世界の誰より君がいい

はじめアキラ

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<14・大槻家の寝室にて。>

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 案の定と言うべきか。
 祥一郎がソファで寝ようとするのを、光流は良しとしなかった。頑なに一緒に布団で寝ればいいの一点張りである。それではこっちの理性がもたないんだよ!ということを遠回しに主張してもまったく聞き入れる様子がない。

――ああもう!俺がさっきまでトイレでナニしてたかも知らないで!

 いや、知っていても大いに困るのだが。恥で死ねる気しかしないのだが。恥ずかしさとそれだけではないもので顔を熱くしながら、祥一郎は必死で主張する。こればっかりは、譲れない。

「お、俺もお前も未成年だし!そういうのはまだ早いし!つ、つーか俺はまだそのお前のことどうというかそういうの良くわかんないっていうか!」
「でも、迷惑じゃないから泊めさせてくれたんでしょ?ならいいじゃないですか?」
「どういう理屈だわけわかんねーぞ!だ、だめだって十八歳と十九歳でそういうことやるのは!なんかこう、ほんといろいろ駄目な気がする!」
「むしろ不良なのにその貞操観念おかしくないですか?それこそ不良だと、最速十二歳くらいで童貞捨ててる人もいるって聞いたことありますよ?」
「ドコ情報だよ不良ナメんな!俺のチームの奴ら見ろ、三十越えて魔法使いなやつもいんだぞ!?」
「不良なのにいるんですかすごいですね!?」
「馬鹿にしてんのか純粋無垢でいいじゃねえかよコノヤロー!」

 まあ、こんな具合である。ぐいぐいと布団に引っ張り込もうとする光流(その無駄なパワーはどっから湧いてくるんだと訊きたい)VS理性と性欲の狭間で必死で抵抗する祥一郎。はっきり言って、祥一郎の方が分が悪い。

「つ、付き合ってるって認めてやってもいいけど!いいけど!それはそれでまだヤることヤるには早いだろうが、キスも手を繋ぐのもしてねーのに飛び越える気かよ!!」

 叫んでから、気づいた。自分、何こっぱずかしい事を言ってるんだ、と。すると光流はぴたりと動きを止めて、それもそうですね、と頷いてきた。ああ、どうにかわかってくれたか。そう思った次の瞬間。

「じゃあ、キスしてください」

 爆弾、投下。

「キスよりも先にセックスなんて、順番がおかしいっていうんでしょ。だったらキス、してくださいよ。今ここで」
「え、いやその……」
「嫌なら、言ってください。キスも嫌なら、それより先なんて普通に無理だって思いますし。まあ、キスはしたくないけどセックスはできるって言う人も世の中にはいるかもしれませんけど、君がそう言うものでないのであれば」
「そ、それは……」

 ちょこん、と布団の上に正座する光流。ちょっと冷静になって、その姿をまじまじと見てしまった。祥一郎の水色のパジャマをひとまず貸したはいいが(下着とかだけはコンビニて買ってきた)、はっきり言ってまったくサイズがあっていない。裾も丈もだぼだぼだし、肩幅もあっていないので今にも肩からずり落ちてしまいそうなのだ。
 まさに彼シャツ状態。脱がすのはとても簡単だろう――と、そういうことではなく。

――なんかもう、既にヤバイことしてる気しかしねえ。

 はっきり言って、可愛い。ものすごく、下半身にくる。というか、さっきあれだけ出したのにまた兆してしまいそうになっている。まだ何も、性的なことなんてしていないというのに。

――キスだけで、耐えられるのか?でも。

 ここで断ったら、それはつまり。お前とはキスもしたくないと、そう言うようなものではないか。それはかえって、光流を傷つけてしまうだけではないのか。
 考えた末、覚悟を決めて祥一郎は彼の前に座った。

「め、眼鏡。外さねえの?」

 ひっくり返った声で、思わず言う。邪魔になりますかね、と彼は笑った。

「できれば、してたいんです。君の顔が、はっきり見えないから。おかしいですか、好きな人の顔はいつだって見ていたいって思うの」
「――!」

 この野郎、と思った。一体どこまで自分を煽ればいいんだと。

「このっ」

 後悔しても知らないからな。そう伝えるために、勢いにまかせてその首を引き寄せていた。そして、向こうが何かを言うよりも先に、唇にかみつくようなキスをする。キスをしてから、もう少し唇の手入れをしておけばよかったと後悔した。誰かとキスをすることになるなんて、ちょっと前まで考えもしていなかったのである。だから、乾燥する時期でもないしリップクリームも塗っていない。風呂から出たばかりで、ある程度綺麗になっているとはいえ。
 柔らかい唇の感触はどこか甘くて、触れた瞬間心臓がおかしなほど跳ねた。口と口をくっつけるなんて馬鹿げた行為だとさえ思っていたのに、どうしてだろう。もっと傍にいたいなんて考えてしまうのは。そのぷるん、とした唇を舐めるように僅かに舌を差し入れれば、あっさりと光流の方が応えてきた。舌と舌が触れる。唾液が混ざり合う。砂糖菓子よりも甘ったるい。夢中になって貪っているうちに、気づけば腰が沿っている。

