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レイノルズ邸の悪魔

王宮の公爵令嬢

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レイノルズ翁は、悪魔を飼っている。
その悪魔は、この国を破滅に導こうといつでもあらゆる手練手管を使って、すべての者につけこんでくる。
その悪魔は悪鬼、魔性となって襲いかかる。
優しい声音で破滅を呼ぶ。悪魔には誠実さも真心もない。
レイノルズ邸の悪魔には、気をつけなくてはならない。
その悪魔の名前は……




「アイリス様、レイノルズ公爵様がお目通り願いたいとのことでございます」
歴史の授業の課題の途中、私が年表と格闘しているとき、トリスが入ってきて深々と頭をさげた。
「ええ、お願い」
私の答えを待って、トリスは再び足音もなく奥へさがった。

「トリスタンはいつみても優雅だわ…」
ちょっと退屈してきていたのか、クロードの妹姫、ペルシュが鉛筆をくるくる回して言った。

その鉛筆をとりあげて、姉姫のアリエッタがため息をつく。
「行儀がわるいわペルシュ、ルーファス様がこれからいらっしゃるのに。みられたらがっかりよ」
「あら、私は平気よ、公爵なんて好かれたいとおもってないもの、お姉さまみたいにガツガツしてないし」

そう言って姉姫のもっていた鉛筆を無理やりうばいかえした。
「誰がガツガツしてるですって!」

この二人は寄ると触るとこうして言い合いになる。しばらく静観していたものの、このままではルーファスが来た頃にはとりかえしのつかない掴み合いが起きてしまいそうだ。

こほん、とひとつ咳払いをし、
「トリス、お茶の用意をお願い」
と、トリスを呼んだ。

二人は一瞬固まってから、トリスがでてくるまでの間に乱れた服や髪を直して、椅子をひいて座り直した。

この二人はトリスのことを、孤独で規律に厳しいけれど、優雅な独身の職業婦人と思っていて、いつかあんなふうに働きたいらしい。

残念ながら多分王女をメイドに雇う家なんてないと思うけれど。



トリスのことは、早々にロマンチック好きの王妃さまからこの姫君たちに、かなり過剰な演出つきで伝わった。

もはや二人のなかでは、トリスは失われた大陸の鍵を握る王女か、あるいは亡くなったダイヤモンド王の行方不明の娘とかそういうものになっているようで、私の知っている実際のトリスとは、かなりイメージがちがっているみたいなのだ。


「いつか正体がばれて、がっかりさせるんじゃないかしら」
わたしがそう言うと、
「勝手に盛り上がって勝手にがっかりしないでほしいなあ」
と、トリスはいつも言っている。


「トリスがお嫁に行ったら、お二人はどうされるんです?」
私がこの王宮にきて3年が過ぎ、私は16、トリスは19になった。

この国の19は適齢期を少々出てしまっているのだけれど、トリスはこの3年で見た目も身のこなしも素晴らしく成長して、王宮にあがる行儀見習いの貴族令嬢にひけをとらないほどになり、見初めた出入りの商家や、なんと貴族からも私のところへ紹介して欲しいとお嫁入りの話が、次々にきている。
私もルーファスも、良い縁談があれば是非と思うけど、今のところ本人にその気がないようだ。

「あら、だってトリスタンは待っているのよ」
ペルシュは唇をとがらせた。
「ばかね、ルーファス様は違うっていってたわよ?」
アリエッタも同じような表情をした。
二人が言っているのは、トリスには誰か想うひとがいるのではないのか、ということだ。


私はトリスが、もしかしたらオックスを待っているのでは、と思うことがある。
でも、オックスはあれきり三年も会っていないのだ。
時折公爵邸を訪れてはいるものの、ルーファスと仕事の話しかしていないみたいだし、トリスのことどころか私との約束さえ忘れているのでは、と思うことさえある。

あの日オックスが言った通り、レンブラントの身元がわかれば戻ってこれるのかしら、とも思うけれどおじいさまの態度からしてそれも難しくなってしまって。
今の私に、レイノルズ邸へできることはとても少なくなってしまっていた。

しかし、あのときオックスの手紙にあった
『公爵と相続人が危険』
という言葉が、いつでも抜けない刺みたいに私を苛んでいた。

公爵邸から離れてしまったうえ、こんなに時間がたってしまった。なんとかしなくてはならないのに、私はなにもできない。




「レディ・レイノルズ!」


二人の姫の声に、はっと我にかえった。慌てた拍子に持っていた鉛筆を転がして床へおとしてしまう。

「大丈夫?疲れたのかな」
拾うためにしゃがんだ背中は、緋色に近い赤毛をきれいにとかしつけたルーファスのものだ。
「はい」
机のうえにある歴史の年表のうえに、鉛筆をおいた。

「ああ、ジゼリア戦記のあたりだね」
有名な英雄譚の名前をあげて、ルーファスがそっと一部分を指した。
「ここのあたりから物語がはじまるのかな」

それを聞いてアリエッタが、まあ、と声をあげてルーファスにとびついた。
「どのあたりでしょう?」
ペルシュも年表を覗きこみにくる。
「あれって本当にあったことですの?」


流石ルーファスだわ、と私は感心しながら2人の姫君が年表を完成させるのをみていた。先ほどまでは私一人が格闘していて、姫君たちはあまり身がはいらない様子だったのに。
メロドラマティックで有名な英雄譚の名前をだされて、二人のやる気が俄然わいたらしい。まあ、アリエッタはルーファスにいいところを見せたいだけかもしれないけど。

とにかく、年表は完成し、あとで私と三人で歴史の教師まで提出しましょ、ということで姫君ふたりはルーファスに丁寧に礼を言って、休憩にかけだしていった。





「ごめんね、勉強があるのに」
ルーファスは申し訳なさそうに言ってから、さっきまで姫君がすわっていた椅子へ腰をおろした。
「いいえ。…なにかありましたの?」
ルーファスは片足を立てて座り、顔を伏せた。こんなふうに行儀の悪い座り方をするようなことは、ルーファスにはとても珍しい。

「クララベル男爵令嬢を王宮に上げるから、後ろ楯をしてくれないかと、御大から手紙がきたよ」
ええ、と私が頷くと、ルーファスはふかぶかとため息をついて頭をかかえた。

何時もは頼りになる相談役であるおじいさまが、レンブラントには何故、ああも唯々諾々と従うのかとても不自然で、ルーファスも無下に突っぱねられずにいるようだ。

それから、蟀谷あたりをおさえては揉みほぐし、意を決したように私の方をみた。
鳶色の瞳が、日の光を反射して琥珀色にみえる。

「バルトが死んだよ。毒を食べたんだ」

その琥珀色は怒りと哀しみで、燃えるように揺らめいていた。
























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