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第二章「容疑者ですが、侍女に昇格しました。」
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☆☆☆
ソランジュは信じられない思いでつばを飲み込んだ。
――まさかムショ飯を食う日が来るとは思わなかった。
ムショ飯といってもてっきり鉄格子の下から臭い飯を差し入れられるのかと思いきや、女中らしき優しそうな中年女性がやってきて、王宮の一室に案内してくれたので驚いた。
それから約一時間後の現在、テーブルの上には湯気の立つ料理が並べられている。
女性は焼き立ての鶏肉のローストを切り分けてくれた。
「お代わりはたくさんありますからどんどん食べてくださいね」
ローストだけではなくベーコンと野菜のスープ、デザートの干しイチジクとレーズンまである。
何よりも嬉しかったものは白いパンだった。
伯爵邸では残飯しか与えられなかったので、パンはくずか欠片しか口にしたことがない。それに湯を足してパン粥にして飢えを凌いでいた。
「ほ、本当にこれを全部食べてもいいんですか?」
「そりゃねえ、お嬢さんのために作ったんですからね」
「……!」
こんな豪勢な食事を毎日食べられるのなら、もう一生容疑者でいいと感動する。
恐る恐るパンを千切って一口食べると、口の中に小麦の香ばしい甘味が広がった。
「美味しい……」
泣けそうなほどに美味しかった。
王都までの旅路でもちゃんと食事は与えられていたが、兵糧なのか保存食の雑穀の堅パンや干し肉、ラム酒などの冷たく堅いものが多かった。
驚いたのはアルフレッドも文句も言わずに、雑兵やソランジュと同じものを口にしていたことだ。
黒狼戦記では食事の描写はほとんどなかったので知らなかったのだが、アルフレッドの場合王様だからといって戦場でも酒池肉林というわけではないようだ。
しかし、やはり王宮の食事はムショ飯ですら別格なのだろう。
なのに、すぐに胸焼けしてしまう我が身が悲しかった。
「あの……すみません。この料理、残したら取っておけますか」
「それはもちろん……って、新しく作り直しますよ。もうお腹一杯なんですか?」
「も、申し訳ありません……」
パンを平らげローストを一切れ食べると、もうそれ以上入らなくなってしまったのだ。
――アルフレッドとレジスは食事中のソランジュと女中の会話を扉の外で聞いていた。
レジスがくすくすと笑う。
「倒れたと聞いて慌てましたが、まさか"お腹が空いた"ですか。その割には食事を取ったとも言えない量しか食べていないようですね」
アルフレッドが扉に背を向けてぽつりと呟く。
「恐らく長年まともな食事をして来なかったので、食べたくても胃に入らないのだろう」
重い実感の込められた声だった。
そのまま廊下を大股で歩き出す。
レジスはアルフレッドから数歩遅れて歩き出した。
「ということは、魔に耐性があったところで、肉体そのものはか弱い女性でしかないということですか」
「……背には鞭の痕もあった。傷が癒えないうちにまた打たれたようだな。一度や二度でできるものではない」
あのあとソランジュがベッドに倒れ伏した際、白い肌にいくつも刻み込まれた傷跡を見てはっとした。
「ふむ、なるほど」
レジスの口調はどこか楽しそうだった。
「お嬢さんは地方貴族の愛人の娘でしたか。正妻に虐待されるのはよくある話ですよ」
「ああ、そうだな」
「陛下、まさか、お嬢さんを哀れだと思われているのですか? らしくもない」
足を止めアルフレッドの背を見つめる。
「陛下に従わぬ貴族の領地を、他国を侵略し、蹄と軍靴で街を、家を、民草を踏み躙り、お嬢さんのような境遇の女子どもを増やしてきたのは他ならぬ陛下ですのに? お嬢さんを娼婦扱いし、純潔を奪い、なおも辱めたのも陛下でしょう」
レジスはアルフレッドに物怖じせず、平気で皮肉をいう唯一の臣下だ。それだけの力と価値があると自負しているのだろう。
アルフレッドはそんなレジスを気に入っていたが、この時だけは無表情のまま自分の苛立ちを押し通した。
「――それでも気に食わん」
レジスが息を呑んでその場に立ち尽くし、やがて「申し訳ございません」と胸に手を当て頭を下げた。
「過ぎた発言をしてしまいました。……陛下、お嬢さんをどうなさるおつもりですか。スパイの容疑者には変わりないでしょう」
「……」
アルフレッドはレジスを振り返り、「黒狼戦記という書物を聞いたことがないか」と尋ねた。
