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七章 帰参
十.家(や)移り〔二〕
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途中、拓須が《術》で送ってくれたので、夕方には岐阜に来れた。
翔隆は転んだ千景をおぶりながら聞く。
「邸はどこにあるんだ?」
「武家屋敷の下の所にあります」
光征が答えて、先頭に立って案内をする。
すると結構な大きさの屋敷の中に案内された。
「え…なんだか大きくないか…?」
「さあ、部屋を決めて下さい」
そう言い疾風がこの屋敷の間取り図を見せる。
「どれ…」
翔隆は千景を降ろして龍之介に任せ、図を手にする。
図では分からないので入って確認した。
門を潜って右に厩と蔵。
奥に畑…玄関の先に土間と湯殿。
左に上がって大きな部屋。
「ここは広間だな。とりあえず、皆ここに集まってくれ」
そう言い、間取り図と実際の部屋を確かめていく。
広間の奥に二部屋。
「…睦月、北と南どちらがいい?」
「…桜が見えるから南かな」
そう言われて庭を見ると、桜の他にも橅と右にも栗の木や畑があった。
「…では南が睦月と拓須、北は私で…」
廊下を挟んで二部屋ある。
「右が女衆と子供達、左は…疾風と…」
言い掛けて廊下の不自然な棚を見付ける。
「…なんかこれ」
動かしてみようと引っ張ると、釣り階段が現れる。
「…え?」
驚いていると、睦月が来て階段を上がりながら喋る。
「面白い仕掛けだろう? 狭い家では使えると思ってな。ほら、この上も部屋だ」
「え? あ、なる程…」
上がってみると、分厚い板が張ってあって普通に歩けるので問題なく過ごせそうだった。
明かりを取る窓も左右にきちんとある。
忠長や光征達も上がってきた。
「お、俺ここでいいや。翔隆様の上で見てられそうだ」
忠長がそう言い風呂敷包みを置く。
「では我々も上で」
そう言い光征と蒼司も続き、龍之介と錐巴も上に上がる。
「…ならば後は…?」
翔隆は邪魔にならないように呟きながら下に降りる。
と、一成が居るのに気付く。
「あ、一成…」
「私は疾風様と一緒の部屋で。屏風もありますので」
そう言い一成は疾風と樟美と共に庭に面した部屋に入る。
どうやら、家臣と一門とで分かれているらしい…。
〈…そういうものなのかな…〉
翔隆は不思議に思いながらも、全員の部屋が決まったので自分の荷を解く。
風呂敷から着物を取り出して長持に移し替えていくと、懐かしい着物を発見した。
紺碧色の着物。
母がーーー弥生が、仕立ててみたくて買ったが、結局は楓の手に渡り、義成の着物になった物だーーー。
〈…義成〉
これは、錐巴にあげよう。
そう思いハッとする。
〈誰も義成の事を聞いてこない…〉
皆知っているのか?
それにしては冷静だし…一成は相変わらず落ち込んだ様子だし、拓須があんな事を言う筈もない。
…恐らく、翔隆が言い出すのを待っているのだろう。
夕餉は広間で食べた。
賑やかな皆との食事が楽しくて、つい話しそびれて夜となっていた。
酒も入った頃になると、いつの間にか翔隆がそのまま寝ていた。
「兄者…」
起こそうと疾風が手を伸ばすと、その手を睦月に叩かれる。
「あた」
「このまま寝かせてやれ。再仕官してから、ろくに眠っていないのだ」
「そうなんですか?! そんな事一言も…」
「…拓須、翔隆を部屋に運んでやってくれ」
睦月が言うと、拓須は溜め息を吐いて立ち上がり、翔隆を抱き上げてちらりと蒼司を見る。
「床は敷いてあるのか」
「あ、只今!」
答えて蒼司が翔隆の部屋へ行き、拓須も続いた。
翌日。
翔隆が目を覚ますと、添い寝をしてこちらをじーっと見つめる睦月と目が合う。
「睦月…」
「…まだ寝ていなさい。今日は家臣と大事な話があるから休みますと伝えてある」
「え、いやそれは…」
ガバッと飛び起きると、睦月にしがみつかれてバタンと引き倒された。
