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蜜花イけ贄(18話~) 不定期更新/和風/蛇姦/ケモ耳男/男喘ぎ/その他未定につき地雷注意

蜜花イけ贄 27

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 桔梗の踵は畳を蹴った。隙を作ろうとすれば、すぐに引き寄せられる。乳房がたわみ、勃ち上がった赤い実が二つ、宙に不安な絵を描く。
 撫でられるのが好きな黒猫は柔らかな女の内股に頬擦りしながら、濡れそぼつ花肉を舐めていた。
「は………あ、あ……!」
 暴れることに文句も垂れず、溢れる蜜を舌先で拭う。不平は技巧で表すらしい。銀色のいぼが特に敏感な雛先を転がした。まるでこの鋭い快楽を欲して、彼女は陸に揚げられた魚の如く跳ね回っているかのようだった。しかしこの男は、相手の偏屈ぶりを分かっていた。
「ああんっ」
 銀色の刺し物と張り詰めた淫蕊は弾かれ合う。けれど棕櫚しゅろは圧迫をやめない。小さく硬いものが凝りを刺激する。
「あ……んっ」
 啜れど啜れど彼女の秘庭は次々と蜜液が湧き出て、しとどになった。
「は………あぁ」
 桔梗は男の黒髪に手櫛を入れる。無意識だった。銀色の冷たい疣が鋭敏な珠を抉ると、指先が艶やかな毛並みを梳いていく。彼もまたそれが心地良いらしかった。彼女の手櫛を求めて、舌に刺した飾り物を小さいながらに膨らんだ朱芽に押し当てる。
「あ……!」
 棕櫚は一気に彼女を頂点まで押し上げた。銀粒が筋の強い肉便を揺さぶったのだった。大振りな快感が律動とともに送り込まれる。
「あ、あ、あ、あああ!」
 矢をいだ弓よろしく、彼女は躯体をしならせる。直後に大きく波打った。そして戦慄く。
 じゅるる……!っと男は粘着質な音をたてた。そして口元を離す。ぬらぬらと濡れている。唇の噛み傷からも局所的な口紅が洗われていた。
「は………ぁ………ん、」
 桔梗の汗ばんだ額に髪が張り付いている。絶頂の疲弊に身を投げ出し、構っていられる様子はない。
「あ、ああ……」
 彼は女の内股から膝まで、頬を沿わせていた。その感触に彼女は恐れをなした。男の髪を慈しんでいた手が、今度は拒否を示している。棕櫚は突っ撥ねる手にも頬を撫でさせる。彼は人狼ひとおおかみなどではない。人猫だ。
 まめな人物らしかった。懐紙を持っていた。そして何か吐き出す。この仕草が、快楽の余韻に沈みかけていた桔梗の意識を明確なものにした。今、この男が吐き出したもの……
むすめ
 だが彼はどのような嫌悪も見せない。
「そんな顔をするな。慣れたものだ。言っただろう?カラダひとつで成り上がった」
 悔しくなった。彼の悍ましい肉体改造を目の当たりにしたとき、桔梗は驚愕を露わにしてしまった。彼女は言葉を返せず、ふたたび黒い着流しを摘んだ。そして姿勢を低くする。一度拒んだものの潜む股ぐらへ頭を寄せた。
むすめ……」
 数珠の実のようなものを埋め込んだ棍を口に迎えた。支えた指の腹に丸い突起が当たる。
「ぅ、あ……」
 彼女は喉奥まで頬張った。吐き気に襲われたが、小さく呻くのみでおさめた。滝のような涎が溢れ、鼻が鳴り、涙が溢れる。
 噂のとおり、人狼になってしまいたかった。そしてこの男を喰らってしまいたかった。お前等はすべてを見誤っていたのだと言ってやりたかった。街の連中の喉笛を食い千切って回りたかった。だが幸か不幸か人狼ではなく、人狼は感染するものでもないらしかった。すべてのものの前で無力なのである。一矢報いることもできず、誰を救うことも傷付けることもできない。
「泣くな。こんなものを好き好んで咥えていていい女はいない」
 指がやってくる。彼女は目を細めた。濡れたのは、苦しかったからだ。鼻を啜ったのも、苦しかったからだ。
「俺は女に注がれた男の子種を啜って生きてきた。成り上がった。けれども、お前さんは違う。叔父貴にそうならないよう拾ってもらった身だろう?」
 また彼女は正体不明の、理由もはっきりしない悔しさに襲われるのだった。
 色事に長けているか否か。彼女にとってそこに格だの誉れだのを見出したことはない。しかし、身に刻まれた屈辱を蔑ろにもできなかった。無にできなかった。
