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ネイキッドと翼 ケモ耳天真爛漫長男夫/モラハラ気味クール美青年次男義弟/

ネイキッドと翼 40

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「こ、来ないで……」
 照り輝く青と白の薄いMA-1コートを押し返す。硬い肉感に茉世まつよは目を見開いた。男体というものが急に生々しい。布越しであるというのに手が爛れそうであった。同じ人間であり、平等の権利が与えられているというけれども、ネコとライオンくらい違う生き物ではなかろうか。ネコはその辺を徘徊していてもほぼ人的被害はなかろう。だがライオンが住宅街を闊歩していたら?
「来ないで?来ないでクダサイ、だろ? オネエサン。イくけど」
 大きな手が、茉世の華奢な顎を掬い上げた。皮膚の微細な凹凸を感じる。やすりがかけられたように、彼女は不快感に襲われた。この男の横柄な態度を快く思うことはないけれど。
「で? 茶も出せないならまんこ汁飲ませろよ」
 青山の声が、前と違って聞こえた。掠れてもいなかったし、濁っていたわけでも、鼻にかかっていたわけでもない。茉世は自身の聞こえ方の問題だとは分かったが、その正体は分からなかった。
「嫌です……もう、そういうことしません………帰ってください」
「ハァ?」
 またサングラスを下げ、青山は二又に裂けた舌先を見せる。
「何言ってんのォ?」
「もう、ああいうことしないんです……」
「おい、ブス。何、断ってんの?アナタ何様?ワタシがヤらせろって言ってんの。勿体ぶるなよ、ブスでババアのくせに」
 襟元を掴まれ、引き寄せられる。だが彼女は首を振った。身の内に咲いた白百合を手折られるようだった。それは嫌だった。
「じゃあ、何、ブス。今まではヨカッタんだ?ワタシの若くて大きな真珠ちんぽ、愉しんでたんだ? 急にどうしたの? ダンナさんに棒いぢりはヤメロって怒られちゃった? それともセックスが再開したの?」
 脳天を押さえ込まれる。青山藍の頭が首筋に近付いた。この男は吸血鬼だったのだろうか。飾りでも何らかの身体障害でもなく、吸血鬼であるために屋内でもサングラスを掛けているのだろうか。舌先が割れているのは生まれつきで、肉体改造のためではないというのか。この男は吸血鬼だったのだ。茉世の首筋に痛みが走る。
「またダンナさんにレスられちゃうね、オネエサン」
 茉世は吸われた箇所を手で押さえ、青山藍を睨みつけた。
「もう帰って……」
「ムカツクなぁ。何もしないで帰るわけないじゃん。もっと、ワタシを怒らせろよ。そんなにイヤがってくるならウザくないと、おまんこのし甲斐ないもんね」
 私室へ繋がるドアへ、茉世は打ちつけられた。ハンバーグでも捏ねるかのように。
「ダンナさんになんて言い訳するか考えてろよ。旦那アナタの稼ぎが足らないから、真珠ちんぽにキモチヨクしてもらいながらお金稼いでましたって言えば? いいよ、今日は奮発してアゲル!」
「しません……しません!」
 彼女はまたさらに首を振った。
「ハァ? すんだよ。なんで自分に拒否権あると思ってるの? イヤならちゃんと抵抗して?」
 エントランスと管理人のドアが、勢いよく閉まった。だが私室のドアは開いたままだった。彼女の躯体は軽く中へ放り込まれる。
「ああ……!」
 踏み締めようとした。だがバランスを崩し、フローリングの上に転ぶ。すばやく上体を起こし、青山のほうを向いた。背の高い男が、さらに大きく感じられる。
「あれ? ピアス穴、閉じてね? オネエサン、せっかく穴増やしてアゲタのにヒド~。まんこと同じだよ、ブス。定期的に突き刺してやらないと」
 青山藍は地べたを這う茉世に合わせ、すとんと屈んだ。急な接近に怯える。怖くなった。青山藍が以前とは違って見える。だがその理由が分からない。
「そんな怯えてドウシタの? あ、誰かにレイプされちゃった? それで男が怖いんだな? 治してアゲル。アナタみたいなブスでもレイプされるんだね。ババアなのにね。ワタシが治してアゲル」
