鸞翔鬼伝 〜らんしょうきでん〜

紗々置 遼嘉

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一章 天命

十六.兄弟

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  八月の一番、暑い日の夜だった。
 寝ているだけで、汗が滲み出てくる。
⦅翔隆…⦆
とても懐かしい声が、心地良く心に溶け込んでくる。
夢の中の様だ。


 ―――かすみの中の夢……。

昔からこういう〝夢〟は、誰かが何か重要な事を伝えようとしている…もしくは、警告してくれるものだ。
  現れたのは、睦月…。
〈睦月…!〉
夢と知りつつも、思わず嬉しくて抱きついてしまう。
睦月は、優しく抱き締め返してくれた。
⦅翔隆…辛いか?⦆
〈え?〉
⦅済まんな…許してくれ…⦆
〈睦月…〉
⦅もう直、帰るから…。それまで…頑張ってくれ…!⦆
言っている内に、睦月は泣き出してしまった。
どうやらこれは夢ではなく、霊術による対面のようだ。
〈睦月…〉
⦅済まない…っ!⦆
翔隆は、睦月の背を優しく抱きながら優しい口調で言う。
〈睦月、いいんだ。泣かないで、俺の話を聞いてくれ〉
⦅とび…⦆
〈…俺は、睦月も義成も…拓須も信じてるから。俺が不知火の嫡子で、睦月達が〝宿敵〟の〔狭霧〕だと知っても…俺には関係無いんだ〉
翔隆は睦月の両肩を支えながら、笑う。
⦅翔隆…?⦆
〈三人は〝師匠〟だから、さ。それは変わらない。――――何があろうとも、尊敬する師匠なんだよ〉
そう言う翔隆の眸は、自信に満ちている。
睦月は驚きながら、翔隆をまじまじと見つめた。
 今の翔隆は昔の〝鬼〟であった童ではない。
〔一族〕の〝業〟を総てその小さな肩に背負おうとしている姿勢が見えた。
いや、もうその〝下準備〟が出来ているように見受けられた。
⦅翔隆…立派に、なったのだな………暫く離れていただけだというのに…。お前なら…―――お前なら、立派に…〔一族〕を統一出来る…っ!⦆
〈―――――…うん…。そう…するつもりだよ、睦月〉
そう答えた時、ふと人の気配がした。

 夢か、うつつか…―――――――。

⦅こんなに間近にいるってのに、すやすやと夢見心地とは恐れ入ったね!⦆
 その声で翔隆は、ハッと目覚めた。


…枕元に、黒髪の少年が居た。

……その隣には、黒くて巨大な―――人より大きな、四つ足の獣。
少年は異国の物と思しき剣を、翔隆の喉元に突き付けている。
翔隆は内心、冷や汗を掻きながら言う。
「何の、用だ…」
「クッ! これは笑止……我ら〝兄弟〟の怨みが分からぬというのか!」
少年は、顔をひくつかせてそう言った。
「…分からないから、聞いているんだ」
静かに言う。
「ふん…ならば教えてやる! 我が名は疾風。これは相棒…黒豹の緋炎ひえん! 私は―――…羽隆うりゅうめに見捨てられ生き地獄を見た陽炎…そして貴様の弟だ!!」
言葉が…出なかった。
〈お………弟…?! 陽炎と……俺の!? つまり、俺と―――俺と陽炎は―――っ!〉
「陽炎の、弟…だと?!」
「そうだ。裏切り者の羽隆めの、長男・陽炎の弟だ!」
その返答で、確信した。

つまり陽炎は長男、翔隆が次男、そしてこの疾風が三男だという事! 

羽隆は、〝掟〟に従い長男である陽炎を狭霧へ送った。

 …では?

