上 下
4 / 5

4 それから何年

しおりを挟む
私の住んでいた家が国から全壊判定を受けて、取り壊しのための立ち退きを求められたため、私と妹が転校しなくていいようにと引っ越した場所は仮設住宅でした。
とにかく、せまい。不便です。

しかし、コミュニケーションを取る事を進んでするという仮設団地だったので、色々な事が催されます。
それを見る度、私達が本当に震災を受けたんだと無意識に確認していました。

それから、3月11日は宮城鎮魂の日として、震災の発生時刻に合わせて黙祷のサイレンが町中に響き渡ります。

歴史の勉強では、阪神淡路大震災などの勉強はします。
けれど私達は誰一人として、自分の身の周りにそのような事が起こるとは思っていませんでした。
だからこその、この犠牲者の数なのでしょう。


私は、この出来事を語り継いでいきます。
それが、少しでも無念を晴らすことが出来ると思うから。
しおりを挟む

処理中です...