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ネイキッドと翼 ケモ耳天真爛漫長男夫/モラハラ気味クール美青年次男義弟/

ネイキッドと翼 39

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 永世の板状携帯電話が震えながら光った。彼は飲んでいたペットボトルのキャップを閉めながら画面を一瞥した。茉世まつよも咄嗟に、興味を抱く間もなく、ただ反射的に画面を覗いてしまった。この機械には蓋がなく、体表すべてが画面であった。見られたくなければ上向きに置くべきではない。
 かけてきた相手は鱗獣院りんじゅういんだん。フルネームで登録しているはしかった。
「出ないんですか」
 振動する板っぺらの脇で、永世の態度は呑気であった。
「今は、取り込み中ですから」
 微笑を浮かべ、やがて震えは治まった。留守番電話サービスの通知が届く。そして、ポロン、ボロン、バロンと立て続けにバナーが浮かぶ。名前は小さくてよく見えなかったが、長さ的に同じ人物が連続で送ってきているようだった。ストーカーのようである。他人事だが、聞き慣れた通知音がいずれ恐怖の対象となりそうである。
「大丈夫なんですか」
 またもや電話がかかってきている。永世は無視していた。だがバッテリーを消費させることを目論んでいるかのように立て続けにテキストメッセージが送られて、また電話がかかってくるのである。4回目の着信で永世は出た。
辜礫築つみいしづくです」
 会話の内容は聞こえないが、電子音の抑揚ならば聞こえた。彼は叱られているらしかった。俯いてしまう。
「はあ」
 応答なのか溜息なのか分からない相槌を繰り返し、彼は部屋の中を見渡し始めた。それからエアコンの設定温度をいじった。この男にしては妙に強気な姿勢であった。
「承知はします。ですが納得はしておりません。強く侮蔑いたします」
 今までの様子とは打って変わった。電子音として聞こえたほどではないが、彼も腹を立てている。だが茉世には何のことだか分からなかった。相手は鱗獣院炎のはずであるから、内容はおそらく家のことだろう。
「では失礼します」
 黒光りの板が耳から離された。そして永世は茉世を見遣った。だが顔を向け合う前に、眉根が動き、目を逸らされる。
「今、炎さんから電話がありました」
「はい……」
「ごめんなさい、茉世さん。予定変更です。ぼくとセックスをすることになります」
 視界が揺れるような錯覚があった。目瞬きが速まる。
「……はい」
 設定温度を変えられた機械がうおんうおん呻きはじめる。冷たい風が吹きつける。
「怖いかも知れません。今日のところは中断ということもできます。ですが、いずれはやらねばならない。そのときは、耐えてくれとしか言えません」
 三途賽川の血筋の者としては、おそらく間違ったことは言っていないのだろう。世間一般でいえば、前提がおかしい話ではあるけれど。
「はい」
 永世はふと誰もいない背後を見遣った。ベッドの対面にラックがある。まるで尋常では見えないものがそこに立っているかのような素振りであった。彼は布団を手に取ると、茉世と共に自身を覆ってベッドへ乗り上げた。
 押し倒されると思っていなかった。だが恐怖はない。そういうことをする場である。彼は目を合わせず、腕を握りもしなかった。それは女を組み敷くというよりも、布団の中にしまってしまうような挙措であった。
 茉世が天井を捉えたとき、彼は彼女の耳元にいた。
「そのまま、天井から目を離さず、今から言うことを驚かずに聞いてください。この部屋、監視されています。音は録られていないようですが」
 彼女は目を見開いた。吐息が耳殻をくすぐっていく感覚も瞬時に消え失せた。
「え……?」
「どこにあるのか分かりません。そのまま天井を見ていてください」
「は……い」
 単語は拾えた。だが意味が分からなかった。いいや、意味は分かった。しかし納得できていないのだ。監視されているというのはどういうことなのか。一体誰が、何のために。確定でなくとも見当はつく。どうせ、鱗獣院炎が、務めを果たしたか確認するためであろう。
