32 / 60
第三章「侍女ですが、○○○に昇格しました。」
(6)
しおりを挟む
「――陛下、その娘は危険です!」
アルフレッドを呼ぶ声がドミニクのそれに掻き消される。
「地下室にはあの魔術師の研究室があるはず。君たちは何をしていた⁉」
だが、アルフレッドはドミニクには構わず、ソランジュのぐったりした体を抱き上げると、身を翻すが早いか「俺の専属医を呼べ」と命じた。
「陛下!」
漆黒の瞳がドミニクを見据える。
「聞こえなかったのか。医師を呼べと言っている」
「……っ」
ドミニクはぐっと唇を悔しそうに噛み締めた。それでも胸に手を当て「……かしこまりました」と唸るように返す。最後にアルフレッドの腕の中のソランジュをギリリと睨み付け、このままでは済まさないとばかりに荒々しい音を立てて廊下を歩いて行った。
ソランジュはドミニクの足音を遠くに聞きながら、視界が次第に暗くなっていくのを感じていた。アルフレッドが口を動かし何か言っていたが、もうその声を聞き取ることはできなかった。
☆☆☆
パチパチと何かが弾ける音が聞こえる。
「……ん」
やっとの思いで重い瞼を開けると、そこは医務室付属の部屋で、先ほどの音は暖炉の火の音だった。
その暖炉を塞ぐようにして、ベッド近くの椅子に長身の黒衣の男が腰掛けている。
男がアルフレッドなのだと気付き、ソランジュは慌てて起き上がろうとしたが、すぐにベッドに押さえ付けられてしまった。
「もうしばらく寝ていろ」
当分侍女の仕事はしなくてもいいと告げられ、ソランジュは「でも……」と口を開いた。
「命令だ」
「……」
そう言われるともう何も言えなくなってしまう。
窓の外はまだ真っ暗だが、アルフレッドが寝間着でないということは、もう日付が変わって夜明け近くなのだろう。まさかとは思うが、寝ずの看病をしていたわけではあるまい。
アルフレッドは手を伸ばしてソランジュの頭を撫でた。
「貧血だそうだ。栄養を取って寝ていれば回復するから案ずるな」
「あ、あの……」
まさか、わざわざ見舞いに来てくれたのだろうか。それ以前になぜ地下の研究室に行っていたのか問い質さないのか。
「今はゆっくりしていろ」
「……」
気遣ってくれているのだと知って涙が出そうになった。
「申し訳、ございません……」
「なぜ謝る」
「その……」
「いいから寝ていろ」
アルフレッドはこの部屋から出て行くつもりはないようで、足と腕を組んで窓の外に目を向けている。
ソランジュはアルフレッドがなぜそんな行動を取るのかをよく知っていた。
「夜明けを、待っているんですか……?」
漆黒の双眸がソランジュに向けられる。
「お前は俺のことをなんでも知っているな」
「……そんなこと、ありませんよ」
アルフレッドの体温も、手の大きさも、優しさも小説には何も書かれていなかった。
「知らないこと、たくさんあります。本当にたくさん……」
「……もう何も言うな」
再びアルフレッドの手がソランジュの髪に埋められる。
ソランジュはその温もりを感じながら目を閉じた。
――アルフレッドが時折こうして夜明けを待つ理由。
それは地下牢に幽閉されながらも、まだなんとか人の形と精神を保っていた頃、幼い王子を哀れんだ番人が聞かせた伝説にあった。
この世界のこの時代の世界地図にはエイエール王国や「白鹿の女王」の舞台である小国ルーガのあるフェサード大陸、フェサード大陸南西に位置するカイルアン大陸、北西のアスローン島群しか描かれていない。
東洋はまだ何者も到達したことのない伝説でしかなかったのだ。
番人は誰から聞いたのか、その伝説をアルフレッドに語り聞かせた。
この大陸の日の昇る方角――東の果てには海があり、海の果てには決して日の落ちない、闇のない、光に溢れた東洋の国がある。
闇しか知らなかったアルフレッドは、闇のない国を想像できなかった。だからこそ彼方にあるその国に焦がれた。
アルフレッドがファサード大陸を制覇しようとしている理由のひとつは、その国に行くためではないかとソランジュは考えていた。
「アルフレッド様の夢……きっと叶いますよ」
ソランジュは小説「黒狼戦記」のラストシーンを思い出していた。
