか太陽がないんです。気付いてませんでした?」

「言われてみれば……」


 空を見上げたとき、太陽を見なかった。透きとおるような青空に見入っていて気付かなかったが。


「陽が昇って、降りて、夜が来るっていうサイクルはここエデルファーレにはありません。いつでも昼みたいなもんですね。ついでに常春……この言い方は正確じゃないかな、すべての生命が芽吹くようになってます。春の植物だろうと冬の植物だろうとここに持ち込めばいっぺんに咲く。半永久的にね」

「じゃあ、どうして温室があったの?」

「それじゃああんまりにも景観的に混乱するってんで、それぞれの季節で分けてあるんですよ。外にあるのは大体春のもので揃えてあるらしいです。一番それらしいからって」

「そうなの……」


 まだ実感がない。しかし、本を読む前と読み終わった後でも外の明るさがまったく変わらないということはそうなのだろう。


「最初は違和感があるかと思いますけど、慣れるための時間だけはたっぷりありますから、徐々に慣れていけばいいと思いますよ。この屋敷にいれば、夜も来ますし――っと、そのためには事前設定が要るんでした。あとでやっときます」

「お願いするわ」


 夜がない、というのがどれくらい人間の体に負荷をかけるものなのか、書物を読み漁ったシアは少し知っている。設定するだけで夜が来たように見せかけてくれる何かがあるなら、それに越したことはない。


「風呂もいつでも沸かされてるんで、好きな時に入ってください。男女共用なんでそこだけ気を付けて。一声かけるか目印でも置いといてください」

「わかったわ。……リクは何も食べないの?」

「俺は元々食事いらないんで。今までは奇異の目で見られるのも面倒なんで食べてましたが、相手がお嬢だけなら取り繕う必要もないでしょう?」

「そういえば、そうだったわね」


 共に食事をとるのが通常になっていたので忘れかけていたが、初めて会ったあたりにそう言っていた。


「風呂もお嬢が先でいいですよ。俺は後からゆっくり入ります。……自動洗浄の機能があるんで、残り湯が、とかは気にしないでいいですから」

「べ、便利ね……?」

「そのあたりは〈姫〉と〈騎士〉だけで生活できるように、歴代がいろいろ改良しているんですよ。だから住むには快適だと思います。まあまずは環境に慣れるところからですけど」


 あとお嬢は食事を終えるところからですね、と冗談めかして言われる。話に夢中で食事が疎かになっていたことに気付き、頬を赤くしながらシアは食べ進めた。果実の酸味と甘みがちょうどよくて頭がすっきりする。


「そういえば、この果実、何? あんまり見たことがない感じだったけど……」

「食べてから聞くのがお嬢ですよねぇ。過去の【緑】の〈姫〉と〈騎士〉が品種改良して作った果実みたいですよ。だから名前は俺もわかりません。それが一番おいしく生ってるのがわかっただけなんで」


 【緑】の属性の特性で、植物に関することはなんとなくわかることが多い。リクはそれで採る果実を決めたらしい。
 シアがその果実を食べ終えると、リクはまた口を開いた。


「あと話しとくことは……ああ、俺の部屋ですが、この部屋の続き部屋になってます。鍵はお嬢の方からかけられるようになってるんで安心してください。一応何かあった時のためにって、直で行ける部屋になってるみたいで」

「それも、歴代の〈姫〉と〈騎士〉が?」

「そうですね。病弱な〈姫〉の容体が心配だったとか、環境に慣れる前の〈姫〉の様子を見るためとかいろいろあったみたいです。お嬢が嫌なら、すぐにとはいきませんが別の部屋にしましょうか?」

「ううん。いいわ、そのままで」

「そうですか? お嬢がそう言うならいいですけど」


 気恥ずかしくて口にはできないが、慣れない環境でリクが扉向こう、一声かければ出てきてくれるような場所にいるというのは安心する。
 シアはそう考えた自分をごまかすように、リクに問う。


「り、リクは嫌じゃない?」

「別に、今までとそんな変わりませんし。〈騎士〉は〈姫〉の傍に控えてるものですから」


 リクは特に何とも思っていないようだった。シアと違ってリクには知識があるとはいえ、環境が激変したというのにいつも通り過ぎるような気もするが。


「リクは新しい環境に緊張したりとか、ないの?」

「どっちかって言うと古巣に戻ってきたような感じなんで、特には」


 それが〈騎士〉としてシアの前に現れる前の場所のことを言っているのだと察して、シアはそれ以上追及しないことにした。


「服とかはどうなってるの?」

「ああ、まだ見てないんですね。クローゼットの中にこれでもかってくらい服が詰め込んであるんで、好きなのを選んでください。洗濯も自動でやってくれる設備があるんで、後で教えます」

「……〈騎士〉はエデルファーレの情報を与えられるのに、〈姫〉は教えられないとわからないなんて、不平等だわ」


 思わず漏らすと、リクは珍しく困った顔をした。


「情報のぶち込み方が結構乱暴なんで、〈姫〉、というか人間にはちょっと……。できるだけ教えるんで、勘弁してください」

「わかってるわ。ちょっと愚痴りたくなっただけ」


 教えられるばかりの立場に思うところがあっただけだ。リクを困らせたいわけではない。
 その後は大人しくリクの説明に耳を委ねた。屋敷の設備も共に回って一通り説明してもらった。
 驚くようなものばかりで、そして何より暮らしを便利にするものばかりで、過去の〈姫〉と〈騎士〉の苦労が偲ばれた。

 一室だけ、リクが中に入らず素通りしようとしたので、「ここは何かあるの?」と訊ねる。
 リクは一瞬黙って、頬を掻きながら言いづらそうに口を開いた。


「……閨事をする部屋です」

「…………。え、」

「だから、お嬢にはまだ早いです。入らないでおきましょう」


 そう言って足早に部屋の前を去ろうとする。それを追いかけながら、シアは一度だけその部屋の扉を見遣った。


(言われてみれば、どことなく、他の部屋とは雰囲気が違うかも……)


 とりあえず今は近づかないでおこう、とシアは心に決めたのだった。


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