では、三男である疾風は…何故?
「…俺は、お前に恨まれる覚えは無いぞ…」
「私にはある! 羽隆が掟を破ったが為に、私は異国へ〝島流し〟となった。そして…貴様までも、〝掟〟を破った!!」
疾風(十二歳)は憎しみを込めて、剣の刃をグッと押し当てた。
つ…と、首から血が流れる。
翔隆は冷静に、疾風を見据えた。
「―――それは…その事では、どんな罰でも受けよう。だが! 個人の怨みつらみで、責められて傷付けられる覚えはないッ!」
そう言い、翔隆は威嚇してくる黒豹の緋炎を睨み付け、刃をガシッと握り締めると一気にぶん投げた。
ふいを衝かれた疾風は、そのまま緋炎にぶつかり障子を突き破って庭まで転がる。
「う、ぐうう…!」
呻いて起き上がった時には、翔隆が目の前に立っていた。
右掌からドクドクと血を滴らせ、闇夜に藍の瞳を光らせて…。
疾風は、動揺しながら剣を握り直し立ち上がる。
「なっ、何故、何もしないっ!?」
「………」
翔隆は妖しく光る目で、そんな疾風をじっと見つめフッと笑って両手を広げた。
「討て」
「なっ…?!」
「討ってみろ! そんなに俺が憎いのならば、やってみるがいいッ!!」
凄い気迫でそう怒鳴った。
穏やかな…いや、不気味な微笑を称えつつ〝武人〟としての〝気〟を、放っている…。
いかなる獣や、人間にも臆さなかった緋炎でさえも身を竦めて唸っていた。
〈こ…こいつ…っ!〉
まだ幼い疾風にも、それが感じ取れた。
じりじりと後退ると翔隆はそのままの態勢で、夜空を見上げた。
「…ただ…俺には、やらねばならぬ事がある…」
「やらねば、ならぬ事…?」
「そう。睦月…義成…拓須に、認めて貰う事…。そして……一族の、〔長〕となるべく…〝力〟を付ける事」
その言葉に、疾風は駭然とする。
「お…――――長になる、だと……!?」
「そうだ。…そう、決めた。父・羽隆が成し得なかった事を、俺が責任を持って受け継ぐ…。それによって主君が狙われようとも、守り抜き…どうしようもない窮地に陥ろうとも、這い上がってみせる。……そうしなければ………俺がやらなければ、ならぬのだ…っ!!」
その言葉は、自分自身に言い聞かせているようでもあった。

  今なら無防備…今なら容易く殺せる!!

そう思いつつも疾風は混乱し、躊躇していた。
そして、今までの人生を思い出す。

  …まだ赤子の時に自分を捨てた憎き父……。
〝主君を持つ〟などという身勝手な事をした為に、自分は捨てられたのだ…と兄・陽炎は言っていた。
5歳から一年間、明朝王国(中華民国)で奴隷として働かされた。
そんな自分を捜し出して、大事に育ててくれた兄…。
その兄はというと、五歳の時から〝人質〟として狭霧の中で苦労を強いられて生きてきた。
 こんなにも自分達が苦しみ藻掻いているというのに、同じ兄弟である翔隆だけが父・羽隆に護られてぬくぬくと幸せに暮らしている―――そう聞いた時、疾風は言いようもない憎悪の念に駆られたのだ。

 それを思い出し、疾風は曲刀を構え直して振り翳す…――――が。
「俺は間違っているかっ!?」
という翔隆の言葉に、ビクリとして止まる。
翔隆はそのまま喋る。
「俺は…肉親に裏切られ、見限られたとしても……一人で! 一族と主君そして……狭霧に狙われる各地の大名達を守っていく!! これは、間違っている事なのかッ?!」
そう言う翔隆の眼は、哀しみと苦しみに満ちていた。
「疾風……俺は…もう、独りだ…。だが、一人でも、何としてでも守らねばならぬ〝もの〟がある。俺には、まだ…」
「うるさいっ!」
耐え切れなくなって、疾風が叫ぶ。
「五月蠅い、五月蠅い! 黙れ、黙れっ黙れえぇぇえっ!!」
叫びながら疾風はガクリと膝をく。
そんな疾風に、心配げに緋炎が擦り寄った。
 …二人の間を、生暖かい風が吹く。
「…なあ、疾風」
その風の様に、自然に話し掛ける。
「俺は、お前の言葉で初めて、陽炎が…〝兄〟であると知った…。陽炎は父を憎み、お前は俺を憎み、…その俺は陽炎を憎んでいる―――。何故、血の繋がる俺達が憎み合い、傷付け合うのだろうな……。親兄弟、恨み合い、罵り合って………」
翔隆は言っている内に、涙を流していた。
心の中で、信長と自分とを重ね見ているのだ。
「…本当に信じる者にも裏切られた者は…一体、何を………何を信じて生きていけば、いいのだろうなぁ……?」
翔隆の独演だ。
既に疾風は戦意喪失して、黙り込んでいる。
「もし…―――俺と生涯敵対するのなら、これだけは……〝己の正義〟だけは、失わないで欲しい。他人に惑わされてはならんのだ…覚えておけ」
返答は無し。
「己で見たもの、己で感じたものを信じて…生きろ。…〝己〟の考えを、大切にしろ。それだけだ…」
そう言うと翔隆は背を向けて、歩き出す。



