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ネイキッドと翼 ケモ耳天真爛漫長男夫/モラハラ気味クール美青年次男義弟/

ネイキッドと翼 37

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 夫が電話口にいるのが電子の微細なしじまのなかで分かるのだった。
「蘭さん……」
『うん。茉世まつよちゃん、元気?風邪をひいてるんだっけ』
 想像していた態度ではなかった。普段と変わりのない夫だった。
「はい……その、このたびはすみませんでした」
 詫びの言葉は消え入っていく。
『その話はもう終わったよ。さっき、楓さんから電話があってさ……』
「はい。養父ちちと話しました。永世さんからご指導いただきます」
 はばかっている場合ではない。
『うん。だんくんって、分かるかな。今日来たっていう鱗獣院りんじゅういんの人。その人にはおでから、その件は纏まって、おでも把握してるって言っておくよ。ごめんね、茉世ちゃん』
 何故謝ったのか、気にはなったが言及はできなかった。電話は、永世に戻る。
『お電話代わりました、永世です』
「では……よろしくお願いします。日程は、永世さんに合わせます」
『茉世さん』
「はい……?」
 改まった調子で呼ばれ、茉世は不安になってしまった。次の会話がまったく予想できなかった。良い話か、悪い話か。
『茉世さんは、お酒は飲まれますか』
「……あまり」
『では少しだけ飲みましょう。楽しみに、と言うわけにはいきませんが、待っています』
「……はい」
 共に夏野菜の前ではしゃぎ、食卓でそれを食う仲がかわってしまうかもしれない。変わるのだろう。茉世には未知のことだった。きっと何かが変わるのだ。男女が恋人の関係に変わるように。夫婦から父と母になるときにも。
「永世さん」
『はい』
「永世さんとは、これからも、変わらずに在りたいです」
『もちろん。ぼくも、そのつもりです』
「すみません……その、怖くて。永世さんと、そういうことするのが、って意味ではなくて…………変わってしまうのが」
 長電話はするべきではなかった。彼がどういう状況にあるかは知らないが、三途賽川に身を置いているはずである。
『きっと変わらないです……変わらずにいましょう』
「はい。お電話、ありがとうございます。あ、そうだ、このこと……るりるりに……御園生みそのうくんには、このこと……」
『秘密にしましょう。時間はメールで改めてお送りします』
「はい。おやすみなさい」
 通話を切ると、不気味なほどの静寂が訪れた。この身はどうなるのだろう。けれど身を任せる相手は永世だ。彼女は永世を信用していた。男というものが持つ、関わることでどうにか研がれ、まろくなっていく恐ろしい棘、身体中に生やした針を、彼からは感じなかった。
「永世さん……」
 彼女は横になり、目を閉じた。掌に乗っていた板状携帯電話が滑り落ちていく。


「酷い旦那だな」
 視界に色がついていなかった。今はもうほとんどみないビデオテープを再生したきのひずみが空間の中で起こっている。茉世は寝返りをうった。白と黒のコントラストを強めに効かせた世界であった。しかし六道月路ろくどうがつじの離れの部屋であることに変わりはなかった。
「自分がやる、とは言い出さないんだから」
 ベッドを背凭れ代わりに座っている者がいる。長い髪はおそらく黒い毛並みをしているのだろう。肌は白く、鋭い美貌を持っているに違いなかった。
じんさん……」
「よぉ」
 彼女は振り返った。やはり、次男によく似た隙のない面構えであった。
「覚悟が決まったかよ」
 覚悟。茉世はその漢字2文字、発音3文字に怯んだ。
「いいえ……」
 尽は乾いた笑いをあげる。
「けれど、いつまでも、何もしないわけにはいきませんから……」
「フツーは、旦那が止めるんだけどな。兄の腑抜けぶりが恥ずかしいよ。悪いな」
「家の決め事なら、仕方ありません」
 溜息が聞こえた。
「そう言うしかないわな」
「……永世さんを、信用しています」
 すうぅ……と義妹の気配が消えていく。



 熱が下がり、シャンソン荘に帰った翌日、永世がやって来た。
