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蜜花イけ贄(18話~) 不定期更新/和風/蛇姦/ケモ耳男/男喘ぎ/その他未定につき地雷注意

蜜花イけ贄 28

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 葵は、監視対象の桔梗が都に送られたことで、彼も戻ってきているらしかった。何も面白みのない、むしろ暗く冷たく黴臭い囹圄れいぎょに足繁く通う様子からも、やはり都にいるようだ。彼は都の地下に掘られた穴蔵を遊郭か何かと勘違いしているらしい。
 牢に忍び込み、その一画には布団が敷かれ、小型の文机と行灯あんどんが置かれている。葵はそこを仕事部屋にしてしまった。桔梗は何も言わず、しゃを被り、腕に清珠輪環を巻き付けて拝香枝に合掌していた。
「桔梗様」
「はあ」
 彼女は徐ろに紗を取り払う。文机に向かっていた葵が身体ごと振り返った。
「先日、躑躅様にお会いしました」
 紗は、棒切れのようになった手の中で揉みくちゃにされる。
「……はあ」
「そういう、報告です」
 葵はまた文机に戻った。紙入れ箪笥まで彼は持ち込んでいた。
 長い静寂のなか、牢の門扉が軋めく音が上のほうで聞こえる。湯浴みの日であった。大きなたらい湯桶ゆおけが運ばれてくる。若手の宮仕えとはいえ、官吏の葵には関係のない仕事であるはずだったが、彼はこの下回りの仕事に関心を示した。三助女を制して、宮奉公諸共追い返してしまった。残ったのは洗われる囚人と、大きな盥と、湯桶、そして書き物をやめた若いやり手の官吏である。
わたくしが洗ってさしあげます」
 桔梗は何も言わなかった。囚人の着る粗末な白装束を脱ぎ捨て、脂肪の減って骨の浮き出た裸体を曝す。葵は無遠慮にそれを眺めていた。それは女体に対する奇異の眼差しではなかった。若く可憐で無垢な妻をもらったという。満たされているのだろう。そこにあるのは軽蔑と憐憫の目である。
「お好きになさってください」
 一糸纏わぬ姿になると、このひとやは寒かった。湯は白く煙ながら、徐々に水へと還っているのだろう。彼女は盥へ踏み込み、膝をついた。
「桔梗様」
 痩せて急峻に見える肩へ、冷めた手が触れる。
「何も召し上がっていないのですか」
「芋粥をいただきました」
 彼は目を伏せる。
「拭きます」
 手拭を小さくして、白い手が湯に沈んだ。夥しい雨漏りのような音が暗いあまり全貌もつかめない囹圄のなかに響き渡る。
「街の人々には心身ともに平穏が訪れて、それなのに、貴方はこの有様だ……」
 背中に手拭を這わせながら語る男は震えている。 
「貴方様も、あの街を悠々と歩き回る権利はある……誰の監視があろうと、歩き回る権利くらいは……」
 桔梗は虚ろな眸子をして固まっていた。彼女は蛹のようなものだった。
「根本的な解決は、何ひとつ、できていないんです。結局誰も救えちゃいない……喪う、ばかりだ」
 背中を這う手が止まっている。
「何とかおっしゃってください!」
 怒声が谺する。彼は苛立っているようだった。
「解決と決着には少数の犠牲がつきものです」
「貴方には失望しています。きっと貴方が俺に対して抱いたものよりは、遥かに小さなものですけれど」
 桔梗は早々に湯浴みを終えたかった。横になりたかった。痩せ細った身体は、自身の体重を支えるのも厄介だった。しかし今日の三助は口ばかりがよく動く。彼女は姿勢を変えた。息切れがする。華奢な体躯は今や曲線もなくし、棒切れのようである。骨が盥の底に当たる。身体は冷え切ってしまった。
「申し訳ございません」
 背中に添えられた手拭がまた湯を含んで戻ってきたが、すでに生温かい程度だった。やがてくさめが出てしまう。
「冷えましたか」
「今日はもういいです」
 彼女はまだ背中を濡らしたまま、白い衣を羽織ってしまった。そして身を丸くして筵の上に丸くなる。
「申し訳、ございません」
 ややあって奉公人が盥と湯桶を取りにきた。桔梗は彼等に頭を下げて、また横になった。好き好んで共に牢屋に入っている罪人でもなければ囚人でもない葵は何かぶつぶつ言っていた。複数の気配と足音が去り、不気味な静寂が帰ってくる。
