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4話
しおりを挟む「くらくらします?」
「……ううん、大丈夫」
訊ねられて、首を横に振る。ふらついたのはあの一瞬だけで、今は少しぼんやりするだけだ。
「驚きました?」
「……うん」
問われて、今度は頷く。完全に予想外の事実だった。
「リクは、知ってた……のよね?」
「そりゃ、〈騎士〉ですんで。〈姫〉と〈騎士〉にまつわることは全部頭にぶちこまれてますよ。……お嬢にはちょっと刺激が強いかなーと思って黙ってたんですが、予想通りだったみたいですね」
「先に教えておいてくれてもよかったじゃない……」
「先に教えたら、お嬢、エデルファーレに素直に来ました? たぶんあっちに残るのも嫌、こっちに来るのもちょっと、でぐるぐる考えるハメになってたと思いますよ」
それはそうかもしれない、とシアは思った。事前に聞いていたら、エデルファーレに行くこと自体に思い悩んだ可能性はある。……行かない、という選択肢はとれないとはいえ。
「でもまあ、今すぐどうこうって話じゃないんで。これから覚悟決めればいいんじゃないですか?」
「……そう、なの?」
「〈神子〉の力も衰えてきてるらしいんで、のんびりってわけにもいかないですけどね。少なくとも今日明日にどうこうなるってほどじゃないと思うんで」
〈神子〉は生まれ出でた時から奇跡の力を内包している。その力を使って世界を運営するが、奇跡の力は使えば使うだけ目減りする。奇跡の力を使えなければ、〈神子〉は神の意志を受けて世界を運営できなくなる。なので、〈姫〉が新たな〈神子〉を生み降ろすことで、世界が問題なく運営できるようにするわけだが――。
「〈神子〉って、生まれた瞬間から〈神子〉として活動できるわけじゃないわよね?」
「……そこの説明難しいんですよね……。『生まれた』っていうのをどの時点に定義するかの問題があるっていうか」
「……〈神子〉は〈姫〉から生まれるのよね? ふつうの子どものように生まれるのではないの?」
「宿り方は一緒なんですけど、生まれ方は違いますね。大体、ふつうの子どものように生まれるんだったら、〈神子〉が一人なんだから〈姫〉も一人でいいじゃないかってなるじゃないですか」
「そこは、その……予備のようなものかと思っていたのだけど」
どうしても子どもが生まれないという事象があるのはシアも知っていた。だから、〈姫〉が複数いるのかと思っていたが、違うらしい。
「【青】【赤】【緑】、すべての〈姫〉に〈神子〉――正確には、〈神子〉になるもの――は宿ります。そういう前提で〈姫〉は選ばれてます。で、〈姫〉に宿った〈神子〉になるものがひとつになって、世界を運営する〈神子〉になるんです」
「ひとつになるって、どうやって?」
「それは神の御業とやらで。――というのは冗談のようで冗談じゃないです。〈神子〉の宿り木があるんですよ」
「宿り木?」
「はい。そこにそれぞれの〈姫〉に宿った〈神子〉になるものを預けて、全員分揃ったらそれが一人になる。そういうシステムです」
シアは頭が混乱してきた。思っていたのとだいぶ違う。想像できない。
「まあ、それは明日見せますよ。今日はもうお嬢は許容量オーバーでしょうし」
「そうね……今日はもうちょっと余裕がないわ……」
話を聞いているだけでもいっぱいいっぱいなのだ。これ以上情報を与えられても消化しきれないだろう。
「実際に見たら実感も湧くでしょう。諸々明日に投げて、今日は休んだらどうですか?」
「でも、まだ着いたばかりなのに……」
「これからはここで生活するんですよ? いくらでも時間はありますから。……ほら、休む部屋見繕ってきますから、大人しくしててください」
ぽんぽんと幼子にするように頭を撫でられる。他の部屋に繋がっているらしき扉からリクが出ていくのを見送って、シアは溜息をついた。
(……エデルファーレに着いてから、そう経ってないはずなのに、疲れたわ……)
主に衝撃的な事実のせいで。そう考えると、いろいろと教えてくれていなかったリクに不満が募る。
(どうせ知ることになる事実なんだから、事前に少しずつ教えてくれればよかったのに……)
〈姫〉の為すべきことについてはともかく、それ以外のことは……と考えて、関連するから教えられなかったのだろうと察してしまう。もやもやのぶつけ先が無くなって、シアは自分の至らなさを直視することになって、落ち込んできた。
(私がもっとしっかりした〈姫〉ならリクだって話したわよね……こう、もっと堂々とした、百戦錬磨?な感じの〈姫〉なら……でも、私には逆立ちしたって無理だっただろうし……)
仮定の中でも、自分がそんな〈姫〉になれたとは思えない。〈姫〉の立場に引け目すら感じているのだ。無理だ。
「――またなんか考え込んでる顔してますね。知恵熱出したいんですか?」
「……そんな子どもじゃないわ」
「どうですかね。俺から見たら似たようなものですけど。……〈姫〉用の部屋見つけたんで、そっちに行きましょう。歩けますか?」
気遣われて、少しばかりくすぐったい気持ちになりながら、大丈夫だと答える。リクは「それならいいですけど」と先導だけしてくれた。
〈姫〉用の部屋だというそこは、調度が女性向けらしいもので揃えられていた。ベッドには見事なレースの天蓋までついている。派手ではないが、女の子が夢見る部屋の要所は押さえている印象だった。