「…翔隆、義成の事を黙っていて済まない」
抱き着いたまま、耳元で言う。
「え…?」
「幼い頃に、知っていたのだ。義成が狭霧の嫡子であると」
「えーーー?」
翔隆は目を見開いて抱き着いている睦月を見る。
…が、睦月は顔を翔隆の首と肩の辺りにくっつけているので、表情が見えない。
「〝義王丸〟という名で…殺される心配があるから隠して育てている…と拓須から聞いた。聞いていたのに、私はそんな事どうでも良くて…すっかり忘れていたのだ。義成も翔隆を庇っていたから大丈夫だと勝手に思っていたがーーー…我々を裏切った…」
「え…?」
睦月の言葉に違和感を覚える。
何か言おうにも、睦月が続けて喋る。
「翔隆を守ると約束しておいて今川などに付いて…今更、狭霧の長なんかになるなんて許せない…狭霧なんてどうでもいいだろうに!」
「ちょ、ちょっと待って睦月、何か違う!」
「皆は広間にいるから…いかな方法で罰するかを決めなくては…捕らえて監禁して、拷問の末に…」
「睦月、一回止まろう!」
翔隆は仄暗い考えに走る睦月を抱き締めて落ち着かせる。
「…とりあえず、それは朝餉の後で話すから」
ポンポンと背を叩いて言うと、睦月は翔隆に身を委ねながら言う。
「いかに罰する?」
「そうじゃなく……ふふ…」
〝罰する〟という言葉がとても偉そうで、翔隆は重い心が晴れた。
そして起き上がって言う。
「さ、行こうか。味噌汁のいい匂いがするよ。食べられそう?」
「…ああ。許して、くれるか? 言わなかった事…」
睦月は翔隆を見上げて聞く。
「許すも何も…睦月は忘れていたんだから、責めようがないよ。知っていたとしても、多分…こうなっていただろうし」
そう笑って言い、翔隆は睦月を立たせて歩いていく。
顔を洗ってから髪を結い直して広間に行き、朝餉にした。
雑穀米と味噌汁と鮭とたくあんが乗った膳だ。
膳があるのは翔隆と拓須と睦月、疾風と樟美のみ。
その他の者達は、鍋から鮭の入った雑炊をよそっていた。
〈昨夜もそうだったな…〉
どうやら自分がいない間に、そういう仕組みが出来上がったらしい。
本来ならば、全員に膳を置いて貰いたい所だがーーー俸禄が減ったのだから仕方が無い。
〈頑張って稼がねばな〉
そう思いながら翔隆が食べ始め、皆が口にする。
「このシャケしょっぱくないか?」
忠長が言うと、光征が答える。
「このくらいの方が旨いがな」
「ちょっぱいよ?」
幼い茜が言うと、母の葵が身をほぐしてくれる。
「塊だからしょっぱいだけよ、ほら大丈夫」
その様子を見て、蒼司が笑いながら忠長に言う。
「ほぐして差し上げようか?」
「ばーか」
くすくすと笑いが漏れる。
〈…忠長はいつも皆を笑わせてくれているな…〉
ただ喧嘩を売るだけでなく、和ませようとしているのが分かる。
食事も片付けに入り、女衆が台所で器を綺麗にしている。
皆はそれぞれに書の整理などをしていた。
〈…言わねば…〉
翔隆はやっと決心して、口を開く。
「皆に、大事な話があるのだ」
そう言うと、全員が急いで集まって、前に勢揃いして座った。
「義成だが…ーーー」
翔隆は一拍置いて喋る。
「義成は、狭霧に帰った」
「帰った…?」
蒼司が首を傾げる。
「ん…義成は、元々狭霧の者でありーーー狭霧の嫡子であったそうだ…」
そう言うと皆がザワつく。
その中で疾風が
「あっ! まさか、そんな…!」
と声を上げて目を見開いた。
翔隆はじっと疾風の言葉を待つ。
それに気付き、疾風は焦りながら喋った。
「その、俺が赤子の時に兄上…陽炎の所に連れて来られて…陽炎はいつも義成殿と一緒に可愛がってくれていて…でも、狭霧だなんて兄上も知らないみたいで…!」
「疾風、落ち着け。誰もお前を責めてはいない。…そうか、やはり知らずに育ったか…」
翔隆が言うと、忠長が聞く。
「…やはりってどういう事ですか?」
