傲慢な人

村さめ

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おまけ

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 俺と野宮乃亜との関係は幼い頃から何かと顔を合わせることの多い腐れ縁、だったはずなのだが。

 乃亜はいつの間にやら兄貴の婚約者になっていた。あれが将来姉になるのかと思うと正直ぞっとする。心配性の兄貴は、学生の間に悪い虫が付かないよう乃亜を守れと言う。あんな我の強い女に興味を持つ男が、兄貴以外に存在するのか疑問ではある。けれど、乃亜といると女共にちょっかいをかけられる頻度が減る。なのでまあ、そういう意味では重宝していた。

 俺と乃亜が付き合っているというあり得ない噂が流れた際も、別段困らないので放置した。すると乃亜が女共から呼び出しを食らった。その場に居合わせた俺は……全力で見なかったことにした。

 即座に乃亜から苦情の電話が掛かってきた。

「薙、今日のあれは一体どういうつもりよ?」

「ふんっ。あんなもの、お前ならすぐ蹴散らせるだろうが」

「まあ、そうだけど。あんたのせいなんだから少しくらいフォローしなさいよ」

「俺が出ていく必要性を感じなかったまでだ」

「嘘をつきなさい。あんな可愛らしい女の子達にまで怯えちゃって、ほんっとに情けないわね」

「怯えてない」

 下らん言い争いに巻き込まれたくなかっただけで、断じて群れた女子が怖かった訳ではない。

「あんたってほんと、どうしようもないわね。引っ込み思案で人見知りの癖に妙に居丈高なんだから。そういうところ早く直さないとさ。将来、ていうか近いうちにね。必ず後悔するわよ」

「何が言いたいのか、よく分からないな」

 引っ込み思案で人見知り? 失敬な。そんな事実は存在しない。

「押しの強い女の子に怯えて、私にくっついてる癖に」

「だから、怯えてない。兄貴に言われてお前を見張っているだけだ」

「なによそれ。じゃあもう剣さんに言いつけてやる」

「やめろ」

 兄貴にバレたら最悪殺されかねない。

 仕方がないので有名製菓店の限定スイーツを買ってやったら、乃亜は秒で機嫌を直した。簡単な女である。

 そんな俺には最近気になる相手がいる。

 二学期頭のまだ暑さが残る日のこと。廊下で何やらうずくまりかけていた男、それが西岡ヒノトだった。下手に声をかければ面倒なことになりかねない。相手が男だからといって、油断はできない。それでも、昔貧血症だった俺はどうしても、彼を放っておくことができなかった。念のため、念のためと、自分に言い聞かせ、恐る恐る声を掛けた。西岡は明らかに辛そうだったのに、何でもないと微笑んで、ふらふらと去って行った。

 俺は、西岡のそんな様子に、スコンと心を射抜かれてしまった。彼は他の者と違い、訳の分からない距離感でぐいぐい話しかけて来なかった。たったそれだけのことだ。我ながら単純だと思う。けれど俺は本当に、それが怖かった。

 乃亜は、俺に気になる相手が出来たことに、割とすぐ勘づいた。野生の勘か何かなのだろうか。はっきり言って怖すぎる。

「ねえー、どんな子か教えてよ。ヒント! ヒントだけでも!」

「絶対に、教えない」

「ていうか私と付き合ってる噂、否定しとかなくてよかったの? その子の耳にも入ってるわよ、きっと」

「あ……」

「まったく……いいこと薙? 恋の勝者になるたった一つの方法、それはね……押して、押して、押して、押すことよ!」

 アホ女が何やらアホらしいことをほざいていると思ったが、押しまくることで兄貴の婚約者の座を手に入れた女の言葉には、それなりの説得力があるような気もした。でもやはり、俺には難しかった。

「怖気付いてんじゃないわよ!」

「怖気付いてなどいない。考えてもみろ、ろくに話したこともない奴に、理由もなくいきなり話しかけられたら……怖いだろう?」

 俺なら怖い。すごく、怖い。

 そのうえ、俺たちは男同士。よく知らない男に好意を寄せられるとか、普通に考えて物凄く怖いはず。だから彼との接触は、慎重に慎重を重ねる必要がある。

 急いては事を仕損ずる。きっといつかそのうち話しかけるのに絶好のタイミングがやってくる。俺はそれを待つのだ。

「あんたね……そのままあっという間に卒業まで行くわよ……」

 乃亜の不吉過ぎる予言は現実のものとなった。

 あれから西岡を観察し続けたことで、俺の思いは日に日に強くなっていた。彼は控えめな男だった。目立つようなことはしない。けれど人から顧みられないような小さな雑務、細かな気遣いを自然に行える。俺はそんな彼をとても好ましく感じていた。

 西岡を盗み見ながら、あの日の廊下ではじめて言葉を交わした時のような、二人で落ち着いて会話を行う機会を待っていた。でも、そんな機会はついぞ巡って来なかった。

 卒業式を間近に控え、俺は頭を抱えていた。もちろん西岡の進学先は調査済みだ。俺もそこに進もうかとも検討したが、将来的なことを考えるとどうしても諦めざるを得ない。だとすれば、卒業後は会話の機会どころか、彼を目にすることすらなくなってしまう。

 どうすることもできずに卒業の日を迎えた。俺は自分の制服のボタンを狙う女共に囲まれていた。そんな俺の背中を、乃亜が文字通り蹴りつけて、輪の中から抜け出させてくれた。

「馬鹿! ほんっと馬鹿! さっさと想い人を探しに行きなさい!」

 抜け出した先、偶然目に付いた校舎裏に、一人きりで校舎を見上げる西岡がいた。周りに人気はない。夢にまでみた、千載一遇のチャンス。

 ここで別れたら、下手するともう二度と会えない。だとしたら、今ここで、ダメ元でもいい、告白を。

 でも俺の足は西岡の元へは行かず、どんどん校門の方へと向かっていく。引き返せ。今しかない。行くしかないのに。でも、もし、気味悪く思われて、拒絶されたら、俺は……。

 逡巡しているうちに、気づいたら校門を出てしまっていた。だめだ、引き返さないと絶対に、必ず後悔する。分かっているのに、体が言うことを聞かない。

『怖気付いてんじゃないわよ!』

 乃亜の言葉が脳裏に蘇る。

(そうだ。この期に及んで俺は……、振られるのが怖い……。頼む乃亜、俺の背中を押してくれ。誰か、何か、きっかけが……後押しが欲しい……)

 ふと思いついた。

 校門を潜って直進した先、右に曲がってほんの少し行ったところに横断歩道がある。

 その信号機の色で、自分の行動を決めてしまおう。

(青ならこのまま帰宅する。赤なら、引き返して西岡に告白する)

 緊張で震えながら、一歩一歩、やけに重く感じる足を踏み出していく。つま先ばかりを見つめていた顔を、やっとの思いで持ち上げて、この目に映した。

 信号機の色は、赤だった。
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