「こちらに帰ってきて間もないのでしょう?病み上がりですが、具合のほうはいかがですか。日を改めても……」
 白いシャツから伸びる日焼けした素肌に健やかさを茉世は眺めていた。彼はいい男だ。縹緻きりょうは悪くない。性格も悪くない。別の出会い方であれば、「惚れるのとは有り得ない」と断言はできないような相手だ。ただ人に命じられてと肌を合わせなければならない。このことが見えない壁を作っているようだった。
「平気です。早く済ませてしまいたいので……」
 永世も嫌なはずである。好いた相手とそうなりたいはずである。遠方から高速道路を乗って来たのだ。何もせず帰すわけにはいくまい。
「承知しました。シャワーを貸してください」
 歯磨きセットを持ち込むのが生々しく感じられる。日常の習慣のひとつだというのに。プラスチックのコップに歯間ブラシと歯ブラシ、舌磨きと歯磨き粉、スティックタイプのマウスウォッシュが挿さっている。共に持っていった丸みを帯びた容器はロールタイプの糸楊枝だろう。
 茉世はその場で俯いて固まってしまった。永世を指名したことをすまなく思った。夫に頼って何が悪いのだろう。家が許さないというのなら、あの横柄な大男でも……
 だが鱗獣院りんじゅういんだんのような男は怖い。
 シャワーがタイルを叩く音が曇って聞こえた。湯の雨が、元は白かった肌に降り注ぎ、儚い玉を実らせているに違いない。
 風呂場へ続くドアが開く。出てきた永世はタオル生地のフード付きジッピアップを羽織り、下は下着姿であった。
「お待たせしました」
「いいえ……」
 今度は茉世がシャワーを浴びた。彼女も下着姿で、上からフード付きのプルオーバーを身に纏っていた。どういう服装をすべきなのか、まるで分からない。相応しい身形というものがあるのだろうか。ベッドに座る永世の隣に逡巡しながら腰を掛ける。
「無理にとは言いませんが、少しお酒を入れませんか」
 彼はテーブルの上に酒瓶を置いた。洋酒である。
「はい……いただきます。でも、ごめんなさい。プラスチックのコップしかなくって。ガラスだと割れてしまうから……」
 ここは事故物件である。停電やポルターガイストが頻繁し、ガラスは割れ、ドアは勝手に開閉する。
「飲めれば、なんでも……」
 茉世はキッチンへコップを取りにいった。永世が、ばつの悪そうに彼女の後姿から目を逸らす。あでやかな下着は、以前に蓮から買い与えられたものだ。こういう場面のときのたむに身に付けるのだろう。茉世には分からない。夫と営むことと、これから永世と為すことがどう違うのか。嫌悪しているわけでもないが、望んでいるわけでもない相手と望まない行為に励む。同じではないか。それならば夫のためにと与えられた下着をここで使用することは、そうおかしくはないはずである。否、彼女は誤解してはいまいか。永世は夫ではない。恋人でもない。この場で華やかさを見せる必要はないのだ。永世は、三途賽川さんずさいかわが茉世に与えた器物であった。人語を理解し、温もりを持った人形なのだ。
 永世が酒を注ぐ。炭酸水のペットボトルの蓋が捻られ、軽快な音が弾けた。耳に心地良いせせらぎは、まだ蒸し暑さを残す晩夏によく似合う。
「どうぞ」
 切り揃えただけでなく、よく磨かれている指先が、2つ並ぶコップの片方を促した。
「いただきます……」
「薄めましたから、あまり重くはないはずです」
 顔を見られない。彼女は酒を一口飲んだ。苦味のなかに甘味がある。炭酸水が混ざっただけで、ジュースのようでる。黒地に白抜きのロゴはディックミカエル。
「本当はもっと早く、こうなるはずでした」
 永世の声が、円い液面を揺らすようである。
「茉世さんが御園生くんの知り合いだと知って……なかなか、機会を見つけられませんでした。ごめんなさい。ぼくのせいです」
 彼女は首を振った。
「永世さんのこと、まだすべて知れたわけではないけれど……これくらいの時間は必要でした。だから……謝らないでください」
「茉世さん……」
「わたしのほうこそ、そういう理由があったのに……永世さんにお願いしてしまって申し訳ないです。でも、永世さんなら、優しい人だって分かるから」
