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6話

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 お風呂に入ってさっぱりして、窓の外が暗くなっているのに驚いて――リクが『設定』を済ませたらしい――、その日は早々に寝台に入った。エデルファーレに来る前もいい生活をさせてもらっていたので寝台もいいものだったが、ここの寝台も負けず劣らず滑らかで高級そうな手触りをしている。
 枕が変わると眠れない、というほど繊細でもないので、ぐっすりとはいかずとも、満足に睡眠はとれた。

 翌朝、またリクが採ってきてくれた果実で食事にしながら、今日の予定を聞く。


「昨日言った通り、まずは〈神子〉の宿り木を見に行きましょう。あればっかりは見てみないとどんなものかわからないと思いますし。それが済んだら、……そうですね、【赤】と【青】に挨拶にでも行きますか?」

「会えるの?」

「もうあっちも落ち着いただろうし大丈夫じゃないですか? お嬢はそういう礼儀的なの大事にするでしょう」


 その言葉に、自分を気遣っての提案だとわかって、なんだかこそばゆい気持ちになる。
 しかし挨拶はしておきたい。屋敷は別々とはいえ、このエデルファーレで同じ時間を過ごすのだ。最低限、顔を通すくらいはしておきたい。


「まあ、まずは宿り木ですね。宿り木への行き方はちょっと特殊なんです。ついてきてください」


 シアが食べ終わったのを見計らって、リクが言う。シアは手を清めてから先に立ったリクの後をついていく。


(エデルファーレに来てから、こんなふうに歩くことばかりね)


 リクの背を仰いでついていく場面ばかりだ。まるで小さい頃に戻ったようだと思う。
 昔のリクは子どもに歩調を合わせるという観点がまるでなかったので、シアはちょこちょことリクの後をついていったものだった。
 その頃と変わったのは自分の背だけだ。リクはずっと変わらない。人ではないから変わらない。
 感傷的になりそうな自分に気付いて、シアは思考を振り払った。

 リクは屋敷の最奥にある扉を前に立ち止まった。緑一色の扉に、大木のレリーフが彫ってある。


「ここです。ここから〈神子〉の宿り木に行けます」

「屋敷の中にあるの?」

「いえ、こことは違う位相にあるんですが、この扉がそこと繋がっているんです」


 言って、説明するより実際見せた方が早いと思ったのだろう、リクが扉を開いた。

 ――そこは、薄明かりに照らされた幻想的な空間だった。光の源は水晶のような何かで、光が強まったり弱まったりを繰り返している。
 その中心に、それはあった。
 中に大きな空洞のある大木に見えた。ただ、ふつうの木と違うのはそれが水晶のような材質でできていることだった。これもまた明滅している。


「これが……〈神子〉の宿り木……?」

「はい。木、と呼んでいいかは議論の余地があるかと思いますが、便宜上そう呼ばれてます」

「近づいても大丈夫?」

「大丈夫ですよ。なんなら触ってもいいくらいです」


 言われて、近づいてみる。近づくほどにその美しさ、異質さを感じ取る。この世のものではない――そんな言葉が意識にのぼる。

 触った感触は、予想と違って暖かかった。人肌の温度だ。神子がこの中に宿るとしたら母体のようなものなので、そうなっているのかもしれない。


「――先客がいましたか」


 ふいに、第三者の声がした。シアたちがいるところの前方左側から、ふと人影が現れたのだ。

 その人は随分背が高かった。男性の平均ほどのリクより頭一つ分は高いだろう。そして腕に少女を抱えていた。少女は小柄だった。シアより一つ二つは下だろうか。まだ幼さの残る顔つきのように見えた。
 二人が身に着ける衣服から、【青】の〈姫〉と〈騎士〉だと察せられた。


「アーシェ。どうやら【緑】の〈姫〉と〈騎士〉が先に来ていたようです。挨拶をしますか?」

「……する」


 小さな、けれど可愛らしい声が答える。【青】の騎士は大股でこちらに近づき、一定の距離を置いて立ち止まった。


「私は【青】の騎士、ユークレース。こちらは【青】の姫、アーシェットと言います。以後お見知りおきを」


 【青】の騎士――ユークレースが軽く頭を下げ、それに倣うようにアーシェットもユークレースの腕に座ったままお辞儀をする。
 シアは慌てて礼を返した。


「私は【緑】の〈姫〉、シアよ。よろしく」

「俺は【緑】の〈騎士〉、リクです。よろしくしてもしなくてもいいです。……お二人は随分仲睦まじいんですねぇ。片時も離れたくないってやつですか?」


 リクは早速切り込んだ。シアも気になってはいたが、揶揄するような訊き方にハラハラする。


「こうしないとアーシェは逃げるので。必要に駆られてのことです。仲睦まじいという発言は撤回願います」

「わたし、逃げないもん……」

「そう言って、嫌いな食べ物から逃げ回ったのは誰ですか?」

「そんな昔のこと、関係ない。持ち出さないで」

「関係あります。逃げたことがあるという事実が重要なんです。貴方はすぐ嫌なことから逃げようとする」

「しないもん……」

「今だって、知らない人がいてびっくりして、逃げたいと思ってるでしょう。体に力が入っています」

「それは、だって、ユークが誰もいないって言ったから来たのに人がいたから、びっくりして……」

「誰もいないだろう、と言いました。確率の問題です。逃げたいのは否定しないんですね」


 そこでアーシェットはむっとした表情をした。眉をつりあげて「大丈夫だもん」と言う。


「わ、わたし【緑】のお姫様とお話ししたい!」

「……アーシェがそう言うのは珍しいですね。いい傾向です」


 言って、ユークレースがつかつかとシアに近づいてくる。長身の迫力に少しばかり及び腰になるシア。


「アーシェはこう言っていますが、どうでしょう。受けてくださいますか?」

「よ、喜んで……」


 逆にここで断れる人間がいたら見てみたい、と思うほどの無言の圧力を受けながら、シアはなんとか返答した。


「それでは、私たちの屋敷に招待いたしましょう。ここは長話をするのに向かないので」


 淡々と言って、ユークレースは「こちらへ」と彼らが現れた方へと向かう。
 そこには周囲に溶け込むようにして扉があった。シアたちが入ってきた扉と意匠が同じだが、色が青だ。


「直接ここから向かった方が早い。さあ、どうぞ」


 扉を開いて促され、その向こうが普通の廊下であることも確認して、シアはリクを振り仰いだ。
 何も相談せずに決めてしまったが、よかったのだろうか。

 リクはいつもの何を考えているのかわからない無表情で、くい、と扉向こうを顎で指した。「行っても問題ない」ということらしい。それから少し考える素振りをして、「行きますよ」とシアの背を押した。未知の移動に戸惑っていると思われたらしい。

 扉をくぐると、そこはシアたちが来たのと同じように、普通の屋敷内だった。
 次いでユークレースたちもやってきて、扉を閉める。


「客間はこちらです」


 端的に言って、ユークレースは歩き出す。その後について行きながら辺りを見回し、【緑】の屋敷と似た印象を抱きながらも決定的な違いに気付く。


(涼しい……それに、全体的に青い……)


 【緑】の屋敷は全体的に緑を使って統一されていた。それに落ち着きを覚えたのだが、こちらは青だ。何故か少しだけ居心地が悪く感じる。


(属性の影響って、こんなところにも出るのかしら……少なくとも、【緑】の屋敷より涼しいのは属性の影響よね?)


 そんなことを考えながら歩いていたので、客間にはすぐに着いた。
 ユークレースはそこの長椅子にアーシェットを降ろすと、「おもてなしの準備をしてきます」と言い置いて出て行った。ついでにリクも引っ張って行かれた。「知らない人が二人だとアーシェが委縮しますので」というのが理由らしい。
 随分過保護だな、というのがシアの印象だった。アーシェットは小さくなって椅子に縮こまっている。


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