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第八部 大嫌い
第五話 弟子になりたい
しおりを挟む「お前もって、何ですか。お前もって。俺はただ、この世界の真理を言ってるだけであって……お金、って、拾ったら五割は貰って良い法律がこの国にはあるんですよ」
「っく……仕方ねぇ、半分くれてやる、だから、返せ!」
「素直で優しい坊やですねーあめ玉いります?」
「テメェ……ガキ扱いすんじゃねぇよ」
獅子座は狼狽えた。陽炎は苛々の頂点にきている。それもそうだ、彼の大事なお金が半分奪われたのだから。返された財布には重みが半分失われていた。
陽炎は溜息をつくと、剣をむけた。
「この国で、人を殺したら罪になるか?」
「ええ、なりますよ。重罪人」
「じゃあ、怪我は?」
「それは小競り合い程度ですが、まぁ訴えたら裁判ですね」
「――もし、俺がお前に喧嘩売ったら、お前は訴えるか?」
「いいえ。そうしたら、倒してお金を貰って、介護してお金を貰います。裁判はお金がかかりすぎるので、ちょっと嫌なんですよねー。喧嘩程度じゃ、慰謝料はたかが知れてますし」
「……じゃあ喧嘩売る」
「――宜しい。俺は、こう見えても騎士なので、戦う前に、名前を名乗らないといけないんですよ。貴殿も名乗ってくださいね」
「おう、俺は陽炎だ」
「俺は――雹です。芸名でネクストという名があります。是非、説法ライブにはきてくださいね――さて、お金、貰いますか」
男は、立っていただけだった。
だが、陽炎は、吐血するほどダメージをいつの間にか喰らっていて。
獅子座には見えていた、雹が一発だけ陽炎の腹に拳を入れたのを――。だが、他の誰にも、誰か腕の良い騎士がいたとしても、見えなかっただろう、常人のスピードではない。
雹――その世界最強という名は間違いない、彼が雹だ、と獅子座と陽炎は、青年を見る目を変えた。
それを敏感に悟った雹が、首を傾げた。
「――どうされた? まさか、この程度で喧嘩を売ろうと?」
「……――あんた、雹、なのか」
「うん。老若男女に優しいと評判の、雹です。だじゃれに気付くが良いです」
「……――雹、なら、戦う理由がない。あの、この手紙を……」
「おや、ぼろぼろになりたくないという保守精神ですか。判ります判ります、誰だってぼろぼろに戦って怪我する姿は嫌ですよねー。かっこうわるいですよね、喧嘩売ったのに、負けた上に、満身創痍だなんて」
「……――話しを聞く気は、ないんだな」
「喧嘩を売られた以上は、ハーヴィーの騎士として負けるわけにも、なかったことにするわけにもいかないし、お金が何より欲しいんです。ほら、よく言うじゃないですか。時は金なりって」
雹はにこりと強かに笑うと、もう一度、眼に見えぬスピードで腹に一発入れた。
だが陽炎は、それを獣の本能で察知し、鉄扇を合間に入れることに成功し、打撃を軽くした。
拳の痛みに雹は驚き、陽炎を見つめた。
(――ごろつき程度、ではないのか。では、これはどうだ?)