 桔梗は寒さに震えた。特に濡れた背中が寒い。同時に安堵した。このまま眠りに就ける気がしたのだった。
「寒いですか」
 歯が鳴ってしまう。葵は敏かった。茶羽織を脱ぎ、繭のようになっている白装束へと掛ける。ふわ、と彼の匂いがしたとき、桔梗は懐かしさに目頭が熱くなった。
「布団を持ってこさせますから、少々お待ちください」
「わたしに構うのは、もうよしてくださいまし」
 身体に乗った茶羽織が恐ろしいもののように思えた。牢屋の外の匂いがするのだった。遠い昔の匂いがするのだった。しがらみめいた光景が脳裡を駆けるのだった。
「お断りいたします」
「薬の在処なら、わたしは本当に知らないのです」
「薬の在処を知りたくて、わたくしがここにいるとお思いなんですね」
 失望した女が格子のなかで痩せ細っていく姿を見るのはさぞかし愉快なものであろう。それを格子の中から間近で観察できるというのは……
 桔梗は理解した。
「承知しました」
 気難しそうな眉が顰められる。だが彼女には見えていなかった。
「きっと薬について、貴方は本当に知らない……そんな気がいたします。人の生き死にがかかっているのに、意地によってそれを教えることができないだなんて、そんな貴方ではないでしょう。けれど、それを示せる証拠もまた無い。どうなさいます」
「ここで朽ち果てます」
 そう答えた女はまさに、今、本当に朽ち果ててしまいそうな有様であった。喋っている最中にも目を閉じ、言葉を発するのに息を切らしている。そして寒気を感じるたびにぶるりと突然震え上がるのだった。
「墓は、いかように」
「埋めてください、どこへでも……」
「要らないのですね」
「ただの骸となるのみですから」
 そこに掛布団が1枚運ばれてきた。だが筋肉の落ちた身体には、たったのそれ1枚があまりにも重く感じられた。柔らかな壁に押し潰されているようだった。
「桔梗様」
 葵は彼女の苦しみについて目敏い。すぐさま布団を捲った。全力疾走の直後のように喘ぐ女を、彼は見下ろしていた。
「放っておいてくださいまし……もうすぐ身罷みまかる女です」
「遺言を、聞いておきましょう」
「ございません、何も」
「夫君に対しても?」
「夫君………」
 落ち窪んだ目が開いたが、焦点を失い、また閉じてしまった。
「貴方を娶りたくて仕方がなかった過去の自分を、今となっては莫迦に思います」
 まったく身勝手な男の身勝手な言い分である。
薬師くすしさま」
 鱗の張った唇が戦慄き、歯がかちかち音を鳴らす。
「はい。何でしょう」
「お世話になりました」
 葵は深く眉間に皺を刻んだ。彼は皮と骨とで作られた空洞のような身体を抱き上げた。
「何故俺はすべてを捨てないのでしょう?何故俺はすべてをかなぐり捨てて、貴方を手に入れようとしなかったのでしょう?欲しかったならすべてを捨てるべきでした。すべてを捨てるべきです!すべてを捨てます!」
 宣言は穴蔵に反響するのだった。だが綺麗に消え入ることはなかった。そこにじゃりじゃりと扇子の軋りが混ざるのだった。
「二兎追うものは一兎も得ない。ありがちな人生の失敗ってのは、昔の言葉で答え合わせができるのさ。そしてそれで溜飲を下げるものなんだよ。葵、ダメじゃないか。浮気っていうのは、ちゃんと本妻を労ったうえでやるものなんだよ。それが新婚早々、君の嫁御がおれに泣きついてかたんだけど、どういう夫婦めおと生活をしているの?ちゃんと毎番抱いてる?ちゃんとその都度、逝かせてやれてるの?舐めさせるばかりじゃいけないよ、舐めてあげないとね。妻には忠烈な舐め狗でいなきゃあ。おれたち男は所詮、捨て駒だからね。妻だけがくびきで繋ぎ止めておいてくれるわけだよ。おっかないんだから。葵?それがどうしたの、この有様は。おれが見てないと思ったの?おれが見てないのに、そんな面白いことをしようとしたの?いけないな。おれのいないところで、そんな面白いことしないでよ。なんでもかんでも捨てるのはまぁいいさ。何でもかんでも捨ててくれるなら、おれに刃向かったりはしないんでしょう?