 ぼんやりと酔いが回っていた。かなり薄められていたが、息に酒臭さが混ざっている。
「……申し訳なく思う必要はありません。もとはぼくの役目でしたから」
 永世はカップを置いた。そして炭酸水の他に、水も持ち込んでいたらしい。結露したペットボトルが2本、テーブルに聳え立つ。
「よかったら飲んでください」
 彼は美味そうに水を呷った。そして切腹するかのようにベッドの上に座った。茉世も水を飲むところから真似た。対峙して座る。
「いい、ですか」
「はい……」
 顔はどうにか向けたけれども、目を合わせることはできなかった。
「まずは、接吻の仕方から……」
 視線を落とすと、膝の上に置かれた手が震えていた。草を毟り、夏野菜をぐ指の一本/\に緊張が走っている。永世も、好きではない女の相手をするのだ。女なら形式だけで終わらせることができる。しかし男は表出が伴わなければならない。
 三途賽川という居場所で生きるためだ。生かしてもらうためだ。仕方がない。そして永世も、それが務めなのだ。彼を拒み、責め、咎めたところで仕方がない。
「……はい」
「失礼します」
 腕が伸び、茉世の両肩が押さえられ、彼女の視界は陰を帯びた。
「目を、閉じて」
 言われるままに、目蓋を伏せた。唇に柔らかな感触が触れる。すぐに離れた。目蓋の裏に明かりが戻り、茉世は目を開けた。永世は膝頭のぶつかる距離にいた。顔を背けている。何か言わなければならない気になった。
「柔らかい……です」
「よ、よかったです……。次は……その、もう少し深い口付けをしますから……まずぼくがやりますので、そのあとに真似てみてください」
 また一言断り、彼は茉世の肩を押さえ、膝で立つ。先程と同じように、唇と唇が合わさった。直後に、生温かく湿ったものが口腔へ差し込まれる。彼女の縮こまってしまった舌を掘り起こす。
「ん……っ」
 緊張しながら力の抜けていく、不思議な感覚に陥った。永世の舌に巻き込まれ、己の口腔のなかを回る。この単調な動きを何度か繰り返され、彼は離れていった。
「っ……できそうですか」
 目が合わない。口元を拭い、わずかに声が低くなっている。伏せられた睫毛だけが相変わらずだった。
「やります」
 茉世は永世の肩を押さえるところから真似た。掌に肩が収まらない。男女の体格差を強く感じる。肥えているわけではないのに瑞々しい弾力がある。その下に逞しい骨がある。永世は穏やかでも男だった。感情次第で、女などどうにもできる。だが彼は、その選択を取らない。三途賽川の嫁が相手だからだろうか。尼寺橋渡にじのはしわたりてんや青山藍のように、力任せに女を従わせない。やはり三途賽川の嫁が相手だからだろうか。そうでなかったらこの男は、彼等のように暴力の行使も厭わないのだろうか。
 距離感が分からなくなってしまった。下から迫るより、上から降りようとした。永世よりも上に上がらなければらず、上体を伸ばす。瞬間、視線がち合ってしまった。惚けた瞳を認めると、咄嗟に切り離す。それから唇を重ねた。おずおずと舌先を入れる。彼の中は熱かった。体温を突き入れたのはこちらだというのに、脳に熱串を刺されたようである。そしてそれは溶けていくようであった。熱い氷柱のようであった。自身の舌の居場所が分からなくなる。
 男の肩に合わせて手を開いたのは間違いだった。身体を支えられなくなってしまった。最適な位置を探るたびに、清楚で温和、澄んだ男の肉感、骨格を知ってしまう。
「………ふ、」
 どちらが息を吐いたのか分からなかった。茉世はあまりにも鈍い動きをしていたし、永世の舌は重く感じられた。何度も、突つき、掘り起こすのを試みる。裏側に、永世の歯を当ててしまう。
 結局、できなかった。口水の溢流に意識を取られ、身を剥がしてしまった。
「ごめんなさい……」
 口元を拭った。
「いいえ……これはあまり………その、蘭さんとの相性もありますから………ただ、もし、蘭さんが受け身である場合を想定してのことで………」
 余程、口を開いたままにさせていたらしい。声が掠れている。麗らかな綺麗な質感に、妙な香りが纏わりついて、永世の印象を無垢にさせない。
「もう1回、いいですか」
「では、次またぼくが続きをやりますから、そのときに」
「……はい」