「…昨日、拓須から聞いてな。義成は嫡子とも狭霧とも知らずに隠れて育てられたのだと…。真なのだな…私と同じだ。義成の真の名は焔羅。狭霧の長となったのは、私と一成がちょうど春日山城に来た時だ…」
翔隆はその時の状況を説明した。
「一成を責めないでくれ。口を封じたのは私だ…信じたくなくて、今でも信じられずに……言うのが遅くなって済まない…」
そう言うと、翔隆は頭を下げる。
すると一成が泣きながら平伏した。
「済まない……私も、まだ義成様を信じたかったのだ…!」
「………」
二人に頭を下げられて、皆は困惑する。
その中で忠長が言う。
「さて…じゃあ一族に文を書かないと」
「え…ああ、そうだな……」
翔隆が一成と共に顔を上げると、忠長と蒼司と光征が頷く。
「やっと話して下さいましたね。義成様の事をいつ話して下さるか、待っていたのですよ」
光征が言う。
「…あ…護衛の時に義成の事を聞いたからか…」
「はい。様子がおかしかったので…一成もずっと沈んでいたし、やはりそうか、と…心中、いかばかりか…お察し致します」
そう言い、今度は光征と蒼司と忠長が頭を下げた。
そして、疾風も頭を下げる。
「済まない兄者! 義成殿と暮らしていた事を話さなくて…いや、故意ではないんだ! なんか…ここに、兄者の所に来たら、そういうのはどうでも良くなったっていうか…その…」
それを聞き、先程の睦月の言葉を思い出す。
〝どうでも良くてすっかり忘れていた〟
…過去も大事だと思うのだが、どうやら狭霧にいた者はここに来ると過去などどうでも良くなるらしい。
「ふふ…そうか、どうでもいいなら仕方あるまい」
翔隆が笑って言うと、四人は顔を上げる。
「では、四人共。文を書くのを手伝って貰おうか。何しろ全国だからな…今日中に書かねば、集会も開けまい」
「はい!」
答えて、皆が動く。
文机を広間に並べて皆で文を書いている所に、竹中半兵衛重虎と矢佐介がやってくる。
「殿、今日は城に行かないのですか? 何やら信長めが探しておりましたが…」
「…休みを貰ったと……」
言い掛けて睦月を見ると、そっぽを向かれた。
…どうやら嘘だったらしい……。
「睦月?」
「…織田などどうでも良かろう…」
睦月はごにょごにょと言う。
翔隆は溜め息を吐いて、玄関に行く。
するとすぐに
「翔隆はおるか?!」
という声がして信長がやってきた。
「はい、申し訳もございませぬ…」
玄関で平伏すると、皆も平伏した。
「…何かあったか」
「はい、ああ…信長様にもお話していませんでしたね…。狭霧に長が現れまして、それが最悪な事に師匠でした。故に、今各地の者に文を出す所でして…」
「! 殿、そんな事を人間に…」
重虎が言い掛けると手で制される。
すると信長は一同を見回して言う。
「…あの義成という男か」
「はい」
「…そうか、明日は参れよ。それと、今日は雨は降るのか?」
「…降らないかと……」
ちらりと睦月を見て言うと、睦月はムスッたれながら頷いた。
「はい、降りません。漆喰ですか?」
「ん、ではな」
それだけ確認し、信長は城に戻っていった。
「…よく来ると分かりましたな」
重虎が言うと、翔隆は苦笑する。
「あのご気性で確かめに来ない筈はない。さて…」
翔隆は立ち上がると睦月の前に行く。
「睦月…頼むから嘘は付かないでくれないか? ここで暮らしていくのだから…」
「…初めから反対している」
「睦月………嘘の付き方が、何だか拓須にそっくりだよ」
翔隆がそう言うと、睦月は動揺する。
「なっ…! そんな事ない!」
「まるで本当の事のようにしれっと嘘を付いて」
「………済まん…」
謝ったので、翔隆は微笑して文机に戻る。
その隣りに重虎が座る。
「殿、先程の話…」
「義成がな、焔羅という名の長なのだ。半兵衛は文より早いな」
「昨日、殿が家臣達と共に美濃に越してきたと矢佐介が教えてくれたので来ただけです。…ほむらとは…」
「こういう字だ。焔に羅。…強過ぎて、敵うかどうか…」
弱音を吐いても、誰も責めなかったし、励ませなかった。
実力は皆が知っている…。