謀叛ってワケじゃないよね?それならそれで見送ってやれたよ、少し前までならね。でも君は妻もらっちゃったじゃない。どうするの。別れるの?困るなぁ……女の恨みは怖いからね!ある日、デキモノができたかと思ったら、それは急に喋り出す!見知った女の貌をしてね!ああ恐ろしい!こうして生きてちゃおっかないのは男のほうだけれど、いざ妬み恨み執念となったら、おっかないのは女のほうだよ。その罪人を見ても分かるでしょうが。よく分からんその辺の野良人に惚れて、今や貴族のむすめから囚人なんだからね。三日天下の一夜乞食だよ」
 葵は無礼にも、貴人を前に棒切れ女を抱き上げたままそこに佇んでいる。
「俺は種馬の、種芋の、しがない雄蕊です」
「分かればよろしい。女を孕ませるのが務めだよ。でも罪人の子はダメだな。ただでさえ、人は生まれないほうが幸せなのに。それを生まれながらに罪人の子だって?不幸に不幸を重ねさせてやるのが幸福だと思い込んでるんだな。まったく人間てのは愚かなことこのうえない!傲慢だよ。罪人の子はやめておきなさい。葵、君の働きに免じてこれをあげるよ、種膜をね。男のきったない生臭いあれに被せて丹穴に挿れてやるのさ。感覚は鈍るだろうけれど愛と恋の前で、男根おはせ感度よさがなんだというんだい。女陰ほとの締まりの良さが?好いた女を抱いている。これだけで穢らわしい研ぎ汁を吐けなければ、嘘だな。まだ気違いにはなれないよ。程遠いな!すべてを捨てるに値しない女だよ。いいかい、葵。それを可憐で無垢な嫁御に使って、罪人の腹に小錦草コニシキソウの汁を叩き込んじゃいけないよ。童心貞潔と生娘以外は皆、罪人ではないけれど、咎人なんだからね!最低だよ。塵、芥の輩だよ」
「もう少し、よい部屋に……」
「座敷牢があるよ」
「ではそちらに……」
 茉莉は突然、高らかに笑いはじめた。
「おれが気に入りの遊女を閉じ込めておく部屋だよ」
 桔梗が放り込まれた部屋には畳が敷いてあり、壁もあった。光量も十分に確保されていた。だが通常の部屋ならば襖が嵌っているところに格子が嵌まり、衆目を集める造りになっていた。
 この痩せ衰えた女は見世物になっていた。
 葵は獄から文机や紙入れ箪笥を回収し、相変わらずこの囚人と同じ部屋で仕事をしていた。そして彼の妻も、当然、それを目にするのだった。
 桔梗は葵の妻を知らなかった。だがこの見世物小屋を通っていく女房たちの話ぶりからすると、すでにその者はこの場を訪れているらしかった。夫が入り浸り、仕事場にし、ねやにしている場所を見て、何を思ったのだろう。開放された遊郭のようである。だが公的にそう呼ぶには、遊女はあまりにも貧弱で、横たわってばかりいた。監禁された遊女は部屋の隅で呼吸をするのにも息切れをしていたし、その反対の隅で客は壁に向かい仕事をしている。妻はこの関係を何と見たか。

 桔梗はその日も寝ていた。葵というのが容赦なかった。粥を掬った匙を無理矢理口に放り込まれ、吐いてしまってから喉が痛んでいた。肚も不快感を訴えている。彼女をこうした張本人は外仕事に出掛けてしまった。
 格子の外から話し声が聞こえ、彼女は枕から頭を上げた。ほんの一瞬であった。力を維持する活気はない。
「あ、こっち見た」
 茉莉である。茉莉は同年代か、わずかばかり年下らしき女といた。桔梗はもう一度、格子の外を見遣った。茉莉の袖を引っ張っているのは、髪の艶やかな、可憐な女である。まだ少女という感じが抜けなかった。その所作からして、良家の娘なのだろう。貴人に対する挙措からしても、親しいに違いない。彼女が葵の妻であるらしかった。そういう予感があった。
「悪い淫売は仕置きしないといけないよね」
 冷酷な貴人の麗らかな唇からは聞いたことのない、柔らかな語調であった。茉莉も狂人である。好いた女を気に入った男にほいと簡単に差し出すことは平然とやってのけるのかもしれない。その痛みに酔っているのだ。自ら裂いた傷が悦びに変わるのである。桔梗にもまた覚えがあった。