 棕櫚は意外にも好きにさせた。桔梗は彼を敷いて、その上に跨った。
 葵とかいう薬師は腑抜けであった。痛いことはしないのだった。合意など得ずに好き勝手抱くくせ、怪我はさせないのだった。ここにはいない部外者のことが生々しく思い起こされる。
 粘膜の引き攣れる痛みのせいだ。
むすめ
 男の割れた腹に手をついて、ゆっくりと腰を下ろしていく。張り裂けそうだった。
「痛かろう」
 指の甲や手の甲で頬を撫でていく。撫でられるのが好きな黒猫なりの気遣いらしい。だが桔梗からすれば気が散るばかりだった。
「平気です……」
 だがふと見遣った男ののぼせたような顔に、彼女は焦りを覚えた。桔梗は痛みと苦しみに濡滞じゅたいしていたが、相手からすれば、敏感な器官に粘膜を擦り付けているのだった。反応からしても、彼の肉体は期待している。皮下からり出た丸い影が色濃くつらなる。そのまま皮膚を突き破って弾け飛び出そうであった。
 固唾を呑んで腰を下ろした。自ら串刺しになる。改造された部分によって内壁を擦り上げていくのが彼女には分かった。
「あ!ああああッ!」
「無茶を……」
 棕櫚は大きく顔を顰めた。それは呆れたわけではないらしかった。何度か深呼吸をしてから、べったり座り込む女の腰を浮かせた。彼女は小刻みに震えている。
「あ……、あ………」
 腰を僅かに持ち上げるにも彼女には一苦労だった。この男の持つ珠が、内部を味わったことのない削り方をする。膝で立っても危ういものだった。
「息をなさい。吸って……吐いて。お前さんは、人魚ひとざかなか?」
 陸の上にいて、彼女はまともに息ができず、膝下はしっかり地に着いているというのに不安定な有様は、まさに人外戯画に描かれている人魚であった。
「思ったより、おおき………くて、………こつこつ、する……」
 彼女にとっては独り言に等しいものだった。目の前に人がいることも忘れてしまっていた。虚勢を張っていたというのに無惨にも崩れ落ちる。そして腹に収めたものがまたむくりと膨らみ、隘路はさらに珠の列なりを感じなければならなくなった。己のはしたなさに気付く余地もない。
「あ……あッ」
「あまり煽らないことだな」
 棕櫚は絹糸のからむ陰阜いんぷを探った。そして彼女も持っている濡れた珠を転がす。舌の刺し物とは異なる質感でなぞり上げる。
「あ……っ、あん」
 一度達したそこは、痺れ方を覚えていた。先程より鎮まっていても、彼女の腹の中を疼かせるには十分だった。湧き水を呼ぶ鈴ですらあった。硬い指先は濡れた珠の上で跳ねる。
「んっ……んん……」
 徐々に防衛に努めていた蜜壺が寛容を示しはじめていた。恐ろしい容貌の侵入者を正式な来訪者と認め、奥へと案内している。
「動いて、いいか……」
 彼女は自分のことで精一杯であった。己一人でいるつもりでいた。よしんば二人でいる認識であったとしても、苦しいのは受け入れる女の身のみであると疑わなかった。男の存在に気が回らなかったし、見えていなかった。
 全身が熱い。けれど吹き出た汗が冷やしにかかっていた。だがそれとは異質の寒さが圧迫感のなかに紛れ込んでいる。
「ど……うぞ。動い、て………くださ……」
 棕櫚は桔梗を見詰めていた。その眼差しに彼女は怯えてしまった。目を逸らすと、咎めるような一突きがやってくる。脳天を突き破るような衝撃と、雷が閃いたかのような摩擦が起こる。
「や、あ!んっあっ!」
 それだけで気をやった。身震いし、仰け反った。結合部で激しく収斂するものだから、男のほうでも忍耐を要した。歯軋りの音も桔梗の耳には届かないのだろう。
「だ……め、動いちゃ………ゃあああ!」
 ほんのわずかな抽送も彼女は許さなかった。腰を揺らして、また絶頂する。棕櫚の改造された瘤付きの楔は甘やかな毒針だった。
「この無様な肉棒を、気に入ってくれたか」
 彼もまた汗ばみ、笑みに余裕はなかった。
「変に、なります………!変に、なりますから………ああっ」
「お前さんが感じやすいんだ」
 この男なりに遠慮をしているのだろう。自ら腰をゆらしてしまう女に合わせ、腰を調節していた。やがて彼女も肩を上下させてはいるものの、昇天の連続から戻ってきたようだった。