 銀の石ころがついた指が触れかけた途端、茉世は咄嗟に振り払ってしまった。除けたのではなかった。衝突があった。だがそれをやった茉世もまた自身の咄嗟の行動に狼狽えている。
 青山藍は大きく溜息を吐いた。そして片側半分に長く残された青髪を掻き乱す。
「オッケー、オネエサン。そういう感じでイきたいのね。ガチレイプ系、あんまり好きじゃないんだよな……」
 サングラスをしまい、ロングピアスを外し、口元のピアスも外していく。それからグリルズも外した。リングもひとつひとつ外していく。青山の目は冷ややかに茉世を見下ろした。
「あっ」
 一瞬にして、青山の腕は茉世を捕まえた。エプロンを剥がし、シャツを襤褸布同然に引き千切った。タンクトップも下着としての用途はもう果たせず、ただの端切れになる。彼女の頭の中は危険信号のあまり真っ白くなった。殺されるかもしれない。
「コワイ?」
 素直に頷けば、手加減するかのような物言いだった。茉世は恐怖のあまり声も出ない。
「驚きだな。オネエサンがガチレイプ系希望だなんて」
 希望した覚えはない。だが青山は、彼女の皮膚を引っ掻き、またパジャマのズボンがその腿を擦っていくのも構わず、力尽くで剥いてしまった。
 茉世はまだ、自分がどのような状況にあるのか呑み込めなかった。ただ、脳裏に咲いた白百合が手折られ、踏みにじられていく光景ばかりが延々と繰り返されていく。
 色を変えたらしい夜空柄の爪が、彼女の膝を割り開いた。彼女は言葉を失った。ただ手が抵抗にもならない抵抗を示すのみである。止めるというよりも添えているといったほうが相応しいような微々たる力で過ぎなかった。
 開かされた脚の間に青山は身体を入れ、黒とも見紛う紺色に白みがかった靄を浮かべた柄の爪は、布切れをはためかせる乳房を掴んだ。力任せであった。皮膚を刺される痛みと、脂肪を潰される痛みが走る。相手を思いやる気のない手付きであった。
「あ………、あ……」
 胸の膨らみが大きく歪み、たわみ、離したときの弾みまで遊ばれている。左右を寄せ、頂を擦る。倒れても勃ち上がる健気な芽を艶爪が甚振った。
 悪寒が走る。彼女は首を振った。青山藍は自身の下唇を浅く噛み、口を引き結んでいる。ただ物がそこにあるという眼差しだった。それが青山藍だとは思えなかった。怪物のように思えた。
 脂肪の柔らかさで遊んでいた手は、やがて腿の間にワープし、乾いた指が乾いた粘膜に刺さった。目の前に火花が飛ぶ。痛みを訴える声は、音にならず喉を焼くのみ。二度三度往復しただけで、そこは真珠環を孕んだ巨物を受け入れさせられる。深い溝が左右対称に駆け巡る腹を押しやれども、それが何の抗拒になるのだろう。おぞましい陽根は彼女のなかに無惨にも打たれていく。
 冷えきった圧迫感、粘膜の摩擦、肉の軋り、恐怖…… 何よりも、以前より倍増された嫌悪感。
 茉世の目から涙が溢れた。吐気がした。
「オネエサン、泣いてるの?」
 指摘されて彼女は顔を覆った。自覚した途端に堰を切る。
「それも演技? 女はみんなAV女優だからなぁ」
 顎を掬い上げたついでに頬まで鷲掴み、咎めるかのように震わせた。彼女は眉根を寄せ、睫毛に絡んだ涙が落ちていく。青山藍はそれをしげしげと眺めていた。
「今まで、フツーにおまんこさせてくれたじゃん。急になんで? ダンナさんが抱いてくれるようになったの? でもここキツいよ。ダンナさん、粗チンなの?」
 茉世は律儀に首を振って応えた。
「粗チンじゃないのに、キツいの? あ、HAHAHA! へぇー! オネエサン、好きな人デキた? 誰? ここの奴等? 銀蔵はやめとけ。アイツには自我がないから!」
 またぼろぼろと魚の鱗みたいなのが目から落ちていく。
「オネエサンなら、でっかいおっぱい見せれば男なんてイチコロでしょ。相手がホモかロリコンなら別だけど……でかぱいくっつけて、触らせてあげる! って言っときゃ余裕」
 青山藍は嗤いながら茉世の膨らみを揉みしだいた。手の中で細かな肌理きめが撓んでいる。茉世は力の入らない腰を置いて、頭から沈んでいくようだった。大切にされた肉体を乱暴に扱われる。この身を大切に扱った人々へのやるせなさがきつく胸を締め上げた。特に彼女の脳裏には、もっと具体的であった。大切にされたのだ。涙が止まらない。咽び、しゃくりあげる。