「どうしてやろうか。八つ裂きがいいんじゃないかな。あっはっは。冗談だよ。優しい君がそんなことを好まないのは知ってるんだから。でも赦せないな。今はああやって病臥して人畜無害な弱者を装っているけれど、ああなってるのは君の夫を毎晩毎晩、夜毎よごと搾り取っているからなんだろうねぇ。赦しがたいな。こういう場合、男はもう虫ケラ同然で、知性も信仰もなくなってしまうんだよ。だから誘惑するあの遊女が悪いね。仕方がないのさ。ヒグマや野良狗の前で生肉を見せたほうが悪いのだし、男の前で肌を見せた女が悪いのは世のことわりだね。君の夫が繁殖期の虫ケラと同等になるのは必定ひつじょうだよ。君の夫は悪くない。あのおめこ芸者が悪いね。君も悪くない。おめこ芸者か清廉な姫君か、どちらに男が虫ケラになるかといえば前者なんだから。そんなことでおめこ芸者に勝った気になって、君の格を下げちゃいけないな」
 桔梗はよろよろと身体を起こした。朦朧とした意識が、やっと貴人の前での振る舞いというものを探り当てる。
「ああ、いいよ、いいよ、おめこ芸者さん。君に慇懃な挨拶をされる筋合いはないよ。おれの顔におめこあぶくが飛んでくるというものだ」
 貴人の隣の女にも目をやった。彼女は恐ろしいものでも見ているかのような面をしている。桔梗の失った瑞々しい肌と、艶やか髪と、耳によい澄んだ声を持っている。そしてやはり若い。
 葵という気違いは、そういう魅力的な妻と仲を育むよりも、腹立たしい女が痩せ衰えていくのを観察し、力尽くで給餌きゅうじするほうが愉快らしかった。
「好い人がおかしな死に方をしたらしくってね、気が変になってるんだよ。だから人の男にも平気で跨がれるのさ。哀れんであげてよ。どうせ長くは保たないでしょう。可哀想にね。葵が愛してるのは君さ。男にはどうしても愛情の伴わないところにも女が必要なのさ。手でも構わないけれども、それでは愛している人を思い浮かべて、道具のように扱ってしまうからね。愛している女と、道具の2種類の女が必要なんだよ。あれはそれだよ。気にしたらいけない。君も随分と参っているな。自分をあの淫売と比べてしまうだなんて。君は日々、自分を蟻や羽虫と比べているのかい?やめたまえよ。結論はくだらないものさ」
 茉莉は桔梗へ眼差しを留めたまま、葵の妻と思しき女を連れていった。それまで、力の入らない身体を支えていなければならなかったが、やっとふたたび横になった。
 おそらく夜更けだった。人通りが皆無になる。各々、仕事を終えて帰ったか、寝屋に下がったのだろう。
 人の気配に桔梗は身動いだ。実際、この見世物小屋に薄明かりが点いた。蝋燭に火を灯した者がいる。寝ているようで、寝てはいなかった。どの姿勢でも布団の下の床の硬さに骨が当たり、近頃はよく眠れないのだった。
 ぺちりと頬が弾けた。視界が明滅する。
「姫様」
 聞き覚えのあるような、ないような声が降る。声変わりをしてもまだいくらか高い、特徴的な質感。
「姫様」
 また頬が爆ぜた。
「んがが、姫様、起きてくださいや」
 桔梗は起きていた。ただ身体が動かないのだった。
「お久し振りでやす、姫様。んがっ、枸橘からたちです」
 周りの静けさに構うことなく、楽しげに彼は笑っている。この者は常に笑っていた。喋るときでさえ笑っているのだった。
「んがががっ、なずなお嬢様の仇!お覚悟」
 枸橘の顔を捉えた瞬間、頬を張られ、横面を晒した。すばやい身のこなしなど、彼女にはもうできなかった。粗末な白い衣を左右に破り開かれ、起伏の激しい裸体が暴かれる。息を呑むのが聞こえた。弱い燈火は、彼女の浮き出た骨と凹んだ腹に濃い陰影を落としたのだろう。
「んが……姫様、ご病気なんですか」
 彼は笑うのをやめたが、しかし表情は笑っているというほかなかった。
「ンでも姫様。既婚ひとの男に手ェ出すから悪いんですぜ。んがが」
 枸橘の掌は、無抵抗な囚人の頬を打った。内膜に歯が叩きつけられ、口腔に鉄錆の味を覚える。
 桔梗はただ仰向けになって、息を切らしていた。呼吸にも疲れているような身体である。逃げることもできなかった。思考も働いていないようだった。
