傲慢な人

村さめ

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 安曇と会う日は、家へ行ってご飯を作るようになった。母さんに作り置きできるレシピを教わったり自分で調べたり。料理の腕前もだんだん向上して楽しくなってきていた。安曇は味の感想こそ言わないが、いつも残さず食べてくれる。

 食事を共にしながら、少しずつ普通に会話もできるようになった。安曇は僕が進学したと思い込んでいるらしい。聞かれたけど、何となく誤魔化してしまった。代わりに彼の大学生活について訊ねると、講義のことや、入ったサークルのことなんかをぽつぽつと話してくれた。借金のことがなければ、僕もそんな風に過ごしていたのかな。高校時代の話もたくさんした。接点のなかった僕らだけど、共有できる思い出を探すことは楽しかった。安曇はやっぱり寡黙で、会話は途切れ途切れだったが、意外と話が尽きない。

(もっと早くに、こうして話せていればよかったのにな)

 僕らの関係は、まともなものとは言い難い。僕は未だに安曇からお金を受け取っている。回数を重ねることで、その金額は莫大と言えるものになってしまっていた。

 食事の後には、相変わらず安曇に抱かれた。最近の彼は本当に優しくて、セックスもいい意味で普通。ホテルじゃなくて自分の部屋だから、あまり無茶なことをしないようにしているのかもしれない。それでも、幸せだった。

 そんな風に浮かれていた代償だろうか。

 仕事で大きなミスをした。僕のせいで大口の取引先が消えたと激昂する上司に罵倒され、頭から珈琲をぶちまけられた。早退することになったが、そんな状態で電車に乗るのも気が引けてしまい、隠れるように徒歩で家へと向かう。

 途中、僕も通うはずだった大学の近くを通りかかる。ちょうど講義が終わる時間帯なのか、大学生らしき若者が大勢歩いている。去年の今頃は、僕も楽しいキャンパスライフを思い描いていた。全て無駄になるなんて知りもせずに、懸命に勉強して、合格を知った時は本当にうれしかった。学びたい事がたくさんあった。道ゆく学生たちがきらきらと輝いて見える。眩しくて仕方がなく、逃げるように通り過ぎた。

 とぼとぼと家にたどり着くと、母と妹はまだ帰っていなかった。汚れたスーツを一旦袋に詰め、シャワーを浴びて、布団に倒れ込む。とにかく早く意識を手放したかった。

 少しも寝た気がしないのに、目を開けたらすでに日が落ちている。今日が安曇の家は行く日であったことを思い出す。もう約束の時間を少し過ぎている。準備もそこそこに慌てて家を飛び出した。

 安曇の顔が見たい。弱音を話すわけにはいかないけれど、何でもいいから話がしたい。安曇の体温を感じたい。

 駅から安曇のマンションへ向かう途中。

「ヒロくん?」

 何となく聞き覚えのある声だったので足を止める。ヒロというのが、久しく使っていない、パパ活用の偽名であったことを思い出す。

「ヒロくん!? やっぱりヒロくんだね!?」

「あなたは……」

 そうだこの人は、安曇と再会した日に会っていた田中さん。安曇に連絡先を消され、ろくに挨拶もせずそれきりになってしまっていた。まさか偶然会うなんて。

「変な男に連れ去られたっきり音沙汰なくて、とても心配していたんだよ!」

「す、すみません。事情があって連絡できなくて……」

「事情って……あの男に何かされたのかい? 脅されてるとか……」

 実際脅されてはいたので、つい言葉に詰まってしまう。

「あ、その……」

「やっぱり、脅されているのか?」

「ち、違いますっ! 違うんですっ!」

 さっきから道ゆく人がチラチラとこっちを見ている気がする。

「僕でよければ力になるよ! 話を聞かせてくれないか?」

 田中さんが僕の肩に手を置き顔を寄せてくる。善意なのは分かる。分かるけど、とにかく落ち着いてもらわないと……。そんな田中さんの腕が、横合いから伸びてきた別の腕に掴まれる。

「その手をどけろ」

 安曇だった。

「お前、あの時の……」

 詰め寄ろうとする田中さんを乱暴に引き倒し、握りつぶせそうな力で僕の手を掴んで歩き出す。彼の気配が怖くて、僕は言葉を発せない。

 田中さんと会って、忘れたふりをしていたことを思い知らされた。金銭の授受がある限り、僕らの関係は薄汚れたものでしかない。それなのに、僕は一体何に浮かれていたのか。恥ずかしくて、消えてしまいたい。

 部屋に着いてすぐ玄関で押し倒された。覆いかぶさってきた安曇の顔からは表情が抜け落ちている。

 彼の手が僕の首に添えられる。望んでいたはずの体温が、ひどく冷たい。

「あの男と、また会っていたんだな」

 首に添えられた手に、少しずつ力が込められていく。声が出なくて、小刻みに首を横に振ったが、安曇の目は虚ろで、もう僕を見ていない。

(これ、殺されるやつだ)

 やっぱりな、と思う。期待なんてするんじゃなかった。結局こうなる。分かってたのに。馬鹿だな僕は、本当に。

 頭の奥ではちゃんと警鐘が鳴っている。これは駄目だ。両親のことが頭に浮かぶ。妹のことも。安曇に僕を殺させてしまうのは、申し訳ないとも思う。

 でも、今は何も考えたくない気分だった。楽になりたい。その甘美な誘惑に、抗う気力がない。

 だから僕は抵抗しないで、彼に身を任せた。
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