 青山藍は冷ややかに号泣する女を見下ろした。そして光沢のある薄手のMA-1コートのポケットから綺麗に畳まれたハンカチーフを取り出す。アイロンがかけられ、正方形になっている。夜空と雲柄の爪がそれを広げた。また2つに折って年甲斐もなく大泣きしている女の顔面を覆った。さながら昔の各個人の家で営まれた葬儀のようだ。顔伏せの布は青いけれど。
 何も言わず、強姦魔は女の身を打った。恐ろしい吐気が腹の底から喉元まで突き上げられる。塗り替えらてしまったのだ。何故この暴行に、以前は快楽を見出したのか。快楽によって暴力から逃避したのか。脳裏に居座る人の肌を知る前の身体ではなくなってしまった!そして体格の大小、胴周りや胸周りの厚い薄いはあれども、ほぼ同じ肉体構造だというのに違う生き物のように感じられた。
 鼻先を覆うバニラの香りが気持ち悪かった。
「い、や……!」
 顔に乗る布切れを剥がし、抽送する男体を突っ撥ねる。だが腕は交差され、そのまま自由を奪われた。彼女は首が据わらなくなってしまった。喉元を晒して頭が揺れる。女を拘束しながら何度か突き入れると、青山は手を放した。そして結合部の近くに触る。陰核を押し潰す。
「う、うう……」
 意識を虚空に投げておくことは赦されない。敏感な箇所に集中させられる。以前のように、身をのたうたせ、淫楽に悶えることはできなかった。痛みとも痒みとくすぐったさとも判じられない混乱を与えられるのみだった。
「怖い………怖い、………」
 無意識に彼女は口にしていた。上半身は下半身を見捨て、肘を足にして床を這う。
「助けて……」
 しかし助けてくれるような相手は見当たらないのである。居住者たちは出払い、義母は嫁を痛め付けてから元気がなかった。一体この場に、誰が助けにくるというのだろう。
「誰も助けになんて来ないよ、オネエサン」
 ピポンと鳴った。その音に覚えがあるのだ。だが信じられなかった。アプリコット社の出しているデバイスでの録画開始の合図である。茉世もユーザーであった。野良猫と遊んだときや花見の季節によく聞いた。
「イェーイ。ばんクン、見てる~?」
 ピースサインを作り、青山藍は自身を撮りはじめる。
「今、絆クンの兄嫁をレイプしてまーす。どうする絆クン。警察に訴えでますか~?ブロークンハートから強姦魔出しますか?」
 ピースサインは開かれ、掌をひらひらひらめかせた。
「オマエの所為だからな、絆。拝金主義者め」
 おどけた調子が、一気に底冷えしていた。青山の構えていた黒光りの板が下ろされる。ピコンと鳴って録画が終了したらしい。高機能携帯電話が視覚から消えると、青山藍は茉世の存在を思い出したらしい。不穏な凪ぎ方をしていた顔に露悪的な微笑が浮かべられる。
「コレ、オネエサンに預けるよ。どうする?絆に渡す?このまま隠し通してワタシのお人形さんになる?」
 カバーの付いていない剥き身の無機物が彼女の捩れた脇腹の上に置かれた。安定せず、床へ落ちていく。
 青山藍はへらへら笑うと彼女から砲身を引き抜いた。そして茉世に握らせ、手淫によって精を放つ。彼女の手の中にべっとりと粘ついた米の研ぎ汁、腐った牛乳みたいなのが飛び散った。濃厚な牡の匂いに、嘔吐準備の生唾が湧く。だが吐くことはなかった。青山は射精すると、牡生臭いものを出したまま、そこであぐらをかき、ポケットから紙幣の束を出した。おやゆびを舐める様が汚らしい。
「とりあえずの10万と、モデル料の5万で、15万」
 揃えることもなく、紙幣が15枚散らばって落ちていく。
文秋もんしゅうに売れよ。ブロークンハートから強姦魔が出たってな。アイツはワタシからダンスを奪り上げた。ワタシはアイツからグループを奪り上げる。因果応報なんだよなぁ」
 ピアスを刺し、指輪を嵌めていく。ポケットから銀色の細いネックレスも出てきた。
「ワタシのカノジョ、イエベでさ。ブルベ似合わないのよ。だからオネエサンにあげる、コレ」
 ステファニーアンドカーのクローズアイである。20代前半であればまだ似合っていただろうけれど、そろそろ相応しくない年頃である。青山藍にはプレゼントのセンスがないのであろうか。世間の風潮を察する機敏さを欠いているというのか。それとも不要なものを不要なものだからという理由一点のみで押し付けているのか。