バルコニー付きの窓の外が明るいのを見て、シアはやっぱり休むには早いのではないかと思ったけれど、それを読んだようにリクが言った。
「せっかく手に入れてきたんです。本でも読んでゆっくりしたらどうですか?」
そういえばそうだった。衝撃の事実たちに意識から追いやられていたけれど、リクが入手を諦めていた本を手に入れてきてくれたのだった。シアは思い悩んだことも忘れて、早速本を取り出す。
「お嬢は本当に本が好きですねぇ」
「本は人類の叡智の結晶よ? 魅了されないわけがないわ」
「俺は本、あんまり好きじゃないっすけど」
「え、そうだったの? 知らなかったわ。そんな素振り見せたことなかったわよね」
むしろシアに付き合って本を読んでくれるくらいには好きなんだと思っていた。
驚くシアにリクはいつもの無表情で淡々と告げる。
「そりゃあ、俺が本好きじゃないのって、お嬢が俺に構ってくれなくなるからですし。本に心奪われてるお嬢が気付くわけないですよ」
「……あなたってたまに突然恥ずかしいことを言ってくるわよね」
しかもテンションはいつも通りなのだ。反応に困る。
「恥ずかしいですか? 事実を述べてるだけなんですけど」
「そういうところが恥ずかしいのよ。……あなた、実は私のこと結構好きよね」
「そりゃ、そうじゃなきゃ〈騎士〉として長年面倒見ませんよ」
「前、〈騎士〉が〈姫〉の面倒見るのは義務、みたいに言ってなかったかしら」
「それも事実ですけど、もっと距離とって接してたって話です」
〈騎士〉は〈姫〉と同様に、〈神〉ひいては〈神子〉によって選ばれるものである。ただし、〈姫〉と違って人間界ではなく、別の界から選ばれて〈姫〉を護衛し、面倒を見る立場になる。
「リクは、私が【緑】の〈姫〉で、後悔しなかった?」
「後悔も何も、選ばれた時点で拒否権はないでしょう。俺もお嬢も。……でも、まあ、お嬢でよかったなぁとは思いますよ。どうせ、もっと〈姫〉に相応しい人だったら~とかうだうだ考えてるんでしょうが、俺にとっての〈姫〉はお嬢だけだし、お嬢以外には考えられませんし」
思ったより熱烈な言葉が返ってきて、シアは頬が熱くなるのを感じた。そんな言葉を吐いたリクの方は平常通りでなんだか小憎らしくなってくる。
「少しでも考えたことはないの? こういう人が〈姫〉だったらなぁ、みたいなの」
「ないですね。選ばれた時点で、『ああ、これが俺の〈姫〉だ』って思ったので。〈姫〉と言ったらお嬢、お嬢と言ったら〈姫〉ですよ、俺の中では」
そこまで言われると、それ以上は言えなくなる。シアは手持ち無沙汰に手にした本の表紙を撫でた。それを催促と受け取ったのか、リクが退出の気配を見せる。
「それじゃ、お嬢はとりあえず本でも読んで、読み終わったら明日に備えてゆっくり休んでください。エデルファーレにいると食事は必要なくなるんですが、まだ体も慣れないでしょうし、食事は持ってきますから」
そうして、何を言う間もなく部屋を出て行ってしまった。無意識にリクの背を追った手を引き戻して、シアは自分に言い聞かせる。
(始めて来た場所だから心細い……なんて気のせい。気のせいったら気のせい。気の迷いよ)
自分はそんなに弱くないはずだ。いつでもリクが隣に居なければ落ち着かないほど、頼り切ってはいないはずだ。
(やっぱり緊張しているのかしら……)
〈姫〉に選ばれてから、いつかここを訪れることは確定事項だった。どんなところなのか何度も想像した。リクに聞きもした。人々が夢見る内容を見聞きした。
だけれど実際に来るのと想像するのとは全然別のことで。緊張していた自分を自覚していた。だからこそ遅れて来たリクに当たってしまったりもした。
(いつも通りのことをすれば、いつも通りに戻れるかしら)
表紙に指を滑らせて、本を開く。内容は続き物の冒険譚だ。様々な国を巡って、行く先々で問題を解決する内容には胸を高鳴らせたものだった。……しかし今は、なかなか物語に身が入らない。
頭をぐるぐる回るのは、ここで〈姫〉が為すべき内容と、〈神子〉のなりたちだ。
(仕方ないわよね……それだけ衝撃だったわけだし)
話を聞いた限り、〈神子〉は〈姫〉への宿り方はともかく、それ以外は普通の子どもとは違うらしいので、シアの考えていたことが全く違っていたわけではない。ただ、それを具体的に考えたことはなかったので、飲み込むのに時間がかかっているのだ。
(やっぱり私、〈姫〉として知識が足りなさ過ぎたわよね……。ちゃんとリクに聞けばよかったのかしら。ごまかされても、食い下がって)
他の〈姫〉はきちんと〈姫〉の為すべきことについても言い含められていたと聞いた。そのことについて完全に無知の状態で来たのは自分だけだったのだ。
それはシアの性格をよくわかったリクの気遣いだったわけだが、他の〈姫〉より劣っているのではないかという考えはシアの心を重くする。
(……考えても、どうしようもないわよね。私は私で、〈姫〉であることは変えようのない事実なのだし)
もう一度本を開き文字列を追う。今度はするりと物語に入って行けた。
そうしてシアはリクが食事を持ってくるまで、読書に没頭していたのだった。
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