「茉世さん、ごめんなさい」
「謝らないでください。永世さんだって、きっとつらいはずです」
 好きな人はいないというが、いないからといっても、好きではない人とこのような形で同衾する必要はなかっただろう。三途賽川の分家でさえなかったら。
「また、慣らします」
 彼は亀みたいに掛布団の甲羅から腕を伸ばした。そしてふたたび指サックを嵌める。
「また、変なことしたらごめんなさい」
「変なこと、とは?」
「しがみついたり……その、なんだか、そわそわしちゃって。痛いとか、怖いとかじゃないのですが……」
 ローションの容器のオレンジ色のキャップがぺちっと閉まった。2本の指サックに水飴のごとき粘性の透明な液体が纏わりついている。
 茉世はどうしていていいのか分からず、両手で顔を覆った。
 永世は職人のようであった。クーラーの音に奥行をつける息遣いを聞いていると、徐々に茉世の感情にも変化が訪れる。凄まじいものではないが、肉体の反応を示さずにはいられない。
 陸の上で、背中や尻の大部分は接地しているというのに彼女はまた溺れそうな、落ちていきそうな、不安定と不均衡の感覚に陥った。
「永世さ………ん」
 彼女の手は再度、横に据えられた男の肘を触った。日焼けした肌に指を這わせる。歳は同じ。三十路の手前だというのに瑞々しい。すると永世の穏和げだった眉根が寄せられ、険しさを帯びる。彼は布団から出ていった。蒸れた布蛹の中に冷風が入り込む。彼はベッドを降りると、性器に嵌めていた筒膜を剥いた。そしてまた新たに嵌め直す。そして根元を縛るゴムチューブが解かれることもない。
 永世が戻ってくる。掛布団が持ち上がり、布の蛹の中は換気された。
「痛いかも知れません。我慢しないでください。入ります」
 挿入には圧迫感が伴った。中指と薬指は難なく入っていたはずだが、実際に入ってくるものと比べれば微々たる大きさであったのだ。彼女は怖くなった。中断するつもりはなかった。だが身体は素直だった。不合理なことに、近付く腰に両手を添えた。肘が発条ばねのようになる。
「ぅ、………う」
「苦しい、ですか」
 問うている本人もまた片目をすがめ、眉を顰め、苦しげであった。
「大丈夫です。大丈夫……」
 荒い呼吸によって苦しさを逃す。落ち着くと、迫ってくる腰に添えた手が、別の場所を辿る。
「茉世さん……」
「大丈夫です、大丈夫ですから……」
 彼女は悪気も害意もなく、相手の肌に触れていることも忘れて爪を立てた。まるで刃が駆けるように、男の日焼けした皮膚を引っ掻いていく。
「は………ぅ、」
 縛られた下腹部が苦しいのか、それとも引っ掻かれたのが痛むのか、永世もまたつらそうな表情を浮かべる。
「永世さん……」
 汗が浮かんだ彼の額に、茉世は掌を当てた。それから頬を撫で下ろす。自分を苦しめている相手だというのに、彼の苦しみを和らげたくなった。触れ合う面積が増えるほど、意識が放熱されていくことを無意識的な経験が、もしくは生存本能が知っていた。
 体内に食い込むものが、さらに深くまで入った。脈動を感じた。重なったところが、腫れて疼き、灼熱感を持つ。すでに何度も暴かれた箇所だというのに、まだ苦しい。
「ふ…………ぅう、」
 茉世はゆっくりと息を吐いた。最奥に辿り着いたらしい。永世もまた一苦労らしかった。肩幅より広く腕をついて項垂れている。
「苦しいですか」
「大丈夫です」
「ゆっくり動きます。ぼくに構わず、抓ったり引っ掻いたりしてください」
 それは作業だった。体の中に身体の一部を納めているというのに、セックスというよりも何がしかの共同作業であった。
「は…………っ、」
 引き抜かれていくのは、そう苦しくはなかった。ところが永世は苦しそうな呻き声を漏らす。男体というものはこの行為に快楽を得るものではないのか。快感がなければ、この行為すら成り立たないのではないのか。何故男体を持った彼は苦しそうなのか。茉世は真上にある日に焼けた肌から滲む脂汗を拭った。伏せられがちな睫毛の奥で、平生へいぜいならば澄んでいた目が彼女を捉える。助けを乞うかのような瞳に見えた。どくり、と彼女のなかで、心臓から赤ワインでも溢れるかのような鼓動が発せられる。