 彼は水を一口飲んだ。ペットボトルの蓋が、軽快な音を立てて閉まる。心臓がどっどっど、とホバリングしているようだった。
「では、失礼します」
「あ、あの……あまり、息、止められなくて………」
 強張っていた顔が、ふと緩んだ。そうなるまで、茉世は彼の表情が強張っているとは思わなかった。
「鼻から息をしてくださって大丈夫ですよ。いずれにしても息苦しくはなると思いますけれど」
「はい。粗相があったら、すみません……」
 唇を合わせる。下方に潜り込まれ、持ち上げられると、舌がわずかに退いていった。微かな凹凸が伝わる。裏と表の差異を塗りつけられていくようだった。
 脳が溶けていく。熱い氷柱はまだ残っているようだ。身体に力が入らない。平衡感覚を失うようだ。浮遊感が怖い。茉世は永世の太腕に縋った。タオル生地の奥に、鋤鍬を振り上げていた筋肉がある。腰に心地良い痺れが生まれた。
「ふ……ぁ、あ………」
 唇が離された。互いにひとつの糸を食んでいたらしい。その端と端を噛んでいた。そう思われたが、それは形のないものだった。瞬く間に消え失せた。
「大丈夫そうですか」
 だが彼女は膝でも立てなくなった。永世の腕の中に倒れた。胸元を枕にしてしまった。
「すみませ………ごめんなさ………っ、」
 肩で息をしていた。力が入らない。頭も働かなかった。起き上がらなければならないが、しかしそれが叶わないのである。脳が溶けきった代わりに、わたあめを詰め込まれたのかもしれない。
「これも、とりあえずは必要ありません。その……ぼくの立場でいうものではないですが、結局のところは小手先のテクニックより、関係こころでするものですから……」
 茉世が落ち着くまで、永世は胸元にいることを赦した。鼓動が聞こえる。隔てた筋肉を感じる。香水はつけていない。洗濯用洗剤と素朴な永世の匂いがする。少し湿しとっているのは、シャワーを浴びたばかりのせいか。緊張の汗なのか。生々しいが、沁み入っていくような匂いだった。
「落ち着いてきました。では、わたしから……」
 そのまま茉世は男の肩に縋りつき、唇を吸った。上手くできなかった。永世の舌はやはり重く感じられた。彼が故意に力を入れているようには思えなかった。反対に彼女は己の力を御せなかった。力みすぎ、或いは遠慮しすぎていた。不用意な接触ばかりした。味覚ではなく、脳で、甘さを認知している。その曖昧な甘みに気を取られてしまった。脳の代わりに詰め込まれたわたあめも、また溶けてきているというのか。彼からは歯磨き粉のミントの味がするはずだというのに。
 軽く歯を立てられた。茉世は我に帰り、唇を離す。
「こんな感じで……」
 それは失敗や不出来を伝えられているときの空気であった。
「すみません……言われたことひとつ、できなくて……」
「技術よりも、お互いの関係性や感情ですからね。いきなりやれと言われても難しいです」
 平生へいぜいとは異なる微苦笑が、茉世には怖かった。永世が違う人になってしまいそうだった。違う人に見えてしまいそうだった。畑を耕し、夏野菜の料理を美味しい美味しいと食べる永世であってほしいのだった。しかし、この関係も含めて彼なのだと理解しなければならない。違う人間になるのではない。別の側面を見ることになるだけの話なのだ。そしてそれに慣れるべきだ。
「もう一度、やらせてください。集中します」
 茉世は一口水を飲む。冷気が胃に入っていくのが分かった。
「無理はしないでください。精神的な無理をさせているわけですから……」
「わたしだけ気持ち良くなってしまって申し訳ないです」
「気持ち良くなっていただけていたのなら………その、」
 彼女はまだ話している永世の身体を手繰り寄せた。
「茉世さん……」
「集中しますから……」
 彼女の目的は、永世の目的とは違ってしまった。元々茉世には不要な儀式であったのだ。それも仕方ないのかもしれない。
 唇が合わさる。永世が後ろへ倒れかけた。だが腕をついて体勢は保っている。茉世もそれが分かると中断はしなかった。舌を掬い上げ、表と裏の砂礫めいた細やかな質感で擦る。巻きつき、絡める。舌の根本まで擽った。蓮や青山藍にはそうされていた。口腔を漁る側に回っても、それを覚えていた。彼女は目的を見誤っていたし、吐いた嘘も忘れていた。淫蕩な女だと知れてしまう。