「己の正義、か…」
それを遠巻きに見守る、塙直政が呟く。
隣には同じく駆け付けて来た、丹羽長秀がいる。


「――――翔隆!!」
 急に、疾風が叫ぶ。
翔隆は立ち止まって、少し振り返った。
すると疾風は、苦悩した表情で翔隆を睨み付ける。
「私は―――貴様らを殺す! それが……それが! 私を育ててくれた兄への恩返しだっ!!」
そう言い放ち疾風は緋炎にまたがり、風の如く消え去ってしまった。
〈―――…弟………か…〉
心で呟き、縁側に座る。
〈そういえば…〝清修せいしゅう〟とかいう男は、父の弟だと言っていたな。〔不知火一族〕に生まれたばかりに…俺も、父も…怨みを買うのだなぁ…〉
己の身を呪うかの様に、そう心で呟く。


 そんな翔隆の所に、長秀がやってくる。
〝一人にしてやろう〟という塙直政の言葉を拒否して、側に来たのだ。
「今宵は暑いなあ」
「長秀殿…」
長秀は明るく笑って隣に座った。
「なあ、翔隆」
「…何です?」
「わたしはな、一つ思うのだ。お主が来てからというもの、この那古野は変わった…。この、僅かな間で…お主は、楽しい気持ちを分けてくれている。生きるか死ぬかの、乱世の中で」
「――――」
「何故かは分からぬが……この先、何があっても〝お主〟が居ると思うと、天すら味方しそうでとても心強くなる」
「そんな…事…」
「ふふ…。お主ならば例え天下の猛将相手でも、その心を掴むのだろうな。そして、味方させる……お主には、そんな魅力がある」
そう言い、長秀はニッと笑ってみせた。
「…今までわたしは、塙さまや内蔵助達にしか心を許さなかった。…だが、お主ならいい」
「え…?」
「お主なら…殿の〝寵愛〟を受けても、妬まずに快く許せる」
「長秀殿、俺は…っ」
言い掛けると、長秀がそれを手で遮る。
「良い! …何も言うな。いつか…お主が総ての武将の信頼を得た時、その時に…――――真実を教えてくれれば、それで良い。…それまでお主は、〝鬼〟のままで良いのだ………」
サワサワと涼しい風が、吹いてきた。
〈鬼のまま…か……〉
翔隆は微笑して立ち上がり、傷を癒す。
「酷く、血が出たな」
苦笑して言うと、長秀は懐から布を取り出して血の付いた床を拭く。
「あっ、済みませんっ」
翔隆は慌てて雑巾を持ってくると、拭き掃除をした。
そんな翔隆の手を拭いてやりながら、長秀は笑顔で言う。
「改まった言い方などよせ。…お主は、殿の認めた信長軍一の軍師なのだから!」
「あ…ありがとう…」
幾分心が和んだのか、二人は互いを見つめて笑い合った。

その光景を見て頷くと、ばん直政はそのまま〝番衆〟の任務に戻っていった。

 だが―――例えあらゆる武将と交流を深め、仲良くなり…〝友〟となったとしても、それは己の首を絞める事となるだけなのだ…。

 その分、〝守るもの〟が増えるだけなのだから…―――。
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