鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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一章 天命

十七.謀略〔一〕

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  九月。
 葉が赤々と染まり、美しく森や山を飾っている。

 織田信長は珍しく中庭で酒を呑み、艶やかに咲き誇っている躑躅つつじ銀杏いちょうを眺めていた。

頬を撫でる風が、とても心地良い…。

その側には共に紅葉を楽しむ塙直政、丹羽五郎左衛門尉長秀、小姓の佐々内蔵助、乳兄弟である池田勝三郎(十五歳)と、翔隆が居た。
「良いですな、こうして骨を休めるのも」
塙直政が穏やかに言う。
「…ん。時にお濃はどうした」
「お方さまならば先刻、侍女達を伴い反物を見に行かれましたが」
長秀が、ほろ酔いで答える。
「ふむ…」
「五郎左!  もっと飲まんか!」
かなり酔っている勝三郎が酒を勧め、長秀が勧められるままに呑んでいく。
その中で、翔隆は一人俯いて酒をちびちびと呑んでいた。
〈…何か、嫌な予感がする。気のせいだろうか…〉
胸元を押さえていると、塙直政が寄ってきた。
「翔隆どうした?」
心配げに覗き込んでくる。
「いえ…」
苦笑して、ハッとする。
〈この〝気〟は……このどこからともなく来る殺気は…――――!〉

  狭霧のもの!!

そう察知した翔隆は、バッと立ち上がる。
すると皆が注目する。
「何じゃ」
「―――――あと…少し!」
翔隆は蒼白して盃を置き、背に掛けた小刀を抜く。
それを見た信長達は、何かを察して全員立ち上がった。
「先月のような輩かッ!」
 …とは、疾風の事だ。
塙直政が信長に報告しておいたのだ。
それを警戒しての行動だろう。
「はい」
翔隆は素直に答えた。
すると信長は
「太刀!」
と怒鳴る。
咄嗟に丹羽五郎左衛門尉長秀が太刀を差し出し、自分も朱槍を持つ。
池田勝三郎、佐々内蔵助らも太刀を手にした。
「?!」
「安心せい。そ奴らは、わしらが追い払ってくれよう」
そう言うと、皆も頷く。
「おっ、お待ち下さい! これは俺の問題です! 信長様達にご迷惑をお掛けする訳には…」
「一族、とやらの事であろう」
  ドキン…
何か言おうとしたが、信長に遮られる。
「己の重臣を失う訳にはいかん。故に加勢する」
「……信長様…」
じんとして、翔隆は涙ぐむ。
 その時!
「ふふふふ」
と、押し殺した様な笑い声が響いた。
「誰だ!」
翔隆は信長を庇いながら、叫んだ。