 水音が室内に轟く。ここは愉快な事故物件であるはずだが、今日は静かだった。
 夢中で永世を貪った。男の身体に身体を擦り寄るのが心地良かった。中肉中背というには少し筋肉のついた腹や胸に本能的な安堵をせずにいられない。
「ん………ぁ、」
「…………ッ」
 片腕が茉世を掴んだ。舌先に舌先をぶつけて、彼女は永世の口内から去っていった。
「もうぼくから言うことは、ないです……」
「よかった………」
 茉世はまた水を飲んだ。強い眼差しを感じる。隣を見遣った。
「あの……?」
「い、いいえ。どうぞ、お飲みください。ぼくも飲みます」
 キャップの音がやたらと耳に纏わりつくのは、後にも先にもないのだろう。
「次は……………その、茉世さんが大変です」
「わたしが、ですか」
 丈の長く繁茂した睫毛の奥で、澄んだ眸子が泳ぎ回る。
「そ、その……男性のソレについてなのですが……」
 どうして永世を恨めようか。言う方も神経を擦り減らし、気を遣っている。
「分かりました」
 彼女は男の肌を暴くつもりであった。だが、それは永世が自ら行った。現れたものに、茉世は固唾を呑んだ。男性としての成育の証は剃り落とされて間もない。そしてゴム製の紐が下腹部と外出した器官との境でいましめられている。
 流血も生傷も瘡蓋かさぶたも痣もない。しかし何か、痛々しく、悲壮な感じを帯びている。このために彼は剃刀を手にし、自らの肉を縛り上げなければならなかったのだ。外観よりも、見えない何かがグロテスクで仕方がない。
「すみません……脱毛しておくべきでしたね」
 唖然とした茉世の態度をどう受け取ったのだろう。彼は自嘲した。胸が痛くなる。恥じらっている場合ではない。話の通じる、現代の若者らしい俗っぽさも持ったこの男もまた、三途賽川に呪われている。
「いいえ……」
 前に屈み、触れかけるのを、やんわりと拒まれる。
「待ってください。これを着けます」
 永世は銀色の正方形を手にしていた。中から大振りな指輪のようなものが現れた。だが中心に突起状の膜が張っている。中高の性教育で見たことがある。触ったことはないが使われたことはある。男像に指輪が通されていく。擦り抜けたところから膜に覆われていく。小さくなっていった指輪はとうとう消えた。茉世は無遠慮にその様を眺めていた。
「あまり……いいえ。なんでもありません。構造を覚えておいてもらえると助かります」
 辿って見上げた目は涙ぐんでいるようにも見えた。寄せられた眉が悩ましい。
「すみません……見慣れなかったものですから………」
 茉世は目を背けた。この女は嘘を吐いている! 欺瞞に満ちている。しかし、半ば本当に彼女は見慣れていなかった。尼寺橋渡霑のものは覚えておらず、たとえ見たとて散々見せつけられた青山藍の卑猥で破廉恥な疣環を前にしては霞む。
「え……っと、子供を作るようなことをする前に、ここを……舐めます。今日は実際に、しなくていいです。この辺りを中心にしてもらえば、いいと思います。アイスクリームを舐めるように……やっぱりその、相手の反応を見てもらって……人によりますから、一概にはいえないのですが」
 永世に、とても純粋な女だと思われている。だが事実は違うのだ。すでにこの身は男の垢を擦り込まれている。真珠の埋め込まれた卑猥な器官が与える悍ましい淫楽を知っている。
「すみません、アイスクリーム、食べられなくなっちゃいますね」
 いかにもたこにもくらげにも、茉世は自分よりも無知で無垢で純潔であるとばかりの態度であった。
 カスミソウが咲き乱れるような笑みを向けられる。ユリほど尊大ではない。コスモスほど高慢ではない。スズランスイセンほどあざとくない。ガーベラほど溌剌とはしていない。ノースポールよりも頼りなくて。
「ごめんなさい、永世さん」
 彼の辜浅い者を、底へ突き落とすような微笑み! あまりにも儚い。月に手を伸ばし、断崖から羽搏はばたくようなものである。翼もないというのに。この男はそういう辜深さを持っている。
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