「人妻には似合わないかな。でもオネエサン、人妻の色気ないからダイジョーブだよ。レスられ妻だから仕方ないね。レスられ浮気妻だから。エッロ……」
 青山藍はちゅぱちゅぱ茉世の唇を吸った。それからビールを一息に呷ったかのごとく口元を拭った。
「要らなかったら売って、そのオカネでディルド買ったら。ダンナさんのこと忘れて、好きぴっぴのこと考えてオナニーしな、オネエサン。好きぴっぴのちんぽこと同じSサイズのね。ワタシのドラゴンパールエクスカリバー知っちゃったら、簡単には満足できないと思うけど、アイノチカラってすご~いから。げへへ、ワタシも"あい"だよ、オネエサン。オナニーしてるところ見たかったなぁ。物足りなくなったらワタシがホンモノちんぽ挿れていっぱいぱんぱん突いてあげるよ。っていうか好きぴっぴ呼んで3Pしよ? 3Pしよ、オネエサン。ダンナ呼べとは言わないから、好きぴ呼べよ。オネエサンが好きぴにファックされて純愛イきしてる横で、鬱勃起シコりてぇ~!」
 青山は茉世の生臭い粘液まみれの手をその辺にあったティッシュで拭き、やはりその辺にあった霧吹きのトリガーを引いた。アルコール臭い霧が噴く。その顔は急にしかつめらしくなっていた。そういう表情をすると、途端に目元が鋭くなる。
「オネエサンってさ、純愛不倫ガチ恋イき、したことあんの?」
 にたぁ、と頑丈なコンクリート壁が一気に崩壊するように、悪辣な笑みが出現する。
「目、閉じておけよ。ワタシが練習台になってアゲル。ワタシがオネエサンの好きぴディルドになってアゲル。嬉しいでしょ?」
 ハンカチーフを細長く折り畳み、青山藍は茉世の目元に押し当てた。そしてすぐさま唇を合わせた。嫌がる手を無視し、握り込む。
「ん………っ」
 散歩途中の犬同士の挨拶みたいに、青山の銀疣付きの舌は、茉世の舌に一度巻きついてすぐ離れた。
「コンドーム1コしかないから、1発だけね?」
 耳元で囁き、また舌を絡めた接吻へ戻る。蛇の喧嘩にも、蛞蝓なめくじの交尾にも似ている。銀面皰を引っ掛かけられる。
「ぅ……ん、ん………ッ!」
 茉世は握られたままの手で、青山を押し除けようとするが、青山は身を退こうとするどころか、さらに彼女に密着を迫る。やがて茉世の身体は弛緩する。それが目的だったとばかりに口が離れた。
 青山藍は何も喋らなくなってしまった。茉世の視覚は塞がれ、部屋は静かであった。数えられるほどの音しかない。苦行は終わったのではなかったのか。終わっていなかったのだ。青山は陰茎を生身で突き入れたことも厭わず、茉世の腿のつけ根、脚の間に頭を埋めた。両手は指を組まれ、腿の外側へ貼り付けられる。恐怖に似たくすぐったさに身が竦んだ。背筋が仰け反る。
 陰阜いんぷに茂る黒絹屑に伏龍が棲みついてしまった。息吹を感じるのだった。だがそれは吹いているものではなかった。吸われているのだった。大気にみなぎる活力を口から放つ光線に変換するために、この妖しい叢の魔臭を吸収していた。
  嗅がれている羞恥と、人気ひとけに慣れないところに息吹を感じるもどかしさに、彼女の身体は戦慄く。龍舌は空を流れる雲のごとく、糸屑玉の下へ潜んでいった。
「あ、うぅ………っ」
 熱さと強い寒気の両方を感じる。意識は下腹部の底へと集まっていき、茉世は掴まれて固められている指へ力を込め、無理矢理に意識を逸らした。締め潰すつもりの力が、指輪か骨か分からない固いものとぶつかって鈍い痛みを生む。その傍で行われる無惨な口淫について、振り向いてはならなかった。
 嘲笑も悪罵もせず、青山は人が変わったように黙々と雛肉へ舌を擦り付けた。ざらついた上面で撫で上げ、つるりとした下面で撫で下ろされたる。この男の舌先は割れていた。時折、過ぎ去ったはずの舌から遅れて舌が落ちてくる。左右のどちらかに差をつけるのだった。異様な感触に腰や背中を冷たい手で逆撫でされるような気になる。
「ふ………ぅう………」
