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第一章「一行モブ女ですが、容疑者に昇格しました。」
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ソランジュの朝は早い。
夜明け前に目覚め、屋敷裏手にある井戸で水を汲み、その後薪を倉庫に取りにいき、火を起こしてお湯を沸かす。
夏ならまだいいが、晩秋の今は底冷えがし、毎朝水の入った重い桶を持つせいで、手はカサカサで皸がいくつもできていた。
食事もパンとスープだけの粗末なもののせいか、まだ十七歳だというのに手は折れそうに細く儚い。顔色は青ざめていて、結い上げられた金髪にも艶がなかった。
使用人口から屋敷に戻り、薪をくべてお湯を沸かす。続いて身なりを整え、再び盥を手にし、二階の奥方の寝室へ運んでいく。
「奥様、洗顔のお湯をお持ちしました」
「……入って」
奥方は先ほど起きたばかりなのか寝ぼけ眼だ。しかし、ソランジュの顔を見るなり視線が途端にきつくなった。
「ったく、どうして朝からお前の顔なんて見なければならないのかしら。不愉快だわ」
「……申し訳ございません」
事業が失敗したのに生活レベルを下げられず、贅沢三昧を続けてきたため、もはやまともな使用人を雇う金もないからだとは言えなかった。
まず数年前、代々仕えてきた凄腕の執事が愛想を尽かして出ていった。その執事を慕っていたメイドや従者、庭師に専属シェフも付き従って辞職している。
そして現在、身分の低い愛人の娘だからと疎まれ、虐げられていたソランジュが使用人の仕事を押し付けられている。
しかし、いくらなんでも一人ですべてをこなすのは難しい。
屋敷の掃除、洗濯、料理や名ばかりの家族の世話くらいはなんとかなるが、庭園の手入れやドレスの手入れなどは専門家でなければ無理だ。
ソランジュも努力してはいるのだが、手が足りずにどんどん庭園は荒れ果て、ドレスの一部は刺繍が解れている。
なのに、伯爵に進言しても「なんとかしろ」としか言わない。奥方に至っては愛人の娘の話など聞こうともしないし、聞いたところで怒鳴られ、暴力を振るわれるだけだ。
何もしていなくても機嫌が悪いと八つ当たりされるのに。
奥方は気怠げに体を起こすと、洗面器に手を入れ、ジロリとソランジュを睨めつける。
「ちょっと、こっちに来なさい」
「は、はい、なんでしょう」
「まだぬるいじゃない」
「えっ」
そんなはずはない。以前も似たようなことがあったので、湯加減には細心の注意を払っていたのだから。
だが、ソランジュに言い訳は許されていない。
「申し訳ございません。すぐに温め直して――」
奥方が無言で手洗を掴む。あっと思った次の瞬間には、湯気の立つお湯を頭からかけられた。
「……っ」
髪から水滴がポタポタと落ちる。メイドのお仕着せはずぶ濡れになっていた。
「最初からやり直して。まったく、いつになったらまともな仕事ができるの」
「……申し訳ございません」
唇を噛み締めながら頭を下げる。
「すぐに新しいお湯を沸かしてまいります」
今日も罰として食事を抜かれるのだろう。
だが、悲しいかな、ソランジュはすでに嫌がらせにも空腹にも慣れてしまっていた。
慣れるしかなかったのだ。
夜明け前に目覚め、屋敷裏手にある井戸で水を汲み、その後薪を倉庫に取りにいき、火を起こしてお湯を沸かす。
夏ならまだいいが、晩秋の今は底冷えがし、毎朝水の入った重い桶を持つせいで、手はカサカサで皸がいくつもできていた。
食事もパンとスープだけの粗末なもののせいか、まだ十七歳だというのに手は折れそうに細く儚い。顔色は青ざめていて、結い上げられた金髪にも艶がなかった。
使用人口から屋敷に戻り、薪をくべてお湯を沸かす。続いて身なりを整え、再び盥を手にし、二階の奥方の寝室へ運んでいく。
「奥様、洗顔のお湯をお持ちしました」
「……入って」
奥方は先ほど起きたばかりなのか寝ぼけ眼だ。しかし、ソランジュの顔を見るなり視線が途端にきつくなった。
「ったく、どうして朝からお前の顔なんて見なければならないのかしら。不愉快だわ」
「……申し訳ございません」
事業が失敗したのに生活レベルを下げられず、贅沢三昧を続けてきたため、もはやまともな使用人を雇う金もないからだとは言えなかった。
まず数年前、代々仕えてきた凄腕の執事が愛想を尽かして出ていった。その執事を慕っていたメイドや従者、庭師に専属シェフも付き従って辞職している。
そして現在、身分の低い愛人の娘だからと疎まれ、虐げられていたソランジュが使用人の仕事を押し付けられている。
しかし、いくらなんでも一人ですべてをこなすのは難しい。
屋敷の掃除、洗濯、料理や名ばかりの家族の世話くらいはなんとかなるが、庭園の手入れやドレスの手入れなどは専門家でなければ無理だ。
ソランジュも努力してはいるのだが、手が足りずにどんどん庭園は荒れ果て、ドレスの一部は刺繍が解れている。
なのに、伯爵に進言しても「なんとかしろ」としか言わない。奥方に至っては愛人の娘の話など聞こうともしないし、聞いたところで怒鳴られ、暴力を振るわれるだけだ。
何もしていなくても機嫌が悪いと八つ当たりされるのに。
奥方は気怠げに体を起こすと、洗面器に手を入れ、ジロリとソランジュを睨めつける。
「ちょっと、こっちに来なさい」
「は、はい、なんでしょう」
「まだぬるいじゃない」
「えっ」
そんなはずはない。以前も似たようなことがあったので、湯加減には細心の注意を払っていたのだから。
だが、ソランジュに言い訳は許されていない。
「申し訳ございません。すぐに温め直して――」
奥方が無言で手洗を掴む。あっと思った次の瞬間には、湯気の立つお湯を頭からかけられた。
「……っ」
髪から水滴がポタポタと落ちる。メイドのお仕着せはずぶ濡れになっていた。
「最初からやり直して。まったく、いつになったらまともな仕事ができるの」
「……申し訳ございません」
唇を噛み締めながら頭を下げる。
「すぐに新しいお湯を沸かしてまいります」
今日も罰として食事を抜かれるのだろう。
だが、悲しいかな、ソランジュはすでに嫌がらせにも空腹にも慣れてしまっていた。
慣れるしかなかったのだ。
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