アルフレッドを呼ぶ声がドミニクのそれに掻き消される。
「地下室にはあの魔術師の研究室があるはず。君たちは何をしていた⁉」
だが、アルフレッドはドミニクには構わず、ソランジュのぐったりした体を抱き上げると、身を翻すが早いか「俺の専属医を呼べ」と命じた。
「陛下!」
漆黒の瞳がドミニクを見据える。
「聞こえなかったのか。医師を呼べと言っている」
「……っ」
ドミニクはぐっと唇を悔しそうに噛み締めた。それでも胸に手を当て「……かしこまりました」と唸るように返す。最後にアルフレッドの腕の中のソランジュをギリリと睨み付け、このままでは済まさないとばかりに荒々しい音を立てて廊下を歩いて行った。
ソランジュはドミニクの足音を遠くに聞きながら、視界が次第に暗くなっていくのを感じていた。アルフレッドが口を動かし何か言っていたが、もうその声を聞き取ることはできなかった。
☆☆☆
パチパチと何かが弾ける音が聞こえる。
「……ん」
やっとの思いで重い瞼を開けると、そこは医務室付属の部屋で、先ほどの音は暖炉の火の音だった。
その暖炉を塞ぐようにして、ベッド近くの椅子に長身の黒衣の男が腰掛けている。
男がアルフレッドなのだと気付き、ソランジュは慌てて起き上がろうとしたが、すぐにベッドに押さえ付けられてしまった。
「もうしばらく寝ていろ」
当分侍女の仕事はしなくてもいいと告げられ、ソランジュは「でも……」と口を開いた。
「命令だ」
「……」
そう言われるともう何も言えなくなってしまう。
窓の外はまだ真っ暗だが、アルフレッドが寝間着でないということは、もう日付が変わって夜明け近くなのだろう。まさかとは思うが、寝ずの看病をしていたわけではあるまい。
アルフレッドは手を伸ばしてソランジュの頭を撫でた。
「貧血だそうだ。栄養を取って寝ていれば回復するから案ずるな」
「あ、あの……」
まさか、わざわざ見舞いに来てくれたのだろうか。それ以前になぜ地下の研究室に行っていたのか問い質さないのか。
「今はゆっくりしていろ」
「……」
気遣ってくれているのだと知って涙が出そうになった。
「申し訳、ございません……」
「なぜ謝る」
「その……」
「いいから寝ていろ」
アルフレッドはこの部屋から出て行くつもりはないようで、足と腕を組んで窓の外に目を向けている。
ソランジュはアルフレッドがなぜそんな行動を取るのかをよく知っていた。
「夜明けを、待っているんですか……?」
漆黒の双眸がソランジュに向けられる。
「お前は俺のことをなんでも知っているな」
「……そんなこと、ありませんよ」
アルフレッドの体温も、手の大きさも、優しさも小説には何も書かれていなかった。
「知らないこと、たくさんあります。本当にたくさん……」
「……もう何も言うな」
再びアルフレッドの手がソランジュの髪に埋められる。
ソランジュはその温もりを感じながら目を閉じた。
――アルフレッドが時折こうして夜明けを待つ理由。
それは地下牢に幽閉されながらも、まだなんとか人の形と精神を保っていた頃、幼い王子を哀れんだ番人が聞かせた伝説にあった。
この世界のこの時代の世界地図にはエイエール王国や「白鹿の女王」の舞台である小国ルーガのあるフェサード大陸、フェサード大陸南西に位置するカイルアン大陸、北西のアスローン島群しか描かれていない。
東洋はまだ何者も到達したことのない伝説でしかなかったのだ。
番人は誰から聞いたのか、その伝説をアルフレッドに語り聞かせた。
この大陸の日の昇る方角――東の果てには海があり、海の果てには決して日の落ちない、闇のない、光に溢れた東洋の国がある。
闇しか知らなかったアルフレッドは、闇のない国を想像できなかった。だからこそ彼方にあるその国に焦がれた。
アルフレッドがファサード大陸を制覇しようとしている理由のひとつは、その国に行くためではないかとソランジュは考えていた。
「アルフレッド様の夢……きっと叶いますよ」
ソランジュは小説「黒狼戦記」のラストシーンを思い出していた。
応援ありがとうございます!
2
お気に入りに追加
2,356
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる