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第三章「侍女ですが、○○○に昇格しました。」
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昔は教会での階級は一番下だと聞いていたのに。
シプリアンは気まずそうに苦笑した。
「私は在野で貧しき者に教えを説く神父でいたかったんですけどね。実家の血筋と身分がそれを許してくれませんでした」
シプリアンはエイエール王国のゴー侯爵家の次男で、幼い頃から聖職者になるべく教育されてきた。この国では長男は家を継いで軍人となり、次男は聖職者、三男以降はまた軍人になる慣習があるからだ。
シプリアンは当初は王都の中央教会で司祭の階級を与えられ、三十歳前後まで幹部としてその運営を担ってきたが、高位聖職者の腐敗ぶりにうんざりしていたらしい。
「酒を飲むわ、女性を抱くわ、裏金を懐に入れるわで、このままでは自分も腐ってしまうと危機感を抱きましてね」
地位も身分も家もすべて捨て、正しい教えを説く旅に出たのだという。その途中、地方の廃教会を発見し、復興のために生涯を捧げようと決めた。
「その地方が伯爵領だったんですね……」
シプリアンは小さく頷き話を続けた。
「できれば彼の地で骨を埋めたかったのですが。八年前実家を継いだ兄が病に倒れましてね。遺言が“教会に戻れ”だったのですよ」
シプリアンが放浪の旅に出たのち、兄は家出をするなど随分立派な令弟様をお持ちだと、中央教会にチクチク嫌味を言われ、肩身の狭い思いをしていたのだとか。その兄の末期の頼みを無碍にもできずに王都に戻ることになった。
以降、順調に出世し今に至るのだとか。
「ソランジュさんはなぜここに?」
「その……成り行きと申しますか……」
まさか、間諜容疑者としてしょっ引かれたのが始まりだったとは言い辛かった。
「伯爵家が取り潰しになった後、こちらで侍女として雇ってもらったんです。アルフ……陛下が手配してくださって」
「なんと。あの家が取り潰しに。仕方がない。神の思し召しですね」
「あはは……」
神ではなくアルフレッドの思し召しなのだが。
ともあれ、旧知のシプリアンと再会できたのは嬉しかった。
シプリアンも同じ思いだったらしく、ソランジュの無事と現在の厚遇について聞き、「天国のお母様も安心してくれたでしょう」と喜んでくれた。「よっこらしょ」と掛け声とともに腰を上げる。
「そろそろ戻らなければ従者が心配します。ソランジュさん、会えて嬉しかったですよ。何か困ったことがあったらいつでも声をかけてくださいね」
「はい! ありがとうございます!」
ソランジュは頭を下げ、シプリアンが立ち去るのを見送った。
さて、帰ろうかと身を翻したところで、いきなりレジスが目の前にいたので、度肝を抜かれて一瞬腰を抜かしそうになる。
「――お嬢さんは枢機卿とお知り合いですか。これは意外な交友関係でしたね」
「え、ええっ⁉」
数歩後ずさり囚人塔とレジスの顔を交互に見る。
「れ、れ、れ、レジス様⁉ 幽閉されていたんじゃ……。まさか脱獄したんですか⁉」
レジスは唇に人差し指を当てて「しーっ」と辺りを見回した。
「蛇の道は蛇と申しまして。すぐに戻りますから内緒にしておいてください」
「……」
もはや胡散臭さがトレードマークのレジスだ。この程度のことで驚いていては心臓が保たない。
ソランジュは息を整えて「かしこまりました……」と頭を下げた。
「でも、どうしてこんなところに?」
「ひとつふたつ聞きたいことがありまして。お嬢さんの御母堂の瞳の色はエメラルドグリーンでしたね」
「は、はい」
「伯爵はブルーグレー。先祖にも黄金色の瞳の主はいない」
「そうです。それが何か……」
「……」
レジスは顎に手を当て何かを考え込んでいる。
「実は、お嬢さんと同じ色の瞳の持ち主が見つかりましてね。しかし、どうも御母堂のご親族ではないようなのですよ」
レジスの言葉が何を意味するのかがわからなかった。
「お嬢さん、伯爵はあなたの父親ではないのでは?」
「……っ」
今まで考えもしなかった指摘に目を見開く。
「で、でも、お母さんは……」
不意に脳裏を亡き母の言葉が過る。
『あなたのお父さんに感謝しなくちゃね。こんなに可愛い宝物を私に授けてくれたんだから……』
思わず口を押さえた。
母は「あなたのお父さん」と言っていたが、それが伯爵だとは言及していない。そして、伯爵を「旦那様」以外の呼び方をしたことはなかった。つまり――。
「じゃあ……私は……誰の娘なんですか?」
自分の誕生日と母が伯爵に引き取られた日を計算すると、伯爵の娘ではない可能性も大いにあると気付く。
しかし、ずっと伯爵の庶子だと思い込んできただけに、今更事実を受け入れることが難しかった。
「現在、確定のために内偵を進めています。しかしまだ――」
そこでレジスの言葉が止まる。
「そこに誰かいるのか?」
「おい、お前は向こうに回れ」
どうやら衛兵が見回りに来たらしい。
「はっきりし次第お知らせしますよ」
レジスはそう言い残すが早いか、やって来た衛兵と反対方向に向かった。そちらからも別の衛兵が来ているはずだが、ソランジュにレジスの心配をする心の余裕はもうなかった。
その場に呆然と立ち尽くす。
「ん? 娘さん、あんた、陛下付きの侍女じゃないか。外に出ちゃ駄目だって言われているだろ? ほら、送るから戻るよ」