それから文は矢佐介に頼んで美濃衆の者達で届けて貰う事にした。
翔隆は転んだ千景をおぶりながら聞く。
「邸はどこにあるんだ?」
「武家屋敷の下の所にあります」
光征が答えて、先頭に立って案内をする。
すると結構な大きさの屋敷の中に案内された。
「え…なんだか大きくないか…?」
「さあ、部屋を決めて下さい」
そう言い疾風がこの屋敷の間取り図を見せる。
「どれ…」
翔隆は千景を降ろして龍之介に任せ、図を手にする。
図では分からないので入って確認した。
門を潜って右に厩と蔵。
奥に畑…玄関の先に土間と湯殿。
左に上がって大きな部屋。
「ここは広間だな。とりあえず、皆ここに集まってくれ」
そう言い、間取り図と実際の部屋を確かめていく。
広間の奥に二部屋。
「…睦月、北と南どちらがいい?」
「…桜が見えるから南かな」
そう言われて庭を見ると、桜の他にも橅と右にも栗の木や畑があった。
「…では南が睦月と拓須、北は私で…」
廊下を挟んで二部屋ある。
「右が女衆と子供達、左は…疾風と…」
言い掛けて廊下の不自然な棚を見付ける。
「…なんかこれ」
動かしてみようと引っ張ると、釣り階段が現れる。
「…え?」
驚いていると、睦月が来て階段を上がりながら喋る。
「面白い仕掛けだろう? 狭い家では使えると思ってな。ほら、この上も部屋だ」
「え? あ、なる程…」
上がってみると、分厚い板が張ってあって普通に歩けるので問題なく過ごせそうだった。
明かりを取る窓も左右にきちんとある。
忠長や光征達も上がってきた。
「お、俺ここでいいや。翔隆様の上で見てられそうだ」
忠長がそう言い風呂敷包みを置く。
「では我々も上で」
そう言い光征と蒼司も続き、龍之介と錐巴も上に上がる。
「…ならば後は…?」
翔隆は邪魔にならないように呟きながら下に降りる。
と、一成が居るのに気付く。
「あ、一成…」
「私は疾風様と一緒の部屋で。屏風もありますので」
そう言い一成は疾風と樟美と共に庭に面した部屋に入る。
どうやら、家臣と一門とで分かれているらしい…。
〈…そういうものなのかな…〉
翔隆は不思議に思いながらも、全員の部屋が決まったので自分の荷を解く。
風呂敷から着物を取り出して長持に移し替えていくと、懐かしい着物を発見した。
紺碧色の着物。
母がーーー弥生が、仕立ててみたくて買ったが、結局は楓の手に渡り、義成の着物になった物だーーー。
〈…義成〉
これは、錐巴にあげよう。
そう思いハッとする。
〈誰も義成の事を聞いてこない…〉
皆知っているのか?
それにしては冷静だし…一成は相変わらず落ち込んだ様子だし、拓須があんな事を言う筈もない。
…恐らく、翔隆が言い出すのを待っているのだろう。
夕餉は広間で食べた。
賑やかな皆との食事が楽しくて、つい話しそびれて夜となっていた。
酒も入った頃になると、いつの間にか翔隆がそのまま寝ていた。
「兄者…」
起こそうと疾風が手を伸ばすと、その手を睦月に叩かれる。
「あた」
「このまま寝かせてやれ。再仕官してから、ろくに眠っていないのだ」
「そうなんですか?! そんな事一言も…」
「…拓須、翔隆を部屋に運んでやってくれ」
睦月が言うと、拓須は溜め息を吐いて立ち上がり、翔隆を抱き上げてちらりと蒼司を見る。
「床は敷いてあるのか」
「あ、只今!」
答えて蒼司が翔隆の部屋へ行き、拓須も続いた。
翌日。
翔隆が目を覚ますと、添い寝をしてこちらをじーっと見つめる睦月と目が合う。
「睦月…」
「…まだ寝ていなさい。今日は家臣と大事な話があるから休みますと伝えてある」
「え、いやそれは…」
ガバッと飛び起きると、睦月にしがみつかれてバタンと引き倒された。
「…翔隆、義成の事を黙っていて済まない」
抱き着いたまま、耳元で言う。
「え…?」
「幼い頃に、知っていたのだ。義成が狭霧の嫡子であると」
「えーーー?」
翔隆は目を見開いて抱き着いている睦月を見る。