 へらへら笑っていた枸橘のあどけない顔から、急激に表情がなくなり、彼は衰弱している女を見下ろし、止まった。手甲を嵌めた手が、無遠慮に萎んだ乳房に触れた。ただゆったりと、肋骨を浮かせた彼女の胸板が浮沈する。
 枸橘の手は、そこに女体の面白みを見出すことはできなかったらしい。触れたはいいが、すぐに離れる。そして彼は女の脚を開かせた。彼もまた腰のものを寛げた。手で扱き、形を作る。枸橘には子種を溜めておくべき部位がなかった。生まれついてなかったのだろうか。だがそこには縫い痕が大きく刻まれているのである。
 女の乾いた粘膜に、雑に扱われた陰茎が侵入する。けれど、そう易々と挿入が叶ったであろうか。叶わなかった。枸橘は乾いた指でそこを押し広げ、無理矢理に彼女の中へ入り込む。
「あ………あ…………」
 何をするにも、桔梗は疲れてしまった。関節が軋る。ところが圧迫感があるのみで、痛みや苦しみというのは麻痺しているらしかった。それは彼のものがそう強靭なものではなかったからだろうか。
「んがが!薺お嬢様の仇、討ち取っとたり」
 彼は拳を作った。そして桔梗の顔に振り下ろす。彼女の腹に通されたものは、今にも押し出されそうなほど無頓着であったが、硬さを持ちはじめる。それは顔を打つたびに膨らんだ。
 呻く体力もなかった。掠れた息が漏れるのみだった。
「んがぁ、もう二度と、薺お嬢様を傷付けちゃいけませんよ」
 浮き出た腰骨を把手にして、彼は女の腹の中も打ち据えた。軽くなった身体が白い衣の上を大きく揺蕩う。
「ん、ッ、なんか出る……」
 枸橘は死んだ魚のようになった女体の上に覆い被さり、一段と深く腰を進めて止まった。繋がった部分が脈動する。
「赤ん坊の素……」
 彼の呟きが見世物部屋に染み渡る。
「姫様」
 勢いの失ったものが、ずるりと抜けていった。小柄な体格相応のものが。男体を男体たらしめるものの一部を後天的に切除したからなのかもしれなかった。
「枸橘。何をやっている」
 今度は格子の外から声がかかった。これまた性別や推定される年齢の割に小柄な人物で、銀髪。桔梗は見覚えがあった。金雀枝えにしだとかいう、茉莉の子飼いだった。格子越しに土瀝青どれきせい色の冷ややかな一瞥をくれてから、枸橘を捉えていた。
「薺お嬢様の仇を討ってたんだよ」
「また物騒な物言いを」
「んがが、珍矛ちんぼこから膿が出たんだけど、病気か?」
「黙れ。葵様をお呼びする。直ちに立ち去れ」
 金雀枝は踵を返す。枸橘はそれを追うように格子へしがみつく。
「んがが!おい!薺お嬢様の気持ちはどうなるんだ」
「知らん。お前はもう薺お嬢様付きの人間じゃない。勝手なことをするな」
 金雀枝が去ると、枸橘も後を追った。桔梗は裸体を隠すことも、鼻血を拭うことも、股から溢れ返る精を気にすることもなく、燈火の揺らめきを天井に見ていた。
 葵を呼ぶと言って金雀枝は去っていたが、来たのは石蕗つわぶきである。都の空気のほうが体質に合うのか、皰面にきびづらが快方に向かっていた。
「お久し振りです」
 無愛想なりの愛想を見せて、彼は桔梗の身形を整えはじめた。
「今回の祝言はすべて上様ご用意のものです。葵様と薺様の間に罅を入れるわけにはまいりません。悪い夢を見たということになすってください」
 持って来たときは熱かった手拭が冷えていく。彼は樹皮のような身体を拭く。
「薺様は雪月風花四門の花門の一族です」
 雪門、月門、風門、花門という門が城下にある。この門の各々の所有者が、四大貴族であった。葵はそのなかのひとつと婚姻関係を結んだということだ。
「上様とも睦まやかな間柄……どうあがいても、姫様は不利になるでしょう事を荒立てれば、葵様のお立場も危うくなるでしょう」
 桔梗は無言であった。拒否や否定をしたのではなかった。
「そのうち葵様も、目を覚ますでしょう。覚さなければ、ならないのです。それまで、ご辛抱ください」
 石蕗は囚人の周りの証拠を隠滅すると、蝋燭の火を消して帰っていった。ほんのわずかな差で、葵が入れ違いに帰ってくる。彼は桔梗の布団の傍で暫く突っ立っていた。
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