衛兵に声を掛けられても、肩を叩かれても気付かなかった。
シプリアンは気まずそうに苦笑した。
「私は在野で貧しき者に教えを説く神父でいたかったんですけどね。実家の血筋と身分がそれを許してくれませんでした」
シプリアンはエイエール王国のゴー侯爵家の次男で、幼い頃から聖職者になるべく教育されてきた。この国では長男は家を継いで軍人となり、次男は聖職者、三男以降はまた軍人になる慣習があるからだ。
シプリアンは当初は王都の中央教会で司祭の階級を与えられ、三十歳前後まで幹部としてその運営を担ってきたが、高位聖職者の腐敗ぶりにうんざりしていたらしい。
「酒を飲むわ、女性を抱くわ、裏金を懐に入れるわで、このままでは自分も腐ってしまうと危機感を抱きましてね」
地位も身分も家もすべて捨て、正しい教えを説く旅に出たのだという。その途中、地方の廃教会を発見し、復興のために生涯を捧げようと決めた。
「その地方が伯爵領だったんですね……」
シプリアンは小さく頷き話を続けた。
「できれば彼の地で骨を埋めたかったのですが。八年前実家を継いだ兄が病に倒れましてね。遺言が“教会に戻れ”だったのですよ」
シプリアンが放浪の旅に出たのち、兄は家出をするなど随分立派な令弟様をお持ちだと、中央教会にチクチク嫌味を言われ、肩身の狭い思いをしていたのだとか。その兄の末期の頼みを無碍にもできずに王都に戻ることになった。
以降、順調に出世し今に至るのだとか。
「ソランジュさんはなぜここに?」
「その……成り行きと申しますか……」
まさか、間諜容疑者としてしょっ引かれたのが始まりだったとは言い辛かった。
「伯爵家が取り潰しになった後、こちらで侍女として雇ってもらったんです。アルフ……陛下が手配してくださって」
「なんと。あの家が取り潰しに。仕方がない。神の思し召しですね」
「あはは……」
神ではなくアルフレッドの思し召しなのだが。
ともあれ、旧知のシプリアンと再会できたのは嬉しかった。
シプリアンも同じ思いだったらしく、ソランジュの無事と現在の厚遇について聞き、「天国のお母様も安心してくれたでしょう」と喜んでくれた。「よっこらしょ」と掛け声とともに腰を上げる。
「そろそろ戻らなければ従者が心配します。ソランジュさん、会えて嬉しかったですよ。何か困ったことがあったらいつでも声をかけてくださいね」
「はい! ありがとうございます!」
ソランジュは頭を下げ、シプリアンが立ち去るのを見送った。
さて、帰ろうかと身を翻したところで、いきなりレジスが目の前にいたので、度肝を抜かれて一瞬腰を抜かしそうになる。
「――お嬢さんは枢機卿とお知り合いですか。これは意外な交友関係でしたね」
「え、ええっ⁉」
数歩後ずさり囚人塔とレジスの顔を交互に見る。
「れ、れ、れ、レジス様⁉ 幽閉されていたんじゃ……。まさか脱獄したんですか⁉」
レジスは唇に人差し指を当てて「しーっ」と辺りを見回した。
「蛇の道は蛇と申しまして。すぐに戻りますから内緒にしておいてください」
「……」
もはや胡散臭さがトレードマークのレジスだ。この程度のことで驚いていては心臓が保たない。
ソランジュは息を整えて「かしこまりました……」と頭を下げた。
「でも、どうしてこんなところに?」
「ひとつふたつ聞きたいことがありまして。お嬢さんの御母堂の瞳の色はエメラルドグリーンでしたね」
「は、はい」
「伯爵はブルーグレー。先祖にも黄金色の瞳の主はいない」
「そうです。それが何か……」
「……」
レジスは顎に手を当て何かを考え込んでいる。
「実は、お嬢さんと同じ色の瞳の持ち主が見つかりましてね。しかし、どうも御母堂のご親族ではないようなのですよ」
レジスの言葉が何を意味するのかがわからなかった。
「お嬢さん、伯爵はあなたの父親ではないのでは?」
「……っ」
今まで考えもしなかった指摘に目を見開く。
「で、でも、お母さんは……」
不意に脳裏を亡き母の言葉が過る。
『あなたのお父さんに感謝しなくちゃね。こんなに可愛い宝物を私に授けてくれたんだから……』
思わず口を押さえた。
母は「あなたのお父さん」と言っていたが、それが伯爵だとは言及していない。そして、伯爵を「旦那様」以外の呼び方をしたことはなかった。つまり――。
「じゃあ……私は……誰の娘なんですか?」
自分の誕生日と母が伯爵に引き取られた日を計算すると、伯爵の娘ではない可能性も大いにあると気付く。
しかし、ずっと伯爵の庶子だと思い込んできただけに、今更事実を受け入れることが難しかった。
「現在、確定のために内偵を進めています。しかしまだ――」
そこでレジスの言葉が止まる。
「そこに誰かいるのか?」
「おい、お前は向こうに回れ」
どうやら衛兵が見回りに来たらしい。
「はっきりし次第お知らせしますよ」
レジスはそう言い残すが早いか、やって来た衛兵と反対方向に向かった。そちらからも別の衛兵が来ているはずだが、ソランジュにレジスの心配をする心の余裕はもうなかった。
その場に呆然と立ち尽くす。
「ん? 娘さん、あんた、陛下付きの侍女じゃないか。外に出ちゃ駄目だって言われているだろ? ほら、送るから戻るよ」
衛兵に声を掛けられても、肩を叩かれても気付かなかった。
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