一方同じ頃、末森城にも不穏な陰が近付いていた。


本丸で勉学に励むのは、織田勘十郎信勝。
その時、ふいに声がした。
「精が出ますな、信勝殿」
「! 何奴!」
信勝はすぐ様太刀を掴み、身構える。
「ご安堵召されよ。刺客ではござりませぬ」
そう言って現れたのは、見知らぬ二人の男。
一人はきちんと正装し、顔に斜め十字の傷を負った男。
もう一人は忍び装束に、異形な槍を持つ体格の良い男。
…言うまでもなく、この二人は義成と陽炎である。
相手に殺気が無い事を悟り、信勝は刀を横に置いて座り直す。
「――――…何用だ」
「実は、貴殿のご気性を見込んで参りました」
「誰の差し金か」
「………」
「貴公、名は?」
尋ねると、義成は両拳を床に撞く。
「今川義元が庶子、今川檍之丞おきのじょう。この者は私の近習、義羽よしば陽亮かげとうにござりまする」
「今川…!?」
信勝が驚愕して咄嗟に刀に手を置くと、義成は右手の平を翳す。
「待たれよ。…話というのはこ嫡男、三郎殿の事で」
「兄上の…?」
「ご家来衆に、〝翔隆〟という者が居る筈。その者を、解任して頂きたいのです」
「―――あの異形な者か! しかし何故…」
「奴は、元々今川家の乱破。なれど禁を侵し、信義に反した裏切り者にござる。…我らは他国に迷惑の掛からぬ様、そ奴を抹殺すべく参った所存」
それを聞くと、信勝はサーッと蒼冷めた。
〈もしや…あの者のせいで、兄上は増々狂われたのではないのか? 幼い頃は、よう私を可愛がってくれた…。なのに、いつからかあの様に………総ては奴のせいなのか? だとすれば、そうだとすれば……もしかしたら、奴がいなくなれば…兄上は〝正気〟に返られるのではないのか?!〉
目を覚まして、きちんと…〝嫡男〟として立派に努めてくれるのではなかろうか?
 織田家を思えばこそ、兄を大事と思えばこそ…信勝はそう、思うのだろう。
「だが…兄上は私の言葉など…」
聞いてはくれないだろう。
あれ程、気に入りいつも連れ歩いている者を引き離すとなると、余程の事が無い限りは……。
そう考えていると、義成は懐から文を取り出した。
「それは…?」
「簡単です。これをお父君にお渡し下されば」
「見て…良いか?」
義成は、コクリと頷く。
信勝は緊張しながらも文を手にし、中を開ける。
「これは……!」
中を見て、驚愕した。
長々と書かれた文面………。その中に、信じられないような内容が…。
 〝翔隆を今川に引き渡せば信秀の生きている内は、休戦し更に月百貫を送る〟
と、あるのだ!!
驚きの余り手が震える。
「…だ…―――だがっ、これでは―――!!」
話が巧すぎる。とても…信じられない。
「ご案じ召されまするな。嘘、偽りの文ではござらん。…お父君も、快く引き受けて下されよう」
義成が落ち着き払って言うと、信勝は冷や汗を掻きながら頷く。
「…分かった。確かに、お預かりした」
「では、よしなに…」
そう言うと、義成達は瞬時に消えてしまった。
しばしの沈黙の中、信勝は文をしまい障子に向かって声を掛ける。
権六ごんろく、おるか」
「はっ」
とすぐに柴田権六勝家が障子を開けて、膝を撞く。
「今の儀、他の者には…」
言い掛けた時、宿老の林美作守みまさかのかみ通具みちともがスッと現れる。
「恐れながら…」
「! 美作…」
「今川の乱破を側に置いていたとなれば、三郎どのの廃嫡は必至…そうなれば、殿の天下にござりまするぞ」
林通具はニヤリとして言った。
「う…む……」
そう言う気持ちは有り難く思う。
しかし、信勝としては兄を憎むに憎めない…。
出来得るものならば、兄にしっかりとして貰いたいと願っているのだ。
 …〝いざ〟という時は…是非も無いが………。