 彼を助けたい。痛みを取り除きたい。
 首に手を伸ばした。扼殺しようとしたのだろうか? 彼の首は湿しとっていた。室内の温度は下がったようだが、彼は汗を噴き出している。
「すみません……っ、ちょっと余裕、なくて」
 永世は笑みを繕っている。腹の中のものは勃っているというのに、彼の顔色はあまり良くなかった。
「あの縛られているところですか」
 言い当ててしまったらしい。狼狽と逡巡が窺えた。
「い、いいえ……」
「外してしまうのは、いけないのですか」
「避妊具を着けていますが、間違いがあってはいけません」
「身体を壊してしまいます」
「構いません。そういう役目です。ぼくに子を成す務めはありません」
 まだ三途賽川にいた頃の蓮や、鱗獣院家、その他婚家一族から散々、子を成すように言われ辟易していた。だが茉世も、家庭を持ち、子を生み、育てることが人の幸せだと刷り込まれてきた世代である。自分は子を産むことに言われうんざりしていたが、他者がそのことを言うと、何かがショッキングで、事情のありそうな、重々しいことのように思えてしまうのだった。
 腹の中に一部を埋めているこの男について、何も知らないことを知った。知る事柄も知るすべもあることを認識した。
「でも苦しそうなの、わたしがつらいです」
 首に這わせていた手を、彼の頬まで持っていく。夫は蘭のはずだった。だが感情の伴わない結婚は、意識まで彼女を蘭の妻として浸透させない。ただ、蘭の妻で、夫が蘭であるという情報を与えるだけだった。時折り、勘違いを起こす。茉世は永世を夫だと錯覚した。ゆえにこのようなことをしているのだ!
 錠剤も薬液も用いない痛みの緩和の方法。刷り込まれていたものかもしれないし、無意識に体得したものかもしれない。
 茉世は可哀想な男の首に両腕を引っ掛け、顔を近付ける。乾き切って、薄皮の鱗が剥がれかけた唇を塞いだ。
 哀れな男を救いたいはずであった。目的はそうだった。しかし彼女もまた、合わさった唇の絶妙な疼きを残し、その他の肉体はすべて風化したような心地に陥った。だが肉体が現存していることを知る。突き入れられた杭が激しく前後した。合わさった唇は、茉世から仕掛けたものだというのに主導権を奪われていた。
 先程の講習はあまりにも粗末なものだったのだと知る。気遣いも優しさも誠実さも忠心もない一匹の獣がそこにいた。
「ふ………っ、んん………」
 溺れるような口付けだった。以前の永世の姿を思い描けなくなる。どのような男であったか? 自分は彼にどういう印象を持っていたのか…… 日に焼かれて傷んだ髪がぱさついて指に絡む。嗅いだことのあるような、ないような匂いが鼻に馴染み、脳髄に沁み入っていく。汗とシャンプーの匂いに戸惑う。夫だと頭に知らしめられている人とは違う匂いでいて、ではこの人は何者なのか判然としない。
 夫ではないのなら、何故このようなことに……
 ばき、と何か砕けるような音が、ベッドの対面にある、背の高いラックから聞こえる。明らかに何か、プラスチックの類いのものが壊れる音だったが、彼女たちは気付かないのか気にしないのか、互いの舌を貪り、唇を求め合っていた。
 困惑も、瀞みのある真っ白な波に呑まれてしまった。不本意に身体を暴かれたときとは大きく異なる温もりに沈んでいる。直接的な刺激による反射というよりも、快い誤作動による反射だった。埋め込まれた肉杭を食い締める。暴れて逃げようとする獲物を捕まえて食らおうとする。
しかしそれは付加的なものでしかなかった。
 だが彼女は欲深かった。業を背負っていた。浅ましい女であった。立てた膝が男の腰を押さえようとする。どこにも行くな、ここにいろ、と両側から押さえつける。
「ん………っ、く…………んん」
 口の端から溢れ出た淫水が滴り落ちる。男のほうは、まるでその泉から水をすべて掻き出しているようである。
 清楚だった男の髪を手櫛で乱していく。本意の行為であれば、彼女もまた純潔であった。無闇矢鱈に男を求めていたわけではなかった。しかしもう違う。自ら脱ぎ捨てた。だが何を惜しむ必要がある?
