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ダーマの休日
⑤
しおりを挟む結局、彼と離れ離れになって心細くなり、すぐにホテルに戻ったとはいえ、一睡もできなかった。
ハニートラップをかけられそうになって、その仕掛け人と夜の街に繰りだし、異国の地のディープな世界を覗き、同性にナンパされそうになった。
なんて初めて続きとあっては、肌を内側から押しだすように、心臓が強く打ってやまなかった。
なんといっても、アジア系らしからぬ彼の透き通った緑の瞳。
別れた後も緑の瞳でずっと見られているような錯覚がして落ち着かずに、ベッドにうつ伏せになって布団を頭まで被っていた。
そうして一夜を過ごし、すこしはうるさい心臓がやんできたところで、資料にほとんど目を通していないのに気づいたのは、ダーマの宮殿に向かう一時間前のこと。
「なんで、夜の街に繰りだしていないお前のほうが、疲れた顔をしているんだよ」
若い男がブレザーを着て接客する店で、うっかり俺の名前を出した高梨に、顔を寄せて囁かれた。
まさか、一晩中眠れぬ夜を無駄に過ごし、ダーマの宮殿にくる三十分前に血眼になって資料に目を通したからなんて、言えるわけがなく、嘘も吐けなくて、俺は曖昧に笑い返した。
資料に目を通すまで、今日の催しがなんなのかも知らなく、ぺーぺーの議員が代役を任されたなら、大層なものでないだろうと思っていたら、なんとキマシアの国王の誕生祭だった。
前まで政治が独裁的だったのが、国王の尽力もあり民主化に傾いたことで、それまで、国のこういった催しに招待されなかった日本をはじめ、多くの国の政府機関や重鎮の人間が、首都ダーマの宮殿で顔を揃えているという具合だ。
もちろん、単に国王を祝う席ではない。
これから民主化にともなって経済発展を遂げたいキマシアが、各国の支援や投資を期待しての、アピールの場でもある。
独裁的でなくなったキマシアを新たな経済市場ととらえている各国にとっても、国王に売りこんだり、他の国の動向を窺ったり牽制できる絶好の場だった。
表向きは誕生祭のパーティーを楽しんでいるかに見えて、これはもう立派な外交で、各国の主要人がにこやかにしながら見えない火花を散らしている。
の、にだ。
日本から派遣されてきた人間といえば、代役のペーペー議員の僕と高梨、宮殿の端っこで佇む意気のない外交官一人と、昨夜のお楽しみでHPゼロになってホテルで休んでいる先輩議員という有様だった。
外交官は戦力外だし、俺らにしろ外交経験ほとんどなしで、顔が知られてなければ若くもあるから、周りはまったく相手にしてくれなかった。
そもそも、日本はキマシアへの支援や投資に積極的ではないのだろう。
昨夜の緑の瞳の彼に言わせれば「ある国」がすでにキマシアに食いこんでいるようなので、日本としては「ある国」と揉めたくないのかもしれない。
日本に期待していた彼には申し訳ないが、パーティーと称して外交のバトルが繰り広げられている中で、すっかり蚊帳の外の俺らには、何もすることができなさそうだった。
せめて、酒造メーカーの四代目として持参した最高級の地酒が喜ばればいいのだけど・・・。
そんなことを考えながら、きらびやかな宮殿に気後れして、ぺーぺー議員同士、高梨とくっついて呆けていたら「あんたら、日本人?」と英語で話しかけられた。
声をかけられた嬉しさ半分、英語の響きが荒っぽいのに懸念が半分で、高梨と振り向いたなら。
アジア系でも日本人とは雰囲気が違う、細く吊り上がった目をして、きっちり七三分けをした髪をてからせる男が、二人の子分のような男を従え、立っていた。
「ある国」の人間と気づいて、嫌な予感がしたのだけど、喧嘩っ早い高梨のほうも癇に障ってだろう。
「そうですが、なにか?」と慇懃に応じた。
