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第28話 夢の残滓

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 おかしな夢を見た気がした、幼い女の子が泣きながら謝っている夢だ。
 私は、その子を抱きしめて大丈夫だよと言ってあげたいのに、その子の傍に行けないのだ。起きた瞬間に、何故かとても寂しくてツライ気持になってしまった。
 私は頭を振って気持ちを切り替えようとしたけれど、どうも、身体が重い。ううん、多分心が重いのだ。
 それでもいつまでもボーっとしている訳にもいけないので、私は起きあがって研究室に向かう準備を始めた。

 今日は休日。

 けれど、ウォルフ先輩が研究室に来てくれる事になっているので、研究室の休日使用申請をして皆は現地集合する事になっている。
 いつもなら朝食はアルと学食でとる事が多いのだけれど、今日はウォルフ先輩が研究室に入れるようにする仮の許可証の手続きの為に別行動。顔などを洗い、身だしなみを整えて1階に向かう。
 食堂に行かなくても、寮母さんにあらかじめお願いしておけば軽食を作って貰えるのでそれを取りに行ったのだ。
 休日は、寮内で朝食をとる人が多いので、少しだけ混んでいた。
 私は、寮母さんに朝の挨拶とお礼を言いながら、サンドイッチとオレンジジュースの入った小さなバスケットを受け取った。何人かの子達は、外で朝食をとるようだ。
 友達同士で連れだってバスケットを持って玄関から出て行く。

 ――今日は晴れていて気持良いものね。

 今度アルを誘って外で朝食をするのも良いかもしれない。そんな事を考えながら部屋に戻った。
 サンドイッチは、ハム野菜サンドと卵サンドだった。牛乳瓶に入ったオレンジジュースを飲みながら、手早く食べる。牛乳瓶は紙の蓋じゃなくってコルク栓だけど。
 シンプルだけど、美味しい朝食だった。卵も濃厚だし、トマトもレタスも新鮮で味が濃い。オレンジジュースは手搾りだからもちろん果汁100%だ。酸味と甘みのバランスがとても良かったです。

 「ごちそうさまでした」

 そう手をあわせて言う。
 それから、ビンと自分の口をゆすいで出かける準備をした。出かけながら返却するのでバスケットを持って降りた。朝食が必要な人は皆取りに来たのだろう。
 他の仕事があるだろう寮母さんの姿はそこには無かった。私は、メモ紙を取り出し、『美味しかったです。ごちそうさまでした』と書くとバスケットに挟んで返却用の机の上に置いて研究室へと向かった――。
 太陽を直視しないように見上げる。
 心の中の澱のように淀んだ気持が少しだけ楽になった。

 「おはようございます、エリザベス様――」

 「あら、おはようございますアリスティア様――」

 エリザベス様に笑顔で挨拶をした後、私は周囲を見回した。エリザベス様がいるのなら、ベルナドット様もいると思ったからだ。けれど、近くに姿が無い。

 「?ベルナドット様はいらっしゃいませんの??」

 「――お兄様は寝坊しましたのよ。仕様の無い事!だから置いて出て来ましたわ。一人なら馬車を使うより騎乗して来ると思いますから、集合時間には間に合うと思いますわ」

 あらら、珍しい。ベルナドット様って寝坊とかするんだ。
 確かに女性を乗せた馬車と単騎で走って来るのならその方が早く着くかな。エリザベス様が遅刻は無いと言うのならそうなんだと思う。

 「――、意外ですわね。ベルナドット様と言えば朝早くから鍛錬してらっしゃるのでしょう?」

 私は小首を傾げてそう聞いた。ベルナドット様は鍛えるのが趣味って感じだったし、早朝は鍛錬していると聞いた事があったから、普通に早起き出来ると思ってたんだけど……。

 「えぇ、早く起きすぎてしまって暗いうちから鍛錬してたらしいですわ。その鍛錬の後、時間が余ったから寝なおしたのですって!」

 「あぁ、成程ですわね……」

 二度寝って、時々深刻な寝坊を引き起こすよね?何でだろう。かく言う私も前世で経験が――……ギリギリ間に合ったけれど、それから二度寝する時はスマホを握り締めて寝てました。
 アラームの振動で目が覚めるからね。
 そんな話をしながら研究室の扉を開いた。中にはアルにベルク先生――エドガー様、クリス先輩にダグ君とフードを被ったままのウォルフ先輩が席に着いていた。
 