「あなたは………、平気………?」
 桔梗は息を整えながら額や頬に張り付いている黒い髪を拭った。
「俺を誰だと?」
 性技で鳳仙会を牛耳る立ち位置に上り詰めた男だと言いたいのだろう。他者と交接していながら自慰に耽っているような生娘とは違うのだ。
 彼はまだそこにある手に擦り寄ってから、彼女のあえかな身体を抱き締め、共に寝転ぶ。
 桔梗は乱れた着流しにしがみついた。経験の差は知れていた。腹に咥えているものが一段、大きくなる。
「固くなりましたか」
「そう煽るものじゃないな」
 彼は下にある唇に接吻し、腰を進めた。
「んアッ」
 肉体を置き去りしにして、気だけが遠くへ吹き飛ばされそうだった。真上に走る鈍痛に似た快感を、彼女はどう逃せばよいのか分からなかった。唇を噛む。固く目を閉じてる。
「好きに気をやればいい」
「だ、め………あなたも………」
 侮られるだけの埋めがたい差があるのだった。そしてそれは埋めたい差でもなかった。だがこの憎い男に侮られるのは許せなかった。彼女にはもはやくだらない矜持しか残っていない。
「ついてこられるのか」
 振り落とされそうな活塞かっそくに、彼女は爪を立てた。この男の匂いに汗と牡の匂いが混じる。
「あんっ、あっ、あっ、ゃああッ!」
 視界が白く爆ぜそうな快楽の波が押し寄せる。頭痛と苦しみの合わさった眠気にも似ている。
「気を遣うな」
 彼女は自身の嬌声を聞いた。真っ白な意識の中で谺する。心の臓を突き破り、脳まで貫く一打と凄まじい陶酔に、耐えられはしなかった。
むすめ……―ッ!」
 同情を秘めた声音を聞き、腹の奥で力強い澎湃を感じながら、色もなく水もない泥沼へ身を投げる。



 街は赫々かくかくと燃えていた。夜は臙脂色に染まっている。目が焼かれるようだった。
 桔梗は腕に生首を抱いていた。目蓋を縫い合わされたそれには、炎上し、仄かな影となって崩れ落ちていく建造物を見ることは叶わなかった。
 彼女は首の引き千切れた男の頭部を持って揺らめく豪炎の中を練り歩く。
 人が焼かれる阿鼻叫喚を聞く。人の焼ける匂いを嗅ぐ。差し伸ばされる腕は拘縮し、曲がらなくなって、炭と化していた。桔梗は嗤って払い退ける。だが考え直した。その腕を引っ張ることにした。しかし呆気なく折れてしまう。水を求められ、唾を吐いた。助けを乞われ、爛れた腕を掴んで引き摺り回した。
 彼女はやがて啜り泣きはじめる。街は焼け崩れていく。炎に捲かれ、目が痛んだ。燦然として前後も分からなくなった爆炎の中に、何者かが立っている。
「―……!」
 桔梗はその者の名を知っていた。だがあまりにも眩しく、その顔を認めることはできなかった。揺らめく炎に立つ者は、彼女に手を伸ばした。
 焔の一筋が勢いを増した。桔梗は眩さに手を翳した。そして見詰めた相手には首がない。彼女の腕にも、抱えていた頭がない。
 熱気が喉を灼く。また呼んだ。けれど声は出なかった。
「桔梗ちゃん」
 桔梗は眼球の炙られていくのを感じながら、瞬くことができなかった。粘膜という粘膜は燻され、産毛は焼けていくのだった。指先は炭となり、灰となる。消えていく。けれど彼女は目を逸らせなかった。
 そこで大きな落胆に襲われるのだ。果たして彼は火によって葬られたか?穢らわしく血を吸い唾を吸い、愚民どもの臭い足で踏み固められた土の中で眠っている。
 桔梗はこれが幻夢であると知ってしまった。叶わぬ夢だと知ってしまったのだ。街は元気に安穏を貪っているし、首もなしにあの者が自立することはない。
 脚にするすると巻きつくものがある。緋色に染まった蛇である。色も柄もない鱗は光の濃淡にてらてらと揺曳ようえいしながら、脹脛から膝へ登っていく。逃げることも、背を向けることもできず、身体は消え行き、同時に蛇は胎の中へ潜んでいく。

 これは都合の良い夢だった。そして薄気味悪い夢だった。


 目蓋が持ち上がった。辺りを見回すと男が横で座っている。しかつめらしい面構えで、あぐらをかいているが、妙にかしこまっていた。
 彼は気の抜けた顔をして桔梗を見遣ると、懐から小さな刃物を取り出した。