…が、睦月は顔を翔隆の首と肩の辺りにくっつけているので、表情が見えない。
「〝義王丸〟という名で…殺される心配があるから隠して育てている…と拓須から聞いた。聞いていたのに、私はそんな事どうでも良くて…すっかり忘れていたのだ。義成も翔隆を庇っていたから大丈夫だと勝手に思っていたがーーー…我々を裏切った…」
「え…?」
睦月の言葉に違和感を覚える。
何か言おうにも、睦月が続けて喋る。
「翔隆を守ると約束しておいて今川などに付いて…今更、狭霧の長なんかになるなんて許せない…狭霧なんてどうでもいいだろうに!」
「ちょ、ちょっと待って睦月、何か違う!」
「皆は広間にいるから…いかな方法で罰するかを決めなくては…捕らえて監禁して、拷問の末に…」
「睦月、一回止まろう!」
翔隆は仄暗い考えに走る睦月を抱き締めて落ち着かせる。
「…とりあえず、それは朝餉の後で話すから」
ポンポンと背を叩いて言うと、睦月は翔隆に身を委ねながら言う。
「いかに罰する?」
「そうじゃなく……ふふ…」
〝罰する〟という言葉がとても偉そうで、翔隆は重い心が晴れた。
そして起き上がって言う。
「さ、行こうか。味噌汁のいい匂いがするよ。食べられそう?」
「…ああ。許して、くれるか? 言わなかった事…」
睦月は翔隆を見上げて聞く。
「許すも何も…睦月は忘れていたんだから、責めようがないよ。知っていたとしても、多分…こうなっていただろうし」
そう笑って言い、翔隆は睦月を立たせて歩いていく。
顔を洗ってから髪を結い直して広間に行き、朝餉にした。
雑穀米と味噌汁と鮭とたくあんが乗った膳だ。
膳があるのは翔隆と拓須と睦月、疾風と樟美のみ。
その他の者達は、鍋から鮭の入った雑炊をよそっていた。
〈昨夜もそうだったな…〉
どうやら自分がいない間に、そういう仕組みが出来上がったらしい。
本来ならば、全員に膳を置いて貰いたい所だがーーー俸禄が減ったのだから仕方が無い。
〈頑張って稼がねばな〉
そう思いながら翔隆が食べ始め、皆が口にする。
「このシャケしょっぱくないか?」
忠長が言うと、光征が答える。
「このくらいの方が旨いがな」
「ちょっぱいよ?」
幼い茜が言うと、母の葵が身をほぐしてくれる。
「塊だからしょっぱいだけよ、ほら大丈夫」
その様子を見て、蒼司が笑いながら忠長に言う。
「ほぐして差し上げようか?」
「ばーか」
くすくすと笑いが漏れる。
〈…忠長はいつも皆を笑わせてくれているな…〉
ただ喧嘩を売るだけでなく、和ませようとしているのが分かる。
食事も片付けに入り、女衆が台所で器を綺麗にしている。
皆はそれぞれに書の整理などをしていた。
〈…言わねば…〉
翔隆はやっと決心して、口を開く。
「皆に、大事な話があるのだ」
そう言うと、全員が急いで集まって、前に勢揃いして座った。
「義成だが…ーーー」
翔隆は一拍置いて喋る。
「義成は、狭霧に帰った」
「帰った…?」
蒼司が首を傾げる。
「ん…義成は、元々狭霧の者でありーーー狭霧の嫡子であったそうだ…」
そう言うと皆がザワつく。
その中で疾風が
「あっ! まさか、そんな…!」
と声を上げて目を見開いた。
翔隆はじっと疾風の言葉を待つ。
それに気付き、疾風は焦りながら喋った。
「その、俺が赤子の時に兄上…陽炎の所に連れて来られて…陽炎はいつも義成殿と一緒に可愛がってくれていて…でも、狭霧だなんて兄上も知らないみたいで…!」
「疾風、落ち着け。誰もお前を責めてはいない。…そうか、やはり知らずに育ったか…」
翔隆が言うと、忠長が聞く。
「…やはりってどういう事ですか?」
「…昨日、拓須から聞いてな。義成は嫡子とも狭霧とも知らずに隠れて育てられたのだと…。真なのだな…私と同じだ。義成の真の名は焔羅。狭霧の長となったのは、私と一成がちょうど春日山城に来た時だ…」
翔隆はその時の状況を説明した。
「一成を責めないでくれ。口を封じたのは私だ…信じたくなくて、今でも信じられずに……言うのが遅くなって済まない…」