「はあっ……」

 呼吸が苦しくなってきたことに気づいて、やっと唇を離した。おかしいだろ、と思う。
 ただのキスだ。胸にも性器にも触れてない。言葉で恥ずかしいことを言ったわけでもない。それなのに、何でこんなに顔が熱いのだろう。
 というか、キスってこんなに濃厚にするものだったのか。こっちも一応、初めてだったはずなのだが。

「ふふっ……」

 光流が嬉しそうに笑った。眼鏡が吐息で、少しばかり曇っている。

「僕のファーストキス、君で良かったです。ありがとうございます」
「お、俺も、初めてだったけど」
「おや、そうだったんですか。道理で」

 その視線が、下の方へ降りて行く。どこを見られているのか気づいて、心底慌てた。
 パジャマの上からでもわかるほど、股間がテントを張っている。

「さっき、僕の足に思いきり当たってたんですけど、気づいてました?」
「う、うるせえ。わ、わ、悪かったな童貞で!」
「だと思いました。でも安心してください、お揃いですから」

 お揃い。
 つまり、光流も初めてだ、ということ。何で、と少しだけ祥一郎は混乱した。やたら誘ってくるし煽ってくるし、キスも慣れているような気がしたからてっきり卒業しているものとばかり思っていたのに。実は初めて、なんて言われても説得力がない。むしろ。

「は、初めてなら……もっと大事にしろって。何でそんな、堂々と誘えんの。自分が抱かれる側だろうってのは、なんとなく想像ついてるんだろうが」

 服を脱いだところを見ていないのではっきりとわからないが、多分今の光流は薬を飲んでいない。だから、普通の男性の体だろう、とは思われる。それはつまり、セックスの時の負担が大きいということだ。
 無論、両性の体になっても処女を失うのはかなりつらいと聞いている。男性の体のままならよりきついことになるのは想像がつくはずだというのに。まるで、恐れていないと言わんばかりに。

「だからですよ」

 光流は少しだけ、淋しそうに笑った。

「いつか好きでもない人に、奪われちゃうかもしれないじゃないですか。だったらその前に、本当に好きな人とハジメテがしたいと思うのはおかしいことですか?」
「奪われるかもって……元高校の同級生とか、後輩の連中にってことかよ。お前、本当は何があったんだ。最初、金目当てで狙われてるんだとか言ってたけど、実際違うだろ。よくよく考えたらやっぱり、金のためだけに隣町からわざわざお前一人を狙いに来るつーのが違和感しかねえ。恨みでも買ってるみたいな空気じゃねえか」
「……それを」

 膝の上で、彼はぎゅっと拳を握る。何かの痛みを堪えるように。

「それを知ったら、君はきっと僕を嫌いになります。軽蔑します。……だからせめて、せめて……先に抱いてくれませんか。そうしたら、その思い出だけで……多分、これから先も頑張れるから」

 何でそんな、悲しいことを言うのか。一体何がそんなに、彼を追い詰めているのか。苦しめているのか。過去の文化祭であったミスコンが原因らしい?ということくらいしか自分はわからない。なんせ、それ以上のことは誰も彼も誤魔化して真実をくれる気配がないから。
 本当に欲しいものは、祥一郎が自分の手で掴むしかないのだろう。無理やりこじ開けるのではなく、大切なその人が少しでも望む形で。

「……嫌いになんか、ならねえと思うけど」

 何も知らない自分がどう断言しても、きっと彼は信じはしないだろうから。

「そう思うなら……お前が望むようにしたら。ちゃんと全部、話してくれるのか?」
「君が、望むなら」
「勘違いするな。無理に訊こうとするつもりはねえよ。お前がいつも言ってることをそのまま返すぞ。迷惑なら、はっきりそう言え」
「そんなことっ!」

 否定は、即座に飛んできた。思わず叫んだことに気づいて、はっとしたような顔になる光流。想像以上に大きな声が出てしまったことに驚いた、といった様子だった。

「そんなこと……ないです。でも、だけど」
「嫌われたくない。でも……お前、いっつも辛そうだろうが。なんか、俺との距離感だって、詰めたいのを無理に取ろうとして失敗してるみたいな感じがするぜ。そりゃ、俺が不器用なのもあるんだろうけど。……本当は、一人で抱えるのが限界なんじゃねえのか」

 これ以上、一人で苦しんでいるであろう光流を見ていたくない。
 それよりも、笑っていて欲しい、そう思うのはきっと。



「俺みたいなやつでも、半分背負うくらいできると思うんだよな。……ていうか、背負いたい」



 俯いて震えているのを見たら、抱きしめたいなんて思うのはきっと。



「多分、俺ももう……お前のこと、好きになってるし」



 こんな曖昧で、子供じみた告白しかできないけれど。 それがきっと今の自分で、真実だから。

「……祥一郎君」

 そして、光流はそれに対する答えというように、潤んだ眼でこちらを見つめて。

「僕も、君が……君のことが大好きです、だから」

 今度は彼から抱きついてきた。がつん、と勢いよくぶつかる唇。なんとも乱暴すぎる、痛いくらいのセカンドキス。
 その自分よりずっと華奢な腰に手を回して、見よう見まねの愛を吸い合う。それが正しいことかなんて関係ない。今の自分達にとっては、これ以上の答えなどないから。

「だから、もっと近くに行かせて」

 最終的にアクセルを踏み込んだのは、果たしてどちらが先だっただろう。

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