 伏せられた睫毛、夏野菜をぐ手、草を毟る横顔、茶碗を持つ所作。他の何も知らないが、わずかに見たその姿を思い映せるのならば、恥じることはないように思えた。
 頭を抱いていた手が、順番に剥ぎ取られていく。掌と掌が合わされる。他者の温もりとは思えなかった。彼女は自身の体勢、人体の構図、可動域も忘れ、誰と手を繋いでいるのか分からなかった。自分の左右の手を合わせたのかと思った。だが大きさで知った。指と指の間を窮屈げに通り抜け、握り締める。全身で抱擁されたかのような安堵がまた脳髄を蕩かした。
 縺れ合う舌の質感を強く認めたとき、彼女は閃光とも噴き上げる潮とも判じられないものを脳裏にみた。身震いがはじまった。性感帯だと思いもしなかったところで彼女は達した。重なった手を握り締める。膝頭もまた挟んでいる腰を押し潰す。ひしめかせてしまう腹の中で脈動を感じた。男体が落ちてくる。その重量感に安心した。けれど、歯軋りも聞こえるのだった。
「永世さん……?」
 茉世の声は上擦っていた。乗っていた永世はすぐさま起き上がった。
「すみません……」
 永世は掛布団から出ていった。そして浴室へ入っていく。汗を流しに行ったものだと思った。茉世は下着を身に付けながらもう脱衣所にタオルがないことを思い出した。彼は自分でタオルを用意してきたが、それも忘れている。ノックも忘れた。ドアを開く。脱衣所に人影が見えた。
「茉世さ、………っん、」
 媚びるような声が狭い空間にこだまするようだった。永世は下着を下ろし、避妊具もゴムチューブも外していた。先程まで彼女の体内に入っていたものがティッシュの敷かれた手の中で跳ねた。白い粘液が噴いた。だが勢いのあるのはこの一度のみだった。
「あ………ッ」
 何度か縋りついた肩も小さく跳ねた。びゅ……びゅびゅ、と膿を出すようにそこから精液が力無く流れ出ている。数回に分けて、白濁がティッシュに染みを作る。茉世は愕然としてその粘性を帯びた体液を凝らしていた。
 長い睫毛が伏せる。羞花閉月とはこのことかもしれない。解語之花かいごのはなという言葉に便乗するならば、人語を操り服を着た白百合がそこに立っている。グロテスクな男体な神秘などたちまち見えなくなる。
「見ないで……」
 だがもう見てしまった。囁きに似た音吐おんとには妙な色香を帯びて、茉世の心臓を叩いた。
「ご、ごめんなさい!」
 彼女は浴室から飛び出した。扉に背を預け、長距離を駆けてきたように息を切らした。胸元に手を当てる。粼々りんりんとしたせせらぎのような人と恐ろしく淫らなことをしてしまった。
 水道の音を聞いた。背中を打つ。扉が開く。茉世は弾かれたようにベッドのほうへ向かっていった。
「汚らしいものをお見せしました」
 永世がやって来る。茉世はぷいと顔を背けた。
「い、いいえ……勝手に入ってしまったのはわたしのほうですから……」
 クーラーから吹かれる風が冷たい。永世もそう思ったのだろう。設定温度を直す。
 沈黙。エアコンも黙ってしまった。水道管も押し黙っている。アイドル連中はグループとして仕事があるといっていた。そのためにこの日にした。
 ベッドに腰掛けた茉世から2人分、3人分ほど間を開けて彼は座った。かと思うとすぐに立ち上がる。
「帰ります」
「もう少し、休んでいったら……」
「いいえ、もう帰ります」
「どう帰られるんですか」
 先程彼は酒を飲んでいた。タクシーか、電車か……
「ぼくが運転してきて、帰りは継母ははが。一緒に来たので……」
 永世よりは年上だが、母というには歳の近い、女優のような母がいたことを思い出す。
「ずっと、待っているんですか」
「駅前で暇を潰すと言っていました」
 茉世は菓子を持たせた。目を見られない。彼はいつか、バジリスクやメデューサの類いになったのだろうか。不自然なほどだった。
「ありがとうございました。色々と、その……不勉強で申し訳なかったです」
 その視線は所在なく足元を彷徨う。永世にすまなく思いながら、その目をち合わせるのが怖い。胸の奥がおかしくなってしまった。下方を見つめながら、彼女は目を瞑った。心臓疾患とは思われない、それとはまた別の違和感がある。
「茉世さんが気にすることではありません。ぼくがしっかりしていればよかったのです」