「これで俺を刺すがいいさ。それがいい。お前さんは罪には問われなかろうよ。厄戯れ者の男と女、2人きりの場所で男が刺された。誰が女の罪を問おう?」
 寝起きには小難しい話だった。彼女は露骨に渋い面を晒す。
「巷の騒動について、男と比すれば女は無辜むこと思い込む。だからあの人は処された。人狼は男だという思い込みで?」
 だがそこには、意図的にそう思わせる鳳仙会の工作もあったのだろう。
「恨みを晴らしなさい。すべてすっぱり忘れなさい」
 桔梗は起きたばかりの気怠さで、男の掌大の刃物を引き抜いた。竹を削るような大きさである。棕櫚は己の首に留まる小さな玉を指で突つく。
「この男が最後の人狼だと、言えるな?会の連中はおそらく信じやしないだろう。これを見せれば、分かってくれるはずだ」
 そういう取り決めがあるらしい。畳に置かれた手が退いた。金塗りの貝殻がそこに残る。赤い紐で膨らみのある二枚貝は綴じられている。化粧品のように思えた。
「尻拭いはご自分でどうぞ……」
 桔梗は言った直後、髪を切った。毛が舞い散る。棕櫚の目玉は引き千切れんばかりの眦からこぼれ落ちそうだった。
「人狼の妻の遺髪です。さようなら、アサガオさん。さようなら、鳶尾いちはつさん。さようなら……」






 都の牢獄は貧しい農民の家よりも広いのかもしれない。それか、桔梗の放り込まれたところが特別そういう造りなのか。
 壁は石垣で作られ、格子は木に鉄が張り付けてある。床は冷たく、寝床にむしろが敷いてあった。罪人にも温情的なものだった。
 家に戻った桔梗は包囲された。槍のきっさきを一斉に向けられ、それを人狼討伐によるもの思っていた。しかし違った。鳶尾は裏切り者の扱いであった。鳶尾についていった桔梗もまた、叛逆者の誹りは免れられない。この称号は二度目だ。
 獄舎にじゃりじゃりと軽快な音が谺する。桔梗は大きなしゃに覆われながら、合掌をやめた。彼女の目の先には盛り塩と拝香枝がある。腕には清珠輪環が掛かっているが、この音ではなかった。
 格子の傍にあった蝋燭の燈火が揺らめき、影絵を作ったが、白煙を微かに生んで消えた。しかし新たに明かりが灯る。
「元気?」
 茉莉まつりであった。虹鳥の羽を使った扇子を軋ませて、じゃりじゃり音が鳴っている。
「……はい」
「嘘だね」
 色濃い隈を浮かべた桔梗に、茉莉は満足そうな笑みをみせた。
「君はいつでも、ここから出られるんだよ。そのすべがある」
 桔梗は貴人から顔を背け、また拝香枝の突き立てられた盛り塩へ合掌していた。
「御院居にでもなるつもりなの?」
「何故、人狼ひとおおかみの薬など探し求めるのです」
 彼女の声に以前のような瑞々しさはなかった。目は落ち窪み、頬はけ、手には血管が凹凸を作る。伸びた爪は凶器のようで、髪は百舌鳥もずの巣であった。
 この囹圄れいぎょに人がやってくるとするならば、この問答のためである。とうとう茉莉が出てきた。
山茶さんざの傷の具合が悪過ぎるんだよ。弓の名手なんだよ、知ってた?弓取りはもう無理かも知れないけどさ、切り落とすのは免れられそうなんだ。君の持ってきた薬、あれが効く。でも足りない」
「知りません」
 彼女は目を閉じた。
「ああ、そう。でもまた来るよ。君は善行を積むべきだからね。ときに君をこんな狸穴まみあなに放り込んだ……違った。狼穴おおかみあなに放り投げた葵のことだけど、おれの忠臣に罪人を娶らせるわけにはいかないからさ。嫁をとらせたよ。かわいい女だよ。若くてね、可憐で、家柄がいい。でも何と言っても、これが大事なんだけれども、何より無垢だ。子供が楽しみだな」
「はあ……」
 じゃりじゃりと鳴る扇子が遠ざかる。蝋燭に火が点け直されることはなく、暗闇が再来する。
 椿の山茶の状態はここに訪れ、薬の在処を問う者たちからよく聞いている。切り裂かれた腕の具合は極めて悪いらしい。刃に毒が塗ってあったのは、葵が斬られたときと同じであった。
 薬の在処について、彼等は当然のこととして桔梗に訊いた。知っているのが自然という有様だった。だが彼女はそれがどこにあるのか知らないのだった。