 身動きを制限され、鋭敏な部分を絶妙な技巧で舐め上げられていく感覚を逃がすすべがない。おぞましくも甘美な蠢きが腹の中に滞留していく。肉体的で、物理的で、即物的な刺激であった。だが戸惑う。精神に作用する。痛みでも苦しみでもないくせ、認めたくない、ありのまま受容できない、肉体を介さない苦しみがあるのだった。
 青山は機敏に、複雑な女体に秘められた複雑な魂を見抜いたのか否か。唇休め、舌休めとばかりに日に焼けがたい、白く柔らかな内腿を吸った。ライチを食うように吸った。白玉を啜るような口遣いで、吸った。てゅぱ、と音がたつ。肉体の持主本人には見えない、紅い痕がつく。
「うう、」
 茉世はくすぐったさに似た恐ろしさに身を跳ねさせた。尻が床をうつ。
 騒がしくやかましいほど饒舌多弁な男が黙ると、それは威圧や脅迫のようであった。実際、上肢の動きは封じられていたし、下肢も自由であるとは言いがたかった。膝で男の頭を抱くか、背中を蹴ることしかできない。しかしもし怒らせたならば。法律も常識もかなぐり捨てられてしまったとき。原始的プリミティブな手段をとられてしまったなら、茉世は勝てなかった。包丁を与えても勝てないだろう。銃を渡したとしても、扱い方も分からず、当てられるとは限らない。社会一般的な性差もそこにあったし、大きな身長差や体格差からして膂力りょりょくの差も明確だった。それに加え、ナックルダスターとしか思えない指輪が害意を持ったとき。怪我では済まないだろう。そのとき限りの負傷では済まず、命を落とす可能性も大いにある。蹴るのは賢明ではない。否、彼女にそのような計算式を解いている理性はなかった。生存本能がそのような選択肢は隠してしまっていた。彼女ができるのは川底の石となるのみであった。
 青山は十分にそこを濡らすと、股のつけ根へキスした。何かの合図のようであった。癒着したかのような手が呆気なく 離れていった。茉世の手は爛れたように相手の体温に蒸されていたというのに。
 あっさり帰っていった指は、今度は舐め濡らされ、津液まみれになった陰門へ現れた。夜空と雲の描かれた爪を背負って、彼女の体内に訪れる。牛歩であった。亀の歩みであった。嫌がらせのようにたむろしているみたいだった。不躾に辺りを探索し、彼女の中へ入っていく。その慎重さを知っている。純潔の身体を相手にするかのような所作を、つい最近、味わわされた。
 不穏当な静電気が、彼女の芯を伝っていった。触られているところから、脳天のほうへ、心電図を描くように駆け上っていく。そして打ち上げ花火のごとく、全体へ号令をかけていく。
「あ……ああ、」
 戸惑っていたはずだ。ところが決着した。彼女の意思は却下されたのだ。快楽を得ることが採択されてしまった。
「や………め、」
 揶揄も哄笑も返ってこない。わずかにくちゅ……と水音が返事をしたのみだった。同時にそれは、青山藍の指が浅く入って引き返しながらより深く入っていくために出てきた音でもあった。
 身体はこの刺激を、淫楽として享受することを許してしまった。認めてしまった。
「やめ……て、やめ……て………よして…………」
 浮かべてはいけない人の顔ばかりが閃いてしまうのだ。そこに重ねてはいけない人の指を。忘れ去り、消し去っておくべき声を。白百合の花を手折ってしまう。
 青山藍の指が滑っていく。それが青山自身の力加減によるものでないことを、茉世は理解した。剽軽な調子から繰り出される悪罵を待つ。しかしなかった。粘着質な水音がその代わりだったのかもしれない。聞かせるためにこの男は黙っているのではあるまいか。
 快いところはすでに知られている。
「あ………んっ………」
 唇を引き結んだ。指が速まる。押し寄せるたび、拇指が鐘肉を圧していく。甘い余韻を引き摺りながら、内部の異質な刺激を受ける。
 外部刺激はなかったはずだった。だが甦る。違うことをしているというのに、夫でもない人の顔が、シャッターを切るように脳裏に現れる。消そうにも消せない。黒く塗り潰せない。
 青山は茉世の身体を起こした。四つ這いにさせ、その背中に圧しかかる。胸へ手が回った。
「だ………め………」
 その人を虚空に描像してしまうのは。
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