  一方。
笑いながら現れたのは、〝今川の乱破〟と名乗った霧風と――――!!
「霧風……睦月…っ!!」
翔隆は蒼白して眉をひそめた。
「あ奴は村に居た薬師!」
佐々内蔵助が叫ぶ。そんな言葉を無視して、霧風が刀を手に降り立った。
「ククク。こんな所に居たとはなぁ、不知火の小伜!」
翔隆は何も答えず、危機を察して信長を押す。
「ここは危険です! 中にお下がり下さい!!」
「………」
「信長様!!」
叫んでも全く動こうとしない。
まるで農作業を嫌がる牛のように…。
どうあっても、加勢する気なのだ。
〈…仕方ないっ!!〉
翔隆は小刀を構え直し、左手で〝刀〟の印を結んで念じる。
すると、暗雲が立ち込めた。
「面白い。予定変更だ、睦月殿」
そう睦月に言い、霧風は刀を抜く。
「ついでにその首を、京羅様への土産としてやろう!」
霧風が言うと、睦月は黙って両手に鋭いくないを構えた。
それを見て、翔隆は足下から頭まで悪寒がぞくっと走るが、ギッと唇を噛む。
「来るなら来い! 信長様達には指一本! 触れさせはせぬ!!」
そう叫び霧風に斬り掛かっていく。
ギインと金属音が響き、翔隆は弾かれて塀の上に降り立つ。
その横っ腹に睦月が襲い掛かってきた。
「っ!!」
咄嗟に身をよじって躱したが、腕をかすめた。
「睦月…!」
眉を寄せて見ると、睦月も苦悩の表情を見せた。
「許せ…」
一言。
そして容赦なく斬り付けてきた。それを躱すと、今度は後ろから霧風が襲ってくる。
〈二対一じゃ不利だ……!〉
 さすがに手練れ二人。
とても一人では防戦しきれない。
しかも、翔隆は刀を持つ手が震えていた。
刃で人を斬るのは、これが初めてなのだ。
《術》でなら、何度かあるのだが…。
〈…こんな時に迷ったら死ぬ!!〉
そう分かっていても、志木が死んだ姿が脳裏に焼き付いて離れない。
〈やるしかない…っ! 死にたくはないっ!!〉
そんな思いのまま、翔隆は必死に防いでいた。
…信長達は、あちこちに飛び回りながら戦う翔隆達の後を追うのに必死で、加勢もままならないでいる。
 二人は余裕たっぷりに攻撃し、隙を見ては手裏剣やくない等を信長達目掛けて飛ばす。
その度に翔隆は焦心し、踊らされる。
だが、隙を作れば殺される…。
そう分かっているので、うかうかしていられないのだ。
睦月がくないで翔隆の注意を引くと、霧風が攻撃に出る。
そして、その逆になったりもする。
斬られ、なぶられる内に、翔隆は少しずつ正気を失くしつつあった。
〈…――――!!〉
痛みと恐怖と、信長達が殺されるのではないかという焦りと苦しみの中、翔隆はその内我を忘れていく。………そして……。
「うぉあああああああっ!!」
そう叫ぶと、翔隆は狂った様に刃を振り始めた。
途端に雷が城に落ち、雨が降る。その中で、翔隆は雷気を帯びて一心不乱に戦う。
「乱心したか!」
霧風は舌打ちして、身を引いた。
 稲妻や雨が、槍の様に地に、城に襲い掛かる。
信長達は、城の中に咄嗟に避難していた。

  その時!

「翔隆やめよ! お前の〝大事な〟主君の居城がどうなっても良いのか!!」
という一喝が翔隆を襲い、正気にさせる。
それは、翔隆の胸に一番鳴り響く声であった。
…声の主は、末森城から立ち寄った義成…。
隣りには陽炎も居る。
「!!」
翔隆は更に蒼冷め、身をすくめた。
「二人掛かりで、苦戦するとはな」
そう言って義成は、陽炎と共に庭に降り立つ。
「………っ!」
 この二人に、まともに斬り掛かる〝勇気〟を……翔隆は持ち合わせていない。
「あ奴は……翔隆の――――っ!」
長秀が思わず口にした。
身を竦めて、じっとこちらを窺う翔隆を見てフッと笑うと、義成は睦月達の下へ行き塀の上に飛ぶ。
「…安心しろ。今、お前に手出しをする気はない。―――…帰るぞ霧風、睦月、陽亮かげとう!」
そう言うと、他の三人と共に塀を乗り越え退散してしまった。

  …一人。

残された翔隆は、ただ茫然と立ち尽くす。
 ……捨てられた、子の気持ちが…良く分かった…。
どうしようもない程の〝孤独感〟に全身を支配されて、寂寞せきばくが心を満たしていく…。
寂しくて、空しくて………だが、翔隆は歯を食い縛って、それを堪える。
〈…独り……こんな―――こんな未熟な俺一人で! 信長様や皆を、守らなければならないんだっ!!〉
絶望感に打ち拉がれている翔隆の肩を、佐々内蔵助がそっと叩いた。
「…翔隆」
「……内蔵助…俺…―――っ!」
「良い! 何も言うな…。…さ、〝続き〟を、やろう?」
優しく言う内蔵助に、翔隆は哀しげに微笑して頷いた。
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