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3 学校生活

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それでも、やはり大変なことは幾つもありました。
まず、まだ避難者がいるため体育館は使えません。
そして震災によって給食センターが甚大な被害を受け、給食がありません。
私達よりももっと酷い被害を受けた人達が引っ越してきて、生徒が増えたりもしました。
津波が及んだ雄勝地区や、湊地区といった地域の人が主に、住んでいた町から離れて私達の元へ住み直すことが多かったです。




原子力発電所の建設が福島に計画された頃。
福島に住んでいた人達は移住を強いられ、やっと復興へと希望が見えてきた矢先に町を出ていくはめになりました。
その頃から、「がんばろう東北」という言葉は聞こえなくなりました。

「頑張って何になるんだ」という声がぽつりと溢れて、そこからもう皆は頑張ったってと思う人々が多くなりました。
私達が頑張っても、国が助けてくれなければ私達は何も出来ない。
そんな声が上がり始めたのは、私達宮城県の方でも同じでした。

いくら私達が瓦礫をめくったって減りやしない。
そう言って、希望等持てない人が増えました。




復興という言葉を私達はよくテレビで聞きました。
でも政府は具体的にどのような状態になれば復興したと言えるのかなんて、一言も言いませんでした。

いつになったら復興出来るのかと私達は不思議に思いました。
子供の意見等、真剣に聞いてくれる人はいませんでした。





だから、私達子供は生きにくい社会だと思いました。
私達みんな同じ被害を受けて、同じ事を思っているはず。
なのにそれは、子供だからという理由だけで却下されてしまう。
今の私達に出来る事は学校へ行く事だけなのだと、自分の非力さを改めて実感しました。
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