 「あれ?ベルナドットは??」

 「寝坊ですわ――今頃必死で馬を駆って――……あぁ、来ましたわね」

 エドガー様の言葉に、エリザベス様が先程と同じように説明をしようとした。けれど、後ろの方から誰かがバタバタと走る音が聞こえて来る。

 「悪い!遅れた?!!」

 走り込むように入って来たのは、勿論ベルナドット様。
 着替える時間も惜しかったのか、制服が着崩れてる……というか若干肌蹴てらっしゃる。それを見たエリザベス様が、見苦しいですわね!と言った後、扇で叩いた。
 私は、見てませんよ―と言うようにそっとベルナドット様から目を逸らす。レディ―は男性の肌を凝視したりしないのである。チラ見えしてた腹筋凄いな!とか思って無い。
 気のせいか、アルの方からチクチクとした視線を感じた気がした。

 「――いや、丁度ですよ。それよりも教師としては廊下を走らないようにと言わないといけませんがね。休日でも来ている生徒はいるのですから、まずは身だしなみを整えなさい」

 眉間に皺を寄せたベルク先生が、そう言った。
 新入生の模範になるべき上級生になったんですから、とベルク先生に言われて、ベルナドット様は気まずそうにしながら、そそくさと身だしなみを整えた。

 「お見苦しい所をお見せしました」

 「本当ですわ!これに懲りたら寝なおしたりしない事ですわね!」

 謝るベルナドット様に、エリザベス様が扇でバシバシと追い打ちをかけていた。
 ちょっと新鮮。
 こんなエリザベス様は見た事がないもの。私達に気を許してくれてるってことなんだと思う……何だか嬉しい。
 そう言えば、エリザベス様には婚約者がいないんだよね……。普通はこの年齢になる前に婚約者が出来るのがこの国の貴族の普通あたりまえなんだけど――出来ないと、令嬢に問題があるんじゃ無いか?とか噂が立ったりするんだよ?――勿論、エリザベス様はそんな事も無い。
 エリザベス様は、立ち居振る舞いもその精神も令嬢として相応しいと私は思う。ずっと不思議に思っていたけれど、その理由を知る機会がこの前あったりする。
 エリザベス様と二人、学園の食堂に併設されているテラスでお茶をした時だ。
 アルの婚約者候補に上がった時に、エリザベス様はお父さんと賭けをしたらしい。候補になるのは良い。けれど皇太子妃に選ばれ無かった場合、薬学の研究所――つまり大学に行きたいと言ったらしいのだ。
 アルの婚約者は早々に私に決まってしまったので、エリザベス様のお父様は渋ったらしいのだが、約束は約束と進学する権利を勝ち取ったらしい。

 『だから、わたくしアリスティア様には感謝していますの』

 そう言って満面の笑みで感謝されました。
 幼い頃、流行病に罹って生死の境をさまよった時に、旅の薬師が作った薬で一命を取り留めたそう。その時から、薬学の勉強をするのが夢だったんだって。
 エリザベス様のお父様にはご愁傷様な感じではあるけれど、友人が夢を叶える為の助力が出来たと思うと何だか嬉しい。前世はレイナのせいでまともに友達を作れなかったから、考えて見れば、こんな風に将来の夢の話を聞かせて貰う機会も無かった訳で……。友達って何だか良いなって思えた日になった。
 
 「二人とも、仲が良いのは良い事だけれど、そろそろ始めようか――」

 苦笑しながらのアルのその言葉に、皆が口を閉ざした。
 緩んだ空気が引き締まる。エリザベス様とベルナドット様が着席し――私もアルの隣に座った。その後、アルとウォルフ先輩が立ちあがる……。
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