そう言うと、翔隆は頭を下げる。
すると一成が泣きながら平伏した。
「済まない……私も、まだ義成様を信じたかったのだ…!」
「………」
二人に頭を下げられて、皆は困惑する。
その中で忠長が言う。
「さて…じゃあ一族に文を書かないと」
「え…ああ、そうだな……」
翔隆が一成と共に顔を上げると、忠長と蒼司と光征が頷く。
「やっと話して下さいましたね。義成様の事をいつ話して下さるか、待っていたのですよ」
光征が言う。
「…あ…護衛の時に義成の事を聞いたからか…」
「はい。様子がおかしかったので…一成もずっと沈んでいたし、やはりそうか、と…心中、いかばかりか…お察し致します」
そう言い、今度は光征と蒼司と忠長が頭を下げた。
そして、疾風も頭を下げる。
「済まない兄者! 義成殿と暮らしていた事を話さなくて…いや、故意ではないんだ! なんか…ここに、兄者の所に来たら、そういうのはどうでも良くなったっていうか…その…」
それを聞き、先程の睦月の言葉を思い出す。
〝どうでも良くてすっかり忘れていた〟
…過去も大事だと思うのだが、どうやら狭霧にいた者はここに来ると過去などどうでも良くなるらしい。
「ふふ…そうか、どうでもいいなら仕方あるまい」
翔隆が笑って言うと、四人は顔を上げる。
「では、四人共。文を書くのを手伝って貰おうか。何しろ全国だからな…今日中に書かねば、集会も開けまい」
「はい!」
答えて、皆が動く。
文机を広間に並べて皆で文を書いている所に、竹中半兵衛重虎と矢佐介がやってくる。
「殿、今日は城に行かないのですか? 何やら信長めが探しておりましたが…」
「…休みを貰ったと……」
言い掛けて睦月を見ると、そっぽを向かれた。
…どうやら嘘だったらしい……。
「睦月?」
「…織田などどうでも良かろう…」
睦月はごにょごにょと言う。
翔隆は溜め息を吐いて、玄関に行く。
するとすぐに
「翔隆はおるか?!」
という声がして信長がやってきた。
「はい、申し訳もございませぬ…」
玄関で平伏すると、皆も平伏した。
「…何かあったか」
「はい、ああ…信長様にもお話していませんでしたね…。狭霧に長が現れまして、それが最悪な事に師匠でした。故に、今各地の者に文を出す所でして…」
「! 殿、そんな事を人間に…」
重虎が言い掛けると手で制される。
すると信長は一同を見回して言う。
「…あの義成という男か」
「はい」
「…そうか、明日は参れよ。それと、今日は雨は降るのか?」
「…降らないかと……」
ちらりと睦月を見て言うと、睦月はムスッたれながら頷いた。
「はい、降りません。漆喰ですか?」
「ん、ではな」
それだけ確認し、信長は城に戻っていった。
「…よく来ると分かりましたな」
重虎が言うと、翔隆は苦笑する。
「あのご気性で確かめに来ない筈はない。さて…」
翔隆は立ち上がると睦月の前に行く。
「睦月…頼むから嘘は付かないでくれないか? ここで暮らしていくのだから…」
「…初めから反対している」
「睦月………嘘の付き方が、何だか拓須にそっくりだよ」
翔隆がそう言うと、睦月は動揺する。
「なっ…! そんな事ない!」
「まるで本当の事のようにしれっと嘘を付いて」
「………済まん…」
謝ったので、翔隆は微笑して文机に戻る。
その隣りに重虎が座る。
「殿、先程の話…」
「義成がな、焔羅という名の長なのだ。半兵衛は文より早いな」
「昨日、殿が家臣達と共に美濃に越してきたと矢佐介が教えてくれたので来ただけです。…ほむらとは…」
「こういう字だ。焔に羅。…強過ぎて、敵うかどうか…」
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秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
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