 その日一日、彼のことが頭から離れなくなっていた。六道月路ろくどうがつじに電話をかけたときでさえ、楓に報告をしながら、彼女はぽけりと自分が抱かれた男のことを考えていた。眠りに落ちてしまう直前まで、脳裏を占領されていた。指には日焼けしても瑞々しい肉感が遺り、身体には手加減された重量感が消えない。


 彼女は葬儀場に立っていた。棺の前に佇む。見上げた祭壇には遺影。しかし照明によって白塗りになっていた。一体誰の葬式なのか分からなかった。だが彼女は一人、棺の前に佇んでいた。参列者は、四角い黒い塊となって、ひそひそ噂話をしている。
『嫁の不倫を苦に亡くなったんですって』
 この事情をすぐに把握できる台詞に、聞き覚えがある。昔観たドラマだ。主人公が不倫し、それを知った夫は追求することもなくいきなり自殺してしまう。不倫の発覚した次の回で葬儀の場面から始まったのが印象的で覚えている。
「茉世義姉さん」
 まだ幼さの残る声に呼ばれて振り向いた。りんが冷たい目をして参列者の間を抜けてきた。
「酷いです。どうして―を殺したんですか」
 悲鳴が聞こえた。また祭壇のほうを向き直すと、禅が棺にしがみついて泣いていた。泣き叫ぶ姿を目に入れていると、肩を叩かれる。蓮であった。
「何をしているんだ。義姉さんに、ここに立つ資格があるとでも?帰ってくれ」
 参列者の怒りの眼差しを感じた。確かに、ここにいるべきではない。彼女は逃げたかった。ホールから出たかった。
「息子を返して!」
 絶叫が響きやすい空間に谺する。だがこれは嘘だと思った。義母はそのようなことは言わないだろう。言える状態にない。しかしそうだろうか。肉親を裏切られ、死に追いやったとき、また別の感情を抱きはしないか。息子である。長男である。
『淫乱女め!赦せねぇよ!』
 参列者はゾンビと化した。パニックホラー映画のゾンビの大群と化して茉世に迫った。新鮮な生肉を求める活屍人のごとく、彼女へ腕を伸ばし、髪を引っ張り、肩を鷲掴み、腕を握り締めた。
 床に引き倒され、這う。喪服ははだけ、破け、裂かれていた。前へ出した手を、よく磨かれた革靴が踏む。白く炙られた黒靴を辿って見上げた。服装からして男性である。逆光して顔は見えない。
「不倫女なんて最低ですね」
 長い睫毛が目瞬くのは見えた気がした。


 目蓋が開く。クーラーを点けて寝たが、背中はぐっしょりと濡れていた。夢に意味などない。あるのは虚しさだけである。不合理だ。酷い話である。夫は、嫁が他の男に抱かれることを良しとした。止めはしなかった。むしろ促すつもりだっただろう。
 彼女は昨日、自分を抱いた男の持ってきた酒を飲んだ。深過ぎる眠りは、生活リズムを崩している。予定起床時間を大いに回っている。後悔した。だがそうでもしなければ眠れなかった。脱衣所に百合の花が咲いていたのだ。身体が疼く。酒のせいか。おかしくなってしまった。寝違えたのかもしれない。彼女はベッドには寝ていなかった。もしかすると当分、このベッドでは寝られないかもしれない。シーツも布団も枕カバーも洗ってしまった。だがそれはすぐ乾くであろう。しかしすぐ乾いたとしても、洗剤に掻き消えたはずの残り香を拾ってしまいそうなのである。シーツの衣擦れに戸惑いそうなのである。
 悶々とした。熱はなさそうだというのに、身体がおかしい。
 そこへ、管理人の呼び鈴が鳴った。寝間着の上だけ着替え、エプロンで隠して出窓を覗く。人はいない。代わりに脇のドアが開いた。
「約束すっぽかし女サン、コンニチワ」
 ブルーのサングラスが持ち上がる。青い着色料が落ちて、苔が生えたような緑に褪せてきている髪。ちゃりちゃり小煩い、ビーズカーテンめいたロングピアス。
 茉世は半歩後退った。
激臭げきくさまんこの約束、どうなってるの」
 この人が誰なのか思い出そうとした。
「よく分からんロマンス詐欺師みたいな人に拉致られてたでしょ、オネエサン。あの人にも、汗臭まんこ、嗅がせてあげたの?」
「か、帰って……帰ってください………お金、返しますから………」
「ワタシ、借金取りぢゃないよ。オネエサン。おまんこしに来たんだから、おまんこしてないのに、帰るわけないよね」
 銀石だらけの手が彼女の胸元を押して中へと踏み入った。
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