 肌寒く、静かで、水滴の落ちる音も反響するような人舎だというのに、彼女は忙しかった。薬の在処などには構っていられなかった。目蓋を閉じれば、そこには平穏な生活が思い描かれていた。焼け崩れる街も、処される人もいない。好いた男が呑気に生きている姿があるのだった。そこには健全な脚を持ち、以前の剽軽さを取り戻した叔父もいた。醜い傷痕の根治した下僕の少年もいた。
 この牢獄に於いて、肉体ばかりが邪魔だった。飯は出されていたが、埃屑のような大きさのものさえ、腹が受け付けなくなっていた。日に日にやつれていく。骨が床や壁にぶつかり、暗く広い穴蔵に軽い音が増強して響き渡る。
 目蓋の裏には幸せがある。だが身体は寒さと飢えに震え、やがて座っていられなくなった。筵の粗い繊維に薄皮を削られながら、そこに寝そべったきり、動けない。身体に絡みついた紗では温もりを得ることはできなかった。座るにせよ、立つにせよ、寝るにせよ、床が骨を押し上げる。だが頓着する気力ももうなかった。姿勢を探るにも活気が要るのだった。
 寝転びながら、彼女はなおも合掌を続けた。
 投獄からどれくらい経ったのか、彼女は知らなかった。数えもしなかったし、見当をつけもしなかった。
 冷めた天井よりも上のほうで、金属の軋りが聞こえた。瞑られた目が開く。足音は消されていたが、そのうち薄明かりが差した。徐々に明るくなってくる。
「桔梗様」
 白い布が絡まって、死骸のようになっていた彼女の身体がぴくりと動いた。しかし身を起こすに起こせない。
「薬の場所は知りません……」
 喉の力も腹の力もなく、語気は弱く、声を発するだけで息を切らす。喘鳴ぜんめいもまたひどく反響しやすいのだった。
「それを訊ねに来たのではございません」
 彼女は関節の擦れ合うのを感じながら、よろよろと身を起こす気になった。だが立てず、犬猫ように腕を添えて前屈みに座るのが精一杯だった。格子の奥にいるのは葵である。
「獄中見舞いに、やって参りました」
「…………はあ」
「桔梗様」
 耳鳴りがしていた。目眩もする。肉体が飢えを訴えている。しかし食欲が湧かないのだった。
「はあ……」
「このたび好いご縁があって妻をもらいました」
「おめでとうございます」
 目蓋も重い。彼女は目を閉じて、それから空咳を繰り返す。全身が乾涸びているようなところに、この穴蔵のわずかな湿気は刺激物に似ていた。
夫婦めおと生活とは好いものです」
「はあ」
 彼は身の不自由になった囚人に、己の近況を自慢しに来たらしい。周りの人々はすでに妻帯しているか夫人であるのが多い環境にいるのだろう。他に言うあてがなく、ここに来たようだ。
「夫婦生活は、とても……」
 しかし彼も忘れている。桔梗にも夫がいるのである。いいや、そのことについて軽侮けいぶしているのだろう。
「末永く、お幸せになさってください……」
 朦朧とした思考のなかから決まりきった辞句をかろうじて探すことができた。彼女は早く横になりたかった。膝や指の骨が自重じじゅうと床に圧迫されて今にも折れそうである。
「桔梗様」
「はあ」
「人狼の収束宣言がなされました。殲滅したことになっています。あの髪は、桔梗様のものですね……?」
 蝋燭の明かりが動く。桔梗は紗を引き寄せて被った。
「何故……」
「何も知りません。街の人々に安寧が戻ったことは、とても、喜ばしく思っております」
わたくしがどれだけ貴方を見てきたのか知らないのですね。あれは貴方の髪だ。女があれほどの髪を切る……皆、信じましょう。何か知っているのなら、すべて吐いてしまいなさい。髪が伸びるまで、都に家を用意します。そのあとは貴方を誰も知らぬ村へ……」
 葵は格子に縋りついた。先程の自慢話とは打って変わって、妙な抑揚がつきはじめた。この言葉のとおり運んだところで、妻をもらったこの男が監視役に遠地へ赴くことはなかろう。
「吐くことは何もございません」
 空咳が重なって響いた。
「こんなことになって、躑躅つつじ様にはなんとご説明なさるのです」
「不肖の姪と共に死んでくだされ、と」
 彼はしがみついた格子から滑り落ち、項垂れてしまった。
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