男は微かにこめかみを引くつかせつつ「まったく、日本人はどこの国でも、首を突っ込みたがりますね」と小馬鹿にするように肩をすくめた。
「はあ?」と柄の悪い声を上げた高梨に、俺はかるく肘鉄をする。
周りが注目しているのに高梨も気づいて、口をつぐむと「日本人はお人好しなんていいますがね」と男は周りに聞かせるように、大袈裟に手を広げ声を張り上げた。
「支援と称して搾取し、投資して発展を手助けするふりをして、その国の文化を壊し、国民を追いやって、結局、日本がすべて牛耳って、利益を貪りつくすのです。
皆さん、騙されちゃいけませんよ。
日本人は偽善的なことを言うのには長けているのですから」
緑の瞳の彼の言っていたことが本当なら、それは男の国「ある国」がしていることではないのか。
自国のしていることを、よくもまあ恥ずかしげもなく、他国に転換して、ほらを吹けるものだと呆れる俺をよそに「はあ?どんな嘘でも平気で吐く国の人間に言われたくねえよ」と俄然、高梨は鼻息を荒くしている。
「自分のことを棚に上げるのも、日本人はお上手ですよね」と余裕綽々に男がにやついているからに、目的は言い負かすことでなさそうだ。
闘牛よろしく、かっかしている高梨に赤い布をちらつかせているようなことをしている。
これもまた、外交の一種か?
いや、違う。
この場の人間は礼儀として、あからさまに政治的な言動をすることなく、国王の誕生祭という名目を保ってパーティーを嗜むふるまいをしている。
この男はそのルールを守っていないし、おそらく騒ぎを起こして、俺らをこの場から追いだそうとしているやり方は、間違っている。
「お前、よくそんなこと・・・!」と詰め寄ろうとした高梨と男の間に俺は割って入った。
「同僚の失礼な態度をお詫びいたします」と頭を下げないで、まっすぐ目を見据えれば、男はややたじろぐ。
それを誤魔化すように「お詫びなら、これまで日本が蹂躙してきた国にしたらどうかね!」と叫んだのに「お静かに」と顔の前に掌をかざす。
「あなたが日本をどう思って、どう言おうが自由です。
ただ、日本が悪いかどうかは、めでたい国王の誕生祭とは関係ないこと。
外交の場ではいくらでも、そのご意見をお聞きしますので、どうか、この場に適切でない発言は控えてもらいたいと思います」
三代目の頑固親父と周りとのトラブルの仲介を長年してきた俺だから、こういう場を収めるのには慣れていたし、少々自信もあった。
外交の場でも、すこしは通じたようで、さっきまで畳みかけていた男は反論しあぐねているし、遠巻きに不安そうに見ていた周囲は、ほっと息を吐いたようだった。
だけではなく、思いがけずに小さな拍手も起こって、高梨が自身の手柄のように「そうだ、場を弁えろ」とふんぞり返って余計なことを言う。
拍手と高梨の言葉にかっときたらしく「あんたから挑発してきたんだろ!」とまた人に責任をなすりつけて怒鳴りつけたなら、顔を真っ赤にした男が突進してきた。
そこまで激情に駆られるとは思っていなく、身構えていなかったから、思いきっり両手で突き飛ばされて、倒れそうになった。
が、いつの間にか背後に人がいたようで、その胸にもたれたのを、腕を掴んで支えられた。
息をつく間もなく、周りがどよめいたのに、ぎくりとする。
見渡せば人々は目を見張って声を失くしているようで、茹蛸だった男は真っ青になり、高梨も顔を強張らせて一歩引いている。
息を飲む周りの一人が「王子」と呟いたのに、ぎょっとして振り返れば、一番に、その緑の瞳に目がいった。
そうして、あらためて王子の全容を確かめるより先に、公衆の面前で「タカハシサン!」と抱きつかれてしまったのだった。
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