レジスははっと濃紫の目をわずかに見開いた。
「その書物の名をお嬢さんが口にしていたんですか?」
ソランジュは信じられない思いでつばを飲み込んだ。
――まさかムショ飯を食う日が来るとは思わなかった。
ムショ飯といってもてっきり鉄格子の下から臭い飯を差し入れられるのかと思いきや、女中らしき優しそうな中年女性がやってきて、王宮の一室に案内してくれたので驚いた。
それから約一時間後の現在、テーブルの上には湯気の立つ料理が並べられている。
女性は焼き立ての鶏肉のローストを切り分けてくれた。
「お代わりはたくさんありますからどんどん食べてくださいね」
ローストだけではなくベーコンと野菜のスープ、デザートの干しイチジクとレーズンまである。
何よりも嬉しかったものは白いパンだった。
伯爵邸では残飯しか与えられなかったので、パンはくずか欠片しか口にしたことがない。それに湯を足してパン粥にして飢えを凌いでいた。
「ほ、本当にこれを全部食べてもいいんですか?」
「そりゃねえ、お嬢さんのために作ったんですからね」
「……!」
こんな豪勢な食事を毎日食べられるのなら、もう一生容疑者でいいと感動する。
恐る恐るパンを千切って一口食べると、口の中に小麦の香ばしい甘味が広がった。
「美味しい……」
泣けそうなほどに美味しかった。
王都までの旅路でもちゃんと食事は与えられていたが、兵糧なのか保存食の雑穀の堅パンや干し肉、ラム酒などの冷たく堅いものが多かった。
驚いたのはアルフレッドも文句も言わずに、雑兵やソランジュと同じものを口にしていたことだ。
黒狼戦記では食事の描写はほとんどなかったので知らなかったのだが、アルフレッドの場合王様だからといって戦場でも酒池肉林というわけではないようだ。
しかし、やはり王宮の食事はムショ飯ですら別格なのだろう。
なのに、すぐに胸焼けしてしまう我が身が悲しかった。
「あの……すみません。この料理、残したら取っておけますか」
「それはもちろん……って、新しく作り直しますよ。もうお腹一杯なんですか?」
「も、申し訳ありません……」
パンを平らげローストを一切れ食べると、もうそれ以上入らなくなってしまったのだ。
――アルフレッドとレジスは食事中のソランジュと女中の会話を扉の外で聞いていた。
レジスがくすくすと笑う。
「倒れたと聞いて慌てましたが、まさか"お腹が空いた"ですか。その割には食事を取ったとも言えない量しか食べていないようですね」
アルフレッドが扉に背を向けてぽつりと呟く。
「恐らく長年まともな食事をして来なかったので、食べたくても胃に入らないのだろう」
重い実感の込められた声だった。
そのまま廊下を大股で歩き出す。
レジスはアルフレッドから数歩遅れて歩き出した。
「ということは、魔に耐性があったところで、肉体そのものはか弱い女性でしかないということですか」
「……背には鞭の痕もあった。傷が癒えないうちにまた打たれたようだな。一度や二度でできるものではない」
あのあとソランジュがベッドに倒れ伏した際、白い肌にいくつも刻み込まれた傷跡を見てはっとした。
「ふむ、なるほど」
レジスの口調はどこか楽しそうだった。
「お嬢さんは地方貴族の愛人の娘でしたか。正妻に虐待されるのはよくある話ですよ」
「ああ、そうだな」
「陛下、まさか、お嬢さんを哀れだと思われているのですか? らしくもない」
足を止めアルフレッドの背を見つめる。
「陛下に従わぬ貴族の領地を、他国を侵略し、蹄と軍靴で街を、家を、民草を踏み躙り、お嬢さんのような境遇の女子どもを増やしてきたのは他ならぬ陛下ですのに? お嬢さんを娼婦扱いし、純潔を奪い、なおも辱めたのも陛下でしょう」
レジスはアルフレッドに物怖じせず、平気で皮肉をいう唯一の臣下だ。それだけの力と価値があると自負しているのだろう。
アルフレッドはそんなレジスを気に入っていたが、この時だけは無表情のまま自分の苛立ちを押し通した。
「――それでも気に食わん」
レジスが息を呑んでその場に立ち尽くし、やがて「申し訳ございません」と胸に手を当て頭を下げた。
「過ぎた発言をしてしまいました。……陛下、お嬢さんをどうなさるおつもりですか。スパイの容疑者には変わりないでしょう」
「……」
アルフレッドはレジスを振り返り、「黒狼戦記という書物を聞いたことがないか」と尋ねた。
レジスははっと濃紫の目をわずかに見開いた。
「その書物の名をお嬢さんが口にしていたんですか?」
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