雹は今度は後ろ回し蹴りを放つ。陽炎は上体を曲げて避け、狙った頭部をきちんと守った。だが、第二撃の蹴りには守ることが出来ず、吹っ飛んでしまった。
壁に突っ込んだ、あの様子ではもろに喰らっただろう、雹の目論んだとおり、介抱できるわけだ。
雹は静かに笑った。
「さぁ、では話しを聞きますか。俺の勝ちでいいですね。手紙、とは?」
「テメェッ、この状態で話すことができると思うんべか!? どうかしちょる!」
獅子座は吼えるように、雹に怒鳴ると、血塗れの陽炎を見せつけた。
思ったより酷い打撃、痛み虫である程度は回復できるだろうと思ったのに。当然だが、雹は陽炎の痛み虫が赤子同然にしか宿ってないことを知らなかった。
雹は予想外の打たれ弱さに驚いたが、目はまだ伏せられたままで、苦笑した。
「一粒で、今うけてる打撃を痛み虫にすることができる木の実、いりますか?」
「欲しいだ! ほら、さっさとそれを……」
「幾らで買います? っと、睨まないでくださいよ」
「――金の亡者めっ!」
獅子座は怒って、陽炎から財布を奪うと金貨一枚取り出し、投げ渡した。
雹は頷き、優雅に近寄り、陽炎に柔らかな木の実を食べさせた。
陽炎の傷は、徐々に癒えてくるが、血塗れは変わらない。そのことに、獅子座は不安を覚え、雹を睨み付けた。
「ここまでしなくてもっ」
「おや、ではここで負けてやった方が彼の為になったと? わざと負けられるのは、男の尊厳が許さないものだ。そんな変な優しさはいらない。そうでしょう? ほら、彼の目はこんなにも冷静だ――」
獅子座は雹に言われて、陽炎の瞳を見つめた。
目には悔しさが残ってるが、思い切り負けてすっきりとしている。何処か清々しさを感じさせるけれど、闘争心の溢れる目だ。
獅子座は、陽炎の意志の強さに驚いた。
(本気で、世界最強になりたいんだべな――)
その響きは悲しい物だった。
世界最強。なってしまえば、自分は「いらないよ」といつかは言われる。己の取り柄は強さだけなのだ。そう、強さだけが。
蟹座と違って信頼度があるわけじゃない。鷲座と違って彼の持たぬ知識があるわけじゃない。鴉座と違って愛されてるわけじゃない。
獅子座は、悲しさを感じながらも、陽炎を少し強めに支えた。
支えられると、陽炎は起きあがり、雹の肩をがしっと掴んだ。
「弟子入りさせてください!」
「――まぁそんなことだろうかと思ってました。貴殿は説法のファンというわけではなさそうだったから。手紙というのは紹介状?」
「翡翠に書いて貰った」
「あの男が? あの男が大人に紹介状を書くなんて、世も末だ。悪いけど、お断りします」
雹は目元を和らげると、立ち上がり、去ろうとした。
陽炎が雹の白いマントをがしりと掴み、逃がさないと、目で訴えた。その強さは異常なまでで。雹は溜息をついて、頬をかく。
「私、優しい性格の弟子はとらないんです。あの翡翠が筆を動かすということは、翡翠は貴殿によって救われたのでしょう? 誰かを救うほどの優しい人は、強いと悲しいだけですよ」
「優しい人を弟子にとって、悲しい思いを……したのか」
陽炎が虫の息でそう言うと、雹は伏せていた目を閉じて、苦笑した。
「貴殿はどうも相当に優しいようですね。ならば、余計にお断りします。別の方を見つけてください」
「それじゃ駄目なんだ……――世界で一番に近づかないと。誰も側に置けなくなる……」
「貴殿には誰かを置ける強さはあるじゃないか。――もっと必要なほど、何者かが狙ってるとかですか?」
「――誰も、死なせたくない」
陽炎の言葉を聞くと、雹は嘲った後で、少し考え込んだ。
懐かしい言葉だ――昔、弟子にした者の中で、一人そんなことを言ってきた者がいた。
彼は死んでしまったが。
雹は、丁寧に陽炎の手を解くと、最後に獅子座の頭を撫でた。
「貴殿がこの人を医者に連れて行きなさい。痛み虫一つだけでは、このままでは死にますよ」
痛み虫の数は予測なので外れでも良かったが、狼狽えてる様子を見る限りでは、相当少ない痛み虫しか存在していないのだろう、と悟った。
雹は、病院の方角を指さし、獅子座に笑いかけてから、マントを翻し、去っていく。
昔の、思い出に浸りながら。
(――おっしょさん、俺ね、絶対、おっしょさんの教えた技、途絶えさせないから。ちゃんと後継に伝えるからね!)
昔、そんな約束をした弟子を、ふと思い出した。そういえば、陽炎の持つ必死さは、あの弟子と同じ臭いがした。
(ばかばかしい――二度と弟子などとるか)
雹は、最後に振り返って陽炎を見やると、陽炎は睨み付けていた――己を。
その目を見て、少し面白いと思ったのは、戯れでありたい雹だった。
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